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なんか最近こんなことばかり書いている気がするが、周りを見ていると日本がなくなって欲しい人を無数に見るので、見るたびにモヤモヤして吐き出したくなってしまうので、つい書いてしまう。

今回はいくつかの観点から日本国の存在意義について疑問を投げかけていく。

日本らしさの喪失

日本の存在意義についてググると日本は安全だとか、先人を尊ぶ、相互扶助の精神など、おおよそ昭和の頃に語られていた日本の長所みたいなのが出てくるが、私は今日の日本においてそのような物は過去になりつつあると感じる。

欧米化が進み、保守的な日本は悪であるとか、欧米ではこれが普通、日本はおかしいみたいな論調が続いた結果、だいたい破壊されたと思う。

先日「日本は相互信頼の度合いが高い社会で、その結果として食や安全が低コスト高品質に保たれている」という意見を見たが、それはまだ地方分散があった頃にあった村社会的な話であり、今どき近所で相互監視社会なんてない。何なら家庭内ですらない。これは人権を重んじた結果、お互いに干渉することが悪となったためだ。

常識とか社会通念みたいなのも今は古の概念で、多様性と言うのはこれまでの平和をすべからく破壊し、新しい時代を生み出す行為なのだから当然だ。個人的には江戸時代の方が余程多様性あった気がするが。

そして今後も日本らしさというのはどんどん失われていくと思う。

地方の存在価値の低下

他の記事でも再三書いたことだと思うが、今の日本は東京を拠点とする企業によって支配されている。

地場企業の多くは買収や合併、或いは競争力を失ったことによる廃業で数を減らし、その代わりに東京の企業が台頭してきている。例えば今や大抵の地域で吉野家やイオングループ、ローソンと言った全国チェーンを見ることができる。

逆に昔存在した商店街はシャッター街になっていたり、最悪更地になって消滅している。

勿論地方に残っている企業も一定数あるが、その数は知れている。また、登記上の本社は地方だが、本社機能は東京にあるみたいな企業も少なくないだろう。

地方産業としてよく名の上がる第一次産業も衰退が著しく、国産か外国産かというのは今日では最早ブランド以上の意味を持たない。第一次産業への補助金もあるため、どちらかと言えば負債である。

機械化して国産の食べ物を残すという話も聞くが、恐らくこれが始まると国産作物の価値は下がると思う。これは標準化された手法で機械的に生産されるのであれば別にどこで作ろうと大差ないからだ。

何が言いたいかというと東京によって均一化された今、最早地方の存在価値はほぼないということだ。

インフラ維持費の増大

インフラは年々高度化しており、その建設費や維持費は膨大なものになっている。これを日本全国津々浦々に張り巡らせるというのは非常に非現実的なことだ。

現在、NTTがフレッツ光クロスとして一般向け10GbE回線の普及を頑張っているが、今は大都市部に限られているこの施策を地方部にまで行き渡らせようとすると、相当コスト的な無理があるだろう。

まぁこれは民間企業の話なのでまだいいが、地方自治体や国が似たような事を始めれば到底体力が持たないだろう。

もし人口を関東圏に集中させ、それ以外の地方は切り捨てると言うことができれば、この問題は解決することができる。幸い関東平野は広く、土地がふんだんにある為、全員を住まわせるだけの余裕はある。

集中させることで輸送費や人員の問題が解決するほか、雪国や島国と言った、特殊な地理を持つ地域固有のインフラ事情から解放され、そういった物を維持管理したり、作ることをしなくて良くなるため、無駄の削減にもなるのは利点だ。

他にも多くの地方自治体で同じことをしていることの無駄からも解放される。今流行りのDX的な話で言えばスコープアウトや効率化といった話になり、とても良い方向に進むだろう。

国際企業による支配とグローバリズム

今の日本はAWSやGoogle、Appleと言ったアメリカの大企業にITインフラの大半を握られている。またSDGsや普遍的価値観とやらを達成する必要性に迫られている。

こういった巨大組織は一々数多ある国ごとの個別事情には対応できず、硬直的な運営をせざるを得ない。SDGsや普遍的価値観とやらもそうで、個別に例外を作っていると収拾が付かないので決めの問題として世界的な方針を決める必要がある。

そうしていった先に日本固有の法律はなくなる筈で、固有の法を失った国家に存在意義が残るのかというのは疑問だ。

そうでなくともデジタル赤字と言う名の貿易赤字があるため、真綿で首を絞められるように長期的に日本は国力を失い無力化していくだろう。

世界から隔絶されていた昔と、世界が繋がってしまった今

昔、まだ日本が一つの国ではなくバラバラの国だった頃、高度なインフラもなく、それぞれの国が固有の価値観や言葉を持っていた頃は、お互いの国同士は基本的に干渉し合うことがなく、その土地の人はその土地に生きていたので成り立っていたと思う。

しかし現代は違う。今の日本は、過去の国々が全て繋がり、更に居住移転の自由があり、不毛な土地に住むくらいであれば、豊かな土地に住んだほうが良い暮らしができるため、地方を衰退させるモチベーションが生まれている。

更にインターネットや交通手段の進歩により、全世界がリアルタイムに繋がるようになり、例えばある国家から、別の国家を見た場合に「私達の国ではありえないことが起きている!」という状況が見えるようになり、これが問題として捉えられるようになった。

これによってナントカ国人ではなく、地球人類という概念が発達したと私は考えている。

日本語の存在価値

日本は英語が苦手な人が多く損をしているとも言われている。今は社内公用語を英語に定める企業も増え、採用で国籍を重視しない考えも一般的になってきた。

そうなってきた時に日本語の存在は一つの障壁となるだろう。別に英語を公用語にしても問題はないわけである。

そもそもなんのために日本語が今必要なのかについては考え直すときに来ている可能性がある。

日本国の存在価値

ここまで来ると日本が日本として存在している価値はあるのかどうかというところが気になってくる。

コンビニなどでも外国人を見かえることが増え、これまで通り日本文化を堅持する事は彼らに対しての差別や人権侵害になりかねない。しかし文化を捨てたとき、一体国家として何が残るだろうか?

地震や災害の多い国で、そんな土地に人を住まわせていること時代が差別的で人権侵害であるという考えも取れると思う。つまり土地を捨てるべきかもしれない。

巷では「日本は遅れている」とか欧米の施策を見て「全員これを無条件で採用すべき」みたいな声は飽きるほど聞く。

ならばもう日本国に存在意義はないのではないだろうか?あるとしたら何があるというのだろうか?

もし、日本が国家を廃止し、アメリカを始めとした欧米諸国に集団移住すれば日本国に現在存在するありとあらゆる問題は全てきれいさっぱりなくなる。なぜなら日本国が消滅しているからだ。消滅したものは残らない。宛先の国に同じ問題があるみたいな話があるなら、最終的に全ての国を廃止し、国家をなくせばいい。

AIが全てを判断する世界統一政府が全てを取り決め、人はそこが決めた通りに生きるというのであれば以後の問題は起きないだろう。何故なら世界統一政府は絶対的に正しいからだ。

最後に

この記事は単なる思考実験であり、本当に日本がなくなって欲しいという思いで書いているわけではない。むしろ私は日本という国が悪い面も含めて好きなので残っててほしいとは思っている。

とはいえ現実問題どうなるかわからないので、客観的な目線で考えてみている感じだ。

このまま欧米主導の全体主義が進み、世界のコモディティ化が進めば世界各国が、日本の地方にある自治体と東京みたいな関係性になるのは目に見えているので、そこから考えれば日本という国もまた存在意義を失い、消滅しても不思議はないなと思う。

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最初に書いておくと私は分かれている意味があると考えている。しかし客観的に見た場合、国が分かれている意味はないのではないかという話だ。

現金決済の比率を上げている話でも書いたとおり、昨今表現規制に由来すると思われるクレジットカード規制が話題になっているほか、AWSの上にオタクコンテンツをまともに置くとBANされかねないという話もまことしやかにあり、昨今世間を賑わせているニコニコや角川へのサイバー攻撃も、その一つといえるだろう(AWSではなく、プライベートクラウドで運営しているというのはそういうことも理由の一つだと認識している)

そう考えた場合、国際社会に反しているのは日本の法体制であるといえる。ならば、日本の法を欧米に寄せればいい。どうせシステムは将来的にクラウドに配置されるし、そうでなくともデジタル機器は欧米で生産され、欧米に反抗しようものなら輸出停止などの制裁を受けてしまうことになる。つまるところ欧米と同じ法体制にしたほうが世界的な都合がいいのだ。

すると、法が同じなら国を分けている必要性もないのではないか?という疑問が生まれる。もし同一国家であれば戦争も発生しない。戦争がなければ安全保障費を削れるだろうから経済的だ。

日本や中国はかつて複数の国から構成されていたが、今は一つの国になっていることからして、国というものは統合可能といえる。国が統合されると、徐々にもともとの国にあった風俗は失われる。例えば今現代の日本で方言や地方の風習というのは最早空気レベルにしか残っていないどころか、今や大抵の地方に東京資本のチェーン店があることからしても、日本にあった国々は今、東京によってコモディティ化されているといえよう。

そして今、グローバル化によってSDGsや普遍的人権価値観、ポリティカルコレクトネス、欧米由来のデジタル企業、いわゆるGAFAによる支配によって、日本文化は欧米文化に合わせざるを得ない状況になってきている。これは欧米によって日本がコモディティ化されていると言えるだろう。この影響は日本だけではない、例えばイスラム系の国家ですらその影響には抗えず、人権活動の結果、女性が車を運転し始めたり、学校に入れるようになったりしているし、出生率も落ちてきている。

私はこの結果を見て、欧米によるコモディティ化が世界レベルで起きていると考えている。つまり国家による差が段々なくなってきているということだ。日本でも「欧米はこうなのに、日本はこれだから遅れている」みたいな声をよく聞くが、これはその影響もあるだろう。

他にも理由がある。いま日本はデジタル赤字と呼ばれる状況で、日本のIT企業はデジタル小作人と言われているらしい。AWSに台頭されるアメリカの大手IT企業は今や世界中を支配しており、日本は何をどう頑張ったところで抗うことはできないし、そもそもインターネットで全世界が繋がっているということは、どこか特定の国や企業が独り勝ちする状況を生み出してしまうので、正直どうしようもない。何故ならビジネスは最適化が進むと特定の場所に集中するという構造になっているからだ。これは日本国内が東京によって支配されている構図の世界版といえよう。

という点を鑑みていくと、客観的に見た場合、国家の垣根をなくし、世界を統合したほうがいいと思える。合理的で効率的だ。この時に今の為替はどうなるのかという話だが、恐らく国家統一により通貨は統一されるものの、地域による貧富の差として残ると思う。例えば日本では東京の所得が最も高く、沖縄が最も低いと言われているように、日本地域に住む人は貧しく、アメリカ地域に住む人は富がある、といった具合になるのだと思う。BTCの価値はどの国でも変わらないが、どれだけのBTCを持っているかは国によって変わるような話だと思う。

ただ正直なことを言うと、私は国家というものは分かれていたほうがいいと思う。いかに日本がITで遅れていると言われていても、人権問題があり差別的と言われていても、それでもだからこそ日本には日本のいいところがあると思う。年々それもなくなってきているし、そこに執着するのは老害的なことかもしれないが、それでも私は日本らしさというのはあっていていいと思う。それがどれほど愚かでつまらないことだとしてもだ。

勿論日本だけではない、イスラム系の国々も今まであった通りの姿でよいと思う。それぞれの国の文化、風俗というものは内容がどうあれ誇っていいものだと思うからだ。それを人権やら国際的な考えという名のもと単一の法体制や、文化へコモディティ化するのは、それはDXだとか改善と呼べるかもしれないが、個人的には間違っていると思う。

何故なら、そういった致命的なまでのバックグラウンドの差があったからこそ、その地で生まれた技術や企業、文化があり、それが今のイノベーションの元になっていると考えているからだ。全てが均一化されてしまえば、そういった余地は減ると考えている。

何より内容がどうあれ、その国や地域の文化や風習は尊いもので、なくなってほしくはないと思うのだ。

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昨今、少子化による配達労力の削減などで置き配が注目されているが、個人的に最近置き配でできないことに気が付いたのでここに記す。

それは配達拒否ができないことである。一般的に配達拒否となるケースは着払い代引きで対面となることが多く、置き配で発生することはなさそうだが、ないわけでもない。それは誤配送だ。

私は先日フレッツ光クロスの申し込みをして、三日後くらいに申し込みを取り消したのだが、既に機器の発送手配が進んでいて、NTTの社内手続き上取り消せない状態らしかったので私のほうで受け取り拒否をする必要があった。勿論受け取って返送するというのもなくはないのだが手間である。返送手続きをする私も手間だし、受け付ける配送業者も手間だし、新規配送手続きに応じるNTTも手間だろう。受け取り拒否であれば手続きはシンプルだ。

今回のケースではヤマト運輸が配送担当だったので、Webから対面受け取りを指定し、きちんと対面して受け取り拒否をすることで成立させた(デフォルトで起き配かもしれないため、念のために明示的に指定した)。なお、公式のFAQによるとお問い合わせフォームまたは電話から受け取り拒否が可能とのこと。Webやアプリからはおそらくできない。何故できないのかは不明だが、エッジケースなので実装してないとかなのかもしれない。

因みに受け取り拒否時の配送料は一般的には荷主が負うらしい。

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昨今キャッシュレスや電子決済という言葉が流行っており、政府レベルで推進が続いている状況だ。しかし、そこで気になるのは現金の扱いがどうなるのかということだ。

さてこの度、新紙幣発行が近づいてきて、対応問題が以下のようにニュースになっている。

キャッシュレス対応をすれば確かに新紙幣に対応するコストは減らせるだろう。しかし、もしすべてをキャッシュレスにした場合、通貨の信用がどのように担保されるのかというのは一つ問題になると思う。決済系の事業者は民間企業であるから、基本的に通貨の信頼性を担保する役目はない。勿論、担保してもいいのだが、事業者が複数ある以上どのようにして担保されるのかや、事業者間での通貨交換をどのように実現するのかという課題は出てくるだろう。

そしてまた、問題はそれだけではないと個人的には考えている。それは決済事業者による取り扱いの取りやめである。

例えばpixiv, DLsite, Fantiaの各社がクレジットカードの取り扱い停止に対する声明を発している。最近気になっていることでも触れているが、この流れが加速するとアダルトコンテンツを取り扱っている事業者はクレジットカード決済が利用できなくなる可能性がある。またクラウドプラットフォームに拡大した場合にAWSなどがアダルトコンテンツ事業者へのホスティング停止や、アダルトコンテンツ事業者で利用できる決済システムの廃止をしてくるかもしれない。例えばPayPayはAWSで動いているとされるが、PayPayを利用してアダルトコンテンツを購入することは可能だろう。その観点で考えた場合、PayPayもプラットフォームから追放される可能性がある。

個人的にその動きが拡大した場合に憂慮しているのが、VISA, Master, AMEX, Dinersなどが日本から撤退し、JCBは人権侵害国家のシステムとして国際的に排除される可能性だ。そうなってくると究極的には日本国そのものが経済制裁の対象になる可能性もあるだろう。アダルトコンテンツの取り扱い事業者が多く、それを政府が容認しているし、何なら非欧米的なシステムや人権の取り扱いが多いということで、中露同様に非国際的な国家として弾圧を受け、経済制裁などの対象になる可能性もあるだろう。

ただしこれを回避する手段もある。日本が欧米同様の法システムと人権システムを導入することだ。日本外務省は人権問題に関する指摘は内政干渉にならないと発表しているため、要するにこれは可能である可能性が高い。しかしその場合、日本の主権というものはどうなるのかという部分が気になる。人権問題というのはどうにでもこじつけることができるし、アダルトコンテンツを扱っているというのは昨今の国際情勢からみると非常に危うい。ただ、世界中の国家を均一的な法体制にするということは国家の多様性を失わないか?最終的にローマ帝国の再来ではないかと考えたりもする。

果たしてそれでいいのだろうか?私は日本には諸外国にはない高い表現の自由や、文字通り様々な自由があると信じているが、昨今の圧力や、欧米文化の流入により、徐々に失われていくような感じを受けている。

本来通貨というのはアダルトコンテンツだろうが何だろうが使えていいものである。それが反社会勢力の締め付けなどで制限をかけるようになり、反社会的活動をしているとされるアダルトコンテンツ事業者にも波及するようになった。このままいくと日本国そのものが反国際社会的国家の烙印を受け、国際社会から追放されることがないのかというのが懸念である。

結論として言いたいことは、キャッシュレスを推進することによって日本の主権が諸外国から侵害されやすくならないかということと、日本国自体がアダルトコンテンツ規制方面に舵切りを行うようにならないかという懸念、そして日本という主権国家の個性が徐々に失われていき、最後には無にならないかということだ。

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紙の書籍の魅力といえばデバイスがいらないことや、パラパラ読めること、紙の質感があることなどがあると思う。しかしまだそれより先があるのではないかと思い、私はある一つの点を思いついた。現実世界の書店、とりわけオタク向け書店の存在だ。

とらのあな、メロンブックス、アニメイト、ゲーマーズをはじめとしていくつか存在するが、昨今では男性向けの書店が閉店する傾向がある。書籍は電子化により物理書店が減っているというのはオタク向けに限らず有名な話だが、実はオタク向けに限って言うと女性向けが比較的健在という話がある。例えば「とらのあな「ほぼ全店閉店」衝撃発表の理由とは? 店舗事業撤退の裏側を聞いてみた」という記事では、とらのあなが池袋の女性向け店舗だけ残したという話が出ている。

そこで私は一つの仮説を閃いた。男性向けと女性向けでは何か決定的な違いがあるのではないかということだ。女性は機械が苦手だから、みたいなのもゼロではないと思うが、どっちかといえば携帯小説など女性向けでも電子媒体は強い力を持つと思うし、創作分野においては女性のほうがデジタルに分を持つだろう。それでも紙媒体に何かがあるというのならそれは何だろうか?というのが気になったので私は早速スーパーに出向いた。

何故ならスーパーには女性向けの書籍が多いからだ。そもそも生鮮食品や生活雑貨が主たる商材であるスーパーに本がある。これは面白いことである。取り扱う必要性がないはずのものがあるということは売れているわけだ。

今回購入した「りぼん」

取り敢えず私は目を引いた雑誌を一冊手に取った。むしろこれだけアピールされていて買うなというほうがおかしい。今までは何となく気が引けて手に取ったことはなかったが、今回ついに手に取ってしまった。正直それが目的だったのでは?と言われたら、それも否定はできない。正直女性向け漫画にも興味自体はあった。というわけで集英社のりぼんを買った。恐らく小中学生向けの雑誌だと思う。男性向けでいえばコロコロコミックやコミックボンボン辺りが近い存在だろう。なおコミックボンボンはもうないらしい。通りで最近見ないわけだ。

さて早速だがまず表紙を見てみると付録がついていることが解る。推ししか勝たんうちわセットだ。電子書籍では物理的なおまけはつけようがなく、あっても精々期間限定アクセスのデジタルコンテンツ程度だろう。

付録の推ししか勝たんうちわセット

デジタルおまけはサービスの会員登録に誘導されて迷惑な販促メールがくる懸念があるうえ、内容も微妙なので魅力が低いと思っている。しかし物理は違う。開けてみるとかなり本格的なセットになっていることがうかがえた。普通に出来がいいし、ちゃんと使えそうなレベルだ。アニメイトに売ってそうだし、買うと地味に高そうなやつ。しかし付録なのでタダに等しい。

紙の下地がカラフルなことが解る断面
最後のページはカレンダーとして使えるようになっている

他にも折り込みページがあって見開けたり、作品ごとに紙の下地の色が違ったり、最後のページがイラストカレンダーになっていたり、クロスワードパズルのようなものがあり、懸賞応募ができるなど、何かと作りがよく、普通に尊い作りになっていて感動した。表紙だけでも十分に尊いのに一体どれほど尊さを追求してくれるのかという感じだ。尊み秀吉である。男性向けのこのクラスの雑誌がどうだったかが記憶にもうないので、今度そちらも見てみようとは思うが、ここまでではなかった気がする。

まぁここまで気分が高揚してしまっているのは、単に初めて見るものだからというのもあるとは思うし、付録も今回たまたまついていただけという可能性はあるし、そもそもこれは児童誌であって大人が読むものではないので、まともに扱うこと自体に無理があるが、紙本の魅力の一つとして数えること自体はできる気はする。特に前述したクロスワードパズルのようなものは紙に書いてこそだと思うので、これはいいものだろう。デジタルのマス目にキーボードで埋めるのは味わいがない。

しかしこの本を買って思ったのは表紙がパステル調で、ポップで非常にファンシーで、これはすごく心をくすぐられる要素が強いなというところだ。電子だとあんまこれは感動しないかもしれない。たぶん画面のフレームの一部であって、視界全体に移りこまないからかもしれない。

ちなみに単行本などは場所の都合で電子で買っているのだが、雑誌は紙で買うようにしている。紙のほうが読みやすいのと、部屋に転がしておくと目に留まって何度も読むからだ。電子はアプリを開かない限り見えないので文化から隔絶された感覚になる。PCだと寝転がって見れないし、スマホは小さい、タブレットは悪くないがそのために持ちたくないというのが正直なところだ。

りぼんの発行情報
モーニングの発行情報

また紙の本を見ていると発見があることもある。例えば今回気が付いたのは発行情報だ。りぼんには『(毎月3日発売)第70巻第6号』と書かれている。これはほかの雑誌ではどうだろう?と思い、モーニングを見てみたところ、『(毎週1回木曜日発行)(4月25日発売)第43巻第22号通巻2383号』と書かれていた。

恐らく巻数は発行年数で、号数は発行月数だと思うので、りぼんの場合は70年目の6月号であることが解る。モーニングは週刊誌なので22週目ということだろう。通号の有無に関してだが、これはモーニングがもともと第三種郵便物であった名残であると思われる。第三種郵便物には逐号番号の記載規定があるので、その名残。りぼんは第三種郵便物だった事がないか、名残がないかのどちらかだろう。

またモーニングにある「毎週1回木曜日発行」という、毎週一回と木曜日発行がダブっていて違和感を覚えるのも、これも第三種郵便物の書式規定によるものと思われる。恐らく週の発行回数を明示するために意図的に書くように定めたものなのだろう。

さてここまで内容について一切触れていないが、内容についても面白く、傾向としてはコミカルな表現が多く、恋愛ものが多い。ファンタジーやバトル、ギャグ物は少ない印象を受けた。

2002年のJMPA読者構成データ

読者層としては2002年のJMPA読者構成データを見る限り、13歳未満が64.6%で過半数を占め、次いで13~15歳が31.2%、16歳以上が4.2%、性別では女性が100%となっている。

対象年齢的には中学生以下が一般的で、中学生も多少読んでいる感じだろう。こういう場合、親が買い与えていると思われるので男性の読者比率が0%になっているのだと思う。とはいえ、内容的にはそこまで低年齢向けかというとそこまででもなく、振り仮名こそ振ってあるものの、その中身は意外と本格的だった。小学生がこの言葉やシチュエーションわかるんか?というのがそれなりに出てくる気がしたので、そこそこませている。登場人物は高校~社会人くらいなので、割と高めである。少年誌の登場人物が軒並み高校で時が止まっているのと比べると、これは対照的だ。男性向けだと、社会人が出てくるのは青年誌以降だろう。

絵柄は少女漫画的なのはそこまで多くなく、所謂萌え絵みたいなのが多めである。少女漫画チックなのはかなり少なく、どちらかというと萌え絵に寄ってきている。ディズニーとかも昔と比べるとそっちに寄ってきている気がする(アナ雪とか)ので、これは界隈の傾向なのかもしれない。基本的には男性でも普通に読める内容だが、女の子の夢みたいなのがふんだんに詰まり気味であるため、分別のつかない男児に読ませるのは妙な誤解を生んだりする可能性があり、微妙かもしれない。

作品的にはちびまる子ちゃんが連載されており、作者がすでにこの世を去った状態なのに連載が続いているのは凄いと思った。

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