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この時代に国家が分かれている必要性はあるのかという話

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ジャンル::思考

最初に書いておくと私は分かれている意味があると考えている。しかし客観的に見た場合、国が分かれている意味はないのではないかという話だ。

現金決済の比率を上げている話でも書いたとおり、昨今表現規制に由来すると思われるクレジットカード規制が話題になっているほか、AWSの上にオタクコンテンツをまともに置くとBANされかねないという話もまことしやかにあり、昨今世間を賑わせているニコニコや角川へのサイバー攻撃も、その一つといえるだろう(AWSではなく、プライベートクラウドで運営しているというのはそういうことも理由の一つだと認識している)

そう考えた場合、国際社会に反しているのは日本の法体制であるといえる。ならば、日本の法を欧米に寄せればいい。どうせシステムは将来的にクラウドに配置されるし、そうでなくともデジタル機器は欧米で生産され、欧米に反抗しようものなら輸出停止などの制裁を受けてしまうことになる。つまるところ欧米と同じ法体制にしたほうが世界的な都合がいいのだ。

すると、法が同じなら国を分けている必要性もないのではないか?という疑問が生まれる。もし同一国家であれば戦争も発生しない。戦争がなければ安全保障費を削れるだろうから経済的だ。

日本や中国はかつて複数の国から構成されていたが、今は一つの国になっていることからして、国というものは統合可能といえる。国が統合されると、徐々にもともとの国にあった風俗は失われる。例えば今現代の日本で方言や地方の風習というのは最早空気レベルにしか残っていないどころか、今や大抵の地方に東京資本のチェーン店があることからしても、日本にあった国々は今、東京によってコモディティ化されているといえよう。

そして今、グローバル化によってSDGsや普遍的人権価値観、ポリティカルコレクトネス、欧米由来のデジタル企業、いわゆるGAFAによる支配によって、日本文化は欧米文化に合わせざるを得ない状況になってきている。これは欧米によって日本がコモディティ化されていると言えるだろう。この影響は日本だけではない、例えばイスラム系の国家ですらその影響には抗えず、人権活動の結果、女性が車を運転し始めたり、学校に入れるようになったりしているし、出生率も落ちてきている。

私はこの結果を見て、欧米によるコモディティ化が世界レベルで起きていると考えている。つまり国家による差が段々なくなってきているということだ。日本でも「欧米はこうなのに、日本はこれだから遅れている」みたいな声をよく聞くが、これはその影響もあるだろう。

他にも理由がある。いま日本はデジタル赤字と呼ばれる状況で、日本のIT企業はデジタル小作人と言われているらしい。AWSに台頭されるアメリカの大手IT企業は今や世界中を支配しており、日本は何をどう頑張ったところで抗うことはできないし、そもそもインターネットで全世界が繋がっているということは、どこか特定の国や企業が独り勝ちする状況を生み出してしまうので、正直どうしようもない。何故ならビジネスは最適化が進むと特定の場所に集中するという構造になっているからだ。これは日本国内が東京によって支配されている構図の世界版といえよう。

という点を鑑みていくと、客観的に見た場合、国家の垣根をなくし、世界を統合したほうがいいと思える。合理的で効率的だ。この時に今の為替はどうなるのかという話だが、恐らく国家統一により通貨は統一されるものの、地域による貧富の差として残ると思う。例えば日本では東京の所得が最も高く、沖縄が最も低いと言われているように、日本地域に住む人は貧しく、アメリカ地域に住む人は富がある、といった具合になるのだと思う。BTCの価値はどの国でも変わらないが、どれだけのBTCを持っているかは国によって変わるような話だと思う。

ただ正直なことを言うと、私は国家というものは分かれていたほうがいいと思う。いかに日本がITで遅れていると言われていても、人権問題があり差別的と言われていても、それでもだからこそ日本には日本のいいところがあると思う。年々それもなくなってきているし、そこに執着するのは老害的なことかもしれないが、それでも私は日本らしさというのはあっていていいと思う。それがどれほど愚かでつまらないことだとしてもだ。

勿論日本だけではない、イスラム系の国々も今まであった通りの姿でよいと思う。それぞれの国の文化、風俗というものは内容がどうあれ誇っていいものだと思うからだ。それを人権やら国際的な考えという名のもと単一の法体制や、文化へコモディティ化するのは、それはDXだとか改善と呼べるかもしれないが、個人的には間違っていると思う。

何故なら、そういった致命的なまでのバックグラウンドの差があったからこそ、その地で生まれた技術や企業、文化があり、それが今のイノベーションの元になっていると考えているからだ。全てが均一化されてしまえば、そういった余地は減ると考えている。

何より内容がどうあれ、その国や地域の文化や風習は尊いもので、なくなってほしくはないと思うのだ。