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メイクアガールを観てきた 二回目

1/31にメイクアガールを観てきたが、先の土曜日、2/2にもまた観てきた。二度目なので今回は思ったこと、感想を厚めに書いてゆく。

劇場

今日の劇場はテラッソ姫路にある、アースシネマズ姫路だ。

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入口にはメイクアガールの放映情報が貼り出してあった。好待遇に見えるが割り当てスクリーンは狭めのが多く不遇だった。これはまぁ、ビッグタイトルを複数上映しているっぽかったので仕方がない。

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8番スクリーンで見てきたが、比較的前方にあるE列の具合がよかった。

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映写や音響はOSシネマズハーバーランドの1番スクリーンと大差なかったように思う。SAOPのDolby上映(スクリーン3、Atmosフルダイブ姫路サウンド)の時は音がよかった気がするが、音響調整されたDolbyだったからなのかもしれない。

着席は18名ほどで、ちょうど座席一列分だった。

感想

アキラというキャラクターの不遜さと未熟さ

アキラは非常に未熟で、それゆえに不遜な人物だと思う。しかも意図してやっていない分、トラペジウムの東ゆうを余裕で越えてると思う。

例えば、0号から食器洗いを頼まれ、ソルトに洗い物をさせるのはおかしい。0号はアキラにやってほしいのだ。しかも0号はソルトを嫌っているが、アキラはそれに気づいてすらいない。

0号がアキラを連れ出しデートに誘うシーンでも、買い物を終えたときに0号が自分で考えた内容を表明したときに、アキラが「また君が…?」と自我が目覚めていることに懐疑的な態度を見せるシーンがあるが、これは明らかに0号を一人の人間として扱っていない。創造者としての驕りが見えていると思う。

他にもシーンを上げれば枚挙にいとまがない。

残念ながら、この性格は物語の最後になるまで変わることがない。例え自分の命が危機に瀕しようと、それが原因で0号が死ぬことになろうと、変わることがない。正真正銘のダメ人間だ。本作を本作たらしめている最大の要素は間違いなくここだろう。

0号のアキラへの想い

0号は最初のうちはアキラを非常に慕っていた。しかしある時、「アキラのどこが好きなんだ?」と問われ、答えが出せずに葛藤してしまう。

そして作られた機械であるソルトと、作られた人間である自分との違いを意識し始め、葛藤を始める。

そこでこれまで自分が社会性を獲得するのに人間社会を観察してきたように、アキラを観察しようと考える。

デートに連れ出し、アキラとの対話で自我に気づくシーンでは0号の中で何かが反応したような描写がある。何かしらトリガーがあるのだろうが、ここから0号はアキラ好き好きモードになってゆく。

しかし、このことが原因でアキラから遠く離れた家に隔離されてしまう。

アキラから「今日からクラスメイトになろう。友達だ。」と告げられ、絶望してしまう。

0号はアキラへの好意を強く伝えるが、アキラから「それは0号の考えから生まれた感情じゃない」と言われてしまう。

そしてアキラへの強い好意のあまり、アキラは0号を拒絶し、0号の脳内で何かが反応し、自害プログラムが作動し、アキラが解除操作をするまで(?)0号は自身の首を強く締めてしまう。

以降、0号とアキラは疎遠になる。

生まれた意味を全否定された0号の、この気持ちはアキラには理解できないことだっただろう。

アキラの前を歩くようになった0号

アキラが0号の成長を感じたときに「いつから君は僕の前歩くようになったんだ?」と思うシーンがあるが、恐らくこれはアキラが自身が創造主で0号は設計を超えられないと思い込んでいたために発生したことだと思う。

0号は曲がりなりにも人間であり、成長するのは当然で、同じ場所にとどまり固執し続けるアキラより先に行くのは当然のことだろう。

しかし、アキラはこれを理解することができなかった。これはアキラの未熟さの例の一つでもあろう。

アキラが0号を完全に処分しない不思議

いやそりゃ血肉が通った人間だからというのはわかるのだが、別居を始めるときに0号の当初の目的である恋人は終わったみたいな発言をしたり、0号の自滅プログラムを作動させたりするあたり、処分対象としてみているような気もする。

恐らくこれがソルトであったなら迷いなく機能停止するなどで処分していたことだろう。

それに0号を生かしておく、お金もただではないはずで、行動にやや不可解な部分があるように見えた。

アキラの回想シーン

最初は母との思い出を描写しているように見えたが、後半に入ると、母と対話できるようになる。子供の姿のアキラと、高校生であることを認知した母が話しているシーンからしてみるに、恐らくあれは過去ではない。

恐らく序盤の奴は過去に見せかけようと母によって細工されているのではないだろうか?しかし、途中から母はアキラのことが心配になり、コンタクトをとるようになったと考えることができるかもしれない。

その場合、恐らくあれはシステムでアキラの脳内に埋め込まれた何か、或いは記録メモリの中を読み込むことによって脳内に構築され想起されるようなシステムである可能性がありそうだ。

母の記憶、いや意思に近いもの、自立した人工知能のようなものが、もしメモリに記録されており、それを読み出すことによって読んだ者の脳を汚染し、入り込むことができるのだとしたらある程度は納得ができる。

想定された未来

アキラの回想の中で母がアキラに対し「たくさんの困難にぶつかりなさい」みたいなことを言うシーンがあるが、もし今起きている0号との関係、海中とのトラブルが母によって仕組まれたトラブルだったとすれば、アキラ自身が人造人間であり、母に命運を操作されていたとしたら、設定として巧妙で、ちょっとおもしろいなとか思った。

母がアキラを諭すシーンで「許してくれなかったら、またほかの方法を試せばいい。研究者だってそういうもの。」ということがあるが、恐らくこれは自主性や自立をしてほしいという指令なのかもしれない。

もしアキラも人造人間で、0号の前に存在したプロトタイプであり、そのあたりの機能性に不足があるとか、母が逝去する前に自立性を育んでいなかった結果、あのような人格破綻者になったのだとしたら、このセリフはおそらく母からアキラに対する自主性を持たせるための最後の指令だった可能性もありそうだ。

0号の想いに応えられないアキラ

0号とアキラが対立して0号がアキラに襲い掛かる前に、0号から問いかけがある。これは許しを請うアキラに対する、0号からの最後の赦しの機会だった。

0号は「もうわかっています。その場しのぎの言葉はやめてください。」といい、アキラは否定するのだが、続く「私の心が作り物でないと認められますか?」に対しては口ごもってしまう。アキラは正直な人間なのだろう。

しかしこのときの正解は相手の考えを認めることだ。人から信頼を得るということは例え嘘でも相手を認めることだ。嘘も方便という言葉がある通り、こういう場合の嘘は構わないし、嘘から出た実という言葉がある通り、嘘も貫き続ければ事実に代わる。

結果としてアキラは0号の想いを受け入れることが出来ず、0号による命がけの抵抗にあうことになる。アキラは最後の最後まで0号を思いやってやることができなかった。非常に残念な結末だ。

これは別に物語の中だから起きえることでもない。現実で見てもよくあることだろう、何かを問われたときに我を通すあまり相手の信頼を失うのは、現実社会においてもよくみられることで、これは作品のテーゼとしてそれに対する戒めを説いているのかもしれない。一般的にこういうのを保身に走るとか、身を取り繕うとか、建前だけとかいうのだろう。

こういうのは自分の中で消化したと勘違いしているときによく起きることで、アキラらしい、自分のことしか考えていない非常に身勝手な考えだと思う。結局アキラは0号のことを考えることができないのだ。

0号によるアキラへの攻撃

0号は今まで貯めに貯めたアキラへの恋心と、自分が作り物であるという葛藤が混ざり合い、自分自身を制御できなくなる。

「ちゃんと証明しますから。人の想いは制御できないって。」というシーンがあり、まさにその通りだ。

この場になってもアキラは0号の生死のことしか心配できていない。0号が気にかけてほしいのはそこではない。恐らくただ一言、0号のことが好きだと、愛していると、そう言ってあげれればよかったのではないだろうか?

0号の生まれた理由、存在意義はアキラの恋人になることである。アキラはそれを否定したままここまで来ていて、0号がどうなろうとそれを取り消したことはない。

「私の心が作り物でないと認められますか?」というのは、0号がアキラに対して抱いている好きという思いが本物であるということを認めてほしいのだ。0号はアキラのことが好きで、アキラにも好きでいてほしい。ただそれだけなのだと思う。

この場面は見ていて非常に辛く、最後に0号はアキラへの恋心は遂に達しえなかったとばかりに、最後に一言だけ残し、息絶えてしまう。

機械的に作られた思いに対する嫌悪感と、それでもアキラのことが好きであるということを忘れられなかった0号の葛藤は、それはもう非常に甚大なものだったろう。このシーンは見ていて0号が非常に痛ましく、辛いシーンだった。

アキラの瞳

アキラが0号に攻撃されている最後のほうでアキラの瞳が0号の生態制御モードと同じものになるシーンがある。これは恐らくアキラもまた人造人間であることを示しているように思う。

0号が残した最後の言葉

アキラをひとしきり攻撃しきった後に、0号は「私の負けです」的な発言をするがこの意図が個人的に引っかかっている。

これは創造主を攻撃できない制御に屈したという意味なのか、アキラを本心から嫌いになり切れなかったという思いなのか、その混合なのか、この時の0号は一体どのような気持ちだったのだろう?

なんにせよアキラを攻撃している時に放った「私にできる唯一のやり方だから」という0号のセリフからすると、唯一のやり方が通じなかったというのは間違いなさそうだ。

0号の行方

アキラに殺意を向けてまで攻撃した0号の生態制御は致命的ではなく、幸い0号は一命をとりとめ、アキラによる看病を受けるが目を覚ますことはない。

しかしある日突然、寝ていた布団から姿を消しラボに移動する。その姿はさながらアキラの母親であった。果たして0号は消えてしまったのか、母親によって乗っ取られってしまったのか、そこが気になるポイントだ。

0号が最後の言葉を残す前に0号の意識に母親が介入するシーンがあるが、アキラの意識にも介入できる辺り、ひょっとすると母親由来のプログラムには全て介入できるのかもしれない。

もしそうなら、研究中がソルトはアキラを助けるために交通システムへのハッキングを仕掛けたのにも納得がいく。

個人的には0号「おかえりなさい。『アキラ君』」という言葉に畏怖を感じたし、0号はどこ…?ともなった。

エンディングではバイト中の0号がポカをするシーンが目立つため、以前の0号ではなくなっている可能性もある。これはストーリーが続くのであれば次回作に期待したいところだ。

気になった部分

アキラの過去の記憶に登場する家

恐らく続編で明かされるとは思うが、あの家は何なのだろう?

0号が神社の階段を上るシーンの意味

何かの心象の描写なのかもしれないが、よくわかっていない。

例えば日によって登り方が違う、登らなくなったなどで0号の様子を何かしら描写するためのものである可能性はあるかなとか。

この作品が伝えたいこと

恐らくこの作品では「覆水盆に返らず」と「他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない」、「詭弁に意味はない」ということを表現したいのではないだろうか?

覆水盆に返らず

アキラが0号に対してやってしまったことは取り返しがつかないことで、恐らく何をしても戻ってこない。過ぎ去った過去はどうにもならないのだ。

他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない

アキラは0号の創造主であることから、0号が言うことを聞かないときや、本来の設計に反する挙動を見せていた時に苛立ちを見せていたように思うし、0号との別居の際もそんな感じに見えた。最初のほうは体を掴んで動かすなど明確に0号に指示をして動かしていたので、その延長でやっていたのだろう。

しかし、0号がファミレスでバイトを始めるようになると馴れ馴れしく接してくるアキラへ戸惑っているように見えるシーンもあることから、この辺りから軋轢が始まっているように感じた。

赤ん坊や児童、新卒ならいざ知らず、あの頃の0号というのは立派な意思を持った人間だ。

そんな人間を意のままに操ろうと考え、意に反することが起きれば、もちろん使役する側は嫌な気持ちになるだろうし、される側も戸惑うだろう。

結果として、あの結末につながるのではないかと思う。何故なら、この関係は人と人というより、人とモノの関係に近いからだ。

アキラにまっとうな感性がないというのはさておき、アキラが0号を彼女や恋人として見れなかったのも、モノ扱いしていたからではなかろうか?

何より、使役関係は疲れる。似た概念にマイクロマネジメントというのがあるが、1から10まで指示するのも、されるのも、どっちも負担だ。

詭弁に意味はない

その場しのぎの言葉には何の意味もない。

極論を言うと悪いことをしたときに「謝ればいいんでしょ。謝れば。」というようなもので誠意がないのだ。

これは実社会でも非常に難しく、自分は反省しているつもりでも相手に伝わらないというのはよくあることだ。可能であればお互いに意識のすり合わせをするのがいいのだが、これは中々難しいことで、こじらせると平行線の喧嘩とかになりがちだ。

ただ、詭弁である限り何を言っても相手に通じることはまずない。

百歩譲って相手が詭弁を受け止めたとしても、詭弁は本質を突かないので、本質的に反省出来ず、同じことが繰り返されがちだ。

次回作はどうなるか?

エンディングで茜がアキラにクッキーを手渡すシーンがあるが、恐らく恋仲になるのではなかろうか?

その場合、0号はお母さんとして見守るのかもしれないし、0号本来の意識が覚醒し、体を乗っ取り返し、アキラを取り戻す、そんなシチュエーションもあるのかもしれない。

なんにせよどうなるのか、非常に楽しみだ。

海中は獄中か、それとも出所しているか、脱獄しているか、意思を誰かに託しているか、どうだろう?個人的にモブキャラだと思うので正直あまり興味ないが…。

あとがき

実はアリテレのころから映画鑑賞の感想を書きたいと思い、ずっと映画館でメモを取ったりしていたのだが、中々形にできていなかった。この行動はアナログへの回帰でも、映画館でメモを取るという内容で少しだけ触れている。

トラペジウムでは、このメモから起こして殴り書き程度はしたのだが、断片的過ぎて読めたものではなかった。それが今回ある程度まとまった記事として掛けたのは個人的に結構よかったと思う。

やっているうちにメモの取り方も徐々に洗練されてきたのもあるかもしれないが、まだちょっとよくわからない。

なんというか、こう、形にならなくてもとりあえずやってみるというのが大切だなとか思うのであった。とっかかりを作るのはきっと重要なことなのだ。

それはそれとして、字が汚すぎて半ば解読不能なのも何とかしたいところである。

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