2026/06/02(火)超かぐや姫!を観てきた2

超かぐや姫!を観てきたに続き、去る5/2に超かぐや姫!をまた観てきたので、その感想を残す。

鑑賞から一ヶ月以上経っていることもあり、当時感じたことの多くが記憶から抜け落ちてしまったが、残っている記憶の限りで書き出しておく。

この記事のIDが0671、最新は0695なので、下書きを起こしてからおよそ一ヶ月放置していたらしい…。

四回目の鑑賞で思ったこと

ヤチヨのモチーフはセーラームーン?

ヤチヨのモチーフはセーラームーン?月見ヤチヨと月野うさぎはどことなく名前が似てるし、髪型もオマージュに見えなくもない。

( ◠ ᗜ ◠ )みたいな表情もあの世代のアニメによくあった表現手法な気がするので、どことなく親近感を感じた。

物語は最初からタイムリープに組み込まれている?

序盤のどこかでヤチヨが8000歳という情報が出てきたと思うが、これは8000年掛けて月から地球に戻ってきたヤチヨに一致する。

つまり初めて月に飛来する赤子のヤチヨと、歌声を聴いて戻ってきたヤチヨが交差する時間軸がここにあるのではないか?と思った。

ツクヨミとクガネの類似性

FF14にはクガネという和風のマップがあるが、雰囲気的には似ているような気がした。いや、3Dの和風マップなんてどれも似たり寄ったりだろと言われたらそんな気もするが、桟橋のような場所や海と、連なる高層建築とか、そういう雰囲気が似ているなと思った。

もう届いちゃったから

いろはが「ヤチヨのデビュー曲ってもう歌わないの?」と言い、ヤチヨが「もう届いちゃったから」と返すシーンがあるが、これはいろはとヤチヨが出会えたことにより、もう届いたという意味ではないかと思った。

ライブやダンスなど、アクションパートがすべて2D表現

昨今アクションパートのキャラクター描写は3Dで描かれがちだが、本作では2Dが基本だ。これは工数がかかりコスト増につながるため、そういった表現を取れるというのは凄いことだと感じた。

いろはがかぐやを遊びに誘うシーン

今までかぐやに対してそっけない態度だったツンデレいろはが遂にデレてかぐやを遊びに誘うシーンのエモさは筆舌に尽くしがたいものがあった。あのシーンには思わずグッときた…。

特に脱力的な「あそぼ~~~~」というセリフが最高にエモかった…。

母との和解

蛇蝎のごとく嫌っていた母と意を決して話し合うシーンで、これまでの思いを告げ、認められるシーンは、これはすごくいいと思った。

毒親を嫌うのは同情を得やすいと思うが、その先で和解まで描くのは美しいと思った。似たシーンはガルクラにもあったので、一つの潮流かもしれない。

フシ、ふじゅ~

恐らくこれらはかぐややヤチヨが不死であることを暗喩しているのではないだろうか?

異例の鑑賞地

まず現状本作は神戸市内で上映があったのに、市内で一度も鑑賞しなかった作品になっており、これは歴代の鑑賞歴の中では異例だ。

理由は割と単純で、まず初回鑑賞時では神戸の映画館はすべて埋まっていて姫路で観るしかなかったことが一つ、本作は2時間半と尺が長いのと観る時間を取りづらいこと、そして大箱向きの作品であり、市内にある狭い箱で観る気が余り起きなかったことがある。

ぶっちゃけ神戸市内で音とスクリーンがいいのはシネ・リーブル神戸とキノシネマ神戸国際くらいで、OSシネマズ二館は微妙だと思ってる。そして上映があるのはOSシネマズだけだったので、必然的に観なくなるというわけだ。

姫路で三度も見ているのは一回観たらもう一回観たくなり、そうしたら終電を逸してしまい、仕方なく姫路に泊まったら、ついでに翌朝もう一回観たくなったためである。

アースシネマズは箱がデカく、今回上映のあった箱はウシオプレミアムシアターと雷舞で、何となく気分が上がるのもいい。

その次は高知で観ているが、これはこれまでにあった特典全配布があったのと、特別上映があるということ、前々から高知に興味があったことの三点がうまく合致し、高知鑑賞が決定した。

高知県立県民文化ホールには広いオレンジホールと狭いグリーンホールがあり、上映があったのは狭いグリーンホールだったが十分な広さがあり、音響も非常によかった。恐らくだが民間はROIに依存した設備にせざるを得ないところ、公営なので何かしら一定品質の要求があり、それを満たせる高品質な設備を整えられ、日々のメンテナンスも無駄にしっかりしてるからとか、そんなことが背景にあったりするところによるのではないかと思った。

高知の旅行記もまた後日書いていきたいと思う。

その他、鑑賞以外のこと

公式サイトのスペシャルコンテンツの充実が凄い。凄すぎる。

二次創作ガイドラインについて

まず目についたのは二次創作ガイドラインだ。

本作はその作品特性からだろうか、次の様に非常に寛大なガイドラインを示してくれている。

★二次創作は是非楽しんでください。
★個人あるいは特定少数のグループで楽しむことを主たる目的としてください。
★作品ならびにファンを傷つける行為はご遠慮ください。
★ファンのみなさま同士で二次創作をもとに批判することはおやめください。
★本編設定と異なる場合は、誤解を生まないよう事前に注意書きをするなど留意してください。
★公序良俗に反する内容はお控えください。
★二次創作は創造性・オリジナル性が認められるものに限ります。また、公式の発表物・販売物と誤認されないようにしてください。

つまるところ、良識の範囲で二次創作が自由なのだ。

作中に「ツクヨミは皆が表現者」という言葉もあるように、『超かぐや姫!』としては今後も二次創作を楽しんでいただきたいと考えております。

という一文も見逃せない。

二次創作物の販売・頒布という項目もあり、こちらでも期間を定めたうえでの直接頒布の制限、その期間外での委託頒布の許可、在庫に限り委託も可能といった、とても柔軟で現実的な内容を書かれている。ここまで寛大な公式は中々ないのではないだろうか?

更に驚くのが一次創作物の使用だ。

一次創作物については、『超かぐや姫!』公式X(旧Twitter)、YouTube、TikTok、Instagramで公開した画像や映像の一部または全部について、営利目的でない目的で、WebブログやSNS等に掲載(外部プラットフォームの埋め込み等)していただいても問題ないとのことで、これは相当寛大な措置である。ネット文化では当然のように無許可利用が見られミーム化されているが、それを公式で認めてしまうというのは凄いことだと思う。超かぐや姫!ならではと言える。

このため、本記事中でも公式YouTubeで公開された画像を引用して使っている。

その他諸々についても細かく、しかし非常に寛大な規定があり、更にはこのガイドラインの発効以前のことについては基本的に許容する方向の旨まで書かれており、あまりにも寛大で、もはや何回この記事中で寛大と書いたかわからないほどだ。

更には次のようにコミュニティに対する助言まであり、非常に配慮が行き届いた内容になっているのは驚きである。

本ガイドラインの内容を他の方へ指摘する行為はお控えください。

総じて超かぐや姫!の制作はネット文化や、そこからリアルワールドのオタク・同人文化に深く精通し、それらを言語化したうえで、ファンダムに対し公開できるというところで、大変すごいと思う。

また国際的に公開されている関係からか、以下の一文があるのも驚きだ。たぶん他の作品にはここまで中々ないのではなかろうか?

本ガイドラインは日本語によって発表いたします。
本ガイドラインのその他言語への翻訳は参照のためのものに過ぎず、日本語版と翻訳との間に齟齬がある場合には日本語版を優先とします。

特別上映の多さ

発声可能上映は勿論のこと、SNSへのポスト可能上映といった珍しいものや、今回私が赴いた、未上映県での頒布物全部付き、物販ありの特別上映など、とても充実した上映があったほか、舞台あいさつについても人口に膾炙しきったタイミングで最後のファンサだ!”卒業記念舞台挨拶という、素敵なタイトルで実施されるというのがとてもいい。

更にセカンド上映も全国各地で行われていたり、本日6/2からはライブ音響上映も始まるということで、非常にこういった上映が多く面白いと感じる。

応援コンテンツの豊富さ

配信カウントダウンイラストでは主要スタッフからのカウントダウンイラストが多数あり、劇場特典 スタッフイラスト集 掲載イラストにも同スタッフによる多数のイラストが掲示されているうえ、ライナーノーツ【本編オリジナル曲】でもすべての曲のノートが書かれている。

更には超豪華応援イラスト&コメントでは岸本斉史先生や藤本タツキ先生をはじめとした名だたる人物からの応援イラストやメッセージが届いており、これも凄いことだ。

本作は作品自体もかなり厚いが、制作側の熱意も凄く、本当にすごいと感じる。

素材配布

「私は、わたしの事が好き。」素材ではBoothやピアプロといった第三者のオタククリエイティブプラットフォームを使った公式動画やロゴなどの素材配布があったり、壁紙ではLive2D画像を使ったスマホ壁紙の配布もあった。

お決まりのSNSアイコンとかは見られないが、配布コンテンツの内容が他にない独創性を持っていて、これはいいなと思った。

2026/03/19(木)超かぐや姫!を観てきた

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結論から言うと、最高にエモい。エモいって言葉で片付けられるレベルじゃないほどにエモい。それほどまでにエモさを詰め込んだ作品だった。ネットミームを始めとした様々な概念が非常に多く詰め込まれた作品で、恐らく2000年代前後にネットの世を生き、オタク活動に浸っていた世代に全方面から刺さる内容になっている。なんというか、ネタのショットガンみたいな感じで、守備範囲が広ければ広いほど刺さって致命傷になる感じ。

しかも本作はスタジオコロリドの制作だが、スタジオコロリドの作風がやや苦手な自分でも、とても良く観られた。これは恐らくツインエンジンとの共同制作であることが理由として大きいと思う。ビジュアル的にはツインエンジンの風が強く、キャラクター性に所々コロリドみが出ている印象で、完成度が非常に高い。予告放送で見ていた通り、コロリドとツインエンジンのタッグによる未知の化学反応を得られた形だ。

作品のベースは竹取物語そのもので、つまり本作は2000年~2020年代にかけてのネットミームを竹取物語にミックスした作品だと言える。筋書きとしては、鉄腕アルバイターである主人公いろはのもとに突如として、七色に光るゲーミング電柱が現れ、その中からかぐや姫が誕生し、主人公は激務と学業とMMORPGと推し活の合間を何とか縫ってかぐや姫を育て、やがてかぐや姫はVTuberとなり人気を博し、多くのプレイヤーから求婚され、最後にはVR世界で最高峰に立つプロゲーマー集団のブラックオニキスのリーダーであり、いろはの兄でもある、帝アキラから求婚され、最後は月に帰ってしまうが、最後には地球に帰ってきて、富士山に登るというのが、大きな流れだ。

これは大まかにWikipediaにある竹取物語のストーリーに一致する。これからは昔話を現代化したアニメが流行るかもしれない、本作はそんなポテンシャルを持った作品だと思った。しかも内容を咀嚼すると、かなりの解像度で竹取物語が組み込まれていることも判るので、非常に面白い。

主人公は、酒寄彩葉、作中では「いろは」と呼ばれ、「いろはと呼ぶべし」とされるキャラクターだ。毒親と縁を切り自分の力で生きることを選び、映えないボロアパートに住み、鉄腕アルバイターとして東大進学を目指している才色兼備の学生だ。日々アルバイトをこなし、予習・復習・模試をこなし、更にMMORPGでプロゲーマー級の腕を振るいながら、推し活に興じる、過労死しそうな若者である。ぶっちゃけ、最高すぎる設定だ。

ヒロインとなるのはかぐや姫である「かぐや」で、先述した通り七色に光るゲーミング電柱から生まれた女の子だ。かぐやは赤ちゃんから始まり、一週間くらいで高校生の体形と知能を手に入れるというすさまじい速度で成長していく。原作の竹取物語では三ヶ月ほどで妙齢の娘になる設定だが、、本作では「何もかもすべてが早えー」ので一週間で妙齢になる。性格は破綻気味で、完全なるトラブルメーカーである。最初は泣きわめくだけ、駄々をこねるだけ、いろはの稼いだ貴重な金を溶かすだけ、部屋を荒らすだけ。もう最悪だ、最悪なのだが、これがいい。ちなみに本人に自覚があるのも最高だ。

しかし成長に伴い、かぐやは自分で料理ができるようになり、片づけをし、金銭管理を身につけ、周囲への配慮も覚えていく。そしてライバーとして圧倒的パワーで稼ぎ始める。これは原作における「かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという」設定に一致し、かぐやのライバー収益でいろはがタワマンに住めるようになるという形で再現されている。いろはのバイトがどうなったかの描写はないが、既にバイトに行っている雰囲気がないので、辞めたのではないだろうか。そもそもいろはは最初タワマンに住むことに対し「あぶく銭」「人としておかしくなる」とか言っていたのに、結局住み着いてる辺りがいい。

二人の関係は親子のようでもあり、姉妹のようでもあり、相棒のようでもある。いろはにとっては迷惑な存在だったかぐやが、いつしかかけがえのない存在に変わっていく過程が、この作品の情緒の核だと思う。ドタバタギャグコメディーの皮をかぶりつつ、その温度感はシリアスでもあり、個人的にはゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイスに通じるものを感じた。この関係性はエモさの一つだ。

作品の世界観としてはVR世界を非常に意識しており、SAOやVRChatは間違いなく意識されている作品だと感じた。SAOで周囲を取り巻くエラー画面みたいなやつも出てくる。恐らくMMORPGプレイヤー、特にSAOが好きだった層には刺さるのではないだろうか?少なくとも私は刺さった。正直、この題材で新作が出てくるとは夢にも思っていなかった。今ならeSportsなのでVALORANTやFortniteだろうが、本作ではMMORPGに寄っていた。一応ちょこっとだけFPS的なシーンも出ては来るが…。また、かつて社会問題になった子供部屋おじさん的なMMORPG廃人もシーンとして出てくる。

ただSAOのようなヘッドマウントディスプレイはなく、作中のVRデバイスはディスプレイがコンタクトレンズ式で、コントローラーはリングのないOculus Rift Sみたいな感じだった。ただ後半はコントローラーがないように見えたので、SAO的に脳波でも操作できたのかもしれない。謎。

VRの世界観としてはツクヨミという世界が設定されており、月見ヤチヨというAIによって管理されている設定がある。ツクヨミの中では「ふじゅう」という通貨が流通しており、これは現実でも使える、RMTとしても機能しているようで、プロゲーマーやライバーなど一部の人間はこれで生計を立てているようだった。主人公であるいろはも、かぐやの圧倒的な稼ぎでタワマンに住めるようになる。

作品の時間軸としては月の満ち欠けも重要で、一回目の満月でかぐやが月に引き戻されそうになるが、これはヤチヨによって阻止される。そしてかぐやは次の満月で月へ帰ることを決意する。いろはや、その仲間たちは結託し、これを阻止しようと月の使者に対して抵抗するが、抵抗むなしく、かぐやは卒業ライブを敢行し、最後には羽衣を着せられ、意思を失い、月へ帰ってしまう。この流れは現在のVTuberそのもので、とてもいい。

原作であればここで終わりだし、本作でも終わる。ここで安っぽいエンドロールが流れはじめ、作品は終わりを迎える…かのように見えて、エンドロールは即座に消え、「この物語には続きがある」という天の声とともに、物語が原作を逸脱し強制進行する。安っぽいエンドロールの時点で察しはつくが、ここまで大胆な演出をする作品は過去にみたことがなく、非常に感銘を受けた。

後日、いろはがかぐやの残したブレスレットに歌を吹き込む。この歌声が月へ届き、かぐやは地球へ戻ることを決意する。しかし、かぐやが地球に来れるようになったときには、あまりにも時間が経過しており、かぐやは時間操作で元の時空へ戻ろうとするが、地球へ戻る航行中に不慮の事故で8000年前の地球に戻ってしまう。ここで出てくるピクセルムービーも非常にエモエモで、見ものだ。

地球についたときにかぐやは本体を具現化する能力を失い、ウミウシの体で活動するようになり、世界各地で神として運命を左右しながら、現代に戻り、VR世界ツクヨミを創造し、自身は月見ヤチヨと名乗り、いろはを待ち受けるようになる。そう、この時点でいろはとかぐやの居た世界線と、ヤチヨの世界線は競合関係にある状態になってしまっているわけだ。得体のしれない神として世界を旅するウミウシも神秘的でよい。

そして何よりエモいのが、作中ではかぐやの曲はいろはが過去に作った曲なのだが、かぐやの卒業ライブの時にいろはが過去に父親と一緒に途中まで作ってそのまま放置されていた曲をベースに作り直すことになる。そしてこの曲のメロがヤチヨのレビュー曲であるRememberと同じであったことだ。作中でいろはがヤチヨに対してRememberを歌わないのか?と聞き「あれはもう使命を終えた」のように語るシーンがあったが、恐らくいろはに伝えられたから役目を終えたということなのだろう。そしてRememberというタイトルも、いろはに思い出して欲しかったのだ。そして、いろはは思い出した。そして卒業ライブの曲はできた。8000年の時を超えていろはは思い出したのだ。

本作のエモさはこれだけにとどまらない、こんなのは氷山の一角で、作中には様々なネットミームや懐かし要素が散りばめられている。

そこで、以下に私が感じ取った様々な概念を列挙してみた。

  • VRChatのような世界感
    • VRの仮想世界、作中ではツクヨミと呼ばれている
  • VRMMORPG
    • VRChatのような世界観の中にMMORPGがコンテンツとして組み込まれているような感じ
  • Vocaloid
    • 本作の劇中歌にはボカロ楽曲が多く用いられている
  • AI
    • 主要キャラクターの一人であるヤチヨはAIであると説明されている
  • VTuber
    • 作中ではVTuberが非常によく出てくる
  • 推し
    • VTuberがいれば推しの概念も当然ある
  • リアルライブ(ホログラム?)
    • ホログラムを使ったVTuberのリアルライブらしきものが出てくる
  • VTuberのファンカード
    • VTuberがいればファンカードもある
  • ねこみみメイド女装子(男声、一人称オレ、ぴえん、舌出しのあざとい表情)
    • 性癖破壊モンスター。長くなるので後述する
  • プロゲーマー・プロゲーマーユニット
    • コンビニなどで見かけるプロゲーマーのユニットが存在する
  • 双剣
    • みんな大好き、MMORPG最強武器、双剣。もちろん主人公の装備だ
  • ジョブロールによる行動制限(スキル)
    • MMORPGに存在するジョブロールのようなものが存在し、それぞれのロールによって隠密行動の可・不可などが設定されているようだった
  • 関西弁
    • 主人公一家の状況前のシーンで関西弁が出てくる
  • 和風
    • 雑に言うとシロガネを大規模化して電子感を強めた感じ。千と千尋の神隠し的な光景に見えなくもない
  • 西松屋
    • 関西弁と関係あるかは不明だが、西松屋が出てくる
  • 立川市
    • 舞台は立川市らしい
  • ガールミーツガール
    • 本作はボーイミーツガールならぬ、ガールミーツガールだと思う
  • 卒業(概念)
    • VTuberによくある卒業の概念があった
  • 卒業ライブ
    • 卒業があれば卒業ライブもある
  • 転生の概念
    • 卒業があれば転生もする。これはかぐや→ヤチヨを転生として扱った場合の概念であるため、人によって解釈が分かれるかもしれないが、概念的にはあると言えるだろう
  • ビートセイバー
    • あからさまにビートセイバーをしている光景が出てくる
  • タイムリープ
    • 作品的にタイムリープの場面があるわけではないが、設定的にはカグヤが同じ世界線で永遠に同じ時系列のループをしていることについての言及があったため
  • 並行世界
    • 恐らくカグヤがタイムリープを続ける時空と、そこからいろはが抜け出した時空の二つがあると思われる
  • たまごっち
    • たまごっちのようなものが出てくる
  • サカバンバスピス
    • サカバンバスピスのドローン花火が見える
  • ドローン花火
    • いろいろ形を変えるドローン花火が見える
  • マイクラ
    • 鳥居の明かりが明らかにマイクラの顔のアレに見えるシーンがある
  • FXで有り金全部溶かす人の顔
  • スマホの防水ケース
    • スマホが出てくる作品は数多くあれど、防水ケースが出てくるケースはあまり多くないと思う
  • ギャルファッション
    • 平成のギャルファッション
  • ルーズソックス
    • 平成のギャルファッションがあればルーズソックスも出てくる
  • スーパーマリオ(ファミコン世代)
    • ファミコン世代のスーパーマリオを意識したゲーム画面のようなシーンが出てくる
  • 太陽の公園にあるっぽい城
    • ノイシュヴァンシュタイン城の可能性もあるが、西松屋繋がりで太陽の公園の写真をモチーフにしているような気がした
  • 毒親気味の面倒な家族
    • 身体的虐待まではいかないが精神支配をしてくるタイプの厄介な毒親が登場する
  • 両国国技館
    • VR世界のライブステージが両国国技館の下層の床を抜いたような感じの構造
  • JR東日本E233系電車
    • 立川市が舞台なので立川市を走る鉄道車両が登場する
  • 富士山
    • かぐや姫なので富士山が出てくる
  • 富士山本宮浅間大社
    • 浅間大社らしきものも出てくる
  • タイムカプセル
    • 富士山の地面を掘ってタイムカプセルらしきものを取り出すシーンがある
  • ピクセルアート
    • ドット絵というよりピクセルアートというべき要素が所々で出てきてとても良かった
  • ET(映画)
    • ETの満月を背景に自転車を漕いで空をかけていくアレが出てくる
  • おぱんちゅうさぎ
    • おぱんちゅうさぎのオマージュの様なものが出てくる
  • ナナヲアカリのMV
    • っぽいものが出てくる
  • SAO
    • を彷彿とさせる要素が出てくる

ねこみみメイド女装子(男声、一人称オレ、ぴえん、舌出しのあざとい表情)については書ききれなかったのでこちらで書く、正直性癖破壊モンスターなのは間違いないし、間違いなくこの作品の裏主人公であることは想像に難くない。

キャラクターとしては駒沢乃依、基本的に乃依と呼ばれているキャラクターだ。Black onyXのメンバーで弓使いとされ、容姿は色白の肌に、黒とピンクを基調とした地雷系ツインテールで、服装は和風テイストの生足むき出しミニスカメイド服という、最強属性全部盛みたいなえげつない出で立ちをしている。アバターは男性らしく胸はツルペタで、体つきもがっしり目で男性を意識したキャラデザになっているように見えた。また腰に巨大なチャクラムを装備することがあり、投げて武器にするのはもちろん、やけに扇情的にフラフープのように回したりしたり、とにかく狙っている。しかも鑑賞者を堕とす方向で、確実に、精密に狙ってきているのだ。

それだけに?乃依の射撃は精密で、ヤチヨに「げに恐ろしき狙撃能力」と言わしめるほど高精度な遠距離攻撃を行える能力もある。

ぶっちゃけ、ねこみみメイド女装子アバターの男性プレイヤーが男声の一人称オレで始まる時点で、オスむき出しのネカマがキマりすぎてて脳がおかしくなりそうだが、更に舌出しのあざとい表情をしたり、ぴえんとか言ってきたりするのも破壊力があるし、何より極めつけは「オレって今日も作画良すぎでしょ」(バチコーン)なんてシーンまであり、余りにも破壊力がありすぎて死んでしまう。死んだ。

他にも一番最後にある、いろはが科学者になり、リアルアバター(アンドロイド)として、かぐやを降臨させるシーンでは、ツクヨミ内のアバターをリアルでも欲しがっており、こいつ…!となるので面白い。

正直、ここまで盛られていると乃依によって情緒と性癖を破壊される人が続出しないか私は心配で心配で夜も寝られてしまうほどだ。

Wikipediaの超かぐや姫!でも乃依のところだけ異様に書き込み濃度が高くおかしなことになっていることから、乃依の異質さがうかがえる。

他にもLive2Dによる配信シーンがあったり(劇中には実際にLive2Dが使われているようでクレジットされている)、劇中のライブシーンや戦闘シーンが手書きアニメーションだったりして、全体的にクオリティが高い。ツクヨミの背景には3Dが多用されていたが、キャラクターの3Dモデルはかなり少なかったように思う。その関係か、動きの激しいシーンはカットが目立ち、例えばライブの躍動的なダンスシーンは非常に尺が短かった。

主人公の座席配置が教室の最前列中央であることも珍しく、絵作りやキャラの言い回しなども、どこか懐かしさを感じる演出から、目新しいものまで幅広く、セリフ面でも「クソマヂー」「いや、あぢー」といったお淑やかさの欠片もない発言があるのも本作のエモさを際立てていると感じたし、各キャラごとに異なる特徴的なアイシャドウなど、もうエモさを挙げていけばきりがないほどだ。

他にも現実パートとツクヨミパートでキャラデザが異なるのも面白いところだ。複数作監がかかわる作品で作業分担の都合上、作画が激変する作品はトラペジウムやSAOPなどであったが、明確な意図をもって画風が変わるのは非常に新鮮だと感じた。それもそのはず、現実の人間とゲーム内のアバターでは見た目が違うことは必然なのだから、これは当然のことだが、ここまでこだわっている作品は中々ないと思う。

それとラストシーンでBlack onyXのメンバーのリアルが全員腐女子向け作品の男性キャラ風に描かれていたのも感銘を受けた。いったいどこまで属性を盛れば気が済むのかと…!

何より最後に出てくる「あなたの物語」という言葉で、私は崩御してしまった。そう、この物語はいろはとかぐやの成長と、それを見守っていた作品の外にいる私たちにさえ語り掛けてきたのだ。つまり次は私たちの番ということだ。これこそが「この物語には続きがある」の本懐であるといえよう。

あとがき

私は普段封切日に映画を見ることにしているのだが、本作はそこから遅れること三週間、2026年2月20日公開を3月13日に観てきたので、作品によっては上映終了になっていても不思議がないほど間隔が空いていたが、幸い上映があったので干渉することができた。鑑賞体験としては非常に満足のいくもので、封切一週間目に席が全部埋まっていたのも納得の内容だった。

理由としては転職活動が忙しくそれどころではなかったというのが言い訳だ。そもそも本作はネトフリ映画の上、一週間限定だったので、本来観れないはずだったが、延長上映していた関係で観ることができた。不幸中の幸いというやつだ。

アースシネマズ姫路
三宮まで戻れる電車は消えていた。あと5分早ければ乗れたので惜しかった…
やむ無く姫路泊をした時のホテル。安定のダイワロイネットホテル

しかもOSシネマズ神戸ハーバーランドは三週間目も満席が続き見れなかったため、アースシネマズ姫路まで足を運んで観たほどだ。しかも尺が非常に長い作品だったことが災いし、現在時刻を深く考えず、のんびり目に動いていたら終電に間に合わず、姫路に宿泊して翌日も観たとかいう、まぁまぁおかしい体験をした作品になってしまった。

また本作はOSシネマズ神戸ハーバーランドでグッズが一度完売していたのだが、再入荷されるという異例の状況にもなっていた。私は映画グッズの再販は珍しいと考えていて、バルト新宿など、東京の超大手館での事例は知っていたが、まさか神戸で再販があるとは思わなかったので、非常に驚いた。

またネトフリ映画が延長上映されるのもネトフリでやらんでいいのか?と思うので面白いなと思っている。

本作はWikipediaによると、予約開始と同時に全国各地の劇場にアクセス集中し、サーバーがダウン。わずか数時間でほぼ全ての上映館で公開初日の上映が満席となる事態となり、作中の舞台にもなった立川シネマシティでは急遽、公開2日目の2月21日にオールナイト上映を実施。23:40回と26:45回が追加される形となり、会員・一般同時で公開前日の19日24時より予約受付を開始したが、わずか数時間で全回満席となったなど、異例の超動員を記録し、全国19館での公開だったにもかかわらず、動員14万8067人、興行収入2億9122万2700円を記録し、興行通信社の調査による全国映画動員ランキングで初登場5位、ミニシアターランキングで初登場1位にランクインしたとされる。特に初日は着席率が96%に達し、上映20館以下での全国映画動員ランキング入りは2018年の『カメラを止めるな!』以来約8年ぶりとなるとのことで、かなりの快挙だったようだ。

更にこの反響を受け、公開4日目の2月23日には上映館が8館追加されることが発表され計19館になり、更に3月5日になると100館以上に拡大することが発表された。この勢いであれば封切上映終了後のセカンド上映も十二分に期待できそうだ。3月15日までの公開24日で、興行収入は11億1638万円となり、Netflix発のオリジナル映画としては史上初となる興行収入10億円突破の快挙となったそうで、本作のすさまじさがよくわかる。

ただ流石に3月18日現在では盛況具合は落ち着いてきており、現在では満席とまではいかない程度には落ち着いているようだが、それでも平日の昼間でアースシネマズでは8割の席が埋まっているようで、一体どこから人が湧いてくるのか、大変興味深い作品でもある。とはいえ、本作はそれだけのポテンシャルを持った超大作なのはわからなくもない。まさに作中でヤチヨが言う「感謝!感激!雨アラモード」あふれる勢いだといえよう。

また、以前最近見かけた面白いサービスやホームページで「ヤチヨの部屋 - Yachiyo's Room」というホームページを紹介したときにヤチヨって誰だ?と思ったが、「公式サイトではありません。ファン創作サイトだよ〜。」とあることから、恐らくこれはファンが作ったファンサイトで、月見ヤチヨが2003年時点の設定になっているものだと思われる。劇中ではトップページしか出ていないが、このホームページは中までよく作りこまれており、非常に素晴らしい。しかも日々更新されていて、地味にコンテンツが増えているほか、ちょっとした交流コンテンツもあるという神ホームページだ。何より凄いのは作者が韓国人であろう点だ。つまり、超かぐや姫!は日本を飛び越え、韓国まで行ったのだ。嗚呼なんということだ…!

あとOSシネマズみたいな狭い箱で見るより、アースシネマズ姫路のようなデカい箱で観るのがいいと思う。なぜなら劇中歌のシーンは非常に躍動的だし、ライブ感が味わえるので、音がよく、大画面の方が没入感が味わえると思うからだ。

個人的に超かぐや姫!は今年の最高作になるのではないかと思っている。例年であれば最高作は年の後半に来がちだが、去年のメイクアガールといい、前半にシフトしてきている感じもしていて、読めなくなってきている。また、私は普段興行収入が振るわないニッチ作品を好きになる傾向が強いのだが、超かぐや姫!は例外中の例外といった感じで、そちらにも衝撃を受けている。見る作品を選んでいるため、別に6000人アニメ映画族[1]と言う訳ではないが、一翼を担っている自覚はある。

これだけ書いても全然足りないくらい本作はメタい要素が多く、非常にエモく、言語化しようにも情報量が多すぎる作品なので、間違いなく劇場で観る価値のある作品だと思う。非常に情報量と熱量がある作品だし、これだけの要素をきれいにまとめ上げ、終わりもすっきりしている作品は中々ないと思う。本当に後味が非常に良かった。

最後に個人的に最も刺さったシーンであるワールドイズマインの劇中シーンと、終盤のMVの二つを置いておく。もうこの二つだけでも最高だ…。


  1. どれだけ売れないアニメ映画でも初週観客動員数が約6000人程度あると言われており、逆説的にどんな作品でも観る固定層のこと

2025/06/03(火)卓球少女 -閃光のかなたへ-を観た

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プリプリの舞台挨拶付き上映にT・ジョイ梅田の席を取ったら「卓球少女 -閃光のかなたへ-」という珍しそうな作品を見かけたので、本作を観た鑑賞録。

内容的には中国のアニメスタジオが制作した卓球をテーマにした美少女スポ根ものといった感じだが、独特な表現や雰囲気の作品で、これは中々ない作品だと思ったので、その内容を書いてゆく。

異色の中国2Dアニメ

本作は日本で作られたといわれても違和感がないほどに日本的な絵柄の2Dアニメだ。中国のアニメ映画は3D作品が多いか、2Dであっても独特の絵柄であることも少なくない印象だが、本作は非常に日本的だった。

一方で鍛えられた肢体や筋肉を強調したアグレッシブな描写が多く、これは日本の美少女アニメには余りない要素で、ここは本作で特徴的な要素といえるだろう。

お色気皆無

日本のアニメと比べると圧倒的にお色気がない。本作の舞台は高校だが、押し並べて胸が薄い。モブキャラに一人巨乳が居た程度で、驚くほど薄い。ここまで健全方向に倒した作品も珍しい。

公式のキャラ紹介に至っては、ほぼ絶壁で、ガタイがいいのもあり、男…?と首をかしげてしまった。恐らくこれは中国の表現規制も関係していると思う。

ただこの色気のなさは本作のスポ根精神を遺憾なく引き立てるのに随分役立ったと思う。煩悩がない。シュッとしている。

シャワーシーンすらシャワーヘッドが出てくるだけという潔さである。

タイトルやロゴ、OP/EDのローカライズ

本作はタイトルや、そのロゴ、OP/EDがローカライズされている。邦題は「卓球少女 -閃光のかなたへ-」だが、原題は「白色闪电 Pingpong!」だ。

タイトルロゴに小さくTAKKYUUUUUUUUUUとあるが、これもローカライズだろう。こういった些細なところまで力を入れているのはいいと思った。

因みに卓球は日本語であり、Table tennisとも関係ないらしい。中国語では卓球は乒乓球と書き、この文字列は作中で何度も出てくる。

登場人物の多様性

OPに出てきたキャラだけの話だが、異様なまでに多様なタイプをカバーしているように感じた。

真面目メガネっ子、クールビューティー、そばかす娘、じゃじゃ馬、目の下ホクロ、天真爛漫などなど、やたら手幅くカバーされている。性癖ブレイカーか何かか?いや、そんな意図はないと思うが。

顔のバリエーションがすごいので日本アニメにありがちな髪の色でキャラを区別するといった要素は薄めに見えた。書き分けが凄まじい。

またビジュアルだけでなく、キャラクターの性格も各キャラかなり尖っていて、ここまでキャラが立っていて確立した魅力を持つ作品もなかなかないと思った。

意外と日本と変わらない学生生活

本作はいわゆる学園ものになるので、中国の高校の風景も出てくるわけだが、そこまで日本と変わらない。精々教室の入り口にICT的なモニタがある程度で、校舎の作りや机など大まかな雰囲気は日本そのものだ。

初年度は教科書を配ったり、授業も黒板に板書したり、プリントを配ったり、教師に当てられて発表したり、まんま日本だ。大きな違いといえば精々制服がジャージなことくらいだろうか?

校舎の様子などは実際に高校に行って取材をしたそうだが、制作陣は教室の入り口に電子掲示板があることに驚いたという。

リアリティの凄い卓球

卓球の練習シーンではおよそ卓球と関係ない特訓が出てくる。例えばシャトルラン的なことをしていたり、縄跳びをするなど。基礎的な体力づくりや体幹作りが描かれる作品は珍しいと思う。

また卓球のシーンは躍動的で、目にも止まらない高速なやり取りや、コートから打ち出された球をスライディングで打ち返すなど、かなりダイナミックな表現が多く、見ていて興奮した。筋肉の描写もよく、スポーツマンを見ている感じがすごかった。ここまで汗臭さを感じる作品はめったにないと思う。

実際に試合のシーンは現実の試合を参考に、辻褄が合うように作りこんでいるらしく、リアリティの追及が半端ない。サーブ権にまで配慮して作りこんでいるのは流石だ。日本の作品だとスポーツに限らず、ルールの不備を指摘されるものも少なくないだろう。例えば響け!ユーフォニアムでは楽器の持ち方が違うという指摘がよくあった気がする。

制作にあたってはスタッフにいた卓球の経験者や、プロのコーチを召還するなど、かなり再現性には力を入れたようだ。

リアリティの追及

本作は中国の視聴者が見たときに違和感を持たないように、現在の中国の風景を再現することに注力したとのことで、全体的にリアリティが強い。タピオカを飲むシーンも出てくる。つまりタピオカ屋は中国にも進出しているわけだ。

エンディングでは舞台となったであろう浙江省杭州市上城区の名所的なものが紹介されており、聖地巡礼したくなるような仕組みが非常によかった。トラペジウムでテカポ湖に行った人がいることを考えると、より身近な杭州に行こうと思う人もいるかもしれない。本作はそこまで刺さる作品ではないと思うので、行く日本人がどれほどいるかは未知数だが…。

またリアリティを追求する傍らで、序盤でジャン・ルオイが走っているシーンなどでは伝統的中国の風景をミックスしているという点も見逃せないところだ。

最後に

全体的に作りが精緻で、切れ味のいいスポ根作品だと感じた。そして本作は未完のままEDを迎えている。原作は6話まであり、今回はそのうち3話までを総集編として合体させたものらしいので、是非続編にも期待したい。

上映館は多くなく、特に西日本での上映館が極端に少ないが、個人的には今年の推し作品の一つだ。王道だがキャラ的にはジャン・ルオイ、ワン・ルーの組み合わせが好きだ。どこか抜けてるクールキャラとお調子ツンデレ委員長キャラはかなりいい。どっちもイケメンだし!

またパンフレットの表紙はいい紙を使っており、巻末には中国側スタッフが日本語を交えて書いたものもあり、是非触って読みたいアイテムだ。

2025/03/25(火)メイクアガールを観てきた 六回目

メイクアガールを観てきた 五回目の続き。

去る3/23、今回は山口は宇部に飛び、シネマスクエア7でのセカンドランを鑑賞してきた。メインは感想なので手前に持ってきているが、後半に簡単な旅行記も書いている。

感想

いったい何遍書いてんねんという感じだが、流石に鑑賞ごとの感想はこれでラストにしたいと思っている。

今回も特に前回までの内容を深ぼったりはせず、見たままの感想を書いていく。これまでより0号と明以外にも焦点を当て、0号と明にはより焦点を当てて書いてゆく。

前回同様に感想はノベライズの影響を少なからず受けているため、そちらに引っ張られたようなことも書いている。

「いきなさい、いきなさい。いきるの。私と。」

ここは行きなさいなのか、生きなさいなのか、逝きなさいなのか、見方で解釈が変わるなと常々感じている。これはここに限らず、「いきなさい」が出てくる全ての場面でそう思う。

「生きなさい」と解釈する場合「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」というのは明が稲葉と共に生きて欲しいという、稲葉からの想いなのかもしれない。

つまり第三人類として稲葉を作り、一緒に生きて欲しいということだ。口調が命令形に見えるのは、恐らく明が稲葉に作られた第三人類で、稲葉の意思を無視できない設計になっているところがあるのだろう。

ただ恐らく明は0号同様に生体制御を振り切れる状態になっているか、造られて以来、長い時間が経ちすぎて、稲葉の意思が薄れていて、あまり効力がなかったりしそうだ。

そういうのは経験しないと知恵として昇華されない

「そういうのは経験しないと知恵として昇華されない」は邦人のセリフだが、これは昨今LLM界隈で少し話題になっている記号接地問題に通ずるものがあるなと思った。

記号接地問題というのは、その言葉(記号)を現実の意味として紐づけられるかという問題のことらしい。

モップ掛け

明にモップ掛けはもうしなくていいと言われた後にも、言いつけを守らず果敢に挑戦する0号の姿には、邦人に言いつけられた「自主性」が見事に表れていたと思う。

何よりここでソルトに対して、「あっち行け。しっし。」みたいに振舞うところは何ともかわいらしい。ここは、前後の神社の階段を上るとこと合わせて、この作品で最も好きなシーンの一つだ。

初のホールで明に頭をポンポンされる0号

ノベライズでは心臓が跳ねて、ぺしゃんこになるほど緊張しているみたいな描写があったが、映画では明確に嫉妬したような表情になっており、ちょっと表現が異なると思った。

ここ以外にも幾つか異なる場面が見られるため、恐らくノベライズは完全に同一シナリオとしてみるよりは平行世界のシナリオとして解釈したほうがいいかもしれないと思った。ただお互いに何かしら重力のようなもので引きあう関係にはあると思うので、解釈が難しいところだとは思う。

個人的には映画は映画として、ノベライズはノベライズとして解釈するのを推したい。といっても一度ノベライズを読むと脳裏にノベライズの内容が刻み込まれるので難しいが…w

買い物に誘う場面

0号が明が買い物に誘いデートする場面で明が行くのを断ると0号はムスッとした顔になるのだが、ここはやはりかわいいなと思った。いや、0号は常にかわいいのだが。

離別のために離れたマンションに連れていかれた場面

「どうしてあなたは私から離れようとするんです?」
「あなたは私を恋人として作ったんじゃなかったんですか?」
「これはあなたにとっても計算外のことなのではないですか?」
といった0号から明への感情の発露はとても切なく、それだけに心に刺さる場面だ。

また明が「いつからだ。いつから君は。僕の前を歩くようになったんだ。」と回想する場面もノベライズにない部分だ。これは恐らくノベライズでは明視点のシーンを除き、基本的に0号視点になっているのためだと思われるが、こういった箇所からも原作完全再現ではなく執筆を行った池田明季哉氏の解釈が入っていることが垣間見える。

そんなこと。僕にかまうのはやめろ!

このセリフは0号がまとわりついてくるのを邪険にした明のセリフだが、この発言で0号の生体制御を発動させることができるのであれば、終盤0号に滅多刺しにされている場面ではこの動きがなかった。要するにあの時は能動的に発動していなかったのではないだろうか?

この後に出てくる「母さんの開発は主の意思に逆らえないようにできている。」というセリフと共に回想シーンに入り、ラボでおじさんが落ちた片腕を呆然と眺めている場面があったと思うが、これはおそらく明が稲葉に何かしら抵抗し、その時に明の片腕が生体制御によって破壊された記憶なのかもしれないと思った。

これまでの鑑賞から明が稲葉によって作られた人造人間であることは明らかであり、このことはノベライズでは明示されている。

つまるところ、恐らく明は知っているのだ。生体制御の苦しさを。知っているからこそ、それがどれほど辛く苦しいか、死ぬほどなのかを理解しているのではないかと感じた。

稲葉との二回目の回想

回想の中で明と稲葉がやり取りする場面だ。個人的にここは水溜稲葉の意思が明と邂逅するシーンだと考えている。

「記録じゃこんな話はできないでしょ。」
「研究はこの子に託した。この子が私になってくれる。明くんが大きくなった姿も見てみたかった。」
「困難に当たるとき、そういう時、家族がいたら楽しいかなって。」
と稲葉が言っているのを察するに、恐らく稲葉の意識は生前で止まっており、ラボのサーバー群の中に封じ込められているのだと考えている。

なので、生前の状態では対話できる。しかし、明の現在の姿を見たりすることはできない、或いはそれを記憶することができないのかもしれない。これはソルトを遠隔操作して接触できたとしてもかなわないことなのだろう。

この後、明が稲葉に対し「またこうしてお話しできますか?」と聞くと稲葉は「生きなさい。あの子と一緒に。」と返す。冒頭の「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」の流れから考えると「あの子」は0号なのか、稲葉なのか気になるところで、稲葉はどちらの意味で言っていたのだろうか?

ノベライズ基準だと恐らく稲葉だと思う。映画基準では稲葉が「仲直りしたら?」と発することから、それは0号なのかもしれない。かもしれないというか、そうあってほしいという私の願望だ。だって0号が稲葉にとって代われるなんて、そんなの嫌じゃないか…。

ラボで茜と邦人が明を起こしていた時

邦人が「大丈夫だって、あの二人はそういうんじゃないんだよ」と茜に告げているときがあるが、もしかして邦人は茜の明への想いを分かったうえで、茶化していたのだろうか?と思った。だとしたらいつからなのだろうか?物語が始まるより前からなのか、その途中なのか。或いは、この茶化していた時に感づいたのか、それはわからないが、以外と邦人もわかってるやつなんだなと思ったし、ここからの流れは微笑ましいなとも。

邦人は恐らく純粋な悪友キャラとして設計されていて、それが最もいかんなく発揮されているのが、この場面だなと感じた。

茶ソルトからの支援

明が0号を探しに行き、そこから茶ソルトが支援に回る時の場面で、茶ソルトの目はずっと黄色に光っていた。黄色に目が光るときは主人への犯行が表れている時だと私は解釈しているが、だとするとこの時は何かしらの命令に反していた状態だったのだろうか?

少なくとも最後に壊れたのが、もしそれが理由だとしたら、これは何故なのだろうかと思った。

個人的にあのソルトには稲葉の意思が宿っていると考えているが、もし稲葉の意思のクローンみたいなもので、稲葉の意思に反抗して動作しているとすれば納得できるかもしれない。或いは市中のシステムをオーバーライドするのが主従を無視した状態ともとらえられるかもしれない。

なんにせよ考察し甲斐のあるポイントだと感じた。

明と絵里の対峙

「親譲りの才能、恵まれた環境、きらびやかな成果物、私も頑張ってきた」と明に当てつける場面があるが、ぶっちゃけ絵里は明の作ったものを改造する程度のことしかできていなかったので、研究者としてみるとどうなのか?と思ってしまうところはあった。

最後の最後までソルトの改造しかできていなかったのだ。ある程度自律的に動く人型ロボットは今の世でもBellaBotの様なものはあるわけで、ソルトの機体を真似して殺戮マシーンくらい作れただろうし、あそこまで作れたのに自身は特に凶器を持っていなかったのも不思議だ。

まぁ、ここはストーリー上の整合を合わせるためなのだろうから、深く気にしないほうがよさそうだ。

0号の反撃と、たじたじになる明

前述したとおり、ここでは明は以前のように明確な停止命令を出さなかったと思っている。

また過去何回も書いた部分でもあるが、やはりここは0号から明への気持ちと、明から0号への気持ちの交錯が、なんとも切ない。平行線を辿り、交わらない想い。分かり合えない二人、ボーイミーツガールの神髄の様なものが、ここには詰まっていると思う。

「私は謝ってほしいんじゃない、認めてほしいんです。」
「やめてほしいですか?」
「当たり前だろ。」
「いやです。」
「やめてくれ、生体制御が痛めつけるのをよく知っているだろう。」
「はい、明さん。とっても痛いです。」
「なんで明さんは信じてくれないの。こんなに頭が明さんだらけなのに。」
「それならできるのは抗い続けることだけです。」

0号だって、明が認めてくれないこと、彼女として、恋人として見てくれないことをやめてほしかったに違いない。しかし明はこの時点で0号のことを家族だと思っていた。まだ妻なら救いもあったものが、家族とはいったい何だろう?流れ的に母親だろうか?

どの道、この時点での明に救いはなかった。殺されていてさえよかったとも思えるほどに0号に対しての興味や関心がなく、何の悪意もない。それこそが0号が厭がる明の姿だった。0号は明に代わってほしかった。でも0号は人は簡単には変われないことを、明を嫌いになれず、好きなままで、またあの時に戻りたいと願う、自らの経験からも熟知していた。

明の目が黄色くなる瞬間

「私は、私の想いが本当だって信じてほしいんです。」「だから明さん、私はあなたに逆らえます。」

ここで明の目が黄色になる。もしかしたらこの時、明は0号に対して何かしら攻撃の意図を持っていたのかもしれない。そう、明が0号を認めない、否定し続けることへの何かしらの生態制御。或いは稲葉からの何かだったのかもしれないが、この場面についても考える余地はありそうだなと思った。

ちゃんと証明しますから。人の想いは制御できないって。

一体これほど悲しい場面がほかのどこにあるだろうか?明は0号が死ぬことさえ予期できていたはずなのに、それでもなお、0号を認めなかった。どうして、何が彼をここまでさせるのか、とにかくひたすらに悲しく、私は0号にだけは幸せになってほしかった。

そして稲葉からの「明くん、生きなさい。生きなさい。一緒に。」というメッセージもよくわからない。メタ的だとは思う。これは0号により強い生態制御をかけるためのおまじないみたいなものだったのかもしれない。明の中にも眠る稲葉の意思の様なものがそうさせたのか、或いは横にいたはずのソルトからの干渉なのかまではわからない。

倒れる0号と、介抱する明

ここは本作で最も美しい場面といっても過言ではないだろう。

「明さんの勝ちです。私の想いはニセモノ…。」
「そんなことない、君は僕なんかよりずっと―――」

果たして明はここでなんと続けたのか。もしかしたら「人間」と言いたかったのかもしれない。つまり、ここで明は自分自身も第三人類であることに気づいたのかもしれない。それまで明は自分自身を人間だと錯覚しているように見えたので、このタイミングで、そういう風に自分を見返していても不思議はないなと。

明は明らかに人間として欠落した要素がある。半面、0号は人としては普通で、何ら問題ない境地に達していた。それゆえに、自分が第三人類であると自覚したうえで、「人間」とはなったのであれば不思議もないだろう。

ここから先は感想というより、観た人がそれぞれ解釈し、次に繋げていく、要するに二次創作の領域なのかもしれないと思ったりした。

おかえりなさい「明くん」

0号は意識を取り戻さないが、身体的には生存している状態、いわゆる植物状態になっていた。

そんなある日、0号が部屋から消え、明は0号を叱ってやろうとなど考えながらも急いでラボへと向かう。すると、そこにいたのは0号の姿をしているが、どこか違和感のある0号だった。

明に気づいた0号が『おかえりなさい「明くん」』という謎めいたセリフを残し、ここで物語は終わる。

どう考えてもこれは稲葉だ。これは恐らく明にとっては望んだ結末だった。しかし0号はどうだろうか?

もうここに0号はいないのだろう。稲葉の意志だけがある。

「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」の通りになってしまった。明は0号にめった刺しにされながらも「生き続けた」、つまりここが「生きなさい、生きなさい。」なのだと思う。

そして稲葉はここに蘇り、「生きるの。私と。」に続くのではないだろうか?

いったい0号はどこへ消えたのだろうか?稲葉に屠られたとでもいうのだろうか?

非常に悲しい結末で、胸が苦しくなる。胸が痛い。とっても痛い。

ボーイミーツガールといえば男女が出会い、色々あってデートをしたり、また別れたりして、最後はくっついたり、或いは何か明るい未来に向かっていくのが王道だが、メイクアガールはその道をかき消した作品だと思う。もうそこに0号はいないのだ。

変わってしまった0号

エンディングを見ると0号だった人物は、その後もファミレスでバイトをし、0号ではなくなったため、様々な失態を犯しているように見える。しかしこの時はまだ、誰も0号が0号でなくなったことには気づいていなさそうだ。

明でさえも普段通り暮らしているように見える。まぁ明は興味関心に乏しく鈍感そうなので仕方がないかもしれない。

こういった場面を見ていると0号の意識が少しは残っているのだろうか?とかも思うのだが、稲葉が0号の記憶を読み解き行動しているだけかもしれない。

少なくともこの0号らしき人物は、その素性を周りに対して明らかにしていないことは明白なので、稲葉なのか、0号なのかははっきりしない。

しかし最後に稲葉の姿が被る場面があり、稲葉と同様の行動をとっているあたり、きっと、もう完全に稲葉なのだろう。0号の記憶が混濁していたり、意思が少しでも残っているといいのだが、なんにせよ、もうきっと0号はいないのだ。

余りにも悲しい。非情な物語だ。しかし、この不条理こそがメイクアガールをメイクアガールたらしめる要素なのだと思う。終わり方としてはさっぱりしている。

全体を通しての感想

明は元々恋人を求めておらず、しかし恋人を作ってしまった。これはいわゆる「ドリルを買いに来た人が求めているのは、ドリルではなく穴である」や「顧客が本当に必要だったもの」案件だろう。自分が本当に欲しいものは中々見えず、手段と目的が逆行するのは世の常だ。

このストーリーは明の壮大な勘違いから生まれた0号が、その成長の過程で明の本心を気付かせるものなのかもしれない。

そうして明は家族が欲しいことに気が付き、0号は水溜稲葉となる。そう考えればハッピーエンドだ。そう考えることができるのならば。

私には無理だ。あれだけ明を慕っていた0号がいなくなってしまう。明を殺したいほど愛していて、明がいないと生きていけないほどだった0号が、そこまでの愛を抱いた0号が消えてしまう。それは切なく、儚く、最悪で、そして0号となった稲葉に対しては最悪という感情しか湧いてこない。

なんてことだ…。こんなことはあってはならない。0号を返してくれ!とさえ思う。ただ0号が帰ってきたところで明は0号を恋人として認めないので報われることはないのだろう。そう考えるとこの形での決着は望ましいものとなる。

しかし、それでも私は0号に帰ってきてほしい。帰ってきてもらってもどうにもならないのもわかる。しかし明に改心してもらって0号と余生を過ごしてほしい。そう思うのだ。

そして、そうならないこと、このジレンマこそがメイクアガールの本質だと思う。だからこそいい。素晴らしい。こういった酷さがあるがゆえにメイクアガールは美しい。

メイクアガールを観てきた 五回目にも書いたことだが、だからこそ「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。」作品だと思うのだ。

きっと脳を灼かれたり、感情がぐちゃぐちゃになる作品というのは、こういう要素が一定あるのだと思う。

わざわざ宇部まで見に来てよかった。間違いなく、そう思わせてくれる作品だった。4月11日から塚口サンサン劇場でも上映が始まるが、そちらも是非見に行きたい。ブルーレイが出たらそれも買いたい。

余りにも感想を書きすぎているので、恐らく次回はもう書かないと思う。純粋な気持ちで作品を鑑賞し、最後の映画館での鑑賞としたい。それとは別にノベライズの感想は書いていきたいので、また書くかもしれない。

シネマスクエア7までの行程

新神戸から新山口まで新幹線で行き、そこから宇部線で宇部岬へ向かい、そこから徒歩でシネマスクエア7に向かうといった内容だ。

旅の始まり

旅は新神戸から始まる。三宮に住んでいると新神戸が近くて非常に助かる。

この日は九州新幹線さくらに初の乗車をした。

軽めの防寒具として以前買った、U.L.トラベルダウン ハーフコートを持ってきたが、小さくたため適当な場所に引っ掛けておくのに便利だった。

さて、鉄道の旅といえば駅弁は外せない。淡路屋で春限定の弁当を買った。これは行動量が多いからボリューミーなのがいいだろうと選んだ。

内容は大変豪華で、いかなごのくぎ煮や桜餅、鱚の南蛮漬けっぽいもの、煮豆、桜人参入りのすき焼きに、季節感あふれる煮物に塩鮭、そして季節感あふれるばら寿司。どれも美味しく目でも舌でも楽しめる一品だった。

飲み物を買い忘れていたが九州新幹線にはまだ自販機があるらしく、事なきを得た。

新山口につく前になると転車台が見えた。今時珍しいなと思ったが、単行が目立つので車庫の代わりにしているのかもしれない。転轍機複数持つよりはローコストだろうし。

新山口に到着

そんなこんなで新山口に到着。

駅の南側にはホテルと塾くらいしか見えず、北側もぱっと見そんな感じだった。新山口は姫路よりも停車が少ないらしくさびれていた。

新山口駅では手ぶら観光なるものができる立て看板があった。

これから行く宇部線ではICが使えないことも知った。松山駅にはなかった気がするので、完全にICがないエリアと、混在しているエリアの差を感じる。とはいえ、同様の加古川線や播但線もここまでのものはなかった気がするが、まぁ駅の規模の差とかなのだろう、きっと。

さて、こういう時帰りに土産屋が閉まるのを散々経験したため、あらかじめ土産屋を物色する。フグの刺身は売り切れだった。

帰りの駅弁を買っておこうと思うものの。こちらも売り切れ。

宇部線へ

新幹線のホームから宇部線は離れているらしく、連絡通路を歩いていたら透明な消火栓を見つけた。オシャレだし故障が一目でわかって便利かもしれない。

連絡通路から在来線ホームを一望してみるとかなり広いことがうかがえる。新幹線が通過する割にでかい駅だ。

しかし改札は少なく、券売機もたった三台。

行先表示も二行しかないことに閑散具合を見ることができる。

さて、往復の切符を買い、改札を抜ける。

この時になるとジャケットを入れたスリーブはカラビナに引っ掛けていた。松山でも思ったことだが、やはりこのカラビナは便利だ。

宇部線乗車

しばらくすると宇部行きの電車がやってきた。宇部線はラッシュ時以外は一時間に一本、運行していない時間もある路線だ。

車社会だし、この本数ではあまり使ってる人はいないのだろうなぁと思っていたが、意外と乗車客は多かった。

さていよいよ乗車する。宇部線経由と書かれているが、宇部線しか走らないのでは…?などと考えていた。

宇部線車内

まず目に入ったのは福知山線ではおなじみの整理券発券機だ。

整理券があるということは当然運賃箱もある。

扇風機があって琴電のようなレトロさを覚えた。

宇部岬駅

一時間ほどの乗車で列車は宇部岬駅に到着した。駅には意外と人がいた。

改札はしょぼかった壬生川駅を、さらにしょぼくしたような感じだ。

駅は全体にレトロ感が漂う。

駅舎も雰囲気があっていい。

駅前は居酒屋が一個ある程度で特に何もない。

ここが鉄道駅であることを示す居酒屋があるのはいいなと思った。

特に写真は載せないが、この駅のトイレには紙がないので、駅のトイレを使う場合は要注意だ。この駅は無人駅だが、トイレ自体は綺麗で、段差のある和式が一個ある感じのやつだった。

シネマスクエア7

駅の脇道を抜け歩くこと5分程度、シネマスクエア7が見えてきた。

やっと来れた。少し感慨深い気持ちになった。

シネマスクエア7の入るフジグラン宇部の中に入り、シネマスクエア7の前に来たところ。

NOW SHOWINGに光るメイクアガールの掲示が美しい。

グッズもセカンドランとは思えないほど充実していて、なんとクリスタルアートまで揃っていた。

メイクアガール入場開始

開場の瞬間は誰もいなかったが、あれこれ撮影したりしてる間に一名に先を越された。手落ちである。

しかし事前予約では9席あったので、まぁ後からくるのだろうと思った。実際上映開始前には10席埋まっていた。

シネマスクエア7はレトロでいい感じだ。

今回もぬいを持ってきていたので一緒に撮ってみた。

シネマスクエア7の座席は段差が少なく足元が広いタイプで、塚口サンサン劇場が近いと感じた。キノシネマ神戸国際ほど平坦ではないと思う。

シネマスクエア7では一週目の特典も配布されていた。一週目にもらったものと合わせて三枚になったのだが全部「0号?」なので、もし4/11~上映の塚口サンサン劇場で配布があるとしたら「0号」のほうをゲットしたいところだ。

またグッズ販売もセカンドにしては充実しており、クリスタルアートをはじめ、多くのグッズが揃えられていた。

帰路

上映が終わると19時手前になっていた。辺りは暗くなっていた。

宇部岬駅に戻ってきて待つこと一時間弱、新山口行きの列車が入ってきた。

新山口駅に着き新幹線乗り換え口に向かう。発車案内には新大阪行き最終電車が表示されている。そう、最終電車で帰るのだ。

このあと新幹線改札をくぐる時に簡単なトラブルがあった。それは新幹線はEX予約でとっているので本来改札なしには入れないのだが、切符で入ってきているため改札ではじかれてしまったのだ。

駅員に聞いてみるも半ば困惑気味に、切符を通した後にICを通せばもしかして通れるかもしれないと言われ、試したらなんとこれで通れた。これはちょっとした裏仕様っぽくて面白かった。

改札を抜け、またもや待つこと一時間弱。ついにそれはやってきた。新山口発、新大阪行き最終電車。おそらく東京から来た人ならもう帰れないやつだ。

今回の旅では列車の接続に概ね一時間弱かかり、合計で三時間ほどの余白があったが、一回一回が中途半端すぎて地元のお店に入ったりできなかったことが残念だった。機会があれば次はふぐとか山口らしいものを食べてきたいところだ。

そして無事新神戸まで帰ってこれた。

改札はこの時間の割には割とごった返しており、意外とこの時間でも使う人がいるのだなと感じた。

お土産

宇部かまのかわいらしい紙袋で持って帰ってきた。

かまぼこやふぐうどん、お茶漬けのもとに地元の銘菓っぽいものを軽くそろえてみた。

2025/03/03(月)メイクアガールを観てきた 五回目

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メイクアガールを観てきた 三回目の続き。四回目の記事を書いていないため、今回の記事は三回目から飛んで五回目となっている。

去る3月1日、チネチッタでメイクアガールのスペシャルスタッフトークショー付き上映が行われたので、それに参加してきた記録とか、映画への想いとか。ちょうどノベライズを読み終わったところなので、そこへの想いもちょこっとだけ。

チネチッタへ

この日は朝から予定が入っており、10:30には終わる手はずだったが、30分オーバーした時のことを考慮して11:16発の新幹線で新神戸から新横浜に向かう予定だった。Yahoo乗換案内によるとこの予定では上映開始10分前にチネチッタにつく計算だった。

この予定は的中し、見事予定通り…となったものの、新神戸まであと少しのところで忘れ物に気が付いてしまい、どうにかなることを信じ、引き返したものの、余裕で間に合わず、一本後の新幹線に乗る羽目になった。開幕から中々の有様だったが、時刻表の読み合わせを行った結果、当初の予定時刻に到着できることが分かり、事なきを得た。

ギリギリで乗車車両を変えたため窓際が取れず、富士山は通路側の席から窓際の人の頭を避けて眺めることになってしまった。

なんとか11分前にチネチッタ前に到着でき、無事事なきを得た。駅前にチネチッタへの行き方が一切なく、土地の形から推定していったため無駄に遠回りしてしまったが、一種のテーマパークにも見える雰囲気のいい場所だった。

そしていつもの上映前の写真撮影。今回は人生初のぬい同伴だ。このぬいを取りに帰るためだけに時間に間に合わなくなるリスクを冒したので、その甲斐はあったと思う。たぶん。急いでカバンに入れたので0号の髪がやや乱れているのが申し訳ない。

そして上映終了後のトークで映し出されていたスクリーン。みんな撮っていたのでたぶん撮っていいものだと思う(適当)

しかし、がんばっていきまっしょいで松山に行った時も大概だったが、今回も川崎ということでずいぶん遠くまで来てしまった。しかも神奈川は今まで通過したことしかなかったので、これが初上陸であった。

鑑賞五回目の感想

そんなに書くことないかなと思っていたが、書こうと思えばつらつら出てくるもので、これがメイクアガールの恐ろしさだと感じた。

終盤のシーンに関して

0号が明と別居し、海中と話すシーンで「そんなのわからないですよ。できるかもしれないじゃないですか」というシーンがあり、この時の0号はまだ明とやり直せる可能性を考えていたと思うが、恐らくこの感情は海中と明が対峙し、海中のソルトが破壊されたことで砕け散ったと思う。あのシーンはあまりにも残酷だったし、あの状況でも0号が言葉を紡げ、さらに明への想いを募らせ続けられていたことは本当にすごいことだと思う。

この終盤のシーンでは0号は明の恋人になりたい、明のことが好きという変わらぬ想いがあったのに対し、明は0号と家族になりたいと考えており、最後まですれ違う思いは解消しなかった。何より、0号が私の気持ちを信じてほしいと言ったのに「わからずや」だとか「だから君はそういう風にできてない」と返す明は本当に救いがない。そしてここから0号は「私逆らえます」と言い、明への攻撃姿勢に完全に転換する。

このすぐ後に明は「話し合いがまだ足りない」などと詭弁を言うが、話し合いならもう十分にしただろうと思った。明は「混乱している」とも言っていたと思うが、それは明だけの話だ。0号は一切何も混乱していない。ただただひたすらに明のことが好きで、頭から離れなくて、この想いが作り物でないことを信じてほしかったんだ。

明が混乱しているのは、おそらく明は0号のことを勝手に家族扱いしようとしているが、0号は恋人としてみていること、そして海中の戦闘や、それまでの非日常的な光景などで頭の中がぐちゃぐちゃになっていたからだろう。しかし0号にとっては明がすべてで、明のこと以外はどうでもいいのだ。これが決定的な二人の間にある意識の乖離だと思う。本当にこればかりが悲しくて、メイクアガールは罪な作品だなと思った。余りにも純粋で、酷で、堪らなく愛おしい、この作品はそんなラブストーリーなのだ。

決して実ることない0号と明のラブストーリー、どこまでも救いがなく、だからこそ美しい。

私が好きな小説の一つにキノの旅という作品があり、この作品には「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。」という祝辞がある。メイクアガールは、まさにそのような作品だと思う。

ところで一番最後、0号が倒れる前のシーンで0号が「私の想いは偽物」といい、明が「そんなことない、君は僕なんかよりずっと――」と返すシーンがあったが、明はあの後何と言ったのだろうか。「本物」だろうか?「人間らしい」だろうか?恐らくこれは明の気持ちが最も0号に近くなった瞬間だと思う。後日、教室で「彼女じゃないよ」と返しているシーンがあるので、結局明は0号の恋人になりたい気持ちを否定しているようにも見え、あの時の態度は何だったのか?とも思うので、あの時の明がどういう意図で言っていたのかは定かではないのだが…。

そして0号が布団からいなくなり、ラボに移動したときに発する「おかえりなさい。『明さん』」というのが、水溜稲葉であるとしたら、「彼女じゃないよ」というのは母親を意識していたのか、それとも単に家族という認知だったのかも気になるところだが、母親と影が重なるシーンがあるあたり、母親ではなく、家族という認識で、恋人ではなく、家族が手に入ったことで明的には求めていた家族が手に入り、願望かなったりなのかなと思った。例えそこに明のことを好いていた0号がいなくてもだ。

明は海中に連れ去られた0号を追跡する前の回想で、0号の温もりを水溜稲葉由来のものとして解釈していたように見えるため、恐らくその面影があるのはうれしいことなのだろう。

個人的にこの作品を見ていて思うことは、どれほど言葉を交わしても、心は簡単には通じないし、想いを伝えることは難しいこと。人は簡単に変わらず、変えることもできず、どうしようもない無力さ。そして一度起きた勘違いは軌道修正することすらできず、明は自ら作ったはずの0号という恋人を忘れて、母親である水溜稲葉に傾倒してしまう悲しさだ。

0号が消えたのは痛ましく、それが水溜稲葉に乗っ取られているように見えたのは、非常に心外で、ありえないし、絶対に0号に戻ってきてほしかったが、そんなことはなく…本当に、本当にメイクアガールは救いがなく、それ故に美しい。まさに割れたガラスや水晶のようだ。だからこそ、私はメイクアガールが好きだ。これほどまでに心を突き動かされ、奪われる作品は過去に見たことがない。そう、メイクアガールは私の脳を鋭利な何かで刺してきて、そのままおもむろにぐちゃぐちゃにかき回してきたんだ…。

瞳が黄色くなることについて

そういえば、劇中の表現として創造者に反逆をするときに瞳の色が黄色くなる表現があるように思った。これは0号に限らずソルトもそのように見えた。そして明も瞳が黄色くなる瞬間があるということは、明にも生体防御が発動していたのだろうか?

このことについては後日ノベライズを読んだ感想について書こうと思っているので、その時に併せて書こうと思うが、ざっくりいうと書き換え不能な部分は水溜稲葉の意識だと考えていて、この意識はプログラムされたすべてのシステムに埋め込まれているのではないかという気がしている。

それ故にソルトに導かれた明がソルトから電撃を受けたときに水溜稲葉からの干渉を受けられたのではないかという気がしている。ノベライズでは相手の自我が強いと入り込めないが、脳が酸欠なら入り込めるとあったので、つまり明が気絶した状態であれば明の脳内に眠る水溜稲葉の意識が本人に干渉できるのではないか?ということを考えている。

恐らくメモリの中に格納されたシナプスのようなものは水溜稲葉の脳を転写したもので、明がこれを読めるのも、そういった部分が関係しているのではないかと思っている。

但しノベライズと映画には微妙に辻褄が合わない部分がある気がしているので、どこまで合っているのかはよくわからない。

スターシステム?

明が0号を追跡する過程で交通障害が起きるが、この時に二人のモブキャラが出てくる。「こっちだっけ?」という男性と「ええ、どうなってんの?」という女性だ。

シーンの割にはちゃんとしたセリフが設定しているのが気になっているのだが、もしかしてこれは次回作に出てくるキャラクターで、スターシステムなのかな?と思ったりした。