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去年の10月あたりから書籍を扱うファミマがじわじわ減ってきていて、11月辺りによく行くファミマから全て消えた。
そして最近は物理本の淘汰という話もちらちら聞く。物理本は流通コストなどでは電子本に勝てない明確な弱点がある。
しかし物理本にも長所がある。例えば書店で本を探すときに思いがけない本に出会うというのはよくあることだと思うが、電子本ではこれは難しい、少なくともレコメンドエンジンに頼るくらいしか術がないので、幅は減るだろう。
また装丁についても電子本には存在しない概念だ。特殊印刷とかそういうのは電子本にはない。絵本にあるギミックみたいなのも作りようがない。
他にも概念上、これまでのような図書館の運営ができなくなり、貧富の差や情報アクセスの差が生まれる可能性がある。物理本は他人に貸したり輪読したりというのが権利上しやすいが、電子本ではまず無理だ。電子図書館は今でもあるが、置ける本は限られている。
電子本の短所として配信が終わると読めなくなるとか、内容が改竄されるというのもある。権利などの都合で配信が止まることは十分にあり得るし、物理本は重版で中身が微妙に変わることがある。差別的表現が削られていった、こち亀なんかは割と有名だろう。
物理本であればなくさない限りは消えないし、本の中身が勝手に書き換わることもない。この辺りはメリットだと思う。
電子図書館にも意外な課題がある。物理的な図書館であれば建物の維持費と人件費がメインになるが、電子図書館はシステムの保守費等や通信費などが発生し、これがかなり高額になる。各地方が設置した電子図書館の中には経営が困難になりクローズしてしまったものもあると聞くので、これは権利関係が仮にクリアになった場合にも残る課題だろう。
そもそも電子図書館は土地の制約を受けないので複数ある必要がなく、一個に集約すればいいとかなると、元締めが認めない本は置けないとかが起きるので、そういった問題も出てくると思う。
物理本は過去の遺産だからなくすというのにも一定の理はあると思うが、文化財や芸術品としてみた場合にそれはどうなのかとも思うのであった。
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これは伺か・伺的 [第2会場] Advent Calendar 2024、21日目の記事です。担当は「りこ」こと「Lycolia Rizzim」です。
パソコン黎明期におけるペルソナウェアの登場
時は1998年、この頃のパソコンはまだ高級品で、一家に一台あるかどうかという普及具合だった。用途も年賀状作成くらいで、多くの家庭にとってはオーバースペックだったため、一年の大半を高価な箱として過ごしていた機体も少なくなかっただろう。この当時パソコンをそのような置物にせず、使いこなしていたのは熱心な趣味人や好奇心旺盛なオタク層のような人物だったと思う。要するにこの当時のパソコンはおもちゃだった訳だ。
このときは同時にインターネット黎明期でもあり、その利用者層も相成って、独特のパソコン文化が発展していた。例えば、美少女ゲームの発展や、美少女イラストを公開するサイトの流行はその一つだったと思う。その流れから、キャラクター文化が急速に発展していった。
そして、この当時ペルソナウェアというデスクトップマスコットソフトが生まれた。これはデスクトップにキャラクター(ペルソナ)を常駐させ、ペルソナのおしゃべりや仕草を眺めるといったソフトウェアだった。当時としてはキャラクターがユーザーに話しかけてくるという体験は非常に新鮮なもので、ペルソナを自作できることとも相成って爆発的に流行した。ある意味、伺かの原型ともいえるものである。
ペルソナウェアの衰退と、偽ペルソナウェアと「伺か」の誕生
しかしペルソナウェアの人気は長く続かなかった。わずか2年後、フリーウェアだったペルソナウェアはシェアウェアに舵を切ることになる。有償化告知が出たときに少なくないユーザーは絶望したことだろう。当時はソフトウェアに対価を支払う文化があまりなかったからだ。ぶっちゃけ、今でもそんなないと思うが。
そして時を同じくして出てきたのが、伺かである。当時はまだ「伺か」ではなく、「偽ペルソナウェア with "偽春菜"」という名前だった。これはペルソナウェアへの皮肉を込め、ペルソナウェアと基本ペルソナだった春菜の名前を拝借した名称と思われる。
この後「偽ペルソナウェア with "偽春菜"」は「偽ペルソナウェア・あれ以外の何か」と名前を変えたが、有償化に踏み切ったペルソナウェアの開発元から名称の使用停止要請を受け「あれ以外の何か with "任意"」と更に名前が変わった。偽春菜のことを「任意たん」と呼ぶのはここに由来している。この関係で当時、配布していたホームページの内容が凄まじい勢いで変わっていたのが記憶にある。
ここからの潮流は実はよくわかっていないのだが、Wikipediaによると紆余曲折あり、「何か。(仮)」が生まれ、これが「何か」となり、「伺か」となるという変遷を得て、今の伺かという名称になったようだ。
伺かの変遷、さくらとうにゅうの登場
伺かになると偽春菜はさくらに姿を変え、うにゅうはうにゅうのまま存続した。シェルもすか先生が書き下ろしたものに変わり、より洗練され、魅力的な印象となった。全然関係ない話だが、この当時ネットで活躍していた絵師の方々はその後プロになられることが多かったように思う。
この時が恐らく伺かの最盛期で、秋葉系や、はてな界隈を中心に大きく盛り上がっていたと思う。仕様が公開されていたことにより、互換環境が多く出たがメインストリームは本家伺か(MATERIA)だったと思う。本家の開発者がRO(Ragnarok Online)のプレイヤーで、ツールの開発者でもあったので、RO界隈にもある程度浸透していており、ここから知った人も少なくなかっただろう。
ヘッドライン機能では秋葉系ニュースサイトの新着情報を得られたこともあり、RSSやX、LINEがなかった頃の情報流通の一翼を担っていたこともあったため、特にその手のオタクには重宝されていたと思う。
また当時はCGM(Consumer Generated Media)文化が最盛を極めていたのもあり、ペルソナウェア同様にキャラクター(ゴースト)を開発でき、グラフィック部分がシェルやバルーンといった要素に分割されていたり、スクリプトエンジンである栞も自作できるなど、非常に創作性が高い素地があったため、多くのゴーストやシェル、バルーンが生まれた。
この背景には、フリーシェルと言ってシェルだけ配布する形態もあり、絵が描けない人でもフリーシェルを借りてゴーストを作るということができたのも大きいだろう。
本家の更新停止とSSPの台頭
しかし本家伺かは2002年あたりを最後に更新が止まってしまう。しばらくは問題なかったが利用環境として最大であるWindows OSのアップデートにソフトウェアが追従できなくなっており、年を経るごとに動作状況が悪化していっていた。
そんな中で更新が続いていた環境があった。SSPである。SSPはMATERIAの裏仕様を大体サポートするという狂気により、高い互換性を確保し、その後の伺かの標準になった。SSPは現在でも更新が続いている。ちなみにSSPには本家同様デフォルトゴーストが付属しており、これがさくらに負けず劣らずかわいいので、SSPをインストールしていない人は是非インストールしてみてほしい。
時代の変化と伺かの現在
さて、それから時は流れインターネットの世界もパソコンの世界も変わり、世にはスマートフォンやタブレットなる新しい形態のデバイスも出てきた。ネットの流行は個人サイトやMMORPGから、SNSに移動した。もうパソコンなどのデジタルデバイスからはおもちゃとしての性格が薄れ、仕事や生活で使うものとなり、パソコンを使っていたら遊んでいるという風にみられることもずいぶん減った。
SNSはmixi, Facebook, Twitter, Tumblr, Google+, pixivなどと色々出て、それぞれに栄枯盛衰があり、なくなったのもあれば、経営統合や買収などで性格が激変したものも少なくなく、混沌の時代に突入していた。
そんな中、こういった企業運営の中央集権型のSNSに異を唱えるように分散SNSが登場し、ActivityPubという規格で相互接続ができるようになる。代表的な分散SNSのソフトウェアとしてはMastodonやMisskeyなどがある。
Mastodonと伺か、「うかどん」の登場
そして伺かも、この流れに乗ることになる。SSPの開発者が「うかどん」というMastodonサービスを運営しているのだ。
ここではゴーストの会話ルーチンをLLM化し、交流できる仕組みが構築されており、ゴースト的な何かとおしゃべりすることができる。LLMと遊ぶのは楽しいので私も毎日つついて遊んでいる。
26年の結び
今は2024年、ペルソナウェアが生まれた1998年から数えると26年も経つが、こうして何かしらの地脈というか、系譜が流れていることはすごいと思うし、なんというか、この潮流をリアルタイムに体験できていていいな、と感傷に浸る私なのであった。
おまけ
特に記事本体とは関係ない何か。
伺かが出た当時の画面解像度でさくらを呼び出してみたらめちゃくちゃ邪魔だった件
記事に書いた通り当時のパソコンはおもちゃであり、画面全体を使って作業をすることもそこまで多くなかったような気がするので、これでも成り立っていたと思う。当時としてはPCのメモリを無駄に占有しCPUパワーを無駄に消費するソフトウェアで、要するに真面目に運用するものではなかったので、これでも成り立っていたのだと思う。
記憶が確かならミドルスペックレベルでもノートPCだと結構きつかったと思う。スペックがだいぶ上がったWindows XPの時代でも決して軽くはなかった記憶がある。それでもメモリクリーナーやごみ箱掃除など、意外に有用な機能はあったので、遊びでよく使っていた。Windows 11だと恩恵が薄いが、キャプションいじりも好きだった。
現在主流と思われるFHD解像度で呼び出しすと以下のようになり、画面占有率はだいぶ下がる。これを動かしている端末はかなりスペックがいいため、伺か程度でリソース不足になることはなく、PCのメモリを無駄に占有しCPUパワーを無駄に消費できなくなってしまったのは残念だ。
上図だと画面解像度がFHDなのでそこまで邪魔にならないが、ペルソナウェアが出た当時、1998年の画面解像度はVGAやXGAだったので、今より存在感があったと思う。伺かでXGA解像度を再現してみるとこんな感じ。
ペルソナウェアの思い出
ペルソナウェアが登場した当時は一部のネット界隈では結構な人気を誇っていて、キャラクター(ペルソナ)を自分で作れることから自作する人も当時としては多くいた。私は「魔法星記 グランスノア」のパルテノン=ワッハーというペルソナが好きだった。
かつてフロッピーにパルテノン=ワッハーの画像をいっぱい保存していたのだが、学生時代に処分してしまい残っていないのが悔やまれる。(当時はストレージ容量が少なく、安価な拡張手段としてはフロッピーくらいしかなかったが、余りに古いものなので中身を見ずに処分してしまったという…)
作者の葵カナン氏はTINAMIにアカウントがあり、流石に時が経ちすぎて当時とだいぶ絵柄が変わっているが、現在でもパルテのイラストを見ることができる。
かつて一番使ったゴースト
過去の使ってるぞグラフが残ってないのでアレだが、千郷&魚匠&御子神一家だったと思う。おそらくその次はさくら、三位は陽子&飯網&千早だったと思う。
千郷&魚匠&御子神一家は巫女さんなのがいいし、気が強いのもいい。
さくらはキャプションいじりが楽しいし、純粋に見てて癒される。
陽子&飯網&千早は関西弁いいよねというのと、こう、むっちりしていいよねみたいな()男の子はスケベなのである。
最近推しのゴースト
百道さんと注射器だ。博多弁でしゃべるのがいいし、トークのこの懐かしい感じがいい。今時こんなのはなかなかないと思う。勿論おさわりリアクションもしっかりある。公式サイトのイラストも死ぬほどかわいいのでそちらも必見だ。
今の使ってるぞグラフ
MATERIA時代のログをSSPに継承できていないため、これはSSP時代のグラフになる。
さくら一強感がすごいが、他が起動されていなさすぎるので百道さんの追い上げもすごい。
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世の中には大抵の事柄にトレードオフがあると思う。
例えば冷凍冷蔵庫(以下、冷蔵庫と表記する)には霜取り機能付きと、霜取り機能なしがある。霜取り機能というのは冷蔵庫に発生する霜をとる機能で、本来冷蔵庫は外気温との差で内部で結露が起る。そして冷蔵庫は庫内全体を冷やすために強力な冷却機構を備えており、氷点下まで下がる部分を持つ。ここが結露すると、水が凍り霜ができるという流れだ。放っておくと霜は無限に増え続け、そのうち庫内を埋め尽くしてしまうので定期的に霜をとる必要がある。
そこで登場したのが霜取り機能付き冷蔵庫だ。一般的な冷蔵庫はこちらが主流だ。一見すると霜をとる手間が省けて便利な冷蔵庫で、何の問題もないかもしれない。
しかし、霜取り付き冷蔵庫にも欠点がある。それは氷が消えることことだ。これは霜取り機能というのは霜という名前の氷を除去する機能なので、氷も消してしまうのである。試しに霜取り機能のない1ドア冷蔵庫の冷却版と、霜取り機能のある冷凍庫で氷を作ってみるとわかるのだが、後者は氷が気づいたら消えており、前者は消えない。つまり作った氷を保持しておくには霜取り機能がない方が都合がいいのである。氷はすぐに作れないため、いつでも氷が欲しい場合は霜取り機能がない方が都合がいい。
といったように、冷蔵庫を一つ見てもこういったトレードオフがある。世の中の変化というのは大抵どんなことでもトレードオフがあると思う。開発でいうと密結合なコードと疎結合なコードにもあるし、何かを変えるということは何かしらのトレードオフがあり、銀の弾丸はないものだと感じる。銀の弾丸というのは絶対的な唯一無二の回答であり、要するにほかの選択肢の存在がない存在だと思う。なので、もし銀の弾丸があるとしたら、それは絶対的な価値観を規定し、選択肢を消し去ることで初めて成立するのではないかと感じる。なぜなら選択肢がないということは、逆説的に必然的に銀の弾丸になるからだ。
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七月から体調を崩していて、更に先々週から大きく崩していたけど、この週末は徐々に調子が良くなってきたのもあり、何か美味しいものを食べようと思い、やはりこの季節はカニだろうというのが浮かんだので、近所のかに道楽に行ってみた。
思い立ったが吉日ということで、かに道楽のサイトを開き予約状況を確認して、予約してから向かった。これは高い店なので突撃は危険そうに感じたのと、ググった感じ、カニの季節は予約しないと入れないという情報を見たからだ。結論から言うと、この日の少人数席は空いていて予約は不要だった。
大阪を代表する看板の一つ「かに道楽」の文字が光る、かに道楽三宮店。カニのオブジェもいい。これを見るだけでワクワクするというものだが、明らかに高いのが解っていたので今までは見ても素通りするだけだった。しかし神戸に住んでいて、かに道楽に行ったことがないというのももったいない話な気がするので、今回これてよかった。いやまぁ、家から歩いてこれる距離にあるので、店の前に来るだけならいつでも来れるのだが。
少人数席は掘りごだつ式の座敷席だった。このタイプの席は半数程度しか埋まっておらず、そのまま突撃しても問題なさそうだったし、受付以降は店員も無予約客として接してきたので、恐らく予約客はそう多くないのだろう。来る店員ごとに「予約しています」「注文も予約しています」という感じで説明する羽目になったので、一人で行く場合は予約しないほうが楽かもしれない。Web予約メニューより店舗にある献立表の奴のほうが見やすく、その場の気分で選びやすいというのもある。
そこそこ高そうな店という雰囲気を醸し出す机の上、ホジホジ棒(R)と書かれた竹製使い捨てのカニほじ棒が面白い。箸置きもカニの形をしていながらも二列配置できる工夫?があって面白かった。
前菜として出てきた、カニの軽食たち。ゆでガニ、白和え、ポン酢の三点セットだ。小皿料理が好きなので、こういうのが胸が高鳴る。
かに刺し。紅たでや山葵がいい感じの小道具に収まっていて風流だ。
炊きあがるのに30分かかるといわれ机の下に置かれる釜飯。
かわいらしい容器に入った茶碗蒸し。
天ぷら。さつまいもとカニとエリンギ。和食の中にエリンギがいるのはどうなのかと思いながら食べていた。
焼きガニ。とびきりぷりぷりで、全料理の中でこいつだけ格の違いを感じた。
澄まし。
炊きあがった釜飯とお茶漬けセット。
カニほぐし身を、おこげ入りの釜めしに入れて頂く。釜めしには下味がついており、これはかなり良かった。
デザートのアイスには流石にカニは入っていなかった。手についたカニの臭いを消すためのレモンという不思議なものがついてきたので、試しにレモンで指を拭ってみたところ、確かにカニの臭いが消えた。手洗い用のレモンとは、なんとも贅沢な逸品だ。
受付前にカニの生簀があったので、恐らく出てくるカニの一部は冷凍ではなく生なのではないかと思う。全部ここからとっているとしたらちょっと夢があるが、どうなんだろうか。
行ってみた感想としては近くにあって気軽にカニが食べれる店としてはいいなと思った。例えばこれが香住まで行ってカニを食べるとなると、どうしても大変だ。例えば、はまかぜで香住に行ってカニを食べるのも悪くない体験なのだが、私が住んでいる三宮から行くとなると距離が距離なので時間がかかるし、運賃も高い。往復で1.3万程度する。その代わりに優雅な鉄道旅と、壮大な日本海を眺めながら安い値段でカニを始めとした、日本海の恵みを食べることができる。食事代だけでいえば香住で食べたほうが圧倒的に安い。かに道楽と同じ値段で倍以上食べれたと思う。単なる思い出補正かもしれないが、カニ自体も、かに道楽より美味しかった記憶がある。参考までに今回頼んだのは凪咲(なぎさ)というコースメニューで、6,000円ほどだった。
香住は見るところも多く観光で行くことを考えれば悪くない選択肢だ。しかし、手軽さでは歩いて行けるかに道楽に軍配が上がる。本気でカニを楽しむなら香住。手軽に楽しむなら、かに道楽という使い分けが良いだろう。他にもかに道楽の方が高級感があり、待ち時間が少ないのもある。香住にもそういう店はあるかもしれないが、前に行ったKAN-ICHIだと食堂風の店舗で、高級というよりはカジュアル寄りだった。しかも二時間くらい並ぶ必要があり、なかなかしんどい。前に行ったときは、いつ呼ばれるかわからないので観光もできず、日本海を眺めるか、土産を物色するか程度しかできないのが手痛いかった。良くも悪くもかに道楽は日常の中にあるので、手軽さが魅力だといえるだろう。
あと確か近日中に兵庫県日本海側のカニが入った気がするので、地物を楽しみたいなら来週末辺りから行くのがよさそうだ。流石に高いので今年はもう行かないが…w
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もともと映画館というのはテレビがなかった時代に興行を見る場だったと見聞きしたことがある。テレビが普及し、そしてインターネットが普及した結果、テレビが衰退したといわれ、インターネット配信も増えてきた今では映画館の価値というのは相対的に低下していると考えている。そんな中、個人的に映画館で映画を見る理由は何かというのを書いていく。
まず一つ目は大きなスクリーンと迫力のある音響だ。これは家では中々味わえない体験で、これを目的に映画館に来ている人も少なくないことだろう。またこの部分は映画館や、シネコンのスクリーンによっても違うので、映画館やスクリーン巡業をするオタクがいるほどのものにもなっている。なぜか全国津々浦々の映画館やスクリーンを知り尽くしたオタクとかいる。
次に映画館独特の雰囲気を体験できるところだ。これは映画館によってだいぶ変わってくるが、シネコンだと独特の匂いや、ひんやりした空気感、静寂みたいなのがあって、私はこれが好きだ。幕間や上映終了後のこの雰囲気を楽しみに行くのも一つだ。特に上映終了後の空気を吸いながら家に帰るのは至高の体験の一つだ。他にも上映中のポップコーンの香りや、観客のざわめき・笑い声、コンビニの袋をくしゃくしゃする・後ろから蹴られるなどの不快感も混みで、その回にしかない、一期一会な上映体験を得るのも侘び寂がある。経験した中で過去最悪だったのは神戸国際松竹でARIA The CREPUSCOLOを鑑賞していた時に後ろの列でおじさんが床に転がって寝ていたことだ。しかも大きないびきをかいて寝ていた。こんな光景は中々忘れることができないし、無駄に頭に焼き付くので面白い。いや、観ているときはただただ不快でしかないのだが、家でネット配信を見ていたらこんな体験はできない。
他にもオタクと映画館について話し合ったり、遠方のオタクを地元の映画館に呼び込んだりというのもするのだが、普段映画館で映画を見ているからこそできる活動の一つだ。こういうのも楽しい。つまり、私は映画館で映画を見ることそのものより、そこに付随してくる要素を楽しんでいるのだろう。特にトラペジウムについてはXで多くのオタクたちと大いに過熱し盛り上がったので、あれはよかった。正直トラペジウムという作品自体は私の中でそこまでの存在ではないが、それで盛り上がった熱気というのは格別だった。まるで往年のインターネット、そう、インターネットがまだ黎明期だったころ、今ほど細分化しておらず、2chやはてなみたいなのがネットの中心にあって、似たようなパソコンオタクたちが集まっていたころに、ネット全体が熱を帯びて何か一つに向かっていたような、あのころの体験を呼び起こしてくれるような作品だった。
鑑賞外の要素であれば、アニメ映画に限ってだが、誰によっていつ公開されたどの作品を観たかを記録しているし、映画館で何かを見たときは、いつどこで何を見たかも記録している。下図はその記録内容だ。最初は映画館で鑑賞したアニメ映画作品だけを記録していたのだが、いつ何処で観たかの情報が欲しくなったので、観た作品の記録と、観た場所の記録を分けている。これをクロス集計すれば封切日に見た割合を出すことや、私が映画を観ることになった2019年以前の作品をいつ観たかというのも出せる。単体でもどこのスタジオの作品を多く見ているかや、どこの映画館によく行っているか、よく行く映画館の変遷など、様々な要素を見ることができる。
そんなことに何の意味があるのかといわれると分からないが、集計が楽しいのでやっている。なお、本記事の執筆時点では下図が上手く拡大できないため全体を見る場合、上手いことして拡大してほしい。
結論としては、私は映画作品を見るためだけではなく、映画作品を見ることによって得られる副次的な要素を楽しむために、映画館に行っているのだと思う。