がんばっていきまっしょいの聖地巡礼をしてきた 二日目
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この記事はがんばっていきまっしょいの聖地巡礼をしてきた 一日目の翌日版だ。日付の上では12月27日。
松山に来て二日目の朝が訪れた。今日は三津地域の巡礼をして、しょい三度目を見て、帰路に就く予定だった。
しかし現実は厳しく、昨日の激しい徒歩移動が運動不足の体に響き、疲労と筋肉痛で二度寝をかました結果、3時間くらい時間をロスしてしまう。
【聖地】三津駅
花火大会に行く前に悦ネエやヒメ達が集合した場所だ。
三津駅はしょい地巡りの起点となるスポットで、ここから梅津寺までの間に多くの聖地が集中している。
駅のホームにはしょいの広告も掲示されており、ここがまさにしょいの聖地であることを燦燦と物語っている。
三津駅には大きめのコインロッカーがあるので荷物に困ったら、ここに置いていくのもいいだろう。
セブンスター三津店
三津駅から歩いて少しのところにあるスーパーで、一六タルトを作っている一六が展開するスーパーだ。なんでも一六から1+6=7でセブンになるからこういう名前らしい?
一体どこの世の中に聖地巡礼でスーパーに来るアホがいるのか?と思うのだが、SNSによる事前情報でここには一六のしょいコラボタルトが残っていることを把握しており、それを求めにやってきた。
店の中には地物の果物や鮮魚が多く陳列されており、松山らしさを感じるとと共に生まれ故郷のスーパーもこんな感じだったなぁと回想していた。神戸はあんま地物ないのでこういうのは羨ましい。
みかん箱の中にみきゃんがいたりしてかわいい。
かまぼこ売り場の充実もすごく、半数くらいは地元の練り物メーカーだった。
なおチーズ売り場は神戸による支配を受けていた。
そして求めていた一六に行くとコラボタルトが売っていたので無事確保に成功した。
三津浜商店街
三津浜商店街には悦ネエの家があり、登校時にヒメと合流するシーンがあることから、おそらくヒメも近くに住んでいるのだと思う。
商店街に入ると早速しょいの大型ポスターに迎えられた。大分色あせてしまっているが、公開からそれだけ時間が経ったということなのだろう。
商店街は大分ノスタルジーを感じるような感じだった。
今でも活気はあるようで、いろいろな催しがされていた。
かつてまだそこまで大企業がなく、地方にメーカーが点在していた時代のシャッター会社の銘板を見かけ、感傷に浸ったりもしていた。
三津浜商店街の歴史を示す案内があった。こういう風情があるのはとてもいい。書いてあるアーケードの蓋がどこにもないのは老朽化などで撤去されたのだろう。かつてそれだけ栄えていたところがこうなってしまっているのは何ともわびしい。
N's Kitchen & labo
ARスタンプラリーのスポット。一体ここがしょいにとっての何なのかはなんもわからないが、きっと協賛金を出してくれているのだろう。
ARスタンプラリーの運営原資はこういう場所の宣伝費とか協賛金みたいなもので成り立っているのかもしれない、ふとそんなことを思った。
【聖地】辻井戸
登校時に悦ネエがヒメと待ち合わせる場所だ。
個人的には小さな丸太の垣みたいなかわいらしい部分が印象的で、ここがとても好きだ。
ここはARスタンプラリーのポイントにもなっている。
この場所は松山城の藩主が三津を拠点に定めたときに作られたもので、その後も長らく生活用水として使われた由緒あるものとのことだった。
またかつて電車が開通した時には憩いの場として市井の人に広く使われていたらしい。つまりここは文字通り市井であったのだ。
【聖地】悦ネエの家がある通り
悦ネエの家の軒先には丸っこい屋根があった気がするので、クリーニング店の横にある建物がそれっぽい気がする。すぐ横が交差点だったような気もするし…?
因みにこの写真は辻井戸が奥になるように撮影している。
河野家
辻井戸に戻り恵比寿神社方面に向かうところで現れる建物だ。三津で最も古い船具屋らしく、ほかにも旧銀行通りなど、歴史的な名所が案内されていた。
この通りは全体的に大変雰囲気のいい場所で、こういった歴史的建造物や、昭和の商店(潰れてる)とかもあって、非常に歴史を感じられる場所だった。機会があればぜひ歴史探索に訪れたいものである。
【聖地】セブンイレブン 松山三津浜港前店
悦ネエが花火大会中に絆創膏を買いに行ったコンビニだ。特に聖地感のあるなにかはなく、ただのコンビニだった。
そして私はここで時計の針が正午を回っていることに気づく。この後にしょい鑑賞が控えていることを考えると残りの聖地は到底回り切れない。脚の痛みも限界気味で行動継続がきつかった。私は少し考え、延泊を決めた。
寝坊による遅れが原因だったので一泊の追加でよかったのだが、帰路は「おれんじ おおさか」がよかったので、二泊の追加を決めた。
すぐにオレンジフェリーに電話をかけ、復路の変更を予約し手持ちの大阪行きチケットをキャンセルした。そして復路フェリーに乗るために予約していた連絡用の特急いしづちも日付を切り替え、更にホテルを探した。
三津にはホテルAZがあるため、ここが取れれば予算は膨らまず、後日の巡礼にも打ってつけと思ったが埋まっていた。結局元居た大街道のロイネットホテルに落ち着かせることにした。最終日にスケジュールが大きくショートすることになるため、レイトチェックアウトが無料になるロイネットホテルに泊まる決断は正しいものとなった。
因みにレイトアウトチェックアウトが無料になる権利を手にしたのも、奇しくもこのホテルに予約を入れている、この日だった。
全ての手続きを終え、私は追加で二日分のしょい地巡りの日を手に入れることができた。
【聖地】恵美須神社
悦ネエが絆創膏を足に止め歩けるようになった後に、二宮とリーが親しげに話している場面に遭遇してしまう場所だ。
脚が痛すぎてまともに写真を撮る余裕に乏しく、この時は周囲の聖地を軒並みスキップした。
この日は足が痛くて身動きが取れない中、年末休みに入る前のソフトタイムに何とかしていこうと考え、そこへ向かうのに全体力を使った。
【聖地】悦ネエがオールをぶつけた暗礁
恐らくオールをぶつけた暗礁がちょうど顔を出していた。
【聖地】三津の渡し
遠景。
乗り場に行くとちょうど高校生が乗船している現場に巡り合えた。
悦ネエの気分になって乗船でき、非常にいい思いができた。
脚の痛さが先行してこの時は余り写真が撮れなかったが、気合でARスタンプラリーだけはした。
船頭さんの話を聞くと三津の渡しには観光客がよく来るらしく、遠くは青森からも来たという話を伺った。それとは別に地元の人の利用も多く、学生や主婦らしき人が乗っているのをしばしば見かけた。
この渡し船は松山市が運航しており、市道高浜2号線の一部として、松山港内港地区の三津と港山の間約80mを結ぶ渡船で、年中無休・無料で年間約4万人の方が利用しているらしい。これを見て宇高国道(国道30号)にも国営の渡しがあっていいのではないかとか少し思った。
乗船料は無料で、これは大阪の天保山渡船と同様だが、ダイアは存在せず、人が来たら運航するという放牧的な感じだ。普段はその時間によって人が良く来る側に停泊しているようで、乗船後に乗客なしのまま対岸に移動しているシーンも見た。
三津の渡しは四国運輸局のサイトでも紹介されており、非常に興味深いので、運輸局の記事も必読だ。
この船は乗降口が先頭にあるため、出向時はバック、途中で反転し前進に切り替わるという動きも面白く、見ていて飽きない。船の形も昔ながらのもので独特だ。
船には「こぶかり丸」と書かれており、港山側の乗船場には古深里と書かれていたので、そのに由来する船名だと思われる。参考までに逆の三津側には洲崎と書かれている。
悦ネエたちが乗船する側のフェンスには劇中にも出てきたおさかなさんたちが描かれている。
誰も乗せていない船が対岸に戻っていく様子。特有の動きが見て取れる。
【聖地】ソフトタイム
ボート部のみんなが集まり、港山高の部員もやってくる、あのソフトタイムだ。この日は定休日となっており、翌日来ることができたため、結果として延泊は正解だった。
ARスタンプラリーのスポットにもなっている。ダッコちっさすぎない?
港山駅
ここにはしょいの看板が置いてあり、メッセージがすごくいい感じなのでほっこりする場所だ。手前は立ち入り禁止となっているため、近くでは見れない。
伊予鉄の駅には大抵駅員がいる印象だったが、ここにはいなかったので新鮮味を覚えた。
因みにこの駅は踏切をくぐらないと入れないが、電車が入ってきたときに踏切が開くため、渡り損ねても乗れるのが安心だ。多分ほかの駅も全部そうなってると思うが…。
日が暮れ始めていたので、ここからはオレンジフェリーでもらったムビチケを使った三度目のしょい鑑賞へ移る。
シネマサンシャイン衣山
と言うわけで、三度目のしょい鑑賞にやってきた。
三度目の鑑賞を終え、帰るために松山駅に預けていた荷物を取りに行き、大街道に向かうためJR松山駅前から道後温泉行の市内電車に乗ろうとしたところ、異常なまでの混雑に襲われ一本乗り過ごした。
路面電車で大量の積み下ろしが起きるという異常な現場を見たが、みんな年末旅行か何かで道後温泉に向かうところだったのだろう。次の電車を待って無事大街道のホテルに戻ってこれたが、降りるとき宣言しないと降りられないくらい混んでおり、人生でも最強レベルの凶悪さだった。松山に存在する混雑とは到底思えなかった。
というわけで二日目のしょい地巡りが終わったが、寝坊や脚の痛さなどで満足いくものでなかったため、延長戦で三日目となる次の日も三津を中心に回ることになる。明日以降は映画観賞を行わないため、一日を丸ごと巡礼に充てられるという充実した日になる。つまり明日からが本番、真のしょい地巡りとなってゆく訳だ。