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1/31にメイクアガールを観てきたが、先の土曜日、2/2にもまた観てきた。二度目なので今回は思ったこと、感想を厚めに書いてゆく。
劇場
入口にはメイクアガールの放映情報が貼り出してあった。好待遇に見えるが割り当てスクリーンは狭めのが多く不遇だった。これはまぁ、ビッグタイトルを複数上映しているっぽかったので仕方がない。
8番スクリーンで見てきたが、比較的前方にあるE列の具合がよかった。
映写や音響はOSシネマズハーバーランドの1番スクリーンと大差なかったように思う。SAOPのDolby上映(スクリーン3、Atmosフルダイブ姫路サウンド)の時は音がよかった気がするが、音響調整されたDolbyだったからなのかもしれない。
着席は18名ほどで、ちょうど座席一列分だった。
感想
アキラというキャラクターの不遜さと未熟さ
アキラは非常に未熟で、それゆえに不遜な人物だと思う。しかも意図してやっていない分、トラペジウムの東ゆうを余裕で越えてると思う。
例えば、0号から食器洗いを頼まれ、ソルトに洗い物をさせるのはおかしい。0号はアキラにやってほしいのだ。しかも0号はソルトを嫌っているが、アキラはそれに気づいてすらいない。
0号がアキラを連れ出しデートに誘うシーンでも、買い物を終えたときに0号が自分で考えた内容を表明したときに、アキラが「また君が…?」と自我が目覚めていることに懐疑的な態度を見せるシーンがあるが、これは明らかに0号を一人の人間として扱っていない。創造者としての驕りが見えていると思う。
他にもシーンを上げれば枚挙にいとまがない。
残念ながら、この性格は物語の最後になるまで変わることがない。例え自分の命が危機に瀕しようと、それが原因で0号が死ぬことになろうと、変わることがない。正真正銘のダメ人間だ。本作を本作たらしめている最大の要素は間違いなくここだろう。
0号のアキラへの想い
0号は最初のうちはアキラを非常に慕っていた。しかしある時、「アキラのどこが好きなんだ?」と問われ、答えが出せずに葛藤してしまう。
そして作られた機械であるソルトと、作られた人間である自分との違いを意識し始め、葛藤を始める。
そこでこれまで自分が社会性を獲得するのに人間社会を観察してきたように、アキラを観察しようと考える。
デートに連れ出し、アキラとの対話で自我に気づくシーンでは0号の中で何かが反応したような描写がある。何かしらトリガーがあるのだろうが、ここから0号はアキラ好き好きモードになってゆく。
しかし、このことが原因でアキラから遠く離れた家に隔離されてしまう。
アキラから「今日からクラスメイトになろう。友達だ。」と告げられ、絶望してしまう。
0号はアキラへの好意を強く伝えるが、アキラから「それは0号の考えから生まれた感情じゃない」と言われてしまう。
そしてアキラへの強い好意のあまり、アキラは0号を拒絶し、0号の脳内で何かが反応し、自害プログラムが作動し、アキラが解除操作をするまで(?)0号は自身の首を強く締めてしまう。
以降、0号とアキラは疎遠になる。
生まれた意味を全否定された0号の、この気持ちはアキラには理解できないことだっただろう。
アキラの前を歩くようになった0号
アキラが0号の成長を感じたときに「いつから君は僕の前歩くようになったんだ?」と思うシーンがあるが、恐らくこれはアキラが自身が創造主で0号は設計を超えられないと思い込んでいたために発生したことだと思う。
0号は曲がりなりにも人間であり、成長するのは当然で、同じ場所にとどまり固執し続けるアキラより先に行くのは当然のことだろう。
しかし、アキラはこれを理解することができなかった。これはアキラの未熟さの例の一つでもあろう。
アキラが0号を完全に処分しない不思議
いやそりゃ血肉が通った人間だからというのはわかるのだが、別居を始めるときに0号の当初の目的である恋人は終わったみたいな発言をしたり、0号の自滅プログラムを作動させたりするあたり、処分対象としてみているような気もする。
恐らくこれがソルトであったなら迷いなく機能停止するなどで処分していたことだろう。
それに0号を生かしておく、お金もただではないはずで、行動にやや不可解な部分があるように見えた。
アキラの回想シーン
最初は母との思い出を描写しているように見えたが、後半に入ると、母と対話できるようになる。子供の姿のアキラと、高校生であることを認知した母が話しているシーンからしてみるに、恐らくあれは過去ではない。
恐らく序盤の奴は過去に見せかけようと母によって細工されているのではないだろうか?しかし、途中から母はアキラのことが心配になり、コンタクトをとるようになったと考えることができるかもしれない。
その場合、恐らくあれはシステムでアキラの脳内に埋め込まれた何か、或いは記録メモリの中を読み込むことによって脳内に構築され想起されるようなシステムである可能性がありそうだ。
母の記憶、いや意思に近いもの、自立した人工知能のようなものが、もしメモリに記録されており、それを読み出すことによって読んだ者の脳を汚染し、入り込むことができるのだとしたらある程度は納得ができる。
想定された未来
アキラの回想の中で母がアキラに対し「たくさんの困難にぶつかりなさい」みたいなことを言うシーンがあるが、もし今起きている0号との関係、海中とのトラブルが母によって仕組まれたトラブルだったとすれば、アキラ自身が人造人間であり、母に命運を操作されていたとしたら、設定として巧妙で、ちょっとおもしろいなとか思った。
母がアキラを諭すシーンで「許してくれなかったら、またほかの方法を試せばいい。研究者だってそういうもの。」ということがあるが、恐らくこれは自主性や自立をしてほしいという指令なのかもしれない。
もしアキラも人造人間で、0号の前に存在したプロトタイプであり、そのあたりの機能性に不足があるとか、母が逝去する前に自立性を育んでいなかった結果、あのような人格破綻者になったのだとしたら、このセリフはおそらく母からアキラに対する自主性を持たせるための最後の指令だった可能性もありそうだ。
0号の想いに応えられないアキラ
0号とアキラが対立して0号がアキラに襲い掛かる前に、0号から問いかけがある。これは許しを請うアキラに対する、0号からの最後の赦しの機会だった。
0号は「もうわかっています。その場しのぎの言葉はやめてください。」といい、アキラは否定するのだが、続く「私の心が作り物でないと認められますか?」に対しては口ごもってしまう。アキラは正直な人間なのだろう。
しかしこのときの正解は相手の考えを認めることだ。人から信頼を得るということは例え嘘でも相手を認めることだ。嘘も方便という言葉がある通り、こういう場合の嘘は構わないし、嘘から出た実という言葉がある通り、嘘も貫き続ければ事実に代わる。
結果としてアキラは0号の想いを受け入れることが出来ず、0号による命がけの抵抗にあうことになる。アキラは最後の最後まで0号を思いやってやることができなかった。非常に残念な結末だ。
これは別に物語の中だから起きえることでもない。現実で見てもよくあることだろう、何かを問われたときに我を通すあまり相手の信頼を失うのは、現実社会においてもよくみられることで、これは作品のテーゼとしてそれに対する戒めを説いているのかもしれない。一般的にこういうのを保身に走るとか、身を取り繕うとか、建前だけとかいうのだろう。
こういうのは自分の中で消化したと勘違いしているときによく起きることで、アキラらしい、自分のことしか考えていない非常に身勝手な考えだと思う。結局アキラは0号のことを考えることができないのだ。
0号によるアキラへの攻撃
0号は今まで貯めに貯めたアキラへの恋心と、自分が作り物であるという葛藤が混ざり合い、自分自身を制御できなくなる。
「ちゃんと証明しますから。人の想いは制御できないって。」というシーンがあり、まさにその通りだ。
この場になってもアキラは0号の生死のことしか心配できていない。0号が気にかけてほしいのはそこではない。恐らくただ一言、0号のことが好きだと、愛していると、そう言ってあげれればよかったのではないだろうか?
0号の生まれた理由、存在意義はアキラの恋人になることである。アキラはそれを否定したままここまで来ていて、0号がどうなろうとそれを取り消したことはない。
「私の心が作り物でないと認められますか?」というのは、0号がアキラに対して抱いている好きという思いが本物であるということを認めてほしいのだ。0号はアキラのことが好きで、アキラにも好きでいてほしい。ただそれだけなのだと思う。
この場面は見ていて非常に辛く、最後に0号はアキラへの恋心は遂に達しえなかったとばかりに、最後に一言だけ残し、息絶えてしまう。
機械的に作られた思いに対する嫌悪感と、それでもアキラのことが好きであるということを忘れられなかった0号の葛藤は、それはもう非常に甚大なものだったろう。このシーンは見ていて0号が非常に痛ましく、辛いシーンだった。
アキラの瞳
アキラが0号に攻撃されている最後のほうでアキラの瞳が0号の生態制御モードと同じものになるシーンがある。これは恐らくアキラもまた人造人間であることを示しているように思う。
0号が残した最後の言葉
アキラをひとしきり攻撃しきった後に、0号は「私の負けです」的な発言をするがこの意図が個人的に引っかかっている。
これは創造主を攻撃できない制御に屈したという意味なのか、アキラを本心から嫌いになり切れなかったという思いなのか、その混合なのか、この時の0号は一体どのような気持ちだったのだろう?
なんにせよアキラを攻撃している時に放った「私にできる唯一のやり方だから」という0号のセリフからすると、唯一のやり方が通じなかったというのは間違いなさそうだ。
0号の行方
アキラに殺意を向けてまで攻撃した0号の生態制御は致命的ではなく、幸い0号は一命をとりとめ、アキラによる看病を受けるが目を覚ますことはない。
しかしある日突然、寝ていた布団から姿を消しラボに移動する。その姿はさながらアキラの母親であった。果たして0号は消えてしまったのか、母親によって乗っ取られってしまったのか、そこが気になるポイントだ。
0号が最後の言葉を残す前に0号の意識に母親が介入するシーンがあるが、アキラの意識にも介入できる辺り、ひょっとすると母親由来のプログラムには全て介入できるのかもしれない。
もしそうなら、研究中がソルトはアキラを助けるために交通システムへのハッキングを仕掛けたのにも納得がいく。
個人的には0号「おかえりなさい。『アキラ君』」という言葉に畏怖を感じたし、0号はどこ…?ともなった。
エンディングではバイト中の0号がポカをするシーンが目立つため、以前の0号ではなくなっている可能性もある。これはストーリーが続くのであれば次回作に期待したいところだ。
気になった部分
アキラの過去の記憶に登場する家
恐らく続編で明かされるとは思うが、あの家は何なのだろう?
0号が神社の階段を上るシーンの意味
何かの心象の描写なのかもしれないが、よくわかっていない。
例えば日によって登り方が違う、登らなくなったなどで0号の様子を何かしら描写するためのものである可能性はあるかなとか。
この作品が伝えたいこと
恐らくこの作品では「覆水盆に返らず」と「他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない」、「詭弁に意味はない」ということを表現したいのではないだろうか?
覆水盆に返らず
アキラが0号に対してやってしまったことは取り返しがつかないことで、恐らく何をしても戻ってこない。過ぎ去った過去はどうにもならないのだ。
他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない
アキラは0号の創造主であることから、0号が言うことを聞かないときや、本来の設計に反する挙動を見せていた時に苛立ちを見せていたように思うし、0号との別居の際もそんな感じに見えた。最初のほうは体を掴んで動かすなど明確に0号に指示をして動かしていたので、その延長でやっていたのだろう。
しかし、0号がファミレスでバイトを始めるようになると馴れ馴れしく接してくるアキラへ戸惑っているように見えるシーンもあることから、この辺りから軋轢が始まっているように感じた。
赤ん坊や児童、新卒ならいざ知らず、あの頃の0号というのは立派な意思を持った人間だ。
そんな人間を意のままに操ろうと考え、意に反することが起きれば、もちろん使役する側は嫌な気持ちになるだろうし、される側も戸惑うだろう。
結果として、あの結末につながるのではないかと思う。何故なら、この関係は人と人というより、人とモノの関係に近いからだ。
アキラにまっとうな感性がないというのはさておき、アキラが0号を彼女や恋人として見れなかったのも、モノ扱いしていたからではなかろうか?
何より、使役関係は疲れる。似た概念にマイクロマネジメントというのがあるが、1から10まで指示するのも、されるのも、どっちも負担だ。
詭弁に意味はない
その場しのぎの言葉には何の意味もない。
極論を言うと悪いことをしたときに「謝ればいいんでしょ。謝れば。」というようなもので誠意がないのだ。
これは実社会でも非常に難しく、自分は反省しているつもりでも相手に伝わらないというのはよくあることだ。可能であればお互いに意識のすり合わせをするのがいいのだが、これは中々難しいことで、こじらせると平行線の喧嘩とかになりがちだ。
ただ、詭弁である限り何を言っても相手に通じることはまずない。
百歩譲って相手が詭弁を受け止めたとしても、詭弁は本質を突かないので、本質的に反省出来ず、同じことが繰り返されがちだ。
次回作はどうなるか?
エンディングで茜がアキラにクッキーを手渡すシーンがあるが、恐らく恋仲になるのではなかろうか?
その場合、0号はお母さんとして見守るのかもしれないし、0号本来の意識が覚醒し、体を乗っ取り返し、アキラを取り戻す、そんなシチュエーションもあるのかもしれない。
なんにせよどうなるのか、非常に楽しみだ。
海中は獄中か、それとも出所しているか、脱獄しているか、意思を誰かに託しているか、どうだろう?個人的にモブキャラだと思うので正直あまり興味ないが…。
あとがき
実はアリテレのころから映画鑑賞の感想を書きたいと思い、ずっと映画館でメモを取ったりしていたのだが、中々形にできていなかった。この行動はアナログへの回帰でも、映画館でメモを取るという内容で少しだけ触れている。
トラペジウムでは、このメモから起こして殴り書き程度はしたのだが、断片的過ぎて読めたものではなかった。それが今回ある程度まとまった記事として掛けたのは個人的に結構よかったと思う。
やっているうちにメモの取り方も徐々に洗練されてきたのもあるかもしれないが、まだちょっとよくわからない。
なんというか、こう、形にならなくてもとりあえずやってみるというのが大切だなとか思うのであった。とっかかりを作るのはきっと重要なことなのだ。
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この記事にはネタバレがたくさん含まれます。
口上
2025年最初の映画鑑賞としてメイクアガールを観てきた。いつも通りの公式サイトも何も見ずでの、ぶっつけ本番。
内容をざっくばらんに言うとSF系のボーイ・ミーツ・ガールだ。私はボーイ・ミーツ・ガールが非常に大好きで、ボーイ・ミーツ・ガールであるというだけで過大評価になる。
これは過去に観た映画の評価が★3、つまり最高のものだけを抜き取ったリストだが、なんとSAOP以外全部ボーイ・ミーツ・ガールである。
ボーイ・ミーツ・ガールだったら自動的に★3になるわけではなく、もちろん★2以下もある。
このブログに作品タグが存在し、複数記事のあるトラペジウムとがんばっていきまっしょいが★2枠なのはボーイ・ミーツ・ガールではないというのが恐らく理由だろう。私の中で熱狂度と作品の良さは比例しないのだ。
SAOPが★3なのはSAOPだからなので、これは例外中の例外。
去年は残念ながら刺さる作品がなかったが、まさか今年入って開口一番にぶっ刺さる作品が来てくれるとは思わなかったので予想外だった。作中で主人公が刺されるシーンも相成ってか、極めて強烈な刺さり方をした気もする。なんか今年の最高作もう出ちゃったんでは感。とにかくめちゃくちゃいい。刺さるというより刺殺されたというくらいの良さ。
因みにOSシネマズ神戸ハーバーランドのレイトショーで見てきたが、1番スクリーン(146席)に10人ということで、ガラガラだった。私は基本的にニッチな作品しか見ないので、まぁいつものことである。埋まってるほうが奇跡。
講評
さて、前置きはこの程度にしておいて本作について語っていこうと思う。ネタバレを避けるとか器用なことはできないので、ネタバレありきで書いていく。
あらすじ
まず大まかなあらすじとしては、天才的な頭脳を持ちながらも感情や社会性に欠けた高校生の主人公が、人造人間を製造し、互いに人間社会や感情を学びながら成長していくといった感じのストーリーだが、最終的に二人が出会うことはなく、散り散りになってしまう悲しいストーリーだ。
内容
主人公は、人付き合いが苦手な陰キャの研究者で、高校生だ。悪く言うと人の心がなく、人付き合いも薄い陰キャコミュ障オタクみたいな感じ。
ある日主人公が悪友と話していると、悪友が「彼女ができたらバイトの能率が倍になった」という話をするので、これを聞いて「彼女が出来れば研究の能率が上がるのではないか?」みたいな壮大な勘違いをしてしまう。本当に研究者なのかこいつというアホさ。
そして彼女を作ってくるといい飛び出していく。そのまま研究をつづけ、主人公は自分と同年齢の女性の人造人間を作ってしまう。
こうして誕生した彼女は、基礎的な知能を主人公によって植え付けられながらも、社会性が欠如していた。このままでは彼女にならないと思った主人公は彼女に「恋人らしさ」を身につけさせるべく、彼女を人間社会に適応させようとする。
そして知り合いの女子を指し、彼女から人間社会を学ぶように指示し、彼女は言われた通りに学ぼうとするがなかなかうまくいかない。
知り合いの女子は無駄にいいやつで、事情を聴くと彼女の社会学習に協力してくれるようになる。
彼女はみるみる人間としての社会性を身に着けていき、ほんのしばらくの間に完全に人間らしい感性を獲得してしまう。
ただここからが問題だった。彼女は主人公とラブラブになるため、恋人らしい行いをしようとする。しかし主人公は研究以外に興味がなく、次第に彼女の態度に苛立ちを感じるようになり、遂には彼女を自宅から追い出して、別の家に隔離してしまう。この主人公は最低最悪で、まるでゴミのような人間である。
それも当然である、彼女が出来れば自動的に研究が上手くいくようになると考えていたのだから、上手くいかないのなら不要だ。脳みそお花畑か?
このとき彼女は主人公と離れたくないがために、主人公を離すまいと掴みかかるが、彼女には主人公に危害を加えられないプログラムが仕込まれており、この試みは容易く失敗してしまう。なんと、このプログラムが発動すると自分の首を絞めて死のうとしてしまうのだ。
このとき、主人公は彼女に対し「君が私に対して持っている恋愛感情はプログラムされたもので、私を攻撃することができないのもそのため。君の感情は全部作り物だ。」的な酷い言葉を言い放ち、彼女は絶望に近い思いを抱き空虚に過ごすようになる。
人造人間とはいえ、人を何だと思っているのだろうか?いや、なんとも思ってないのだろう。
彼女を隔離した主人公は今度こそ研究が上手くいくと思い、研究を進めるが、そもそも上手く行っていなかったものが上手くいくはずもなく頭を抱える事態になる。
物語はここから急変し、一気に暗くなってゆく。
それから少し経った頃、主人公を妬む研究者が、主人公の管理下を離れた彼女を連れ去り、研究することを画策し、彼女を誘拐してしまう。
その間に主人公は過去を思い出す。それは自分の母親が立派な研究者であり、病気で死んでしまったこと、家族を亡くし一人残された主人公に家族を作るプログラムを授けたことだ。
そして主人公は自分の行いを自分なりに反省し、彼女を恋愛対象ではなく家族にしたいと思い立つ。謝るために彼女に会いに彼女の家に行くが彼女がいないことに気が付く。そして誘拐されたことを察知し、助けに行く。
そして敵対する研究者に打ち勝ち、無事彼女を手中に戻し、これまでの行いを謝るが、本質を突いておらず見当違いで意味のない謝罪を彼女は受け入れない。
彼女は主人公から告げられた言葉を忘れておらず、自滅プログラムの作動を承知で主人公を殺しにかかろうとする。
このとき、主人公は抵抗するが、主人公自身にも自滅プログラムが作動しかけていた。恐らく主人公も人造人間で、彼女を攻撃できない制約がかかっていたのだろう。しかし主人公は多分自覚していない。
この後、主人公は彼女からめった刺しにされボロボロになってしまう。正直死んでいないのが不思議だが、まぁ突っ込まないでおく。
彼女は自滅プログラムによる内蔵破壊だろうか?強い痛みに耐えつつも、主人公に攻撃する手を緩めない。主人公は無駄に頑丈でなかなか死なない。化け物かこいつ。
結果、彼女は自滅プログラムの影響で自分の首を絞めつけ危篤状態に陥るが、主人公の懸命な手当てにより一命はとりとめる。ただその後も彼女が目を覚ますことはなく、それでも主人公はけなげに彼女の看病をするために、彼女の家に足しげく通う。なんで自分の家に戻していないのかも突っ込みたいが、ここも突っ込まないでおく。
しばらく経った時、彼女がどこにもいないことに気が付く。そして主人公は彼女を探しに彼女の家を出て、自宅の研究室へと戻る。すると彼女がいた。
ここで物語は終わる。
感想
大まかにいうと自分の思い通りにお人形さんを動かしたい人と、その人形の感情の葛藤みたいなところがあるように思う。
創作の世界では主人がメイドを意のままに動かすみたいな設定があったりするが、実はこれは使役する側も、される側も全然楽しくない。ChatGPTやClaude Sonnet辺りのLLMとロールプレイをしているとわかるのだが、言われた通りにしか動いてくれないと光の速さで飽きるし、愛情を感じない。愛情というのは相手の意思があってこそであって、「俺のことを好きと言え」と言って言わせたとしても味がしないものなのだ。
言われた側を味わうのは結構難しいのだが、自分が誰かの奴隷状態になることで経験できる。指示されたこと以外できないのは、ただただひたすらに苦行だ。
多分主人公も、0号もどっちも苦しかったと思う。特に主人公を殺すほかに解決手段を思いつけなかった0号は深刻だ。
ただ主人公は一番最後になるまでまともに人の心がなかったので、正直ほとんど同情の余地を持てない。ただ、だからこそ、そこがこの作品の良さに繋がっているとも思う。トラペジウムもそうなのだが、人間の成長を描くのに性格が終わってる人間は多分便利なのだと思う。
また、主人公が作った研究の成果物もその全てが母親によるプログラムが仕込まれていて、主人公は実は何もしていないというのもよかった。
主人公は画期的な発明を世に送り出したり、人造人間を作ったりしているが、母親の設計と、母親が残した設備をもとに物を作る能力しかなく、それも恐らく母親が残した指令の通りに動いているだけなので、別に特段頭がいいわけではないのだろう。
これは敵対する研究者が資料を全く読めなかったのに、主人公は難なく読めたことから、そう推定している。
公式サイトを見た感じ長編映画で続編があるそうなので期待したいところだ。一番最後にノイズに包まれた2027という数字が見えたので、2027年に次回作が出るのだろう。これは大変期待したい。
グラフィック
全編3Dアニメーションになっており、バンドリやがんばっていきまっしょいなど、昨今ではよくあるスタイルだ。
しかしそれらの作品と比べて異なるのは、かなりセルアニメを意識したタッチになっていたことだ。3Dであることを意識させないレンダリングながらも、3Dを生かした高機動なカメラワークは見もので、アクションシーンの醍醐味だった。いやまぁ、タッチの都合もあってか、そこまでぐりぐり動かないが。
風景
国道17号線や明神下中通りという標識がよく出てきたのが印象に深い。よく出てくる階段や神社は神田明神らしい。
Google Mapsで見た感じ、外神田、つまり秋葉原駅の左上辺りがよく出てくるスポットらしい。電気街やオタクショップが並ぶ辺りなので、なんとも面白い聖地だ。
聖地としては以下のものである可能性があるらしい。
- 神田明神の男坂
- 湯島1-2-3の三叉路
- 千代田線湯島駅
- ローソン神田明神店隣のタイムズにある二台の自販機
- アーツ千代田3331
この辺り一帯は東京駅からのアクセスがいい上、大して範囲もなさそうに見えるので京阪神の人なら日帰りで十分見て帰れるだろう。
映画館の風景
今日行ってきた映画館の風景。
まず迎えてくれたのが上映作品リストだ。ここにメイクアガールがいてくれて嬉しかった。
スタンディもあって充実している。0号がかわいい。結婚してほしい。
スクリーン前の表示。左右で垂直に分かれているのがいい感じだ。これは人造人間と人の対比にも見えるが、それよりかは決して交わることがないことを暗喩しているのだろう。
グッズはかなり豊富にあり、やたら種類のあるランダム封入のものが多々あったので破産させる気かと思った。角川配給だからだろうか?角川怖すぎ。
OSシネマズ神戸ハーバーランドの最終上映後の在庫状況がこちら。
OSシネマズはグッズの品揃えが大変悪いと個人的に思っているのだが、今回は結構頑張っており、一通り置いていたのには感心した。ここ最近はマシになってきているようにも思う。
ただランダム系は残数がそこまであるわけにも見えないので全部揃えようとすると全部買うことになるのではなかろうか?
在庫的にも0号のクリスタルアート以外は一通りあるので、恐らく明日の午前中であれば、それ以外はまだ手に入る可能性がある。日曜になっても人気品以外は残るだろうが、それ以降は多分閑古鳥が鳴いているだろう。
メイクアガールとは関係ないが、通路恒例のポスター展示はアルドノア・ゼロだった。限定上映だが、これは是非見に行きたい作品だ。
私はロボット物が基本苦手なのだが、アルドノア・ゼロと交響詩篇エウレカセブンだけは好きなのだ。ガンダムとかあの辺りはてんでダメなのだが…w
あとがき
もうちょっとネタバレというか、直接的な表現にならないようにいい感じに抽象化して書けたらいいなと思うのであった。
何せこの記事で書いている内容が作品のあらすじをそのまんま書いてるだけという感じなので…。
余談だがMP3を買いたい場合、以下から買える。アフィリンクではないので安心してほしい。
- 投稿日:
この記事はがんばっていきまっしょいの聖地巡礼をしてきた 三日目の翌日版だ。日付の上では12月29日。
やたら長く続いてきたこのシリーズも今回で終わりである。なお本記事は帰路を含むため、初日の記事同様に微妙に日跨ぎする。
この日は奇跡の出会いがあり、結果的に延泊したことが正解となるイベントが発生した。
一日の始まり
さて聖地もほぼ巡り終えて空白日のような感じだが、まだ行っていない場所がある。そう、玉川湖だ。
TAKAさんの作成されたがんばっていきまっしょい地巡礼マップによると、これまでの聖地からはとてつもなく離れた、とんでもない山奥にある。
こんなところに車なしで行けるのか?と思うが、実は行けるのである。そう、ここにはバス停があるのだ。
しかも都合がいいことに大街道のホテル前にあるバスターミナルからバスが出るという。利用しない手はない。
しかしバスに乗るとお土産に買ったかまぼこがだめになりそうだ…と、そこで思い出したのが二日目の延泊時のレイトチェックアウト要件だ。12時までレイトチェックアウトが無料でできることを思い出し、かまぼこを12時までホテルの冷蔵庫に入れておき、12時までに玉川湖から帰ってくることにした。これは奏功し、無事かまぼこが痛むのを防げた。いやまぁ、季節的にコインロッカーでも大して問題ない可能性はあったが…。
玉川湖行バスへの乗車
大街道のバスターミナルに来るが、どこにもバス停や案内がない不思議なバスに乗車する。玉川経由と書いてあるのが特徴的だ。何よりバスがみかん色じゃない。
セブンスターのガソリンスタンドを見かけた。一六はスーパーもやっていればガソリンスタンドもやっていて、しょいともコラボするとんでもない和菓子屋だ。
バスは徐々に山間部へと入っていく。奥道後を抜けたあたりで「これより先、玉川湖まで山岳道路を進みます。バスが大きく揺れますのでご注意ください。」とアナウンスが流れてたが、最後まで特に揺れた感じはしなかった。
凄いカーブが続き、どことなく玉川湖に遠征に向かうバスのシーンで通った道にも見えるが、似たような道が非常に多く正直聖地がどこかの特定は難しそうだった。
SeAKiさんの舞台探訪によると、私が聖地だと思って撮影した地点は、いずれも外している気がした。
目的地、竜岡のアナウンスが出る。運賃表がなかなかの額だが距離で考えた場合はかなり安いと思う。何せ大街道から30kmほどある。
バスはここまでの間、周辺の小さな集落に多くのバス停を設けていたが特に乗降はなかった。恐らく車社会なのと極端に人口が少ないからだと思うが、そんなところにもバス停を設けているのは非常に親切だなと感じた。
バス停の間隔が長いため次のバス停の案内があってから、しばらく走っていたら今治市に入った。そう、玉川湖は松山市にないのである。その関係なのか、松山市が出している聖地マップには玉川湖が書かれていない。
因みに途中からずっと写ってるトラックは広島に本社を置くあじかんという玉子焼きのメーカーらしい。なんでも業務用玉子焼では国内トップクラスのシェアを誇るのだとか。このトラックは山口から松山に来て帰る道だろうか?
竜岡
竜岡に到着した。バス停には乗務員不足のために廃止便が出ることや運航時刻が変わる案内が出ていた。世知づらい世の中だ。
とはいえ便数は十分にあり、これだけあれば聖地巡礼には特に困らないだろう。
参考までに今回利用したバスのダイアも紹介しておく。大街道を9:05に出て、竜岡に9:51に到着するものだ。この便だと10:21に松山市駅方面が来るので、結構使いやすいと思う。また大街道に11:07に戻れるため、ロイネットホテルのレイトチェックアウトをする場合にも都合がよい。
これ以外だと復路は一時間以上待つことになるので、ゆっくり見たい人向けになる。
参考までにせとうちバスのダイアはこちら。このバスは現金しか使えないので注意だ。
玉川湖
バス停から反対車線に移ると玉川湖がよく見える。よく見ると何かが見えるような…。まさか…。
カメラをズームしてみるとローイングをしている人たちが見えた。この光景が見れるのは、かなりいいタイミングで来れた気がする。
【聖地】今治市営玉川艇庫
歩くこと数分、玉川艇庫に到着した。劇中のように複数のバスはいなかったが、一台だけバスがいた。
艇庫は開いており、中には多くのボートが収められており、外にも何艘ものボートが配置されていた。
そしてアングルを変えようと場所を移動したところ、なんと止まっていたのは松山東高のバスだった。バスには校名と共に「がんばっていきまっしょい」の文字があり、「がんばっていきまっしょい」が実在したことに驚いた。
何より実在する東高ボート部のバスに聖地で巡り合えたことにも感動した。奇跡すぎるでしょ…。
ちなみに「がんばっていきまっしょい」は松山東高内部にも実在するようだ。劇中で説明されていたが、本当に伝統だった…。
SeAKiさんの舞台探訪によると事務所入り口にポスターの掲示があるようだが、学生や先生が頻繁に往来しており、近づくと邪魔になりそうだったため、確認できなかった。
しかし写真を何枚か確認すると、うっすらポスターらしきものが映っている写真が確認できたため、12/29時点ではまだ掲示されていたものと思われる。
実際に使用されている場所に入るわけにはいかないので、外側に向かった。
劇中で各校の部員が歩いていた場所はキャンプ場として使われていた。
湖畔には湖の底に沈んだ小学校の記念碑らしきものが生えていた。
どうやらボート部員によく使われているらしく、釣り客に向けて学生の邪魔をしないように注意書きがされていた。よく見ると各校の利用予定表も出ているように見える。
玉川湖に来た時によく出てくるアングル。悦ネエがトイレ行くときとか。
実在する東高ボート部のバスに出会うことができたことは延泊してよかったと思えた最大の出来事だった。しかもまさか「がんばっていきまっしょい」の文字が実際に書かれているとは感動ものである。ローイングが見れたことと言い、エモい。エモすぎる。
玉川湖畔の里
道の駅みたいな場所が向かいにあったので寄ってみることにした。玉川町と書かれた看板があるので、恐らくここはかつて玉川町で、今治市に吸収されたのだろう。
入店して奥に入ると手芸品や民芸品が売られていた。いつ作られたのか定かではないものもあったが、恐らくフリマみたいな感じで出品されたものをそのまま置いているのだろう。中には自分の店の連絡先をふんだんに記載した名刺を貼っているものもあり、強い商魂を感じた。
今調べたところ一枚目のバッグは銭湯などでも使えるとのことでなかなか便利そうだ。材質がプラ紐なのもあり耐久性も高そう。
手持ちの銭湯バッグが小さく、百均には大きいものがないためちょっとほしくなったが、流石にこのためだけには行けないのが惜しい。
松山市駅へ
帰りのバスの時間になったのでバスを待つ。行きとは全然違う単なる路線バスみたいなのが来た。
整理券方式であるため、整理券をとって乗車した。因みに往路では整理券をとっていない。確か出てなかった。恐らく大街道は市駅と極めて近いため券なし扱いされているのだろう。
乗車すると「山間部では交通事情により安全のため停留所を幾分変えさせていただくことがございます。ご了承ください。」というアナウンスが流れていた。
【聖地】松山市駅 2番線 高浜方面のりば
映画では3番線となっているらしいが、三津に行くのは2番乗り場である。
因みにい~カードがあると改札を抜けて乗らずにそのまま出られた(これはJRや大阪市営地下鉄などでやるとはじかれる行為)ので、中を見て出てくることができて便利だった。
【聖地】愛媛県美術館
【聖地】堀之内
初日の記事でも出しているが、画角がいまいちだったので撮りなおしたもの。
媛すぎ・媛ひのき電車
昨日見かけた伊予鉄道モハ50形電車の最初期型と基本的には同一のようだが、方向幕がLED化されていない。
【聖地】デュークショップ 松山店
悦ネエがふてて部活をサボってるときに訪れるレコードショップ。12/29時点でしょいのポスターが貼ってあるのを確認できた。
まさか劇中に出てきたこのメカがこの時代の現実世界に実在するとは思わなかったので驚いた。買う前に試聴できるのは地味に便利だ。
店内には特設コーナーもあった。モデルとなったショップでCDが買えるのは貴重な体験だ。OSTのCD販売はないが、MP3販売であれば配信リンク集の一番下にある。
因みに店内をぐるぐるしていたら別の人にCDを買われてしまい、聖地でCDを買うことはかなわなかった。
HOJAKEN 大街道
ほじゃけん、随分インパクトのある店名だが中身はイベントスペースのようだった。
過去にはスタンディもあったようだが、それはもうないようだった。
マナベスポーツ
【聖地】珈琲館 赤煉瓦
初日に前を通りすがっていたが入店できていなかったので入ってみることに。
劇中表現を超えるレトロな店内が光る。一人で来店したのでカウンター席、つまりヒメが座った席に案内された。
店内はとにかくレトロな銘板であふれており、当時を生きていない私でも懐かしい気持ちに浸ることができた。
ひとまず空腹だったのでカレーライスを頼んだ。紡錘状のライスに紙で包まれた独特のスプーンが風情を誘う。
ぜんざいも頼んでみた。昆布の佃煮が付いてくるのがユニークだ。
最後にヒメが頼んだコーヒーも頼んだ。ストレートで飲んだ感想としては、ヒメが言うように苦かった。そりゃコーヒーだもんね。
カップやソーサーに気品を感じたが、SNSを見る感じ結構高いものらしい。
フレッシュはdartという見慣れないメーカーのものだった。九州ダートコーヒーというメーカーのものらしく、九州に近い松山ならではかもしれない。
坊ちゃん列車
せっかく松山に来たのなら坊ちゃん列車にも乗るべきだろうということで、やってきた。市駅で面白いものが見れるとの事前情報を得ていたので、列車の到着前に来れるように朝から調整していた。
ワクワクしながら待っていると、坊ちゃん列車が轟音とともに市駅に入線してきた。坊ちゃん列車はディーゼル機関車なのでエンジン音が力強い。
乗客を降ろし終えると連結の解除が始まった。手動で連結器を操作している光景なんて中々見れないので、貴重な光景だ。
客車と機関車が切り離され、機関車だけスイッチバックのために前進してゆく。シュールな光景だ。
Uターンする必要があるのでどうするのかと思うと、なんと機関車をジャッキアップして人力で転回させていく。
そして再度連結しなおし。この後、後続の路面電車の邪魔にならないようにバックして待避線に進入していく。
連結器は鎖で車両同士を繋ぎ、車両同士が衝突しないように緩衝器で牽制する方式だった。緩衝機が縮んだ時に外れないのかと思ったが、見た感じはネジで鎖の長さを調整することで外れないようになってるようだ。
坊ちゃん列車は蒸気機関でないこと以外は極限まで当時の姿を再現するように作られているらしく、レトロな作りだ。実は客車にビューゲルがついていて、一見すると電車にも見えるのだが、これは軌道の分岐器を操作するのに必要らしい(ビューゲルを架線に当てることで分岐の切り替えをしている)
因みに坊ちゃん列車という単語を生んだ夏目漱石は松山東高で教師をしていたらしく、これが後に坊っちゃん文学賞を生むことになる。「がんばっていきまっしょい」は第4回坊っちゃん文学賞受賞作であり、また東高を舞台にしているため、随分遠いが、しょいとの縁も感じてしまう。
坊ちゃん列車に関する説明や観光案内を受けつつ列車は終点の道後温泉に到着。ここでも切り離しと連結の光景を見ることができる。
今回の運転士はこれがラストランだったらしく、ささやかなお別れ会が開かれていた。坊ちゃん列車の運転士を探すのは大変と聞くが、後任は定まっているのだろうかとか、少し心配をした。
というのも坊ちゃん列車は軌道線を電気ではなく、ディーゼルエンジンで運行されているため該当する免許「乙種内燃車運転免許」がここ以外で使えないという極めて希少なものなのだ。
一般的な鉄道を走る内燃車で利用するのは甲種内燃車運転免許であるため、これでは運転できない。(甲種=鉄道、乙種=軌道用)
つまりJR四国で一般的な気動車を運転している人が転職してきても、そのままでは運転できないということで、採用はなかなか大変と思われる。
因みに「乙種内燃車運転免許」は伊予鉄が免許を復活させたらしい。と言うのも、路面電車という名前がある通り、軌道線には電車が走る事が一般的過ぎて、免許自体が歴史の流れで消滅していたのだ。そういう意味でも、めちゃくちゃレアと言える。
リーの帰り道へ移動
さてここからリーの帰り道へ移動する。上一万に戻ると、別方面の乗り換えにはのりかえ券がもらえると案内があったので貰う。これがあると次回の乗車が無料になる。
市内電車と郊外電車の乗り換えにもあってほしい仕組みだが、料金体系が異なるため難しいだろう(改札コストが上がる)
【聖地】リーの帰り道
【聖地】いよてつ高島屋
序盤、市駅から市内電車に乗るときに出てくるところ。印象的なシーンの一つだ。悦ネエと梅子が別れるときに、こんな感じで見上げる構図があった気がする。
ここに来たことでTAKAさんの作成されたがんばっていきまっしょい地巡礼マップでアニメ版に登場する部分については、悦ネエと梅子が別れる場所(まつちかタウンのとこ)を除き、すべて巡りきれた。
悦ネエと梅子が別れる場所は行き忘れてしまったが、ひとまず、ほぼほぼ全部巡れたので満足だ。
銀天街
JR松山駅前にあったビジョンと比べ随分大型のモニタが設置されている。まさに松山市の中心地という感じだ。
中は煌びやかな商店街で多くの人が往来していた。
アニメイト松山
銀天街の中にあるアニメイト。ここに来てやっとしょいの全員集合スタンディを拝むことができた。ただ店名が入っておらず白枠になってるのはちょっと寂しい。
「みんなの愛媛が詰まってる!」と書かれたみかんも、愛媛らしくていい。オール愛媛という感じがする。
JR松山駅
さていよいよ帰路に就く時だ。オレンジフェリーに向かうリムジンバスが取れなかったため、最寄り駅まで鉄道で向かう。
松山駅は交通ICに対応していないようで切符を買うことを強いられた。9月に駅舎を建て替え、リニューアルしたのに対応してないことに驚いたが、多分対応している駅が周囲にないのだろう。因みに高松駅はICに対応している。それはたぶん岡山が近いから。
JRの券売機ならクレカが刺さるはず…と思ったそれもなかった。
9月に立て直したばかりというだけありホームはピカピカだった。
そうこうしていると特急しおかぜっぽいのが入線してきた。しばらくすると先頭車両は切り離されてどこかに向かっていった。
行き先表示が高松に代わり乗車できるようになった。特急いしづちである。
自由席では車内改札を行うアナウンスがあったが、何故か指定席では改札がなかった。車掌の巡回もなかった。指定席にキセル客がいるのは容認するのだろうか?謎である。
勿論、私は乗車券と指定席特急券を買った上で乗車している。
壬生川駅
壬生川駅は東予港の最寄り駅の一つで、無料送迎バスが発着する。
改札は有人改札をしていた時の設備がそのまま残っているが、人が入る箱がないので簡素な感じだ。
駅のベンチは四国の形に彫られており、四国愛を感じるデザインだった。見栄えはいいが、もたれると背中が痛そう。
単線の上、基本岡山まで出るとなると瀬戸大橋のキャパの都合もあり、利用者も少ないからこうなるのだろう。
瀬戸大橋は高松・徳島・高知・松山行きの列車が通行しているので本数を増やせない。多分一時間に松山行きを二本にするとどこかの県が割を食らう。
各停はお情けであるだけだと思うので、そうなるとこんな本数になってしまうのだろう。
バス乗り場には旅の安全を祈るしめ縄が飾ってあった。正月飾りではないらしい。
バス停の時刻表はダイア変更や減便などのビラが大量にあり、地獄みたいな様相だった。なんなら7列もあって1列しか使われてない時刻表すらある。しかもその1列にも1個しか書いてない。本当にこんなところにバスが来るのか、軽く恐怖を覚えた。
バスでオレンジフェリーへ
待てど待てどバスは来ず、時刻表のひどさも相成って来ないのではないかと心配したが定刻から7分遅れでやってきてくれた。
ただ時刻表にあるダイアが実は間違いで、その下にある「予定時刻 21時41分」が正しいのであれば2分しか遅れていないことになるが、カオスすぎて読み解けない。少なくともオレンジフェリーの案内では21:36となっているため、上の時刻表が正にも見える。まぁ深く考えないほうがよさそうだ。
無料送迎バスなのにバス停を過ぎるたびに運賃が増えてゆく。恐らく路線バスのシステムをそのまま使っているのだろう。
この辺りは車社会なので、このバスは空いてるだろうと思っていたが、車体下の荷物入れが使えない関係で座席は9割ほど埋まっていて、乗車は割とギリギリだった。
おれんじ おおさか
ついに夢にまで見た「おれんじ おおさか」への乗船だ。二日目に寝坊した時に二日延泊した最大の理由にやっと乗れる。
銘板が光る。SHIP NOは「おれんじ えひめ」が「S-A120」なので、こちらのほうが番号上は後のようだ。
そして夢にまで見た、オレンジフェリーのしょい全員集合スタンディに出会うことができた。延泊したのもあり、時期が時期なので消えているのではないかと心配していたが、無事見られてよかった。本当に良かった。
4Fの階段裏にある展示コーナーは「おれんじ えひめ」側とレイアウトが異なっていたが、しょいに関しては大きく違いはなかった。
船室
一等船室が取れなかったので二等。
船内ゲームコーナー
おおさか側のスロット台はえひめ側と比べるとオタク色が強かった。まどマギとかまどマギとかバジリスクとか。
おいてあるプライズマシーンも微妙に違ったが、大まかな景品は同じような感じだった。
乗船記念
エレベーター
帰阪
12月30日の朝。
フェリーターミナル
阪神梅田
お土産
私が一六マンだと言わんばかりの一六タルトの袋が土産の多さを物語る。
あとがき
さて、12/25に始まり12/30に終わる長いしょい地巡りの旅がこれにて終わった。
突発の思い付きで色々準備が足りていなかったり、思い付きの行動が多く写真の構図は決して満足いかなかったが、全体的に見ると良い旅になったと思う。
特にTAKAさんの作成されたがんばっていきまっしょい地巡礼マップは写真撮影が一箇所できなかった点を除けば、全て踏襲しきれたので満足度が高い。特に予期しない延泊の影響で玉川湖に行けたこと、東高のしょいバスが見れたことは非常に思い出深かった。
他にも延泊があったからこそ赤煉瓦にも行けたし、行くのを諦めかけていたリーの帰り道にも行くことができ、更に坊ちゃん列車にまで乗ることができたので結果的にだいぶ良かった。行程についてもその日の朝即席で作った内容だったにも関わらず、結果として上手く回れたのはよかった。
なんだかんだ二日目の寝坊や体力不足、全体的な無計画さが裏目に出て最終日はかなりいい塩梅に仕上がった。道後プリンスホテルではなく、ロイネットホテルの方が都合が良かったことなども含め、正に怪我の功名だ。
松山市観光パンフレットを見ると松山には見るところが多いし、愛媛には夏トンの聖地である下灘駅などもあることから機会があれば是非また行きたいところだ。
ということで長らく四記事にわたって続いてきた、このシリーズもこの記事で終わりになる。よくこんだけ書いたな私。
全体的に書きなぐりの個人の随想集だが、もし全部読んでくれた人がいるとしたらありがたい。
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この記事はがんばっていきまっしょいの聖地巡礼をしてきた 二日目の翌日版だ。日付の上では12月28日。
昨日は余り動けず休息がメインとなったため、ここから真のしょい地巡りが始まる。
松山市駅
この二日間で私が学んだことは切符を毎回買うのは非常に面倒くさいということだった。おまけにホームに電車がいるときなんか乗り遅れそうになる。
そして「ICい~カード」を手にすることができた。これでありとあらゆる郊外電車に快適乗車できるし、ついでにこれで市内電車に乗ればPiTaPaのSF残高も気にしなくてよくなり一石二鳥だ。
【聖地】高浜線の車窓
【聖地】三津駅
昨日も書いたが今日も来たので…。
花火大会の日に二宮を待つシーンで一番最初にカメラが向いてたとこ。
三津駅舎内にはしょいのフライヤーが置いてあった。三津浜商店街とのコラボチラシはかなりレアな気がする。
駅前のターミナルには貝殻が置いてあり、三津浜という土地を象徴しているように感じられた。何ら関係ないが新神戸駅のターミナル出口にもサザエの貝殻がこんな感じであったりする(港町だから?)
三津浜商店街
【聖地】恵美須神社
昨日も来たが脚が痛かったので再来訪編だ。
【聖地】花火大会の屋台通り
花火大会で屋台が並んでいるところだ。劇中でも黒天物産(株)までは映り込んでいたので同じようになるようフレームに収めてみた。
この黒天物産(株)は大黒天物産のことで、端的に言うと激安スーパーのラムーのことである。
実は二日目に一度ここに来ているのだが、そのあとに劇中で「黒天物産(株)」の文字を見たときはちょっと感動したりした。何故かというと私は大黒天物産の本社所在地である倉敷市の出身だから。
しかしなぜ地方のスーパーは24h営業が多いのだろうか?何故か都心のほうが営業時間短いと思うんだ…。
【聖地】花火大会でダッコがナンパされたがってたのをヒメに突っ込まれてた場所
【聖地】花火大会会場
三津浜港
【聖地】避けたフェリー
悦ネエがオールを暗礁にぶつける前に避けたフェリー?船の形を覚えていないため、これかどうかはわからない。
TAKA氏の地図によると興居島行きのフェリーらしいのでこれではない可能性がある。
石崎汽船本社
松山観光港周辺で営業しているフェリー会社のようだ。恐らく全社が旧本社、後者が現本社と思われるが、随分しょぼくなっている気がする。
三津の渡し
この渡し船をよく見るとロープでレールのようなものが取り付けてあるが、自転車を乗せるためのものなのだろうか?
【聖地】ソフトタイム
昨日は定休日だったが今日はやられていた。駐車場は満車で、この写真を撮る前は路上駐車まで出ていたほどだ。どうやらソフトタイムは人気店のようだった。
入口には悦ネエ(雨宮天さん)のサインが入った大判ポスターと、ファンによるイラストが寄贈されていた。ダッコとイモッチがいないのがちょっと気になった。
さて劇中で出てきた三津浜焼きがこちらだ。女子高生が食べるボリュームには到底見えないが運動部なので、このくらい食べるのかもしれない。
艇庫
アニメに出てくる場所ではないが実在する東高の艇庫がある。東港以外の艇庫もある。
恐らくアニメの艇庫は新田高校のものがベースではないかと思うが、こちらの艇庫はかなりボロボロだ。
新田高校のボート部は今でも存在しており、この艇庫もWebサイトを見る限り使われているようだった。
しかし、どの学校の艇庫も個性があって素晴らしい。
因みに私は海沿いの高校を出ているのだが、ボート部はなく、しょいを見るまでその存在すら知らなかった。軽く調べてみたところ高校ボート部自体が多くないようで、どちらかといえば珍しい存在のようだった。
湖がある場所や、天然の港湾があるような場所に比較的多いようだ。松山は周囲に巨大な島が多く、波が穏やかそうなのと、湖もあるのでその影響だろう。
【聖地】三津浜
これはオールを岩にぶつけるとき練習していたであろう場所だ(昨日撮ったのと逆側からの視点)
うろうろしていると野生のプチトマトに出会った。近くに苗を入れるポットが落ちていたので、恐らくどこかから苗ポットが飛んでくるか何かして砂浜で育ってしまったのだろう。
【聖地】踏み切りその1
具体的にどこのシーンの踏切かは判断がついていないが、TAKA氏の作成されたMAPに登録されているスポットの一つだ。
踏切を渡った先の道路の外壁にレモンが生えていた。周りに家があるので誰かが勝手に植えたか、種が飛んできたものだと思うが、流石愛媛という感じはした。
【聖地】ソフトタイムに行くときの道
一番最初にソフトタイムに行くときの道と思われる場所。確かリーがカフェに行きたがったので、ダッコが「喫茶ならソフトタイム行くか」といったシーン。
【聖地】東高の艇庫がある場所
劇中では東高の艇庫がある場所だが、実際には貸しBBQ場がある。手ぶらOKらしいので、劇中のようなBBQがしたいときにいいかもしれない?
参考までにPVを見てみると三津東高の艇庫が何もないところにポツンとあるのがわかる。右のほうには実在する艇庫やブルーエンジェルのビルがしっかり確認できるので、三津東高の艇庫だけ時空がねじ曲がっていることが見て取れる。
【聖地】線香花火した場所
花火大会の後で線香花火をしながら夏休みの終わりを嘆いていた場所。
振り返るとちょうど伊予鉄が走っており味がある一枚が撮れた。確か劇中でもクラス対抗戦の時は背景に伊予鉄が走っていた気がする
【聖地】テトラポッド
【聖地】三津浜の背景としてよく出てくる場所
ヒメとリーが一番最初に出会った場所でもある。ヒメは最初「あんな人いたっけ?」的な反応をしていたと思う。
背景の巨大和風建造物が凄く気になっていたのだが、Google Mapsを見た感じ天理教の教会らしかった。天理教宮和分教会。
【聖地】三津浜から見る興居島
公式のビジュアルにある光景。もっと左側に寄せて灯台が入らないように撮れば、本来の構図に近づいたかもしれない。
今回の巡礼で撮影したものは特に深く構図をイメージしていなかったので当たらずといえども遠からずだったり、場所はあってるが構図はまるであっていないまで、大体ずれていることが多いなと感じた。
【聖地】梅津寺 ブエナビスタ
【聖地】ブエナビスタと踏み切り
ダッコとイモッチの帰り道
【聖地】梅津寺駅
みきゃんパーク 梅津寺
【聖地】ダッコとイモッチの帰り道にある踏切
【聖地】走り込みの時に出てくる道
確か大会出場のために猛特訓するときの場所がここのはず。ダッコとイモッチが競争し終えた場所もここだった気がするが、この先は行き止まりなので、多分劇中では空間がねじれていてどこかの住宅街に出られるのだろう。
梅津寺公園
梅津寺駅をすぐの場所にあるさびれた公園。窓口のシャッターが下りており、改札口にも人がいないのが非常にわびしい。
入場券の販売機。こんな場所にあるにもかかわらず新札に対応していて驚いた。横に年末年始の閉園期間が書いてあるが、そもそも無人なのにそんな概念があるんだろうか…。
新千円札を入れ支払うと新五百円玉が出てきたので、場末の公園にある自販機とは到底思えず、たまげた。
どうやらこの坊ちゃん列車は当時使われていたものをそのまま展示しており、レプリカではないらしい。
現在の価値に換算してみる。まず米一合が150gらしく、一升は十合らしい。現在では米5kgが2500円程度なので、一升に換算すると750円。1銭が10厘であるため、4銭5厘は45厘、1円は1,000厘、9,700円は9,700,000厘。9,700,000厘は米一升の215,555倍程度であることから、現在の価値に換算すると161,666,250円ほどだろうか?つまり単純計算だと1.6億円程度になる。今と昔で通貨の価値に違いがあるため、実際にはもっと高価だっただろう。
適当にググったところ、現代の鉄道車両も1.6億程度のものがあるらしいが、機械的に量産してこの価格なので、当時の情勢を考えると1000倍くらいで見積もってもいいくらいではなかろうか。つまり1600億くらい。
参考までに福岡市総合図書館によると単純計算はできないものの、明治と今では千倍以上の価値差があることがわかるので、少なくとも千倍はあると思うが、当時の最先端で舶来技術だったことなども勘案すると、もっとあっても不思議はないのかもしれない。
保存状態はよく錆びてボロボロになってなどはいなかったが緩衝器が塗り固められているところからすると静態展示のようだった。
道後温泉本館の霊の湯にある温泉の出る塔のようなものが展示されていたりした。これはかつて梅津寺の温泉にあったものらしい。
一通り見て退場。ほかに誰か来てるのかな?とチケット入れを覗いたら私が入れた一枚しかなかった。かなしい。そういえばチケットの番号が0001だったのに気が付いた。
伊予鉄には頑張って保全してほしいところだが、園内の植栽も放置気味に見えるあたり、なかなか難しそうだ…。
横には立派な事務所があり、中をのぞいたところカレンダーが12月までめくられていたため、一応有人で管理はしているようだった。なお、この日(12/28 15時)は閉まっていた。
高浜駅
興居島に向かうべくフェリー乗り場のある高浜駅にやってきた。木造部が目立つレトロな駅舎で大変風情がよかった。
伊予鉄によると昭和初期に建てられたらしく、時代を感じさせる駅舎だ。
高浜港
駅を出て前を向くと、そこはもう港である。歴史的経緯から港に面して作られているはずの高松駅や宇野駅を遥かに凌ぐ近距離でビビる。
港に着くと今回乗るのとは別の船が着岸しており、出向の準備をしていた。車両甲板と船橋以外ほとんどなんもない船だったので、形がちょっと面白かった。まさにこの形は文字通りのブリッジである。
この船では乗客は船橋を支える左右のわずかなスペースに乗ることになる。左にある船のように上部に乗る場所はない。煙突もファンネルに囲まれておらずむき出しの簡素なものだ。
TAKA氏の地図的にはこっちが聖地の船となる。
まだ目当ての船が来ていないこともあり、フェリー乗り場に入ることにした。
フェリー乗り場の中には航路や時刻表が掲示されていたが、興居島行きの案内がなく少しビビった。
フェリー乗り場の中にはチケット売り場があるのだが、ここで興居島行きのチケットは買えない。チケット売り場をよく見ると興居島行きの乗船券は船で買ってねと書いてあるので、ここの存在は無視してかまわない。「中島行きっぷうりば」なので、興居島とは何ら関係ないわけだ。
さて目当ての船が来たので乗ることにする。先ほど見た船と同型の船のようだ。
車両甲板が貫通しているため、船は港に入ったら進行方向を変えるだけで航行できるので便利そうだ。どっちが船の前なのかはわからない気もする。
旅客室はロングシートになっており、鍵盤を模したシートや木のベンチが置いてあったりした。
中は暖房が聞いていて暖かった。私はこの巡礼に関して愛媛は南にあるし、みかんも生えてるから、きっとあったかいだろうと思い上着を持ってこなかったのでいたく助かった。そう、これまでの全行程を薄着で回っていたのだ。超寒い。船員から寒くないんですか?と聞かれたくらいである。
そして乗船料も払っていないまま船は出航した。いいのかそれは。五分くらいして回収に来たが無一文の人が乗ってたらどうするのだろう。そういうの気にすると大変なので深く気にしないことにした。こういうのは放牧的なほうがいい。
船旅の道中(往路)
風光明媚な島が見えたが、これはターナー島といい、坊っちゃんに登場する島らしい。随分急峻な島だが、生えてる松は人が植えたものらしいのが凄い。
興居島への着岸
由良港フェリー乗り場
かわいらしいフェリーが描かれたフェリー乗り場があった。隣にはスーパーも併設されている。
中はレンタサイクル置き場になっていて、休憩できるベンチもあった。レンタサイクルを使う場合はフェリーの中で運賃を支払うようにあったが、その案内はせめてフェリー内にあるべきではないかと首をかしげた。
お土産の無人販売もあり、小瓶はよく売れているようだ。他にも釣りえさの販売や、コンビニにあるような複合機、コインロッカーもあった。
Aコープ
特に意味はないのだが時間が余っていて暇なので入ってみた。
かなり地元志向で、ハタダや母恵夢がおいてあったり、地物のコメやみそもあった。
観音寺
ARスタンプラリーのスポット。何でここに設定したのかは謎だが、立派な寺である。
高台にあり、島からの眺望はいい。但しここは由良湾の端に位置しているため、ここから見えるのは同じ興居島である。
先日ソフトタイムでAR撮影したダッコは妙に小さかったが、こちらでは普通のサイズになっていた。多分アプリの出来が微妙なのだと思う。
海を眺めていたら乗ってきたフェリーが折り返しを始めていた。船にはミソラと書かれており、フェリー乗り場に置いてあったCDのタイトルと一致していた。
ひとまずここでARスタンプラリーをコンプリート。分かってはいたが特典画像はNFTでなくても入手可能なものだった。
ブロックチェーンの中に画像を込める故なのか、画像サイズはかなり小さく何とも言えなかった。むしろNFTサイトに来る前の元画像の方が普通にデカかった。
80 Ownerとあるが50 Viewな辺り所有できてもここまでたどり着けていない人が多くいそうだったし、オーナー一覧を見ても捨て垢でないのは3ユーザー程度だったのでNFTを真面目にやってる人は多くなさそうだ。favoriteに至っては1しかない。取り敢えず私が2にしておいた。
所有欲を満たすという観点でいえばアプリ内のアチーブメントにしておけばよい気もしたのだが、どうなんだろうか。
NFT利用者が多ければ勿論、永続的な所有権というので満たせる気もするが、そうでない以上、設計思想が謎だ。普及させるための前段階でやっているのかもしれないが、NFTが普及することはないと思う。基本は投機だし、システム間が複雑なうえに疎結合すぎるので操作がめんどすぎて、よほど熱心なオタクでないとやらないだろう。
ただまぁNFTサービスを利用したと思われる、NFTサイト誘導前の特典ページはアプリ内でCOMPLETEDになった状態でないとアクセスできないよう、巧妙に細工されていて、そこは感心した。URLを共有するとかでバラまけないのはプレミア感がある。
みかん畑
高浜・三津方面が見れる場所がないかぶらぶらしていたらみかん畑?に突入してしまった。レモンも生えてた。
人が出入りしていないのか、ここを抜けるころにはひっつき虫まみれになった。興居島の観光地図上ではミカン畑扱いだが、真横は墓場になっている面白スポットだった。
興居島から見た松山観光港とか
恐らく土地の形的にここから三津方面は見えなさそうだった。三津を見るなら泊方面のフェリーに乗ったほうがいいだろう。
興居島の海
興居島の弁財天
由良港フェリー乗り場に戻ってきた
そろそろ船が来るので戻ってきたら、ちょうど船がやってきているところだった。
先ほど高浜に戻るときは車を積んでいなかったが今回は積んでいるので、地元の人が帰ってき始めているのかもしれない。恐らく島には何もないので内地に遊びに行っているのだろう。
高浜へ
周囲はすっかり暗くなり、駅には電車が入ってきていた。しかしここで迷った。このまま電車に乗ってホテルに戻ると鯛めしくらいしか食べられるものがない。もう鯛めしは連日食べており飽きたのだ。
さてどうするか…。そう考えたときに高浜駅から松山観光港行きのLv4無人運転バスが出ていることを思い出した。調べると松山観光港にはいい感じの食事処があるらしい。というので向かうことに。
念のため終バスでないこと、戻ってこれることを確認した。この手のバスはフェリー運航時にしかなかったりするからだ。しかし時刻表は特に考慮されてなさそうなダイアだった(こんなにフェリー出てないっしょ)
因みに自動運転バスはおらず、人間が運転するごく普通のバスがいた。夜だからかもしれない。
松山観光港
というわけで松山観光港へ来た。興居島から見えた建物だ。客はほとんどおらずガラガラだった。人がうじゃうじゃいる三宮フェリーターミナルとは対照的だ。
客の割にフェリーは沢山あった。因みに松山観光港の利用者は年々減ってるらしい。昔は神戸便もあったらしいが今はない。しかし広島行きの密度が異常である。
建物内には愛媛の木材を使ったテーブルがあった。充電もできて便利そうだ。
実は今回愛媛の木材を使った汁椀をゲットするという裏目標があり、扱っていそうな三津浜商店街の木生活さんにお邪魔したかったのだが年末休みに入っておられて手に入らなかったという悲しい話があり、この話は以前書いた漆器を買ったに繋がる。
松山観光には、いよてつショップという土産店があり、非常に幅広く豊富な土産が売られていた。定番品から生鮮食品まで多岐にわたる。JR松山駅より充実していると思う。
特筆すべきはかまぼこの取り扱いだろう。削り蒲鉾は松山の特産で、他では売られていないと聞く一品なので是非手に入れたいひとしなだ。ホテルのレストランで食べたが見た目が綺麗なうえにおいしかった。
恐らく松山土産買うなら松山観光港が最強な気がした。もちろん今治タオルもちゃんとあった。
お食事処 由良
松山観光港にはご飯を食べに来たので伺った。因みに観光港の中にもレストランがあるようなのだが、時間の関係か全部しまっていた。
江戸前寿司のような店内で何を食べるか悩んでいたところ定食を作りましょうかという提案を受け、食べたい魚を選んで作ってもらうことにした。人生で初めてメニューにない料理を作ってもらった瞬間だった。
お刺身定食。カンパチとシマアジを頼んで1,350円だった。おまけなのかイカが付いていて少しうれしかった。近くに寄ることがあればまた来たいお店だ。
高浜駅からホテルへの帰路
夕ご飯を食べバスで無事高浜駅に戻ってくることができたので、ここから大街道に帰る。
回数券販売機と書かれた穴が封印されていた。かつては車内で回数券の自動販売があったのだろう。
降車ボタンもレトロだ。ところで伊予鉄の市内電車って降車ボタン押さなくても止まってる気がするが気のせいだろうか…。
車内を見渡すとナニワ工機 昭和26年製と書かれていた。ナニワ工機はアルナ工機の前身らしく、伊予鉄の最新型にはアルナ工機と書いてあったので、伊予鉄の市内電車はアルナ工機製が多いようだ。
以前都電荒川線に乗った時にもアルナ工機の文字を見たので、路面電車界ではアルナ工機はポピュラーな存在なのかもしれない。
吊り広告にはみかんカレンダーなる、みかんのできる季節が書かれたものがあった。みかんのイラストが描き分けられていて面白い。
6~9月はみかん不作の期間らしい。はれひめと清見が同じラインにいるのはなぜなのだろう。
大街道につき名残惜しくもレトロ電車から降りる。車両は恐らく伊予鉄道モハ50形電車の51と思われる。現存するものの中では最初期の車両のようだ。
この系列は51号以外廃車になっているようだが、51号車はあぶない刑事の撮影でも使われたらしく、歴史のある車両なので残しているのではないかと思った。そんな車両に乗れたのはいい巡り合わせだったように思う。
電車を降りたところ、歩道の端に発電設備なる煙が出るらしい不思議な装置が置いてあった。
さて、後半ほとんど聖地と関係ない内容になってしまったが三日目もこれで終わりだ。長すぎて二日目を書いてから三日もかかってしまった。
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この記事はがんばっていきまっしょいの聖地巡礼をしてきた 一日目の翌日版だ。日付の上では12月27日。
松山に来て二日目の朝が訪れた。今日は三津地域の巡礼をして、しょい三度目を見て、帰路に就く予定だった。
しかし現実は厳しく、昨日の激しい徒歩移動が運動不足の体に響き、疲労と筋肉痛で二度寝をかました結果、3時間くらい時間をロスしてしまう。
【聖地】三津駅
三津駅はしょい地巡りの起点となるスポットで、ここから梅津寺までの間に多くの聖地が集中している。
駅のホームにはしょいの広告も掲示されており、ここがまさにしょいの聖地であることを燦燦と物語っている。
三津駅には大きめのコインロッカーがあるので荷物に困ったら、ここに置いていくのもいいだろう。
セブンスター三津店
三津駅から歩いて少しのところにあるスーパーで、一六タルトを作っている一六が展開するスーパーだ。なんでも一六から1+6=7でセブンになるからこういう名前らしい?
一体どこの世の中に聖地巡礼でスーパーに来るアホがいるのか?と思うのだが、SNSによる事前情報でここには一六のしょいコラボタルトが残っていることを把握しており、それを求めにやってきた。
店の中には地物の果物や鮮魚が多く陳列されており、松山らしさを感じるとと共に生まれ故郷のスーパーもこんな感じだったなぁと回想していた。神戸はあんま地物ないのでこういうのは羨ましい。
三津浜商店街
三津浜商店街には悦ネエの家があり、登校時にヒメと合流するシーンがあることから、おそらくヒメも近くに住んでいるのだと思う。
商店街に入ると早速しょいの大型ポスターに迎えられた。大分色あせてしまっているが、公開からそれだけ時間が経ったということなのだろう。
かつてまだそこまで大企業がなく、地方にメーカーが点在していた時代のシャッター会社の銘板を見かけ、感傷に浸ったりもしていた。
三津浜商店街の歴史を示す案内があった。こういう風情があるのはとてもいい。書いてあるアーケードの蓋がどこにもないのは老朽化などで撤去されたのだろう。かつてそれだけ栄えていたところがこうなってしまっているのは何ともわびしい。
N's Kitchen & labo
ARスタンプラリーのスポット。一体ここがしょいにとっての何なのかはなんもわからないが、きっと協賛金を出してくれているのだろう。
ARスタンプラリーの運営原資はこういう場所の宣伝費とか協賛金みたいなもので成り立っているのかもしれない、ふとそんなことを思った。
【聖地】辻井戸
個人的には小さな丸太の垣みたいなかわいらしい部分が印象的で、ここがとても好きだ。
この場所は松山城の藩主が三津を拠点に定めたときに作られたもので、その後も長らく生活用水として使われた由緒あるものとのことだった。
またかつて電車が開通した時には憩いの場として市井の人に広く使われていたらしい。つまりここは文字通り市井であったのだ。
【聖地】悦ネエの家がある通り
悦ネエの家の軒先には丸っこい屋根があった気がするので、クリーニング店の横にある建物がそれっぽい気がする。すぐ横が交差点だったような気もするし…?
因みにこの写真は辻井戸が奥になるように撮影している。
河野家
辻井戸に戻り恵比寿神社方面に向かうところで現れる建物だ。三津で最も古い船具屋らしく、ほかにも旧銀行通りなど、歴史的な名所が案内されていた。
この通りは全体的に大変雰囲気のいい場所で、こういった歴史的建造物や、昭和の商店(潰れてる)とかもあって、非常に歴史を感じられる場所だった。機会があればぜひ歴史探索に訪れたいものである。
【聖地】セブンイレブン 松山三津浜港前店
悦ネエが花火大会中に絆創膏を買いに行ったコンビニだ。特に聖地感のあるなにかはなく、ただのコンビニだった。
そして私はここで時計の針が正午を回っていることに気づく。この後にしょい鑑賞が控えていることを考えると残りの聖地は到底回り切れない。脚の痛みも限界気味で行動継続がきつかった。私は少し考え、延泊を決めた。
寝坊による遅れが原因だったので一泊の追加でよかったのだが、帰路は「おれんじ おおさか」がよかったので、二泊の追加を決めた。
すぐにオレンジフェリーに電話をかけ、復路の変更を予約し手持ちの大阪行きチケットをキャンセルした。そして復路フェリーに乗るために予約していた連絡用の特急いしづちも日付を切り替え、更にホテルを探した。
三津にはホテルAZがあるため、ここが取れれば予算は膨らまず、後日の巡礼にも打ってつけと思ったが埋まっていた。結局元居た大街道のロイネットホテルに落ち着かせることにした。最終日にスケジュールが大きくショートすることになるため、レイトチェックアウトが無料になるロイネットホテルに泊まる決断は正しいものとなった。
因みにレイトアウトチェックアウトが無料になる権利を手にしたのも、奇しくもこのホテルに予約を入れている、この日だった。
全ての手続きを終え、私は追加で二日分のしょい地巡りの日を手に入れることができた。
【聖地】恵美須神社
悦ネエが絆創膏を足に止め歩けるようになった後に、二宮とリーが親しげに話している場面に遭遇してしまう場所だ。
脚が痛すぎてまともに写真を撮る余裕に乏しく、この時は周囲の聖地を軒並みスキップした。
この日は足が痛くて身動きが取れない中、年末休みに入る前のソフトタイムに何とかしていこうと考え、そこへ向かうのに全体力を使った。
【聖地】悦ネエがオールをぶつけた暗礁
【聖地】三津の渡し
乗り場に行くとちょうど高校生が乗船している現場に巡り合えた。
脚の痛さが先行してこの時は余り写真が撮れなかったが、気合でARスタンプラリーだけはした。
船頭さんの話を聞くと三津の渡しには観光客がよく来るらしく、遠くは青森からも来たという話を伺った。それとは別に地元の人の利用も多く、学生や主婦らしき人が乗っているのをしばしば見かけた。
この渡し船は松山市が運航しており、市道高浜2号線の一部として、松山港内港地区の三津と港山の間約80mを結ぶ渡船で、年中無休・無料で年間約4万人の方が利用しているらしい。これを見て宇高国道(国道30号)にも国営の渡しがあっていいのではないかとか少し思った。
乗船料は無料で、これは大阪の天保山渡船と同様だが、ダイアは存在せず、人が来たら運航するという放牧的な感じだ。普段はその時間によって人が良く来る側に停泊しているようで、乗船後に乗客なしのまま対岸に移動しているシーンも見た。
三津の渡しは四国運輸局のサイトでも紹介されており、非常に興味深いので、運輸局の記事も必読だ。
この船は乗降口が先頭にあるため、出向時はバック、途中で反転し前進に切り替わるという動きも面白く、見ていて飽きない。船の形も昔ながらのもので独特だ。
船には「こぶかり丸」と書かれており、港山側の乗船場には古深里と書かれていたので、そのに由来する船名だと思われる。参考までに逆の三津側には洲崎と書かれている。
【聖地】ソフトタイム
ボート部のみんなが集まり、港山高の部員もやってくる、あのソフトタイムだ。この日は定休日となっており、翌日来ることができたため、結果として延泊は正解だった。
港山駅
ここにはしょいの看板が置いてあり、メッセージがすごくいい感じなのでほっこりする場所だ。手前は立ち入り禁止となっているため、近くでは見れない。
伊予鉄の駅には大抵駅員がいる印象だったが、ここにはいなかったので新鮮味を覚えた。
因みにこの駅は踏切をくぐらないと入れないが、電車が入ってきたときに踏切が開くため、渡り損ねても乗れるのが安心だ。多分ほかの駅も全部そうなってると思うが…。
日が暮れ始めていたので、ここからはオレンジフェリーでもらったムビチケを使った三度目のしょい鑑賞へ移る。
シネマサンシャイン衣山
三度目の鑑賞を終え、帰るために松山駅に預けていた荷物を取りに行き、大街道に向かうためJR松山駅前から道後温泉行の市内電車に乗ろうとしたところ、異常なまでの混雑に襲われ一本乗り過ごした。
路面電車で大量の積み下ろしが起きるという異常な現場を見たが、みんな年末旅行か何かで道後温泉に向かうところだったのだろう。次の電車を待って無事大街道のホテルに戻ってこれたが、降りるとき宣言しないと降りられないくらい混んでおり、人生でも最強レベルの凶悪さだった。松山に存在する混雑とは到底思えなかった。
というわけで二日目のしょい地巡りが終わったが、寝坊や脚の痛さなどで満足いくものでなかったため、延長戦で三日目となる次の日も三津を中心に回ることになる。明日以降は映画観賞を行わないため、一日を丸ごと巡礼に充てられるという充実した日になる。つまり明日からが本番、真のしょい地巡りとなってゆく訳だ。