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ノートPCは夏場にパフォーマンスが落ちるが、冷やす方法は何かないかと試行錯誤したログ。

ちゃんと計測したわけではないので効果は雰囲気。雑な観測では100度付近に張り付いていたCPU温度が60度くらいに落ち着き、大分マシになった。

CPUクーラーのグリスを塗りなおす

試したら10度くらい下がった気がする。グリスはNoctuaのやつを使った。

ノートPCを開いた状態でひっくり返す

熱は上に移動するが、普通に置いているとキーボードに熱がこもるため、ひっくり返すことで熱がたまるのを抑える。

開いた状態でひっくり返すのは少なからずキーボード面に移動する熱を発散させるため。

ノートPCの裏ブタを外す

裏ブタに熱がこもるので外すことで放熱できるようにする。

ノートPCを開いた状態でひっくり返して、裏ブタを外し、本来の表面に風を当ててみたら10度くらい下がった気がする。

ラズパイのクーラーを乗せる

こういったラズパイ用の小型タワークーラーをヒートパイプの上に乗せる方法。

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デスクトップ用のCPUクーラーは大きすぎて安定せず、ヒートパイプに対して上手く接地しないため効果がなかったが、ラズパイ用のクーラーであればヒートパイプに丁度乗り、安定して接地してくれるので、それなりに熱を吸い上げてくれる。

試しに負荷をかけて100度になるところで、ラズパイ用のクーラーを一基ヒートパイプ上に置いてみたところ、97度までしか上がらなかったため、効果はあるものと思われる。

クーラーを回すにはAINEXのUSB ケースファン変換ケーブルがあるといい。これにラズパイ3用のクーラーのピンをつなぐとセットアップできる。

ラズパイ5向けのファンは専用の端子がついていて面倒なので、汎用的なコネクタがついているラズパイ3用のクーラーが便利だ。

エアコンをつける

これが一番効果があるのだが、エアコンの風が当たると寒い。しかし気温に対して指数関数的に温度が上がるように見えるので、室温が1度下がるだけでも結構効果がある気がする。

最終的に出来上がった環境

このようにノートPC冷却台の上にノートPCを逆さまにして乗せ、CPUのヒートパイプの上にラズパイクーラーを乗せている。しかし裏ブタを全開にするとLAN線が挿せなくなって困る。そこで裏蓋に穴をあけるため、アリエクで穴あけ用の裏ブタを購入し、放熱したい場所だけプラスチックカッターで切断して穴をあけている。これであれば元の裏ブタは無傷で温存でき、裏ブタと一体化したLANジャックを生かしたまま、放熱口を作れるという寸法だ。

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結果的に室温27度下で、アイドル時であれば35~40度、通常時で60~70度、負荷がかかっていても100度に張り付くことは減ったように思うし、パフォーマンスは目に見えてよくなった。

ただちょっと大きな穴をあけすぎたので、裏ブタを買いなおして穴は小さく作り直そうと思う。

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ここ最近ホッテントリなどで文化とは何かみたいな話を見る機会が増えたので、個人的な文化論みたいなのを書いてみる。

文化としてよく言われるのはポップカルチャーや芸術だろう。例えば東京が文化的な都市と言われるのはライブやフェスなどのイベントが多かったり、写真展や芸術展みたいなのが多く開かられるからだと私は認識している。

勿論それも文化の一つだと思う。しかし、それだけが文化だとも思わない。

個人的には人々の立ち振る舞いや、そこにある物の様式も一つの文化だと思う。つまり地域や個人の慣習みたいなものも文化だと考えている。

以前、塚口サンサン劇場というミニシアターで、来客のオバちゃんがトイレに行く際、こともあろうことか、ハンドバッグをグッズ売り場のショーケースの上に乗せて行くのを見たことがある。

普通に考えればトイレに持っていくべきだし、そんなところに置いて盗まれたらどうするのかとか、ショーケースの上に置かれたら他の人の邪魔になるだろうとか、色々浮かぶとは思うが、私はこれは一つの文化だと思う。

何故ならオバちゃんにとってはそれが当たり前で日常なのだ、つまりそれはもう文化と言える。そんなところに置いても盗まれないし、文句を言われることもまずないし、言われたところで気にしないのかもしれない。盗まれても「仕方ないわねぇ」とか、あっけらかんとして済ませるのかも知れない。

このような景色は東京の都心部みたいなところでは見かけることが余りないだろう、実に放牧的で平和な光景だ。映画のワンシーンにできるかもしれない。

そういった地方のミニシアターならではの光景も文化だと思う。同様に田舎で行われているお祭りや、今となっては人権侵害行為だったり、暴力的な事柄も、それもそこにある一つの文化だと思う。

個人的に文化を受容する上で思うのは東京だけが文化の発信地で、地方に文化はないみたいな考えより、地方には東京にない文化があり、それは東京のポップカルチャーなどと同じように尊く、愛すべきもので、また推せると言う考えをしている。

だからこそ私は神戸や兵庫、関西、そして日本を愛し、推している。だからこそ地産地消をしたり、できる限り地域のものを大切にするようにしている。私がふるさと納税をしない理由の一つも神戸市に税金を落とすためだ。

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普段書籍はKindleで読んでいるのだが、今回本棚を買った。

実は以前は本棚を持っており、100冊程度を蔵書していた。中学生のころから買ったコミックや文庫、CD、同人誌やグッズなどを収めていた。しかし、その当時は部屋の収納容量が限界に達していた。衣類を置く場所がほとんどなかったのだ。

正直今でも私は服を持っていないほうで、衣装ケースも多くはもっていないが、当時は一個しかもっていなかった。それでも何とかなっていたのだが、もう少し環境を良くしたいと思っていた。その時に障害となったのが本棚の存在だった。

7年ほど前だろうか、ミニマリストを目指していた私は、この時に本棚を撤去する決断をした。持っていた本やグッズ、CDを全て手放し、生活を優先する判断をしたのだ。そして持っていた本などは電子化という手段で解決した。

しかし、去る6月21日、これを変える出来事があった。私はその日、クラユカバとクラメルカガリを鑑賞するために淡路島は洲本市にある洲本オリオンに訪れていた。そして鑑賞を終え、売店を眺めていると一冊の本が目に入った。「R15+じゃダメですか?」という本だ。

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私は映画に関係ないグッズがあるのは珍しいと思い、この本を買うことにした。物理本を手放し、本棚を処分した今、本を置く場所などないのにである。

そして私は「R15+じゃダメですか?」を読み、続編を全て紙の本で買うことにした。理由としてはここ数年、紙の本を大切にしたいと思っていたからだ。電子書籍はいつか見れなくなる可能性がある。それに私はGAFAが好きではない。デジタル赤字や、GAFAによる支配、表現規制、日本の独立性のことを考えると紙で本を買ったほうが良いというのが個人的な結論だった。

勿論それだけではない。紙の本はモノによっては特殊印刷が施してあり、凝った装丁のものがあるし、何より希少性があるからだ。紙の本はいつか絶版になり、そうなると手に入らなくなる。そうなれば潰えた歴史というか、時代を自分の手で持っておくことができるというステータスみたいなものが手に入る。

他にも紙の本は読んでいて手触りが心地よいとか、いろいろなところがある。

しかしでは本棚をどうやって部屋に置くかだが、答えは単純だった。私は7年前に住んでいた狭い部屋を引き払い、今はそれより広い部屋に住んでいる。使いもしないギターを置いているスペースを空ければ本棚程度は置ける。その考えは「R15+じゃダメですか?」を手に取った瞬間に電光石火のごとく頭にひらめいた。

それにトラペジウムグッズを無駄に買いすぎてしまった結果、置き場に困っていたグッズの収納先として棚が欲しかったのもあり、このアイデアはまさにジャストマッチだった。

そして私は早速、900冊程度入ると謳う、山善の本棚を注文した。まさか宅配ボックスには入るまいと思っていたのだが、困ったことに宅配ボックスに入っていたので部屋まで運ぶのが大変だった。以下の写真を見るとわかるのだが、中々デカいし、普通に重い。30kgくらいはある。

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昨日これを頑張って組み立てて、物理本置き場を作ることにやっと成功した。以下は本棚を組み上げ、本が入っていく様子である。そもそも蔵書がないので現状は置き場所に困っていた適当なものを突っ込んでいる。

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しかし、この状態でも本棚に本が収まっている光景はいいものだ。これまで本屋に行っても本を買えないでいたもどかしさも解消される。

というので今後は物理本を買い集めていこうと思う。手放してしまった本も可能な範囲で取り戻していきたいところだが、残念ながらほとんど絶版だと思うので、中古に頼ることになるだろう。キノの旅まで絶版になっているのは正直驚いた。

因みに当時本棚にあったものでも、まだ手放していないものはわずかにあり、水月と月箱だけは残してある。この二つだけはどうしても手放したくなかったからだ。

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恐らく水月については、私の部屋にあるもので、最も古い存在だ。水月は非常に大切なので水月だけは死ぬまで持っておくと思う。という意味では、かつて保有していたオフィシャルファンブックも残しておくべきだったが、あれは大きかったので致し方ないか…。

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昨今、少子化による配達労力の削減などで置き配が注目されているが、個人的に最近置き配でできないことに気が付いたのでここに記す。

それは配達拒否ができないことである。一般的に配達拒否となるケースは着払い代引きで対面となることが多く、置き配で発生することはなさそうだが、ないわけでもない。それは誤配送だ。

私は先日フレッツ光クロスの申し込みをして、三日後くらいに申し込みを取り消したのだが、既に機器の発送手配が進んでいて、NTTの社内手続き上取り消せない状態らしかったので私のほうで受け取り拒否をする必要があった。勿論受け取って返送するというのもなくはないのだが手間である。返送手続きをする私も手間だし、受け付ける配送業者も手間だし、新規配送手続きに応じるNTTも手間だろう。受け取り拒否であれば手続きはシンプルだ。

今回のケースではヤマト運輸が配送担当だったので、Webから対面受け取りを指定し、きちんと対面して受け取り拒否をすることで成立させた(デフォルトで起き配かもしれないため、念のために明示的に指定した)。なお、公式のFAQによるとお問い合わせフォームまたは電話から受け取り拒否が可能とのこと。Webやアプリからはおそらくできない。何故できないのかは不明だが、エッジケースなので実装してないとかなのかもしれない。

因みに受け取り拒否時の配送料は一般的には荷主が負うらしい。

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紙の書籍の魅力といえばデバイスがいらないことや、パラパラ読めること、紙の質感があることなどがあると思う。しかしまだそれより先があるのではないかと思い、私はある一つの点を思いついた。現実世界の書店、とりわけオタク向け書店の存在だ。

とらのあな、メロンブックス、アニメイト、ゲーマーズをはじめとしていくつか存在するが、昨今では男性向けの書店が閉店する傾向がある。書籍は電子化により物理書店が減っているというのはオタク向けに限らず有名な話だが、実はオタク向けに限って言うと女性向けが比較的健在という話がある。例えば「とらのあな「ほぼ全店閉店」衝撃発表の理由とは? 店舗事業撤退の裏側を聞いてみた」という記事では、とらのあなが池袋の女性向け店舗だけ残したという話が出ている。

そこで私は一つの仮説を閃いた。男性向けと女性向けでは何か決定的な違いがあるのではないかということだ。女性は機械が苦手だから、みたいなのもゼロではないと思うが、どっちかといえば携帯小説など女性向けでも電子媒体は強い力を持つと思うし、創作分野においては女性のほうがデジタルに分を持つだろう。それでも紙媒体に何かがあるというのならそれは何だろうか?というのが気になったので私は早速スーパーに出向いた。

何故ならスーパーには女性向けの書籍が多いからだ。そもそも生鮮食品や生活雑貨が主たる商材であるスーパーに本がある。これは面白いことである。取り扱う必要性がないはずのものがあるということは売れているわけだ。

取り敢えず私は目を引いた雑誌を一冊手に取った。むしろこれだけアピールされていて買うなというほうがおかしい。今までは何となく気が引けて手に取ったことはなかったが、今回ついに手に取ってしまった。正直それが目的だったのでは?と言われたら、それも否定はできない。正直女性向け漫画にも興味自体はあった。というわけで集英社のりぼんを買った。恐らく小中学生向けの雑誌だと思う。男性向けでいえばコロコロコミックやコミックボンボン辺りが近い存在だろう。なおコミックボンボンはもうないらしい。通りで最近見ないわけだ。

今回購入した「りぼん」

さて早速だがまず表紙を見てみると付録がついていることが解る。推ししか勝たんうちわセットだ。電子書籍では物理的なおまけはつけようがなく、あっても精々期間限定アクセスのデジタルコンテンツ程度だろう。

デジタルおまけはサービスの会員登録に誘導されて迷惑な販促メールがくる懸念があるうえ、内容も微妙なので魅力が低いと思っている。しかし物理は違う。開けてみるとかなり本格的なセットになっていることがうかがえた。普通に出来がいいし、ちゃんと使えそうなレベルだ。アニメイトに売ってそうだし、買うと地味に高そうなやつ。しかし付録なのでタダに等しい。

付録の推ししか勝たんうちわセット

他にも折り込みページがあって見開けたり、作品ごとに紙の下地の色が違ったり、最後のページがイラストカレンダーになっていたり、クロスワードパズルのようなものがあり、懸賞応募ができるなど、何かと作りがよく、普通に尊い作りになっていて感動した。表紙だけでも十分に尊いのに一体どれほど尊さを追求してくれるのかという感じだ。尊み秀吉である。男性向けのこのクラスの雑誌がどうだったかが記憶にもうないので、今度そちらも見てみようとは思うが、ここまでではなかった気がする。

紙の下地がカラフルなことが解る断面
最後のページはカレンダーとして使えるようになっている

まぁここまで気分が高揚してしまっているのは、単に初めて見るものだからというのもあるとは思うし、付録も今回たまたまついていただけという可能性はあるし、そもそもこれは児童誌であって大人が読むものではないので、まともに扱うこと自体に無理があるが、紙本の魅力の一つとして数えること自体はできる気はする。特に前述したクロスワードパズルのようなものは紙に書いてこそだと思うので、これはいいものだろう。デジタルのマス目にキーボードで埋めるのは味わいがない。

しかしこの本を買って思ったのは表紙がパステル調で、ポップで非常にファンシーで、これはすごく心をくすぐられる要素が強いなというところだ。電子だとあんまこれは感動しないかもしれない。たぶん画面のフレームの一部であって、視界全体に移りこまないからかもしれない。

ちなみに単行本などは場所の都合で電子で買っているのだが、雑誌は紙で買うようにしている。紙のほうが読みやすいのと、部屋に転がしておくと目に留まって何度も読むからだ。電子はアプリを開かない限り見えないので文化から隔絶された感覚になる。PCだと寝転がって見れないし、スマホは小さい、タブレットは悪くないがそのために持ちたくないというのが正直なところだ。

また紙の本を見ていると発見があることもある。例えば今回気が付いたのは発行情報だ。りぼんには『(毎月3日発売)第70巻第6号』と書かれている。これはほかの雑誌ではどうだろう?と思い、モーニングを見てみたところ、『(毎週1回木曜日発行)(4月25日発売)第43巻第22号通巻2383号』と書かれていた。

りぼんの発行情報
モーニングの発行情報

恐らく巻数は発行年数で、号数は発行月数だと思うので、りぼんの場合は70年目の6月号であることが解る。モーニングは週刊誌なので22週目ということだろう。通号の有無に関してだが、これはモーニングがもともと第三種郵便物であった名残であると思われる。第三種郵便物には逐号番号の記載規定があるので、その名残。りぼんは第三種郵便物だった事がないか、名残がないかのどちらかだろう。

またモーニングにある「毎週1回木曜日発行」という、毎週一回と木曜日発行がダブっていて違和感を覚えるのも、これも第三種郵便物の書式規定によるものと思われる。恐らく週の発行回数を明示するために意図的に書くように定めたものなのだろう。

さてここまで内容について一切触れていないが、内容についても面白く、傾向としてはコミカルな表現が多く、恋愛ものが多い。ファンタジーやバトル、ギャグ物は少ない印象を受けた。

読者層としては2002年のJMPA読者構成データを見る限り、13歳未満が64.6%で過半数を占め、次いで13~15歳が31.2%、16歳以上が4.2%、性別では女性が100%となっている。

2002年のJMPA読者構成データ

対象年齢的には中学生以下が一般的で、中学生も多少読んでいる感じだろう。こういう場合、親が買い与えていると思われるので男性の読者比率が0%になっているのだと思う。とはいえ、内容的にはそこまで低年齢向けかというとそこまででもなく、振り仮名こそ振ってあるものの、その中身は意外と本格的だった。小学生がこの言葉やシチュエーションわかるんか?というのがそれなりに出てくる気がしたので、そこそこませている。登場人物は高校~社会人くらいなので、割と高めである。少年誌の登場人物が軒並み高校で時が止まっているのと比べると、これは対照的だ。男性向けだと、社会人が出てくるのは青年誌以降だろう。

絵柄は少女漫画的なのはそこまで多くなく、所謂萌え絵みたいなのが多めである。少女漫画チックなのはかなり少なく、どちらかというと萌え絵に寄ってきている。ディズニーとかも昔と比べるとそっちに寄ってきている気がする(アナ雪とか)ので、これは界隈の傾向なのかもしれない。基本的には男性でも普通に読める内容だが、女の子の夢みたいなのがふんだんに詰まり気味であるため、分別のつかない男児に読ませるのは妙な誤解を生んだりする可能性があり、微妙かもしれない。

作品的にはちびまる子ちゃんが連載されており、作者がすでにこの世を去った状態なのに連載が続いているのは凄いと思った。