結論から言うと、最高にエモい。エモいって言葉で片付けられるレベルじゃないほどにエモい。それほどまでにエモさを詰め込んだ作品だった。ネットミームを始めとした様々な概念が非常に多く詰め込まれた作品で、恐らく2000年代前後にネットの世を生き、オタク活動に浸っていた世代に全方面から刺さる内容になっている。なんというか、ネタのショットガンみたいな感じで、守備範囲が広ければ広いほど刺さって致命傷になる感じ。
しかも本作はスタジオコロリドの制作だが、スタジオコロリドの作風がやや苦手な自分でも、とても良く観られた。これは恐らくツインエンジンとの共同制作であることが理由として大きいと思う。ビジュアル的にはツインエンジンの風が強く、キャラクター性に所々コロリドみが出ている印象で、完成度が非常に高い。予告放送で見ていた通り、コロリドとツインエンジンのタッグによる未知の化学反応を得られた形だ。
作品のベースは竹取物語そのもので、つまり本作は2000年~2020年代にかけてのネットミームを竹取物語にミックスした作品だと言える。筋書きとしては、鉄腕アルバイターである主人公いろはのもとに突如として、七色に光るゲーミング電柱が現れ、その中からかぐや姫が誕生し、主人公は激務と学業とMMORPGと推し活の合間を何とか縫ってかぐや姫を育て、やがてかぐや姫はVTuberとなり人気を博し、多くのプレイヤーから求婚され、最後にはVR世界で最高峰に立つプロゲーマー集団のブラックオニキスのリーダーであり、いろはの兄でもある、帝アキラから求婚され、最後は月に帰ってしまうが、最後には地球に帰ってきて、富士山に登るというのが、大きな流れだ。
これは大まかにWikipediaにある竹取物語のストーリーに一致する。これからは昔話を現代化したアニメが流行るかもしれない、本作はそんなポテンシャルを持った作品だと思った。しかも内容を咀嚼すると、かなりの解像度で竹取物語が組み込まれていることも判るので、非常に面白い。
主人公は、酒寄彩葉、作中では「いろは」と呼ばれ、「いろはと呼ぶべし」とされるキャラクターだ。毒親と縁を切り自分の力で生きることを選び、映えないボロアパートに住み、鉄腕アルバイターとして東大進学を目指している才色兼備の学生だ。日々アルバイトをこなし、予習・復習・模試をこなし、更にMMORPGでプロゲーマー級の腕を振るいながら、推し活に興じる、過労死しそうな若者である。ぶっちゃけ、最高すぎる設定だ。
ヒロインとなるのはかぐや姫である「かぐや」で、先述した通り七色に光るゲーミング電柱から生まれた女の子だ。かぐやは赤ちゃんから始まり、一週間くらいで高校生の体形と知能を手に入れるというすさまじい速度で成長していく。原作の竹取物語では三ヶ月ほどで妙齢の娘になる設定だが、、本作では「何もかもすべてが早えー」ので一週間で妙齢になる。性格は破綻気味で、完全なるトラブルメーカーである。最初は泣きわめくだけ、駄々をこねるだけ、いろはの稼いだ貴重な金を溶かすだけ、部屋を荒らすだけ。もう最悪だ、最悪なのだが、これがいい。ちなみに本人に自覚があるのも最高だ。
しかし成長に伴い、かぐやは自分で料理ができるようになり、片づけをし、金銭管理を身につけ、周囲への配慮も覚えていく。そしてライバーとして圧倒的パワーで稼ぎ始める。これは原作における「かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという」設定に一致し、かぐやのライバー収益でいろはがタワマンに住めるようになるという形で再現されている。いろはのバイトがどうなったかの描写はないが、既にバイトに行っている雰囲気がないので、辞めたのではないだろうか。そもそもいろはは最初タワマンに住むことに対し「あぶく銭」「人としておかしくなる」とか言っていたのに、結局住み着いてる辺りがいい。
二人の関係は親子のようでもあり、姉妹のようでもあり、相棒のようでもある。いろはにとっては迷惑な存在だったかぐやが、いつしかかけがえのない存在に変わっていく過程が、この作品の情緒の核だと思う。ドタバタギャグコメディーの皮をかぶりつつ、その温度感はシリアスでもあり、個人的にはゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイスに通じるものを感じた。この関係性はエモさの一つだ。
作品の世界観としてはVR世界を非常に意識しており、SAOやVRChatは間違いなく意識されている作品だと感じた。SAOで周囲を取り巻くエラー画面みたいなやつも出てくる。恐らくMMORPGプレイヤー、特にSAOが好きだった層には刺さるのではないだろうか?少なくとも私は刺さった。正直、この題材で新作が出てくるとは夢にも思っていなかった。今ならeSportsなのでVALORANTやFortniteだろうが、本作ではMMORPGに寄っていた。一応ちょこっとだけFPS的なシーンも出ては来るが…。また、かつて社会問題になった子供部屋おじさん的なMMORPG廃人もシーンとして出てくる。
ただSAOのようなヘッドマウントディスプレイはなく、作中のVRデバイスはディスプレイがコンタクトレンズ式で、コントローラーはリングのないOculus Rift Sみたいな感じだった。ただ後半はコントローラーがないように見えたので、SAO的に脳波でも操作できたのかもしれない。謎。
VRの世界観としてはツクヨミという世界が設定されており、月見ヤチヨというAIによって管理されている設定がある。ツクヨミの中では「ふじゅう」という通貨が流通しており、これは現実でも使える、RMTとしても機能しているようで、プロゲーマーやライバーなど一部の人間はこれで生計を立てているようだった。主人公であるいろはも、かぐやの圧倒的な稼ぎでタワマンに住めるようになる。
作品の時間軸としては月の満ち欠けも重要で、一回目の満月でかぐやが月に引き戻されそうになるが、これはヤチヨによって阻止される。そしてかぐやは次の満月で月へ帰ることを決意する。いろはや、その仲間たちは結託し、これを阻止しようと月の使者に対して抵抗するが、抵抗むなしく、かぐやは卒業ライブを敢行し、最後には羽衣を着せられ、意思を失い、月へ帰ってしまう。この流れは現在のVTuberそのもので、とてもいい。
原作であればここで終わりだし、本作でも終わる。ここで安っぽいエンドロールが流れはじめ、作品は終わりを迎える…かのように見えて、エンドロールは即座に消え、「この物語には続きがある」という天の声とともに、物語が原作を逸脱し強制進行する。安っぽいエンドロールの時点で察しはつくが、ここまで大胆な演出をする作品は過去にみたことがなく、非常に感銘を受けた。
後日、いろはがかぐやの残したブレスレットに歌を吹き込む。この歌声が月へ届き、かぐやは地球へ戻ることを決意する。しかし、かぐやが地球に来れるようになったときには、あまりにも時間が経過しており、かぐやは時間操作で元の時空へ戻ろうとするが、地球へ戻る航行中に不慮の事故で8000年前の地球に戻ってしまう。ここで出てくるピクセルムービーも非常にエモエモで、見ものだ。
地球についたときにかぐやは本体を具現化する能力を失い、ウミウシの体で活動するようになり、世界各地で神として運命を左右しながら、現代に戻り、VR世界ツクヨミを創造し、自身は月見ヤチヨと名乗り、いろはを待ち受けるようになる。そう、この時点でいろはとかぐやの居た世界線と、ヤチヨの世界線は競合関係にある状態になってしまっているわけだ。得体のしれない神として世界を旅するウミウシも神秘的でよい。
そして何よりエモいのが、作中ではかぐやの曲はいろはが過去に作った曲なのだが、かぐやの卒業ライブの時にいろはが過去に父親と一緒に途中まで作ってそのまま放置されていた曲をベースに作り直すことになる。そしてこの曲のメロがヤチヨのレビュー曲であるRememberと同じであったことだ。作中でいろはがヤチヨに対してRememberを歌わないのか?と聞き「あれはもう使命を終えた」のように語るシーンがあったが、恐らくいろはに伝えられたから役目を終えたということなのだろう。そしてRememberというタイトルも、いろはに思い出して欲しかったのだ。そして、いろはは思い出した。そして卒業ライブの曲はできた。8000年の時を超えていろはは思い出したのだ。
本作のエモさはこれだけにとどまらない、こんなのは氷山の一角で、作中には様々なネットミームや懐かし要素が散りばめられている。
そこで、以下に私が感じ取った様々な概念を列挙してみた。
- VRChatのような世界感
- VRの仮想世界、作中ではツクヨミと呼ばれている
- VRMMORPG
- VRChatのような世界観の中にMMORPGがコンテンツとして組み込まれているような感じ
- Vocaloid
- 本作の劇中歌にはボカロ楽曲が多く用いられている
- AI
- 主要キャラクターの一人であるヤチヨはAIであると説明されている
- VTuber
- 作中ではVTuberが非常によく出てくる
- 推し
- VTuberがいれば推しの概念も当然ある
- リアルライブ(ホログラム?)
- ホログラムを使ったVTuberのリアルライブらしきものが出てくる
- VTuberのファンカード
- VTuberがいればファンカードもある
- ねこみみメイド女装子(男声、一人称オレ、ぴえん、舌出しのあざとい表情)
- 性癖破壊モンスター。長くなるので後述する
- プロゲーマー・プロゲーマーユニット
- コンビニなどで見かけるプロゲーマーのユニットが存在する
- 双剣
- みんな大好き、MMORPG最強武器、双剣。もちろん主人公の装備だ
- ジョブロールによる行動制限(スキル)
- MMORPGに存在するジョブロールのようなものが存在し、それぞれのロールによって隠密行動の可・不可などが設定されているようだった
- 関西弁
- 主人公一家の状況前のシーンで関西弁が出てくる
- 和風
- 雑に言うとシロガネを大規模化して電子感を強めた感じ。千と千尋の神隠し的な光景に見えなくもない
- 西松屋
- 関西弁と関係あるかは不明だが、西松屋が出てくる
- 立川市
- 舞台は立川市らしい
- ガールミーツガール
- 本作はボーイミーツガールならぬ、ガールミーツガールだと思う
- 卒業(概念)
- VTuberによくある卒業の概念があった
- 卒業ライブ
- 卒業があれば卒業ライブもある
- 転生の概念
- 卒業があれば転生もする。これはかぐや→ヤチヨを転生として扱った場合の概念であるため、人によって解釈が分かれるかもしれないが、概念的にはあると言えるだろう
- ビートセイバー
- あからさまにビートセイバーをしている光景が出てくる
- タイムリープ
- 作品的にタイムリープの場面があるわけではないが、設定的にはカグヤが同じ世界線で永遠に同じ時系列のループをしていることについての言及があったため
- 並行世界
- 恐らくカグヤがタイムリープを続ける時空と、そこからいろはが抜け出した時空の二つがあると思われる
- たまごっち
- たまごっちのようなものが出てくる
- サカバンバスピス
- サカバンバスピスのドローン花火が見える
- ドローン花火
- いろいろ形を変えるドローン花火が見える
- マイクラ
- 鳥居の明かりが明らかにマイクラの顔のアレに見えるシーンがある
- FXで有り金全部溶かす人の顔
- スマホの防水ケース
- スマホが出てくる作品は数多くあれど、防水ケースが出てくるケースはあまり多くないと思う
- ギャルファッション
- 平成のギャルファッション
- ルーズソックス
- 平成のギャルファッションがあればルーズソックスも出てくる
- スーパーマリオ(ファミコン世代)
- ファミコン世代のスーパーマリオを意識したゲーム画面のようなシーンが出てくる
- 太陽の公園にあるっぽい城
- ノイシュヴァンシュタイン城の可能性もあるが、西松屋繋がりで太陽の公園の写真をモチーフにしているような気がした
- 毒親気味の面倒な家族
- 身体的虐待まではいかないが精神支配をしてくるタイプの厄介な毒親が登場する
- 両国国技館
- VR世界のライブステージが両国国技館の下層の床を抜いたような感じの構造
- JR東日本E233系電車
- 立川市が舞台なので立川市を走る鉄道車両が登場する
- 富士山
- かぐや姫なので富士山が出てくる
- 富士山本宮浅間大社
- 浅間大社らしきものも出てくる
- タイムカプセル
- 富士山の地面を掘ってタイムカプセルらしきものを取り出すシーンがある
- ピクセルアート
- ドット絵というよりピクセルアートというべき要素が所々で出てきてとても良かった
- ET(映画)
- ETの満月を背景に自転車を漕いで空をかけていくアレが出てくる
- おぱんちゅうさぎ
- おぱんちゅうさぎのオマージュの様なものが出てくる
- ナナヲアカリのMV
- っぽいものが出てくる
- SAO
- を彷彿とさせる要素が出てくる
ねこみみメイド女装子(男声、一人称オレ、ぴえん、舌出しのあざとい表情)については書ききれなかったのでこちらで書く、正直性癖破壊モンスターなのは間違いないし、間違いなくこの作品の裏主人公であることは想像に難くない。
キャラクターとしては駒沢乃依、基本的に乃依と呼ばれているキャラクターだ。Black onyXのメンバーで弓使いとされ、容姿は色白の肌に、黒とピンクを基調とした地雷系ツインテールで、服装は和風テイストの生足むき出しミニスカメイド服という、最強属性全部盛みたいなえげつない出で立ちをしている。アバターは男性らしく胸はツルペタで、体つきもがっしり目で男性を意識したキャラデザになっているように見えた。また腰に巨大なチャクラムを装備することがあり、投げて武器にするのはもちろん、やけに扇情的にフラフープのように回したりしたり、とにかく狙っている。しかも鑑賞者を堕とす方向で、確実に、精密に狙ってきているのだ。
それだけに?乃依の射撃は精密で、ヤチヨに「げに恐ろしき狙撃能力」と言わしめるほど高精度な遠距離攻撃を行える能力もある。
ぶっちゃけ、ねこみみメイド女装子アバターの男性プレイヤーが男声の一人称オレで始まる時点で、オスむき出しのネカマがキマりすぎてて脳がおかしくなりそうだが、更に舌出しのあざとい表情をしたり、ぴえんとか言ってきたりするのも破壊力があるし、何より極めつけは「オレって今日も作画良すぎでしょ」(バチコーン)なんてシーンまであり、余りにも破壊力がありすぎて死んでしまう。死んだ。
他にも一番最後にある、いろはが科学者になり、リアルアバター(アンドロイド)として、かぐやを降臨させるシーンでは、ツクヨミ内のアバターをリアルでも欲しがっており、こいつ…!となるので面白い。
正直、ここまで盛られていると乃依によって情緒と性癖を破壊される人が続出しないか私は心配で心配で夜も寝られてしまうほどだ。
Wikipediaの超かぐや姫!でも乃依のところだけ異様に書き込み濃度が高くおかしなことになっていることから、乃依の異質さがうかがえる。
他にもLive2Dによる配信シーンがあったり(劇中には実際にLive2Dが使われているようでクレジットされている)、劇中のライブシーンや戦闘シーンが手書きアニメーションだったりして、全体的にクオリティが高い。ツクヨミの背景には3Dが多用されていたが、キャラクターの3Dモデルはかなり少なかったように思う。その関係か、動きの激しいシーンはカットが目立ち、例えばライブの躍動的なダンスシーンは非常に尺が短かった。
主人公の座席配置が教室の最前列中央であることも珍しく、絵作りやキャラの言い回しなども、どこか懐かしさを感じる演出から、目新しいものまで幅広く、セリフ面でも「クソマヂー」「いや、あぢー」といったお淑やかさの欠片もない発言があるのも本作のエモさを際立てていると感じたし、各キャラごとに異なる特徴的なアイシャドウなど、もうエモさを挙げていけばきりがないほどだ。
他にも現実パートとツクヨミパートでキャラデザが異なるのも面白いところだ。複数作監がかかわる作品で作業分担の都合上、作画が激変する作品はトラペジウムやSAOPなどであったが、明確な意図をもって画風が変わるのは非常に新鮮だと感じた。それもそのはず、現実の人間とゲーム内のアバターでは見た目が違うことは必然なのだから、これは当然のことだが、ここまでこだわっている作品は中々ないと思う。
それとラストシーンでBlack onyXのメンバーのリアルが全員腐女子向け作品の男性キャラ風に描かれていたのも感銘を受けた。いったいどこまで属性を盛れば気が済むのかと…!
何より最後に出てくる「あなたの物語」という言葉で、私は崩御してしまった。そう、この物語はいろはとかぐやの成長と、それを見守っていた作品の外にいる私たちにさえ語り掛けてきたのだ。つまり次は私たちの番ということだ。これこそが「この物語には続きがある」の本懐であるといえよう。
あとがき
私は普段封切日に映画を見ることにしているのだが、本作はそこから遅れること三週間、2026年2月20日公開を3月13日に観てきたので、作品によっては上映終了になっていても不思議がないほど間隔が空いていたが、幸い上映があったので干渉することができた。鑑賞体験としては非常に満足のいくもので、封切一週間目に席が全部埋まっていたのも納得の内容だった。
理由としては転職活動が忙しくそれどころではなかったというのが言い訳だ。そもそも本作はネトフリ映画の上、一週間限定だったので、本来観れないはずだったが、延長上映していた関係で観ることができた。不幸中の幸いというやつだ。
しかもOSシネマズ神戸ハーバーランドは三週間目も満席が続き見れなかったため、アースシネマズ姫路まで足を運んで観たほどだ。しかも尺が非常に長い作品だったことが災いし、現在時刻を深く考えず、のんびり目に動いていたら終電に間に合わず、姫路に宿泊して翌日も観たとかいう、まぁまぁおかしい体験をした作品になってしまった。
また本作はOSシネマズ神戸ハーバーランドでグッズが一度完売していたのだが、再入荷されるという異例の状況にもなっていた。私は映画グッズの再販は珍しいと考えていて、バルト新宿など、東京の超大手館での事例は知っていたが、まさか神戸で再販があるとは思わなかったので、非常に驚いた。
またネトフリ映画が延長上映されるのもネトフリでやらんでいいのか?と思うので面白いなと思っている。
本作はWikipediaによると、予約開始と同時に全国各地の劇場にアクセス集中し、サーバーがダウン。わずか数時間でほぼ全ての上映館で公開初日の上映が満席となる事態となり、作中の舞台にもなった立川シネマシティでは急遽、公開2日目の2月21日にオールナイト上映を実施。23:40回と26:45回が追加される形となり、会員・一般同時で公開前日の19日24時より予約受付を開始したが、わずか数時間で全回満席となったなど、異例の超動員を記録し、全国19館での公開だったにもかかわらず、動員14万8067人、興行収入2億9122万2700円を記録し、興行通信社の調査による全国映画動員ランキングで初登場5位、ミニシアターランキングで初登場1位にランクインしたとされる。特に初日は着席率が96%に達し、上映20館以下での全国映画動員ランキング入りは2018年の『カメラを止めるな!』以来約8年ぶりとなるとのことで、かなりの快挙だったようだ。
更にこの反響を受け、公開4日目の2月23日には上映館が8館追加されることが発表され計19館になり、更に3月5日になると100館以上に拡大することが発表された。この勢いであれば封切上映終了後のセカンド上映も十二分に期待できそうだ。3月15日までの公開24日で、興行収入は11億1638万円となり、Netflix発のオリジナル映画としては史上初となる興行収入10億円突破の快挙となったそうで、本作のすさまじさがよくわかる。
ただ流石に3月18日現在では盛況具合は落ち着いてきており、現在では満席とまではいかない程度には落ち着いているようだが、それでも平日の昼間でアースシネマズでは8割の席が埋まっているようで、一体どこから人が湧いてくるのか、大変興味深い作品でもある。とはいえ、本作はそれだけのポテンシャルを持った超大作なのはわからなくもない。まさに作中でヤチヨが言う「感謝!感激!雨アラモード」あふれる勢いだといえよう。
また、以前最近見かけた面白いサービスやホームページで「ヤチヨの部屋 - Yachiyo's Room」というホームページを紹介したときにヤチヨって誰だ?と思ったが、「公式サイトではありません。ファン創作サイトだよ〜。」とあることから、恐らくこれはファンが作ったファンサイトで、月見ヤチヨが2003年時点の設定になっているものだと思われる。劇中ではトップページしか出ていないが、このホームページは中までよく作りこまれており、非常に素晴らしい。しかも日々更新されていて、地味にコンテンツが増えているほか、ちょっとした交流コンテンツもあるという神ホームページだ。何より凄いのは作者が韓国人であろう点だ。つまり、超かぐや姫!は日本を飛び越え、韓国まで行ったのだ。嗚呼なんということだ…!
あとOSシネマズみたいな狭い箱で見るより、アースシネマズ姫路のようなデカい箱で観るのがいいと思う。なぜなら劇中歌のシーンは非常に躍動的だし、ライブ感が味わえるので、音がよく、大画面の方が没入感が味わえると思うからだ。
個人的に超かぐや姫!は今年の最高作になるのではないかと思っている。例年であれば最高作は年の後半に来がちだが、去年のメイクアガールといい、前半にシフトしてきている感じもしていて、読めなくなってきている。また、私は普段興行収入が振るわないニッチ作品を好きになる傾向が強いのだが、超かぐや姫!は例外中の例外といった感じで、そちらにも衝撃を受けている。見る作品を選んでいるため、別に6000人アニメ映画族[1]と言う訳ではないが、一翼を担っている自覚はある。
これだけ書いても全然足りないくらい本作はメタい要素が多く、非常にエモく、言語化しようにも情報量が多すぎる作品なので、間違いなく劇場で観る価値のある作品だと思う。非常に情報量と熱量がある作品だし、これだけの要素をきれいにまとめ上げ、終わりもすっきりしている作品は中々ないと思う。本当に後味が非常に良かった。
最後に個人的に最も刺さったシーンであるワールドイズマインの劇中シーンと、終盤のMVの二つを置いておく。もうこの二つだけでも最高だ…。
- どれだけ売れないアニメ映画でも初週観客動員数が約6000人程度あると言われており、逆説的にどんな作品でも観る固定層のこと ↩
投稿日:
いつもの映画館販促物巡礼の旅。
劇場版『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』 アクリルスタンド ライブver.の紺野純子verを求めて映画館巡礼をしたけど、手に入らなかった話。
グッズ蒐集のために多数の映画館を巡礼した話にもある通り、私は映画のグッズ集めのために映画館を大巡礼することがしばしばあり、今回が通算で三回目となる。
そして今回は映画館の遠征中にグッズが欲しくなったので遠征先と近場での二段組による大規模巡礼となった。
一日目(11月15日):川崎市、横浜市
この日はOSシネマズ神戸ハーバーランドから思い付きでチネチッタに行くべく、東京行きの夜行バスに飛び乗るという前代未聞の日跨ぎ長距離映画館はしごが実施された日だった。
朝に「劇場版総集編 ガールズバンドクライ 後編 なぁ、未来。」の聖地鑑賞と舞台挨拶を観覧し、そのあとに連続で「ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス」を観た私は、写真撮影にアクリルスタンドを使っている人見て、ぬいがなくてもアクスタがあれば、推しと記念撮影が出来ることに気づいた。
ここで紺野純子のアクスタの購入を思いつき、時間が許す限り映画館を探すことにした。
結果として、チネチッタ、T・ジョイ横浜、横浜ブルク13、イオンシネマみなとみらい、TOHOシネマズ上大岡、TOHOシネマズららぽーと横浜を巡れたが、残念ながら収穫はなかった。
なお、イオンシネマみなとみらいは上映前だったので、なくて当たり前であった。
二日目(11月16日):兵庫県・大阪府・和歌山県・奈良県
横浜から帰ってきた翌日、地元で更に探すことにした。
この日は以下の順で巡礼を行ったが、残念ながら収穫はなかった。
MOVIX八尾、TOHOシネマズ鳳、ジストシネマ和歌山、なんばパークスシネマ、あべのアポロシネマ、イオンシネマ高の原、イオンシネマ四條畷、109シネマズ大阪エキスポシティ、TOHOシネマズ西宮OS。
MOVIX八尾はかつて「ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ」のミトの武器である「ヴァリアブル・シックル」を手に入れる旅で当たりを引いたことがあり、期待していただけに残念だった。
この時は封切翌日にOSシネマズミント神戸→OSシネマズ神戸ハーバーランド→TOHOシネマズ西宮OS→109シネマズ大阪エキスポシティ→イオンシネマ大日→梅田ブルク7→TOHOシネマズ梅田→TOHOシネマズなんば→あべのアポロシネマ→MOVIX八尾と巡礼し、やっと巡り合えた経緯がある。
またジストシネマ和歌山はトラペジウムの巡礼時に在庫を電話確認できたため、こちらも訪れたが、残念ながらなかった。なお今回は時間と手間の関係で電話確認を省いている。映画館への在庫確認を電話で行うのは結構面倒だし、何より今回はジストシネマのコールセンターのシステムが変わっており、電話が繋がらないという事件もあったため、直に行くことにした。
また、Tジョイ・梅田についてはグッズの扱いが基本悪いので、時間の都合も相成り、今回は巡礼を省いている。
まとめ
前述の二日と、それ以前に確認した映画館を含め、紺野純子のアクスタがなかった映画館の一覧。
全体的に純子のグッズは切れている映画館が多く、リリィが残っている映画館は多かったように思う。次点でゆうぎりとさくら。
リリィのグッズが残っているのはやはり豪正雄だからなのだろうか…。生えているからお得…ともなりづらいキャラ付けなのでやむなしというか、たぶん単純に一人だけあからさまなロリというのもありそう。ちんちくだし仕方ないか…。
関東
- チネチッタ
- T・ジョイ横浜
- 横浜ブルク13
- イオンシネマみなとみらい
- TOHOシネマズ上大岡
- TOHOシネマズららぽーと横浜
関西
- OSシネマズ神戸ハーバーランド
- TOHOシネマズ西宮OS
- アースシネマズ姫路
- MOVIX八尾
- TOHOシネマズ鳳
- ジストシネマ和歌山
- なんばパークスシネマ
- あべのアポロシネマ
- イオンシネマ高の原
- イオンシネマ四條畷
- 109シネマズ大阪エキスポシティ
- 大阪ステーションシティシネマ
あとがき
一旦紺野純子のアクスタについては手に入らない事態となってしまったが、ついでに寄った日本橋で半月しか開催されないゾンサガフェアで限定グッズを買うことができたので一旦良しとした。
また「ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス」は追加上映館が出ているため、そちらでグッズのラインナップが期待できるほか、今週末に伊万里湾大花火2025を観るために佐賀にわたるので、この時にシアターシエマで手に入る可能性もある。これは前回訪問時に在庫が極めて潤沢だったためだ。そもそもあそこに行く人自体が少なさそうなので、残っている可能性がある、確認はしてないが。
なお、転売品を買うくらいなら手に入らないほうがマシと考えているため、そういったものに手出しをする予定はない。
またこの記事に関係ないこととして、ブログ記事のストックが溜まっているのだが、ここ一ヶ月ほど旅行連打なのもあり、全然捌けていない。
現状、旅行ログだけでも佐賀旅行一回目・二回目・今回の巡礼ついでに行った東京や横浜に関することが溜まっており、今週末の三連休で佐賀三回目が更に加わることを考えると全く追い付いていない。
勿論旅行ログ以外にも書きたいネタは多くあり、ストックリストがうず高く積み重なりすぎてそろそろ崩落してきそうな勢いなので書いていきたいのだが、ブログを書くだけが人生というわけでもなく、今月はやたらくそめったら忙しいのもあるので、来月どうにか捌いていければと思う。まぁ来月は来月で例年にもなく師走らしい忙しさがある気配がしており、なんともなのだが、どうにか書いていきたいところだ。
この記事は旅行ログを抜いて内容を減らすことで何とか書いている。
また、当時雑にマストドンに投げたログについては以下にある。
投稿日:
プリプリの舞台挨拶付き上映にT・ジョイ梅田の席を取ったら「卓球少女 -閃光のかなたへ-」という珍しそうな作品を見かけたので、本作を観た鑑賞録。
内容的には中国のアニメスタジオが制作した卓球をテーマにした美少女スポ根ものといった感じだが、独特な表現や雰囲気の作品で、これは中々ない作品だと思ったので、その内容を書いてゆく。
異色の中国2Dアニメ
本作は日本で作られたといわれても違和感がないほどに日本的な絵柄の2Dアニメだ。中国のアニメ映画は3D作品が多いか、2Dであっても独特の絵柄であることも少なくない印象だが、本作は非常に日本的だった。
一方で鍛えられた肢体や筋肉を強調したアグレッシブな描写が多く、これは日本の美少女アニメには余りない要素で、ここは本作で特徴的な要素といえるだろう。
お色気皆無
日本のアニメと比べると圧倒的にお色気がない。本作の舞台は高校だが、押し並べて胸が薄い。モブキャラに一人巨乳が居た程度で、驚くほど薄い。ここまで健全方向に倒した作品も珍しい。
公式のキャラ紹介に至っては、ほぼ絶壁で、ガタイがいいのもあり、男…?と首をかしげてしまった。恐らくこれは中国の表現規制も関係していると思う。
ただこの色気のなさは本作のスポ根精神を遺憾なく引き立てるのに随分役立ったと思う。煩悩がない。シュッとしている。
シャワーシーンすらシャワーヘッドが出てくるだけという潔さである。
タイトルやロゴ、OP/EDのローカライズ
本作はタイトルや、そのロゴ、OP/EDがローカライズされている。邦題は「卓球少女 -閃光のかなたへ-」だが、原題は「白色闪电 Pingpong!」だ。
タイトルロゴに小さくTAKKYUUUUUUUUUUとあるが、これもローカライズだろう。こういった些細なところまで力を入れているのはいいと思った。
因みに卓球は日本語であり、Table tennisとも関係ないらしい。中国語では卓球は乒乓球と書き、この文字列は作中で何度も出てくる。
登場人物の多様性
OPに出てきたキャラだけの話だが、異様なまでに多様なタイプをカバーしているように感じた。
真面目メガネっ子、クールビューティー、そばかす娘、じゃじゃ馬、目の下ホクロ、天真爛漫などなど、やたら手幅くカバーされている。性癖ブレイカーか何かか?いや、そんな意図はないと思うが。
顔のバリエーションがすごいので日本アニメにありがちな髪の色でキャラを区別するといった要素は薄めに見えた。書き分けが凄まじい。
またビジュアルだけでなく、キャラクターの性格も各キャラかなり尖っていて、ここまでキャラが立っていて確立した魅力を持つ作品もなかなかないと思った。
意外と日本と変わらない学生生活
本作はいわゆる学園ものになるので、中国の高校の風景も出てくるわけだが、そこまで日本と変わらない。精々教室の入り口にICT的なモニタがある程度で、校舎の作りや机など大まかな雰囲気は日本そのものだ。
初年度は教科書を配ったり、授業も黒板に板書したり、プリントを配ったり、教師に当てられて発表したり、まんま日本だ。大きな違いといえば精々制服がジャージなことくらいだろうか?
校舎の様子などは実際に高校に行って取材をしたそうだが、制作陣は教室の入り口に電子掲示板があることに驚いたという。
リアリティの凄い卓球
卓球の練習シーンではおよそ卓球と関係ない特訓が出てくる。例えばシャトルラン的なことをしていたり、縄跳びをするなど。基礎的な体力づくりや体幹作りが描かれる作品は珍しいと思う。
また卓球のシーンは躍動的で、目にも止まらない高速なやり取りや、コートから打ち出された球をスライディングで打ち返すなど、かなりダイナミックな表現が多く、見ていて興奮した。筋肉の描写もよく、スポーツマンを見ている感じがすごかった。ここまで汗臭さを感じる作品はめったにないと思う。
実際に試合のシーンは現実の試合を参考に、辻褄が合うように作りこんでいるらしく、リアリティの追及が半端ない。サーブ権にまで配慮して作りこんでいるのは流石だ。日本の作品だとスポーツに限らず、ルールの不備を指摘されるものも少なくないだろう。例えば響け!ユーフォニアムでは楽器の持ち方が違うという指摘がよくあった気がする。
制作にあたってはスタッフにいた卓球の経験者や、プロのコーチを召還するなど、かなり再現性には力を入れたようだ。
リアリティの追及
本作は中国の視聴者が見たときに違和感を持たないように、現在の中国の風景を再現することに注力したとのことで、全体的にリアリティが強い。タピオカを飲むシーンも出てくる。つまりタピオカ屋は中国にも進出しているわけだ。
エンディングでは舞台となったであろう浙江省杭州市上城区の名所的なものが紹介されており、聖地巡礼したくなるような仕組みが非常によかった。トラペジウムでテカポ湖に行った人がいることを考えると、より身近な杭州に行こうと思う人もいるかもしれない。本作はそこまで刺さる作品ではないと思うので、行く日本人がどれほどいるかは未知数だが…。
またリアリティを追求する傍らで、序盤でジャン・ルオイが走っているシーンなどでは伝統的中国の風景をミックスしているという点も見逃せないところだ。
最後に
全体的に作りが精緻で、切れ味のいいスポ根作品だと感じた。そして本作は未完のままEDを迎えている。原作は6話まであり、今回はそのうち3話までを総集編として合体させたものらしいので、是非続編にも期待したい。
上映館は多くなく、特に西日本での上映館が極端に少ないが、個人的には今年の推し作品の一つだ。王道だがキャラ的にはジャン・ルオイ、ワン・ルーの組み合わせが好きだ。どこか抜けてるクールキャラとお調子ツンデレ委員長キャラはかなりいい。どっちもイケメンだし!
またパンフレットの表紙はいい紙を使っており、巻末には中国側スタッフが日本語を交えて書いたものもあり、是非触って読みたいアイテムだ。
投稿日:
映画館に行くたびに帳簿に記帳しているので、その内容を書き出して整理してみる。
主には年次単位の積み上げグラフと雑感がメインだ。
2019年
利用映画館統計
これは私が自分のお金で初めて映画館に行き始めた年だ。この年は神戸国際松竹とMOVIXあまがさきだけにしか行っていなかったようだ。この年はOSシネマズではあまり上映していなかった印象がある。
鑑賞リスト
鑑賞作品としては「あした世界が終わるとしても」が処女作だ。同一作品を最初から二度見ているのは素養があるのかもしれない。
この頃は石屋川に居を構えており、神戸国際松竹には自転車で行っていた。今はもうない旧中央区役所の駐輪場に止めて、そこから歩いて行っていたのでそこそこ運動になっていた。
MOVIXあまがさきには石屋川→魚崎→住吉→尼崎という経路で行っており、六甲ライナーの利便性にあやかっていた。
2000年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019年からの積み上げなので2019年のデータも含まれている。
109シネマズHAT神戸が利用館に加わり、バリエーションが増えた。この年は極端に映画館に行かなかったため、微増という感じだ。
鑑賞リスト
この年は2019年と比べると極端に見た作品が少なかった。ひょっとしたら新型コロナウィルスの影響があったのかもしれない。
複数回見た作品として「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」がある。
「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は異なる映画館で鑑賞した初めての作品になっており、この頃から映画館による差を意識し始めたかもしれない。
備考
この年の7月末に石屋川から三宮に引っ越しており、映画館へのアクセスが爆発的によくなった。神戸国際松竹は徒歩でアクセス可能になり、駐輪場代が消えるなど、お財布に優しくなった。
三宮に住むことによってOSシネマズミント神戸や、ハーバーランド、109シネマズHAT神戸、シネリーブル神戸へのアクセスは圧倒的に容易になり、TOHOシネマズ西宮OSやMOVIXあまがさき、アースシネマズ姫路、塚口サンサン劇場、洲本オリオンなどへも電車やバス一本でアクセスでき、新快速などの恩恵にあずかれるようになったのも大きい。
2021年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019~2021年の積み上げなので、前年以前のデータもすべて含まれている。
この年は利用した映画館が爆発的に増えた。
また神戸国際松竹の利用が7→14回で倍になった反面、MOVIXあまがさきと、109シネマズHAT神戸は増えていないが、OSシネマズ神戸ハーバーランドが初登場でいきなり9回まで増えるなど、目まぐるしい変化がある。間違いなく映画鑑賞元年はここにあるという調子だ。
鑑賞リスト
先ほどのグラフを見てもわかることだが、劇場を見ると神戸国際松竹とOSシネマズハーバーランドがあからさまに多い年だ。
全体的にみると二度以上鑑賞した作品の多い年だった。またIMAX邂逅の年でもある。SAOPが6行もあるのが異質。
またこの年は初めて特定作品を鑑賞中に別作品を見るという割込みが起きている。「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」はSAOPを見ている中で割り込む形で見た作品だ。
プリンセス・プリンシパルはSNSで勧められて見に行った作品だが大当たりで、この後も封切のたびに見に行くことになる。原作も見たが、とても好きな作品の一つで、私の中ではSAOシリーズに次ぐ大作だ。
2022年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019~2022年の積み上げなので、前年以前のデータもすべて含まれている。
この年は更に利用した映画館が増えている。2021年時点では7館しか利用した映画館がなかったのが、倍近い13館にまで増えている。また、神戸国際松竹閉館の影響で神戸国際松竹の飛び抜けた利用回数が終焉になった。
記憶が確かならOSシネマズミント神戸が私が見るアニメ映画をやり始めたのはこの年からだったと思う。元々神戸のアニメ映画は神戸国際松竹とOSシネマズ神戸ハーバーランドが多かったと思うが、神戸国際松竹が2022年3月17日に閉館して以来、ミント神戸がそれを担うようになった印象がある。
神戸国際松竹はキノシネマに引き継がれ、キノシネマ神戸国際に姿を変えているが、女性向け作品やテレビアニメの先行上映といった個人的に興味がないものが多くなったので、行く回数が極端に減った。賛否の大きい館だが、個人的には好きなだけに残念だ。
今では一部界隈では伝説級の映画館として知られる塚口サンサン劇場へのデビューを果たしたのもこの年だ。
鑑賞リスト
この年になるとアニメ映画を見るのが趣味ですと言えるくらいには見るようになっていた。多分普通の人はこんなに映画館に来ない。
MOVIX川口という変なのが入っているが、これは仕事の都合で一時的に赤羽に住んでいたことがあり、それが影響している。
2022-08-02(火) 19:00上映のソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリアは、前述の通り三宮に引っ越してきており、かつリモートワークだったので定時ダッシュで見に行けたという奇跡的なコンボで、三宮に住む恩恵を最大限に受益できた鑑賞だった。
「夏へのトンネル、さよならの出口」は前年のSAOPに続く複数回の鑑賞作品で、もう何回も見るのが板についてきた感じがある。設定が複雑な作品は毎回新しい発見があり、スルメのような味わいがあるので、何度見てもいい。
そしてSAOP2についても、かなりの回数を見た。今回は6館で見るという、なかなか他ではない体験をした。これはSAOPが好きすぎたのと、気になるシーンがあり、どうしても見返したかったのと、様々な映写設備を体験したかったことによる。
特にアースシネマズ姫路でのAtmosフルダイブ姫路サウンドは衝撃で、アースシネマズ姫路のファンになった。この時の上映は新快速が甚だしい遅延をしていたので、西明石で新幹線に乗り換えて1分遅れで滑り込んだという伝説がある。新幹線で映画見に行くのはちょっとおかしいと思う。
この時PiTaPaで入っていたため、新幹線改札を抜けられず軽くトラブったものの発車寸前のひかりに何とか滑り込めて事なきを得た。この時、駅員さんが爆速で手続してくれたのには今でも感謝している。
備考
この年の上映作で永遠の831という作品があったことに去年気が付いたが、これはどこかで再上映されるなら是非見ていたい作品だ。私は初回は映画館で見ると決めているため、映画館でみたいのだ。
2023年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019~2023年の積み上げなので、前年以前のデータもすべて含まれている。
この年になると神戸国際松竹の閉館も手伝って、かなり勢力図が変わっている。また利用した映画館も+2館と微増している。パルシネマしんこうえんと洲本オリオンはともに単館系のミニシアターだ。
洲本オリオンは淡路島唯一の映画館で、洲本バスターミナルから歩いて少しのところにあるところだ。一時期は閉館していたのがファンの熱心な応援で復活したと聞く。三宮からはバス一本で行けるためアクセスは意外と悪くない。
またOSシネマズは家から近い関係でミント神戸が神戸ハーバーランドを追い上げてきている。ミント神戸で上映しているアニメ映画は大抵ハーバーランドでも上映しているため、利便性を取った形だ。
鑑賞リスト
鑑賞リストの行数は年々増えており、この年はかなり見た。前年と比べると作品本数が増え、一作当たりの鑑賞回数は減っている感じだ。
とにかく食わず嫌いを減らして色々見た年だったと思う。実写作品も混ざっているのが特徴的だ。
アムリタとアラーニェは完全個人製作、声以外全部俺みたいな作品で、かなり前衛芸術的な作品でよかった記憶がある。
年の後半からOSシネマズミント神戸の文字がOSシネマズ神戸ハーバーランドに変わっているが、これは運動不足解消のためと、映写品質の関係だ。ミント神戸はスクリーンが掃除されていなかったり、箱が小さく音のダイナミクスに欠けているなどあり、ややイマイチだった。また家から近すぎて全く運動にならない。そこでリモートワークで鈍っている体を動かす為にハーバーランドまで行くことにした。
年末でミント神戸に戻ってきているが上映していなかったか寒くてサボったかのどちらかだと思う。
2024年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019~2024年の積み上げなので、前年以前のデータもすべて含まれている。
この年はOSシネマズ神戸ハーバーランドとミント神戸の勢力が逆転し、新しく3館の利用が増えた。シネリーブル神戸、TOHOシネマズくずはモール、シネマサンシャイン衣山だ。
シネリーブル神戸は存在は知っていたものの、アニメ映画をしていなかったので一切気にかけたことがなかった。テアトル東京系の配給を軸にやっている場所のようで、中々いくことがなさそうだと感じた。
TOHOシネマズくずはモールはトラペジウムのグッズを求めに関西一円を飛び回っていた時に丁度上映があったので入ったが、音響も映写もかなり良かった。遠すぎるので中々行けないのが悔やまれる。
シネマサンシャイン衣山には「がんばっていきまっしょい」を観に行ったのだが、なんと利用回数のうち一回はスケジュールの都合がつかず飛行機で行くという前代未聞の映画鑑賞となった。残りも聖地巡礼旅行の過程で、フェリーで松山に向かい3泊4日の旅程で鑑賞するという、だいぶ頭のおかしいことをしていた。
他にも塚口サンサン劇場や洲本オリオンの回数が増えているなど、勢力的変化も見て取れる。
鑑賞リスト
もはやこの年になると、ある作品の鑑賞の間に他の作品が割り込むなど当たり前というか、セカンド上映や同時期に出た作品を並行して観ることが増えたので、当たり前になっている。
特筆すべき作品はトラペジウムで、過去のトラペジウム記事を見ればわかるが狂気に染まりまくっている。
僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクストも多く見た作品で、個人的にメジャー作品はそこまで見ない中、異例の出来事だった。この作品はどうしても姫路でも見たかったため、アースシネマズ姫路にまで足を運んでいるが、特別音響上映でないのもあり、これは特に何ともなかった。
2025年
利用映画館積み上げ統計
このグラフは2019~2025年の積み上げなので、前年以前のデータもすべて含まれている。なお2025年はまだ終わっていないので本日時点のデータだ。
体を動かすぞという強い意志によりOSシネマズ神戸ハーバーランドでの鑑賞回数をOSシネマズミント神戸に逆転させることができた。
既に本日5月時点で新しく3館の利用が増えている。シネマスクエア7、チネチッタ、ufotable CINAMAがそれにあたり、これらは全てメイクアガールの鑑賞のために県外遠征した結果増えている。シネマスクエア7とチネチッタについては新幹線を利用して向かっており、年々映画館に行く方法が壊れているのを感じざるを得ない。いや、飛行機で見に行った松山が一番おかしいのは明らかだが…。
鑑賞リスト
今年は例年になく1~5月まで毎月何かしら見ている。その割にバリエーションがやたら薄い気がするが気のせいだ。
特にメイクアガールは過去最長の連続鑑賞期間を誇り、1月から5月に渡り毎月見ているという異常っぷりが出ている。更に8館で見ているのはSAOP2と並ぶ過去最多だ。T・ジョイ梅田でも見ていれば過去最多になったので観ておけばよかったか…。
しかし鑑賞した県の多さではメイクアガールが圧倒する。兵庫、神奈川、山口、徳島の4県で見ており、ここまで様々な都道府県で見た作品は他に例がない。
そして2021年からずっと鑑賞を続けているプリンセス・プリンシパルもまた特別な作品だ。今回は姫路で朝から特別音響上映があるということで、新幹線で向かった。正直今見たら1day切符で直通特急でもいい気がしたので、次回から検討したい。新幹線は高い。
その他の統計
年月別鑑賞統計
年単位での月別鑑賞回数の積み上げグラフ。2021年以降は鑑賞回数が増え続けていることがわかる。
大まかな傾向としては年の後半に行くにしたがって鑑賞回数が増え、年の序盤は少ない。特に1月は皆無か、あってもわずかだ。2023年が最も万遍ないが、2025年の今年は1月から5月まで埋まっているため、珍しい状態だ。
時間別鑑賞統計
基本的に仕事終わりか割安のレイトショーを見るため18時以降の鑑賞が多い。日中は11時台が多いが何故多いのかは特に振り返っていない。
曜日別鑑賞統計
封切である金曜日と、休日である土日が多い。平日は映画館の時間が合わないことも多いので、かなり少ない。木曜が若干多いのは終映や特典配布の関係かと思ったが、特に関係なさそうだった。
県別映画館利用統計
圧倒的に兵庫県の映画館を利用していることがよくわかる。そりゃそうだ、兵庫県民だもの。とはいえ一割程度は県外で観ていることが分かったので、やはり可視化してみると面白い。
鑑賞記録は一番目の表に記録していて、県別の統計は二番目の表にまとめており、これをExcelのデータモデルのリレーションシップで繋ぎ、三番目の画像のピボットテーブルを作ることで実現している。
このテーブルの都道府県名の横にある+を押すと展開できたりする。
3回以上鑑賞した映画作品の一覧
ヘビロテ鑑賞作品一覧ともいえるグラフ。やはりトラペジウムは狂気に染まりきっている。これを超える作品は出ないと思う。
アニメ映画は、これまでに74作観ているが、その中で17作が3回以上見た作品なので、鑑賞したアニメ映画の23%程度が3回以上観た作品ということになる。
関係するデータの存在
今回の記事とは関係ない話になるが、見たアニメ映画の公開情報をまとめたデータも作っている。
こんな感じで何月に公開された映画をよく見ているかの集計に使っている。公開年に関しては公開年であり、観た時期とは関係がない。
元々は映画館で見た記録と合体させていたのだが、複数回見るとデータとして歪になることや、公開年月を鑑賞日から分離させたいことや、実写作品を始めとした適合しない作品を入れると破綻することなどがあり、データを疎にする意図で別データとして管理している。
投稿日:
今月の頭にメイクアガールのノベライズを読了したものの、あまりの感情の波で感想を書けていなかったので、何とか心に整理をつけ、もう一度読み返しつつ書くことにした。あまりにも感情が揺さぶられるのでなかなか大変だった。
ある程度整理して書いたつもりだが、ぶっちゃけ全然まとまってない。これでも書きたい感情という名のノイズをだいぶ削って整理したのだが、ちょっと無理がありすぎる。安田現象と池田明季哉という人物はきっと人の脳を破壊する悪魔か何かだと思う(誉め言葉)
第3章
彼氏と彼女のあいだの問題は、本人たちが解決するしかない
これは邦人と邦人の彼女の関係性にもつれが起き、その原因である0号が自分を思い詰めていた時、0号をたしなめるのに茜が使った言葉だ。
0号は最終的に明をめった刺しにすることを決意するわけだが、その一端としてこの発言が影響したのではないかと考えている。「本人たちが解決するしかない」ならば、明をどうにかするには0号自身がどうにかするしかないというわけだ。
絵里にハンバーグプレートを届け、明に肩を叩かれる場面
この時、0号は明に肩を叩かれ、あまりの嬉しさに心臓が跳ねて飛び出そうになる。明からオーダーを言われ、返事をする必要があるのに心臓が体の中で跳ねまわっていて、言葉が出てくる前にぶつかってぺしゃんこになってしまうほどだ。この時、0号は舞い上がり、私を見て。私を認めて。私を愛して。私は明さんの彼女になります。そのためだったら何でもしたい。そう「なんでも」と心に誓う。
このときの0号は愛おしく愛らしく可愛く健気で大変かわいい。反面、なんでもするという言葉が引っかかった。非情に意志が強く見え、ひょっとしたらこれは稲葉の束縛を解くことさえできるのではないかと思ったほどだ。
そう考えると、このときの原動力が最後の場面で明へ向ける殺意につながったのかもしれない。
第4章
0号だけがどんどん成長していくことに気づく明
この時に明は、0号が自分自身にとって、マイナスに作用しているのではないか、という仮説を抱く。個人的にはそれ以前に邦人が彼女が出来たらパワーアップするという何の根拠もない話を疑ってほしかった。
まず0号はこの時まだ生まれたばかりで、そう考えた場合、成長は初期は高く、後期ほど鈍化するため、0号の成長が著しいのに対し、相応の年数生きてきた明に同じだけの成長が見られないことは妥当であろう。
基本的に明の仮説の立て方は論理的にみると間違っているところが多々あり、様々な論理破綻を起こしているように思う。それゆえに稲葉が残した情報資産を読み解き、それを頼りにしたものしか作れないのだろう。そう考えると彼が自分の意志で作ったものはほとんどなく、カップ麺製造マシーンも稲葉の発案ではなかろうか?
あれを作れるだけの論理的思考が仮にあるとすれば、こんな発想に至ることもないだろう。
第5章
……なんで人は、人を好きになっちゃうんだろうね…
これは邦人が0号に八つ当たりした後に茜から出る言葉だ。恐らく邦人の態度と、0号の様子、そして自らが明に抱く気持ちからきているのだと思う。
個人的に茜が一番かわいく見える場面の一つはここだと思う。
明さんは多分、ちょっと困っています。なのに私は。もっと困らせたい、と思いました。
これは0号が明をデートに連れ出し、服を選ばせているときの0号の気持ちだ。
明がうまく服を選べず困惑しているところを、0号は楽しんでいる。これは0号が見せる数少ない無邪気さで、とても微笑ましい。
そしてこの後、0号は好意の正体に気が付き、最早明のパワーアップより自らが明を好きな気持ちを優先するようになる。ここは気持ちのすれ違いポイントの一つだと思うが、そもそも明がまともに0号の相手をしていなかったのが悪いので、0号は悪くないだろう。むしろ「普通の女の子」を目指した結果としては正しかったのかもしれない。
ここで0号が触れた、明のことが好きという、好きってこれでいいんだという「世界の真実」は決して壊れてほしくない。私はそう思った。これだけは絶対に壊してはいけないものだった。そんな資格は水溜明にも、水溜稲葉にもない。なぜなら、私も0号同様に、それが「世界の真実」だと思ったからだ。
第6章
0号といるあいだ、僕は研究者ではなく、「普通の男の子」だった。
「むしろ0号と時間を過ごすのは楽しかった。満ち足りていた。でも、そうあってはいけないのだ。僕は研究者だから。僕が満ち足りるのは研究がうまくいったときだけであるべきだ。」と明は回想しているが、ひょっとするとこの強い否定は稲葉の意思が干渉しているのだろうか?と少し思ったりした。
彼女なんていても意味がない
ここは邦人から苛烈な言葉を受け、明が0号との決別を決める場面だ。
明は「彼女なんていても意味がない。じゃあ僕はずっと意味のないことに振り回されていたのか。」などととんでもないことを思い始める。
いや待ってほしい、ちょっと前まで「0号と時間を過ごすのは楽しかった。満ち足りていた。」とか思っていたではないか?その気持ちはどこへ行ったんだ?と言いたくなる、悲しい場面だ。
更にこの後、明は0号を生み出した自分自身に対し疑問を投げかけ、最終的に失敗作である0号がいなくなることは清々しいとまで言い切ってしまう。あまりにもむごい。むごすぎる。
しかしこの部分は映画館で二回目を見たときに書いた、アキラが0号を完全に処分しない不思議と辻褄が合う。恐らく明は0号を処分したかったのかもしれない。しかし人としての最後の情がそこまではしなかったのだろう。明にも第三人類とはいえ、人を殺めてはいけないという程度の良心はあったのだ、たぶん。
第7章
0号が明に連れられてマンションに行く場面
0号は明に誘われてデートに誘われたと思い込み、今まで誘ってばかりだったのに、やっと明のほうから誘ってもらえた。振り向いてくれて嬉しかったと舞い上がるのだが、その思いもつかの間、物語は地獄へと急展開を迎える。そう、離別宣告だ。
ここでは映画では表現されていない0号の壮絶な告白と、感情の爆発がある。0号はここで初めて明に対して明示的に「あなたのことが好きなんです!」という。明と0号は元々恋仲という関係から始まっていたため、ここだけは普通ではなかったのだ。
0号は本当は言いたくなかった。普通の女の子と、普通の男の子の関係であれば一番最初に出ていたはずの言葉が、この期に及んで出てくることが嫌だった。普通ではないことを認めたくなかった。
ここからあとは映画と同じだ。別れたくないという0号が明にしがみつき、明が生体制御を発動する。その合間にも0号の中には様々な葛藤が巡る。あまりにも非情で見ていられない。ここはそんな場面だと感じた。
第8章
あらゆる研究は必要から生まれる
これは研究というものは何かしらの必要性があって生まれるという明の持説である。そして、明は研究のために生を受けたので研究することがすべてだと言っている。
つまり明の研究には目的がないといえる。恐らく明の研究が軒並み失敗に終わるのはここが関係しているのではないかと私は考えている。何故なら研究することが目的なら、そこにゴールはないからだ。賽の河原で石を積んでは崩されを繰り返しているのと何も変わりやしない。むしろ死ぬまで研究しつづけるのなら失敗していたほうが都合が良いまであるだろう。
恐らくこれは稲葉が明を創造するときにインプットを誤ったか、そもそも明が「試作品」だったので、こうなったのではないかと考えている。
何かを犠牲にしたところで、何かが得られるとは限らない
これはおじさんが発する内容の一つで、家族を顧みず研究をしたところで、何も得られはしなかったし、家族を失ってしまったという自戒だろう。
そしてそれは明も同じなのだ。0号を捨て研究をしたところで明に得られるものはなく、0号をただ失うだけ。
家族がいたら楽しいと思って。だからこの子
「『家族』がいたら楽しいと思って。だから『この子』」「そろそろ迎えに行ってあげて」「生きなさい。『あの子』と一緒に」とは二回目の回想の場面で稲葉が明に対し告げるセリフだ。
ここだけを切り取って考えると「あの子」は稲葉自身だとは思えない。恐らく0号が尊重されているのではないだろうか?
この時点で稲葉は0号と明が共に生きてほしいと思っていたのかもしれない。まさか0号を乗っ取るだなんて、想像もできないような言い回しだと感じた。
第9章
明さんにとって邪魔な私
0号は明と別れた後、その原因が自分にあると思い自問自答を始める。
明は研究が第一で、デートに誘う自分自身が邪魔なこと。それを知りつつも明と一緒に過ごしたかったこと。それゆえに自分が明に捨てられたこと。
自分自身が普通の女の子だから。明に普通の男の子であってほしいと願ったから。本来明を普通じゃなくするために生まれてきた存在のはずが、そうなっていないということを思い詰めていた。
そして0号は自分自身の存在意義を考え始める。明に必要とされていない自分は何のためにあるのか、何のために生まれてきたのか、これからどうして生きていけばいいのか。
至極当然の考えではあるものの、普通の女の子になってほしいと願ったのは他でもない明である。明にその自覚がないとしても。個人的には0号をここまで追い詰めた明は人として最悪だと思う。人でなしとは、まさにこういう人間のことをいうのだろう。
第10章
ソルトから電撃を受け、夢から目覚める明
稲葉の介入を受けた明は全てを理解できるようになる。自らが稲葉の干渉を受けたことさえもだ。
そして、すべての失敗作が成功作に姿を変える。もしかしたら失敗作扱いだった0号が、後に家族になるのはこの筋道に沿っているのかもしれない。
自分を0号の母親だと思い込む明
何もかもが支離滅裂だが、明は0号の生みの親が自分であるから、自分は母親であり、母親であるからして0号が慕うようになるのは当然だという考えを抱くようになる。あまりにもひどい妄想で、ここまでくると、もう手遅れだと思った。
そして母親と別れなくてはならない恐怖、期待に答えられない不安、それを誰よりも知っているのは自分だ。だから0号に謝らないといけない。共に生きていく家族になりたいと思い始める。
ここが最大のすれ違いであることに未だに明は気が付かない。それは明の本意であり、0号の本意ではないということに。
この時点で明と0号が向いている方向はまるで正反対で、どちらにも救いはないのだが、個人的には諸悪の根源でかつ、0号をあそこまで捻じ曲げた明には同情の余地がなく、0号にこそ幸せになってほしいと思っている。これはメイクアガールの映画・ノベライズの媒体を問わず、一貫して持っている私の信条だ。
第11章
心の機微を読み取れるようになった0号
茜が不機嫌なふりをして、邦人がそれを茶化すことを理解し、キッチンもホールもできるようになっていた。0号はそれほどまでに成長した。0号は人間として間違いなく圧倒的な成長をしていた。完全に「普通の女の子」だった。いや、普通以上だろう。何せ茜がベースなのだ。平均より努力している。
恐らく茜から明への想いも理解していたのではないだろうか。理解していたとしても一切その発露がない当たり、気にしてはいなかったとは思う。明は0号のものなのだから当然だ。
絵里に拉致される0号
0号は絵里に拉致され、自分を見つけた自分と、そこにたどり着けない自分について葛藤していた。
0号は明から放逐された後、いろいろと考え、もう自分は明に縛られていないことに気が付く。
一人の人間として自分のことは決めていい、着る服も、観る映画も、そして愛する人も。全て自分に決定権があることに気づくことができるまでに成長していた。自分は自分のために人生を歩んでいいのだと。この考えは完全に明の設計の範疇から離脱していた。
しかし同時に、茜と違って自分は普通の女の子ではないところから、普通の女の子になったことに葛藤を抱いていた。第三人類だから、人間ではないから。そもそものスタートから違うから。
それ故に0号は0号という枠から脱せずにいた。そしてやはり0号は明のことが好きで、これ何をどうしても引きはがせない思いだとも感じていた。
0号はただ普通の女の子になりたかった。そんなささやかな思いさえ叶えられない自分に苛立っていた。
自分が自分であること、自分が自分でないこと、明のことが好きなこと、拉致されているこの状況から明に助けてほしいこと、0号の思いは酷く交錯していた。
そして眼前に明が現れ、拉致犯を止めたとき、私がずっと出会いたかった人に会えたと0号は思う。やはり0号は明が好きなのだ。
仮にそれが設計された感情であろうと、明のことが好きなのだ。ただただ一途に明が、明でないとだめなのだ。
私を作ってくれた明さん、それは唯一無二の明さんで、0号にとっては外の何物にも代えがたい、かけがえのない存在だった。
第13章
明が0号の拘束を解き開放する場面
明と0号の想いはすれ違い続け、この時点ではもはや修復不可能な次元に達していた。明の言葉はことごとく0号に届かず、虚空に消えた。
0号は「普通の女の子」になろうと努力し、茜や邦人との関係の中で「普通の女の子」になった。「明さんのことが大好きな、普通の女の子」に。しかし明は「作り物」としか見てくれない。
明にとっての0号はパワーアップアイテムでしかない。0号はその境地に至り、明のすべてを諦めてしまう。
一方で明は0号と家族になりたいと思い込んでいて、0号もそうだと考えている。未来永劫平行線だ。
結局、0号を否定することしかできない明はめった刺しにされてしまう。
生体制御が限界まで発動し、薄れゆく中でも最期まで明への愛を持ち続ける0号の姿は、皮肉にも0号が真に「人間」になったことを示している。0号は稲葉の生体制御さえもはねのけ、明よりもよっぽど人間になったのだ。しかし0号は息絶えてしまう。仮に天国に行ったとしても明がいなければ地獄であるという想い。なににも代えられない、明への感情を残したまま。
ああ、なぜ明は分かってあげられなかったのか。どうして0号はこうまでなる必要があったのか。私はただただひたすらに悲しかった。どうにかなってほしかった。こんなのあっていい結末ではない。
映画のほうの感想でも散々言っているが、これこそがメイクアガールだと思う。これでこそメイクアガール。この醜さと、そしてそれにより映し出される美しさこそがメイクアガールなのだ。
第14章
0号の本当の想いに気づく明
滅多刺しにされ、意識が途絶えた0号を介抱する中で明は0号の抱いていた、証明しようとしていた、本当の想いに気づく。そしてそれを否定してしまった自分自身のことも。切りつけられたのは当然と納得する。なんとも淡泊な人間である。だから何に対しても悪意がないが、興味もないと評されるのだ。
そして明は最初から彼女は求めていなかったことに気がつく。最悪だ。0号は永遠に報われない。こんな結末があっていいわけない。
後悔はたくさんあるけど0号が目覚めたら君は家族なんだって気持ちを伝えたいとまで言う。そう、明はまだ0号の気持ちを認めない、この期に及んでもなお自分の身勝手を押し付けるのだ。
エピローグ
不老不死を目指した水溜稲葉
水溜稲葉の不老不死への執着が生んだのが水溜明という第三人類の試験体だった。当初は稲葉のクローンとして設計されたが、稲葉は次第に実の子として愛情を注ぎはじめた。
しかし稲葉には残された時間が少なかった。そこで意識転写のついでに明に次世代の自分を作らせようとデータを残した。
そして生まれたのが0号だ。しかし稲葉の計画は失敗し、明は0号を恋人として設計してしまった。稲葉にとってはこれは想定外の出来事だった。
稲葉はあらゆる手を使って意識の書き換えを狙うが、すべて不毛に終わった。しかし、稲葉にとっては幸運なことに0号の意識が失われるイベントが発生した。そう、明を滅多刺しにした後でのことだ。
この隙を狙い、稲葉はソルトを用いて0号の意識を自分の意識で上書きする活動をはじめ、復活を遂げる。あまりにも最悪なシナリオだ。しかも稲葉は0号を消し去ったうえで、永久に生きたいと言う。
明という一人の家族と一緒に消滅と再生と、別離と再会を未来永劫繰り返してさえも、一生生きていたいという。あまりにも残酷で、最悪な結末だ。
恐らく映画とノベライズではシナリオに細かい差異はあるものの、大筋は同じなのだろう。しかし、私にはノベライズ側は受け入れがたい、辛いシナリオだった。これでは0号が報われない。余りにも非情で残酷だ。恐ろしいまでに救いがどこにもない…一切何ら救いがない。ここまで救いがない物語は初めて見たかもしれない。それくらいに非情だった。
頼むから0号を返してほしい…明は0号を自死に追いやった殺人犯のようなもの。そして明は0号を失い、そこに稲葉を求めるのだろう。しかし私は0号が好きだった。0号を返してほしい。
総括
全体を通して思ったのは、自分とは何かを追い求め、自分を見つけ、自分が「自分」であり、「自分」が自分として、人生の筋道を見つけていくことだ。
0号は生まれ持った命題をこなすうちに、新たな自分を見つけ、そして「自分は自分の人生を生きていい」ことに気づき、生まれた命題を塗り替えるにまで至る。これは大変すさまじいことだと思う。並大抵の努力ではなし得ない、全ては明への愛から生まれるものだ。明が好き、明から自立したい、普通の女の子なりたい、それでもやっぱり明が好き。そういった思いを源泉として成り立ってきた歴史から生まれたものだと思う。
同時に0号は頭では理解していても、感情が追い付かない場面にも遭遇する。自分が明に捨てられたことを理解しつつも、明のことを嫌いになれない。世界で一番大好きな明さんを忘れることは0号にはできなかった。この感情こそが0号を愛らしい存在へ消化させるための要素といえるだろう。
そして映画版のほうでもう何度書いたか分からない感想だが、0号が明を滅多刺しにする場面や、0号が消えてなくなってしまう場面では余りにも悲痛な描写がされるが、これこそがメイクアガールをメイクアガールたらしめている部分だと感じる。0号が追い求めた本当の愛からくる尊さ、そしてどこにも救いのない物語。まさに美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい物語だと感じる。
またノベライズの肝だと思うが、一番最後のエピローグで出てくる水溜稲葉という人物の地獄のような思想はなんとも許しがたい。こんなストーリーはあっちゃいけないんだというレベルの残忍さを覚える。私は0号に戻ってきてほしい。0号と明は「普通の女の子」と「普通の男の子」として生涯を幸せに過ごしてほしい。不老不死になる必要もない。年老いてちゃんと鬼籍に入ってほしい。復活しなくていい。
脇道:作品を読んでいて感じたこと
自分とは何かを追い求め、自分を見つけ、自分が「自分」であり、「自分」が自分として、人生の筋道を見つけていくことは決してだれにも邪魔されず、もし自分が作られた存在、その意義が他者にあろうと、自分は自分の人生を生きていく。つまり、生きがいを見つけ、そうやって生きいくと、自分の人生を歩めるかもしれない、私はこの作品を通じてそう言う想いを抱いた。
個人的には自分としての生き方を問い直す契機となる作品だったように思う。自分が何であるか、それを問い直す良いきっかけになった。別に「何者かになりたい若者」みたいな話ではなく、自分という芯は必要だなということだ。
私は優柔不断な部分が多くあり、普段は何でも屋みたいなオールラウンダー的な生き方をしているが、MMORPGを辞めて以来、何か一つに集中できたことがあまりない。そんな中で明だけを見つめて生きる0号には一種の羨望を抱いた。ただ、羨望していても仕方がない。私も何かを定めて、何かを為さねばこの先はない。それは主に社会人としてのキャリアもだし、人生もそうだなと思ったのだ。
別に生きるのに目標や目的はいらないと思う。義務感で生きるのはしんどいしね。でも、それはそれとしてだらだら時間を浪費しているのもったいないとも感じる。資本主義の荒波に流されているだけでいいのか?自分自身を持ったほうがより充実しないか?というのは前々から考えていた。この作品を通じて、その考えをより固めることができた。
AI(LLM)の台頭する社会であるからこそ、自分が自分であることを持つことには意義があると思う。何故ならLLMに頼っていては最終的にはLLMのモデルの数程度に考えが収束してしまうからだ。LLMは言葉尻を変えた回答や噓をつくことはするが、基本的に本質的に同じことしか話さない。
人に嫌われようとどうなろうと、人間には独自性が必要だと思う。つまり、自主性だ。己の思ったことを、己の思ったとおりにする。それこそが人間を人間たらしめる行為だろう。



































