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日頃仕事で開発をしていたり、そこら辺のWebサービスの振る舞いを眺めていると不思議というか、奇妙というか、端的に言うとありえないリクエストを投げているものを見かける。
一例としては次のようなものを見たことがある。
フロントエンドで第三者サービスに問い合わせクライアントIPを取得し、それをバックエンドに送る
これの問題点はまずクライアントのIPを幾らでも捏造できることだ。
クライアントからバックエンドに投げている値など幾らでも偽装できるため、その中にクライアントのIPアドレスを含めるのは何の価値もない。
他にも第三者のサービスを利用しているので、そこが落ちてたり、仕様変更があったりすると使えなくなる。
サーバー間のHTTP通信でクライアントのIPをREMOTE_ADDRヘッダーに入れて送る
具体的にはSSRを利用しているNext.jsのサーバーサイドレンダリング側で、クライアントのIPを取得し、後ろにいるAPサーバーにHTTPで投げるときにREMOTE_ADDRヘッダーに入れて送っていたケースだ。curlで表すと次のような形式だ。
curl -H 'REMOTE_ADDR: <ここにIP>' http://example.com
サーバー側はクライアント側のIPをサーバー側が設定するので、このリクエストには意味がない。トラフィックと実装コードの無駄といえる。
サーバー側が何を基にして設定しているかは実装依存だと思うが、恐らく一般的にはトランスポート層より下ではないだろうか?
あとがき
いわゆるフロントエンドエンジニアや、プログラミングスクール卒などの意識が低いエンジニアらが書いたコードを見ているとこのようなものが散見される印象だが、もう少しちゃんと考えて実装して欲しいと思う。
なんというか、最低限常識とされている部分は理解しておいてほしいなというのはすごく思う。
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カールと言えば西日本でしか買えないお菓子で有名だが、最近近所のローソンやファミリーマートでカールの取扱がなくなった。参考までに私は神戸市に住んでいるので西日本在住である。
セブンイレブンのアントレマルシェにはあるし、キリン堂やライフにもあるので、取扱店自体は残っているが、関東資本の全国チェーンのコンビニでは西日本限定対応はしなくなったのかもしれない。
セブンイレブンのアントレマルシェに置いてあるのは恐らく土産店だからだろう。実際西日本でしか買えないのでお土産にどうぞみたいな売り方がされている。
しかしカールの取り扱い店舗が減るのはカールファンとしては残念なことだ。このままカールが消滅しないとよいのだが…。
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なんか最近こんなことばかり書いている気がするが、周りを見ていると日本がなくなって欲しい人を無数に見るので、見るたびにモヤモヤして吐き出したくなってしまうので、つい書いてしまう。
今回はいくつかの観点から日本国の存在意義について疑問を投げかけていく。
日本らしさの喪失
日本の存在意義についてググると日本は安全だとか、先人を尊ぶ、相互扶助の精神など、おおよそ昭和の頃に語られていた日本の長所みたいなのが出てくるが、私は今日の日本においてそのような物は過去になりつつあると感じる。
欧米化が進み、保守的な日本は悪であるとか、欧米ではこれが普通、日本はおかしいみたいな論調が続いた結果、だいたい破壊されたと思う。
先日「日本は相互信頼の度合いが高い社会で、その結果として食や安全が低コスト高品質に保たれている」という意見を見たが、それはまだ地方分散があった頃にあった村社会的な話であり、今どき近所で相互監視社会なんてない。何なら家庭内ですらない。これは人権を重んじた結果、お互いに干渉することが悪となったためだ。
常識とか社会通念みたいなのも今は古の概念で、多様性と言うのはこれまでの平和をすべからく破壊し、新しい時代を生み出す行為なのだから当然だ。個人的には江戸時代の方が余程多様性あった気がするが。
そして今後も日本らしさというのはどんどん失われていくと思う。
地方の存在価値の低下
他の記事でも再三書いたことだと思うが、今の日本は東京を拠点とする企業によって支配されている。
地場企業の多くは買収や合併、或いは競争力を失ったことによる廃業で数を減らし、その代わりに東京の企業が台頭してきている。例えば今や大抵の地域で吉野家やイオングループ、ローソンと言った全国チェーンを見ることができる。
逆に昔存在した商店街はシャッター街になっていたり、最悪更地になって消滅している。
勿論地方に残っている企業も一定数あるが、その数は知れている。また、登記上の本社は地方だが、本社機能は東京にあるみたいな企業も少なくないだろう。
地方産業としてよく名の上がる第一次産業も衰退が著しく、国産か外国産かというのは今日では最早ブランド以上の意味を持たない。第一次産業への補助金もあるため、どちらかと言えば負債である。
機械化して国産の食べ物を残すという話も聞くが、恐らくこれが始まると国産作物の価値は下がると思う。これは標準化された手法で機械的に生産されるのであれば別にどこで作ろうと大差ないからだ。
何が言いたいかというと東京によって均一化された今、最早地方の存在価値はほぼないということだ。
インフラ維持費の増大
インフラは年々高度化しており、その建設費や維持費は膨大なものになっている。これを日本全国津々浦々に張り巡らせるというのは非常に非現実的なことだ。
現在、NTTがフレッツ光クロスとして一般向け10GbE回線の普及を頑張っているが、今は大都市部に限られているこの施策を地方部にまで行き渡らせようとすると、相当コスト的な無理があるだろう。
まぁこれは民間企業の話なのでまだいいが、地方自治体や国が似たような事を始めれば到底体力が持たないだろう。
もし人口を関東圏に集中させ、それ以外の地方は切り捨てると言うことができれば、この問題は解決することができる。幸い関東平野は広く、土地がふんだんにある為、全員を住まわせるだけの余裕はある。
集中させることで輸送費や人員の問題が解決するほか、雪国や島国と言った、特殊な地理を持つ地域固有のインフラ事情から解放され、そういった物を維持管理したり、作ることをしなくて良くなるため、無駄の削減にもなるのは利点だ。
他にも多くの地方自治体で同じことをしていることの無駄からも解放される。今流行りのDX的な話で言えばスコープアウトや効率化といった話になり、とても良い方向に進むだろう。
国際企業による支配とグローバリズム
今の日本はAWSやGoogle、Appleと言ったアメリカの大企業にITインフラの大半を握られている。またSDGsや普遍的価値観とやらを達成する必要性に迫られている。
こういった巨大組織は一々数多ある国ごとの個別事情には対応できず、硬直的な運営をせざるを得ない。SDGsや普遍的価値観とやらもそうで、個別に例外を作っていると収拾が付かないので決めの問題として世界的な方針を決める必要がある。
そうしていった先に日本固有の法律はなくなる筈で、固有の法を失った国家に存在意義が残るのかというのは疑問だ。
そうでなくともデジタル赤字と言う名の貿易赤字があるため、真綿で首を絞められるように長期的に日本は国力を失い無力化していくだろう。
世界から隔絶されていた昔と、世界が繋がってしまった今
昔、まだ日本が一つの国ではなくバラバラの国だった頃、高度なインフラもなく、それぞれの国が固有の価値観や言葉を持っていた頃は、お互いの国同士は基本的に干渉し合うことがなく、その土地の人はその土地に生きていたので成り立っていたと思う。
しかし現代は違う。今の日本は、過去の国々が全て繋がり、更に居住移転の自由があり、不毛な土地に住むくらいであれば、豊かな土地に住んだほうが良い暮らしができるため、地方を衰退させるモチベーションが生まれている。
更にインターネットや交通手段の進歩により、全世界がリアルタイムに繋がるようになり、例えばある国家から、別の国家を見た場合に「私達の国ではありえないことが起きている!」という状況が見えるようになり、これが問題として捉えられるようになった。
これによってナントカ国人ではなく、地球人類という概念が発達したと私は考えている。
日本語の存在価値
日本は英語が苦手な人が多く損をしているとも言われている。今は社内公用語を英語に定める企業も増え、採用で国籍を重視しない考えも一般的になってきた。
そうなってきた時に日本語の存在は一つの障壁となるだろう。別に英語を公用語にしても問題はないわけである。
そもそもなんのために日本語が今必要なのかについては考え直すときに来ている可能性がある。
日本国の存在価値
ここまで来ると日本が日本として存在している価値はあるのかどうかというところが気になってくる。
コンビニなどでも外国人を見かえることが増え、これまで通り日本文化を堅持する事は彼らに対しての差別や人権侵害になりかねない。しかし文化を捨てたとき、一体国家として何が残るだろうか?
地震や災害の多い国で、そんな土地に人を住まわせていること時代が差別的で人権侵害であるという考えも取れると思う。つまり土地を捨てるべきかもしれない。
巷では「日本は遅れている」とか欧米の施策を見て「全員これを無条件で採用すべき」みたいな声は飽きるほど聞く。
ならばもう日本国に存在意義はないのではないだろうか?あるとしたら何があるというのだろうか?
もし、日本が国家を廃止し、アメリカを始めとした欧米諸国に集団移住すれば日本国に現在存在するありとあらゆる問題は全てきれいさっぱりなくなる。なぜなら日本国が消滅しているからだ。消滅したものは残らない。宛先の国に同じ問題があるみたいな話があるなら、最終的に全ての国を廃止し、国家をなくせばいい。
AIが全てを判断する世界統一政府が全てを取り決め、人はそこが決めた通りに生きるというのであれば以後の問題は起きないだろう。何故なら世界統一政府は絶対的に正しいからだ。
最後に
この記事は単なる思考実験であり、本当に日本がなくなって欲しいという思いで書いているわけではない。むしろ私は日本という国が悪い面も含めて好きなので残っててほしいとは思っている。
とはいえ現実問題どうなるかわからないので、客観的な目線で考えてみている感じだ。
このまま欧米主導の全体主義が進み、世界のコモディティ化が進めば世界各国が、日本の地方にある自治体と東京みたいな関係性になるのは目に見えているので、そこから考えれば日本という国もまた存在意義を失い、消滅しても不思議はないなと思う。
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OSシネマズミント神戸で見てきた。話題作だけあり、19時からのスクリーン8は満席の盛況で、日頃マイナー作品ばかり見ていると新鮮な光景だった。
本作の感想を一言でいうと、なんとも地味な作品と言うのが率直なところだ。予告は印象的だったのだが、作中で見ると微妙なシーンが多く、奇跡の一枚を切り抜いたような予告だったなと思った。
主な舞台は東北の田舎で、恐らく山形県だ。方言は出てこないが、いわゆる東北の訛りが強く出た作品で、方言好きには響く作品だ。
内容的には漫画を書く子供が成長し漫画家になっていく過程と、田舎で別れたかつての親友が連続殺人事件に巻き込まれて亡くなるといった内容で個人的には余りパッとしなかった。
ストーリーとしても突如として親友が死ぬことのなかったルートがパラレルワールドとして描かれるが夢オチで終わるなど、割と破天荒な描写があり、あまりよくわからなかった。
一番印象的だった部分は、自分の作品を美大にパクられたと主張するイッちゃってる感じの人物が美大に侵入し、親友を襲うシーンがあり、これは前述の連続殺人事件に繋がるのだが、まるで京アニ放火事件の様なあらすじで、チャレンジングな表現だなと感じた。
全体を通して良くわからない感じだったが、一般向けにはこういうのがいいのだろう。
アニメとしてみると動きのない一枚絵が多用されており制作費の削減なのかなというのが印象的だった。恐らく制作費に対する興行収入は良さそうだ。
正直なところ、トラペジウムとは対極な作品だなと思った。これはオーケストラや大物芸能人を入れたり、凝った演出を多様して制作費を上げた割に絶望的なまでに客が入っていないトラペジウムと、尺が短く作画コストを相当削っており、そこまで金がかかってなさそうなのに客入りが非常に良い本作との対比である。
またルックバックと何ら関係ない話で、ここで書くのも憚られる内容だが、ルックバックの映画予告では長井龍雪、岡田麿里、田中将賀の超平和バスターズ、あの花コンビによる「ふれる。」という作品が出ると告知が出ており、こちらは大いに気になるので、早く上映予定日が出て欲しいところだ。