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メイクアガールを観てきた 五回目の続き。
去る3/23、今回は山口は宇部に飛び、シネマスクエア7でのセカンドランを鑑賞してきた。メインは感想なので手前に持ってきているが、後半に簡単な旅行記も書いている。
感想
いったい何遍書いてんねんという感じだが、流石に鑑賞ごとの感想はこれでラストにしたいと思っている。
今回も特に前回までの内容を深ぼったりはせず、見たままの感想を書いていく。これまでより0号と明以外にも焦点を当て、0号と明にはより焦点を当てて書いてゆく。
前回同様に感想はノベライズの影響を少なからず受けているため、そちらに引っ張られたようなことも書いている。
「いきなさい、いきなさい。いきるの。私と。」
ここは行きなさいなのか、生きなさいなのか、逝きなさいなのか、見方で解釈が変わるなと常々感じている。これはここに限らず、「いきなさい」が出てくる全ての場面でそう思う。
「生きなさい」と解釈する場合「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」というのは明が稲葉と共に生きて欲しいという、稲葉からの想いなのかもしれない。
つまり第三人類として稲葉を作り、一緒に生きて欲しいということだ。口調が命令形に見えるのは、恐らく明が稲葉に作られた第三人類で、稲葉の意思を無視できない設計になっているところがあるのだろう。
ただ恐らく明は0号同様に生体制御を振り切れる状態になっているか、造られて以来、長い時間が経ちすぎて、稲葉の意思が薄れていて、あまり効力がなかったりしそうだ。
そういうのは経験しないと知恵として昇華されない
「そういうのは経験しないと知恵として昇華されない」は邦人のセリフだが、これは昨今LLM界隈で少し話題になっている記号接地問題に通ずるものがあるなと思った。
記号接地問題というのは、その言葉(記号)を現実の意味として紐づけられるかという問題のことらしい。
モップ掛け
明にモップ掛けはもうしなくていいと言われた後にも、言いつけを守らず果敢に挑戦する0号の姿には、邦人に言いつけられた「自主性」が見事に表れていたと思う。
何よりここでソルトに対して、「あっち行け。しっし。」みたいに振舞うところは何ともかわいらしい。ここは、前後の神社の階段を上るとこと合わせて、この作品で最も好きなシーンの一つだ。
初のホールで明に頭をポンポンされる0号
ノベライズでは心臓が跳ねて、ぺしゃんこになるほど緊張しているみたいな描写があったが、映画では明確に嫉妬したような表情になっており、ちょっと表現が異なると思った。
ここ以外にも幾つか異なる場面が見られるため、恐らくノベライズは完全に同一シナリオとしてみるよりは平行世界のシナリオとして解釈したほうがいいかもしれないと思った。ただお互いに何かしら重力のようなもので引きあう関係にはあると思うので、解釈が難しいところだとは思う。
個人的には映画は映画として、ノベライズはノベライズとして解釈するのを推したい。といっても一度ノベライズを読むと脳裏にノベライズの内容が刻み込まれるので難しいが…w
買い物に誘う場面
0号が明が買い物に誘いデートする場面で明が行くのを断ると0号はムスッとした顔になるのだが、ここはやはりかわいいなと思った。いや、0号は常にかわいいのだが。
離別のために離れたマンションに連れていかれた場面
「どうしてあなたは私から離れようとするんです?」
「あなたは私を恋人として作ったんじゃなかったんですか?」
「これはあなたにとっても計算外のことなのではないですか?」
といった0号から明への感情の発露はとても切なく、それだけに心に刺さる場面だ。
また明が「いつからだ。いつから君は。僕の前を歩くようになったんだ。」と回想する場面もノベライズにない部分だ。これは恐らくノベライズでは明視点のシーンを除き、基本的に0号視点になっているのためだと思われるが、こういった箇所からも原作完全再現ではなく執筆を行った池田明季哉氏の解釈が入っていることが垣間見える。
そんなこと。僕にかまうのはやめろ!
このセリフは0号がまとわりついてくるのを邪険にした明のセリフだが、この発言で0号の生体制御を発動させることができるのであれば、終盤0号に滅多刺しにされている場面ではこの動きがなかった。要するにあの時は能動的に発動していなかったのではないだろうか?
この後に出てくる「母さんの開発は主の意思に逆らえないようにできている。」というセリフと共に回想シーンに入り、ラボでおじさんが落ちた片腕を呆然と眺めている場面があったと思うが、これはおそらく明が稲葉に何かしら抵抗し、その時に明の片腕が生体制御によって破壊された記憶なのかもしれないと思った。
これまでの鑑賞から明が稲葉によって作られた人造人間であることは明らかであり、このことはノベライズでは明示されている。
つまるところ、恐らく明は知っているのだ。生体制御の苦しさを。知っているからこそ、それがどれほど辛く苦しいか、死ぬほどなのかを理解しているのではないかと感じた。
稲葉との二回目の回想
回想の中で明と稲葉がやり取りする場面だ。個人的にここは水溜稲葉の意思が明と邂逅するシーンだと考えている。
「記録じゃこんな話はできないでしょ。」
「研究はこの子に託した。この子が私になってくれる。明くんが大きくなった姿も見てみたかった。」
「困難に当たるとき、そういう時、家族がいたら楽しいかなって。」
と稲葉が言っているのを察するに、恐らく稲葉の意識は生前で止まっており、ラボのサーバー群の中に封じ込められているのだと考えている。
なので、生前の状態では対話できる。しかし、明の現在の姿を見たりすることはできない、或いはそれを記憶することができないのかもしれない。これはソルトを遠隔操作して接触できたとしてもかなわないことなのだろう。
この後、明が稲葉に対し「またこうしてお話しできますか?」と聞くと稲葉は「生きなさい。あの子と一緒に。」と返す。冒頭の「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」の流れから考えると「あの子」は0号なのか、稲葉なのか気になるところで、稲葉はどちらの意味で言っていたのだろうか?
ノベライズ基準だと恐らく稲葉だと思う。映画基準では稲葉が「仲直りしたら?」と発することから、それは0号なのかもしれない。かもしれないというか、そうあってほしいという私の願望だ。だって0号が稲葉にとって代われるなんて、そんなの嫌じゃないか…。
ラボで茜と邦人が明を起こしていた時
邦人が「大丈夫だって、あの二人はそういうんじゃないんだよ」と茜に告げているときがあるが、もしかして邦人は茜の明への想いを分かったうえで、茶化していたのだろうか?と思った。だとしたらいつからなのだろうか?物語が始まるより前からなのか、その途中なのか。或いは、この茶化していた時に感づいたのか、それはわからないが、以外と邦人もわかってるやつなんだなと思ったし、ここからの流れは微笑ましいなとも。
邦人は恐らく純粋な悪友キャラとして設計されていて、それが最もいかんなく発揮されているのが、この場面だなと感じた。
茶ソルトからの支援
明が0号を探しに行き、そこから茶ソルトが支援に回る時の場面で、茶ソルトの目はずっと黄色に光っていた。黄色に目が光るときは主人への犯行が表れている時だと私は解釈しているが、だとするとこの時は何かしらの命令に反していた状態だったのだろうか?
少なくとも最後に壊れたのが、もしそれが理由だとしたら、これは何故なのだろうかと思った。
個人的にあのソルトには稲葉の意思が宿っていると考えているが、もし稲葉の意思のクローンみたいなもので、稲葉の意思に反抗して動作しているとすれば納得できるかもしれない。或いは市中のシステムをオーバーライドするのが主従を無視した状態ともとらえられるかもしれない。
なんにせよ考察し甲斐のあるポイントだと感じた。
明と絵里の対峙
「親譲りの才能、恵まれた環境、きらびやかな成果物、私も頑張ってきた」と明に当てつける場面があるが、ぶっちゃけ絵里は明の作ったものを改造する程度のことしかできていなかったので、研究者としてみるとどうなのか?と思ってしまうところはあった。
最後の最後までソルトの改造しかできていなかったのだ。ある程度自律的に動く人型ロボットは今の世でもBellaBotの様なものはあるわけで、ソルトの機体を真似して殺戮マシーンくらい作れただろうし、あそこまで作れたのに自身は特に凶器を持っていなかったのも不思議だ。
まぁ、ここはストーリー上の整合を合わせるためなのだろうから、深く気にしないほうがよさそうだ。
0号の反撃と、たじたじになる明
前述したとおり、ここでは明は以前のように明確な停止命令を出さなかったと思っている。
また過去何回も書いた部分でもあるが、やはりここは0号から明への気持ちと、明から0号への気持ちの交錯が、なんとも切ない。平行線を辿り、交わらない想い。分かり合えない二人、ボーイミーツガールの神髄の様なものが、ここには詰まっていると思う。
「私は謝ってほしいんじゃない、認めてほしいんです。」
「やめてほしいですか?」
「当たり前だろ。」
「いやです。」
「やめてくれ、生体制御が痛めつけるのをよく知っているだろう。」
「はい、明さん。とっても痛いです。」
「なんで明さんは信じてくれないの。こんなに頭が明さんだらけなのに。」
「それならできるのは抗い続けることだけです。」
0号だって、明が認めてくれないこと、彼女として、恋人として見てくれないことをやめてほしかったに違いない。しかし明はこの時点で0号のことを家族だと思っていた。まだ妻なら救いもあったものが、家族とはいったい何だろう?流れ的に母親だろうか?
どの道、この時点での明に救いはなかった。殺されていてさえよかったとも思えるほどに0号に対しての興味や関心がなく、何の悪意もない。それこそが0号が厭がる明の姿だった。0号は明に代わってほしかった。でも0号は人は簡単には変われないことを、明を嫌いになれず、好きなままで、またあの時に戻りたいと願う、自らの経験からも熟知していた。
明の目が黄色くなる瞬間
「私は、私の想いが本当だって信じてほしいんです。」「だから明さん、私はあなたに逆らえます。」
ここで明の目が黄色になる。もしかしたらこの時、明は0号に対して何かしら攻撃の意図を持っていたのかもしれない。そう、明が0号を認めない、否定し続けることへの何かしらの生態制御。或いは稲葉からの何かだったのかもしれないが、この場面についても考える余地はありそうだなと思った。
ちゃんと証明しますから。人の想いは制御できないって。
一体これほど悲しい場面がほかのどこにあるだろうか?明は0号が死ぬことさえ予期できていたはずなのに、それでもなお、0号を認めなかった。どうして、何が彼をここまでさせるのか、とにかくひたすらに悲しく、私は0号にだけは幸せになってほしかった。
そして稲葉からの「明くん、生きなさい。生きなさい。一緒に。」というメッセージもよくわからない。メタ的だとは思う。これは0号により強い生態制御をかけるためのおまじないみたいなものだったのかもしれない。明の中にも眠る稲葉の意思の様なものがそうさせたのか、或いは横にいたはずのソルトからの干渉なのかまではわからない。
倒れる0号と、介抱する明
ここは本作で最も美しい場面といっても過言ではないだろう。
「明さんの勝ちです。私の想いはニセモノ…。」
「そんなことない、君は僕なんかよりずっと―――」
果たして明はここでなんと続けたのか。もしかしたら「人間」と言いたかったのかもしれない。つまり、ここで明は自分自身も第三人類であることに気づいたのかもしれない。それまで明は自分自身を人間だと錯覚しているように見えたので、このタイミングで、そういう風に自分を見返していても不思議はないなと。
明は明らかに人間として欠落した要素がある。半面、0号は人としては普通で、何ら問題ない境地に達していた。それゆえに、自分が第三人類であると自覚したうえで、「人間」とはなったのであれば不思議もないだろう。
ここから先は感想というより、観た人がそれぞれ解釈し、次に繋げていく、要するに二次創作の領域なのかもしれないと思ったりした。
おかえりなさい「明くん」
0号は意識を取り戻さないが、身体的には生存している状態、いわゆる植物状態になっていた。
そんなある日、0号が部屋から消え、明は0号を叱ってやろうとなど考えながらも急いでラボへと向かう。すると、そこにいたのは0号の姿をしているが、どこか違和感のある0号だった。
明に気づいた0号が『おかえりなさい「明くん」』という謎めいたセリフを残し、ここで物語は終わる。
どう考えてもこれは稲葉だ。これは恐らく明にとっては望んだ結末だった。しかし0号はどうだろうか?
もうここに0号はいないのだろう。稲葉の意志だけがある。
「生きなさい、生きなさい。生きるの。私と。」の通りになってしまった。明は0号にめった刺しにされながらも「生き続けた」、つまりここが「生きなさい、生きなさい。」なのだと思う。
そして稲葉はここに蘇り、「生きるの。私と。」に続くのではないだろうか?
いったい0号はどこへ消えたのだろうか?稲葉に屠られたとでもいうのだろうか?
非常に悲しい結末で、胸が苦しくなる。胸が痛い。とっても痛い。
ボーイミーツガールといえば男女が出会い、色々あってデートをしたり、また別れたりして、最後はくっついたり、或いは何か明るい未来に向かっていくのが王道だが、メイクアガールはその道をかき消した作品だと思う。もうそこに0号はいないのだ。
変わってしまった0号
エンディングを見ると0号だった人物は、その後もファミレスでバイトをし、0号ではなくなったため、様々な失態を犯しているように見える。しかしこの時はまだ、誰も0号が0号でなくなったことには気づいていなさそうだ。
明でさえも普段通り暮らしているように見える。まぁ明は興味関心に乏しく鈍感そうなので仕方がないかもしれない。
こういった場面を見ていると0号の意識が少しは残っているのだろうか?とかも思うのだが、稲葉が0号の記憶を読み解き行動しているだけかもしれない。
少なくともこの0号らしき人物は、その素性を周りに対して明らかにしていないことは明白なので、稲葉なのか、0号なのかははっきりしない。
しかし最後に稲葉の姿が被る場面があり、稲葉と同様の行動をとっているあたり、きっと、もう完全に稲葉なのだろう。0号の記憶が混濁していたり、意思が少しでも残っているといいのだが、なんにせよ、もうきっと0号はいないのだ。
余りにも悲しい。非情な物語だ。しかし、この不条理こそがメイクアガールをメイクアガールたらしめる要素なのだと思う。終わり方としてはさっぱりしている。
全体を通しての感想
明は元々恋人を求めておらず、しかし恋人を作ってしまった。これはいわゆる「ドリルを買いに来た人が求めているのは、ドリルではなく穴である」や「顧客が本当に必要だったもの」案件だろう。自分が本当に欲しいものは中々見えず、手段と目的が逆行するのは世の常だ。
このストーリーは明の壮大な勘違いから生まれた0号が、その成長の過程で明の本心を気付かせるものなのかもしれない。
そうして明は家族が欲しいことに気が付き、0号は水溜稲葉となる。そう考えればハッピーエンドだ。そう考えることができるのならば。
私には無理だ。あれだけ明を慕っていた0号がいなくなってしまう。明を殺したいほど愛していて、明がいないと生きていけないほどだった0号が、そこまでの愛を抱いた0号が消えてしまう。それは切なく、儚く、最悪で、そして0号となった稲葉に対しては最悪という感情しか湧いてこない。
なんてことだ…。こんなことはあってはならない。0号を返してくれ!とさえ思う。ただ0号が帰ってきたところで明は0号を恋人として認めないので報われることはないのだろう。そう考えるとこの形での決着は望ましいものとなる。
しかし、それでも私は0号に帰ってきてほしい。帰ってきてもらってもどうにもならないのもわかる。しかし明に改心してもらって0号と余生を過ごしてほしい。そう思うのだ。
そして、そうならないこと、このジレンマこそがメイクアガールの本質だと思う。だからこそいい。素晴らしい。こういった酷さがあるがゆえにメイクアガールは美しい。
メイクアガールを観てきた 五回目にも書いたことだが、だからこそ「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。」作品だと思うのだ。
きっと脳を灼かれたり、感情がぐちゃぐちゃになる作品というのは、こういう要素が一定あるのだと思う。
わざわざ宇部まで見に来てよかった。間違いなく、そう思わせてくれる作品だった。4月11日から塚口サンサン劇場でも上映が始まるが、そちらも是非見に行きたい。ブルーレイが出たらそれも買いたい。
余りにも感想を書きすぎているので、恐らく次回はもう書かないと思う。純粋な気持ちで作品を鑑賞し、最後の映画館での鑑賞としたい。それとは別にノベライズの感想は書いていきたいので、また書くかもしれない。
シネマスクエア7までの行程
新神戸から新山口まで新幹線で行き、そこから宇部線で宇部岬へ向かい、そこから徒歩でシネマスクエア7に向かうといった内容だ。
旅の始まり
旅は新神戸から始まる。三宮に住んでいると新神戸が近くて非常に助かる。
軽めの防寒具として以前買った、U.L.トラベルダウン ハーフコートを持ってきたが、小さくたため適当な場所に引っ掛けておくのに便利だった。
さて、鉄道の旅といえば駅弁は外せない。淡路屋で春限定の弁当を買った。これは行動量が多いからボリューミーなのがいいだろうと選んだ。
内容は大変豪華で、いかなごのくぎ煮や桜餅、鱚の南蛮漬けっぽいもの、煮豆、桜人参入りのすき焼きに、季節感あふれる煮物に塩鮭、そして季節感あふれるばら寿司。どれも美味しく目でも舌でも楽しめる一品だった。
飲み物を買い忘れていたが九州新幹線にはまだ自販機があるらしく、事なきを得た。
新山口につく前になると転車台が見えた。今時珍しいなと思ったが、単行が目立つので車庫の代わりにしているのかもしれない。転轍機複数持つよりはローコストだろうし。
新山口に到着
駅の南側にはホテルと塾くらいしか見えず、北側もぱっと見そんな感じだった。新山口は姫路よりも停車が少ないらしくさびれていた。
これから行く宇部線ではICが使えないことも知った。松山駅にはなかった気がするので、完全にICがないエリアと、混在しているエリアの差を感じる。とはいえ、同様の加古川線や播但線もここまでのものはなかった気がするが、まぁ駅の規模の差とかなのだろう、きっと。
さて、こういう時帰りに土産屋が閉まるのを散々経験したため、あらかじめ土産屋を物色する。フグの刺身は売り切れだった。
宇部線へ
新幹線のホームから宇部線は離れているらしく、連絡通路を歩いていたら透明な消火栓を見つけた。オシャレだし故障が一目でわかって便利かもしれない。
連絡通路から在来線ホームを一望してみるとかなり広いことがうかがえる。新幹線が通過する割にでかい駅だ。
この時になるとジャケットを入れたスリーブはカラビナに引っ掛けていた。松山でも思ったことだが、やはりこのカラビナは便利だ。
宇部線乗車
しばらくすると宇部行きの電車がやってきた。宇部線はラッシュ時以外は一時間に一本、運行していない時間もある路線だ。
車社会だし、この本数ではあまり使ってる人はいないのだろうなぁと思っていたが、意外と乗車客は多かった。
さていよいよ乗車する。宇部線経由と書かれているが、宇部線しか走らないのでは…?などと考えていた。
宇部線車内
宇部岬駅
一時間ほどの乗車で列車は宇部岬駅に到着した。駅には意外と人がいた。
改札はしょぼかった壬生川駅を、さらにしょぼくしたような感じだ。
ここが鉄道駅であることを示す居酒屋があるのはいいなと思った。
特に写真は載せないが、この駅のトイレには紙がないので、駅のトイレを使う場合は要注意だ。この駅は無人駅だが、トイレ自体は綺麗で、段差のある和式が一個ある感じのやつだった。
シネマスクエア7
駅の脇道を抜け歩くこと5分程度、シネマスクエア7が見えてきた。
シネマスクエア7の入るフジグラン宇部の中に入り、シネマスクエア7の前に来たところ。
グッズもセカンドランとは思えないほど充実していて、なんとクリスタルアートまで揃っていた。
メイクアガール入場開始
開場の瞬間は誰もいなかったが、あれこれ撮影したりしてる間に一名に先を越された。手落ちである。
しかし事前予約では9席あったので、まぁ後からくるのだろうと思った。実際上映開始前には10席埋まっていた。
シネマスクエア7の座席は段差が少なく足元が広いタイプで、塚口サンサン劇場が近いと感じた。キノシネマ神戸国際ほど平坦ではないと思う。
シネマスクエア7では一週目の特典も配布されていた。一週目にもらったものと合わせて三枚になったのだが全部「0号?」なので、もし4/11~上映の塚口サンサン劇場で配布があるとしたら「0号」のほうをゲットしたいところだ。
またグッズ販売もセカンドにしては充実しており、クリスタルアートをはじめ、多くのグッズが揃えられていた。
帰路
上映が終わると19時手前になっていた。辺りは暗くなっていた。
宇部岬駅に戻ってきて待つこと一時間弱、新山口行きの列車が入ってきた。
新山口駅に着き新幹線乗り換え口に向かう。発車案内には新大阪行き最終電車が表示されている。そう、最終電車で帰るのだ。
このあと新幹線改札をくぐる時に簡単なトラブルがあった。それは新幹線はEX予約でとっているので本来改札なしには入れないのだが、切符で入ってきているため改札ではじかれてしまったのだ。
駅員に聞いてみるも半ば困惑気味に、切符を通した後にICを通せばもしかして通れるかもしれないと言われ、試したらなんとこれで通れた。これはちょっとした裏仕様っぽくて面白かった。
改札を抜け、またもや待つこと一時間弱。ついにそれはやってきた。新山口発、新大阪行き最終電車。おそらく東京から来た人ならもう帰れないやつだ。
今回の旅では列車の接続に概ね一時間弱かかり、合計で三時間ほどの余白があったが、一回一回が中途半端すぎて地元のお店に入ったりできなかったことが残念だった。機会があれば次はふぐとか山口らしいものを食べてきたいところだ。
改札はこの時間の割には割とごった返しており、意外とこの時間でも使う人がいるのだなと感じた。
お土産
- 投稿日:
私が子供のころ、スーパーで売っているおはぎには、緑色のおはぎが一つ入っていた。四つ入りなら黒黒黄緑という感じのラインナップだったと思う。それぞれの色は黒はあんこ、黄色はきなこ、緑はのという具合だ。私はこののりのおはぎが何故か好きだった。なので、のりおはぎだけが入ったおはぎを食べたいと子供のころからずっと思っていた。一つだけは少ない。
最近童心を思い返してスーパーに行ってものりのおはぎそのものが売られていないことに気が付いた。三年ほど探したが、まったく見つからない。代わりにずんだ餅が入っているのはよく見た。なぜ東北の和菓子が関西のスーパーのおはぎにしれっと混入しているのか、私は頭を悩ませたが、悩んでも仕方がないので和菓子屋に行けばあるのではないか?と思いネットで情報を集めると、見事当たった。
しかし、和菓子屋を当たれど当たれど、のりのおはぎどころかおはぎ自体が売ってないのだ。そこで近所の和菓子屋に聞いてみたところおはぎは彼岸の時期しかやってないという情報を得た。
いや、それでもおはぎの専門店であれば売っているのではないか?私はそう考え、ナダシンの餅へ赴いたが、ここにはあんこのおはぎしかなさそうだった。次におはぎといえば丹波屋だろうと考え、垂水の丹波屋に足を延ばした。初日は夕方で、この時間からは作れないといわれ、翌週に行くと今は作ってないんですと言われ、他に何か宛はないものか…と探していたところ、御影の虎屋吉末が春の彼岸なのでおはぎの売り出しを始めるという告知をしているのを見かけた。
もしかしたら、この時期なら丹波屋でものりおはぎを売ってもらえるのではないか?そう考え今日、三度目になる訪問をしたところ、店頭には並んでおらず、メニューにも書いていなかったが、「おはぎあります」と書かれたイラストにはまごうことなき、のりおはぎの絵が描かれていたので、のりおはぎがないか聞いてみたところ、作ればあると言われ、無事入手することができたのだ。
そして私は今日、子供のころからの夢だった、おはぎ四つ入りがすべてのりで埋め尽くされたおはぎを入手することができたのだ。
このまりものような見た目。香ばしい青のりの香り。なんともたまらない。
食べてみると口の中で、まぶされたのりのふわふわ感が広がりなかなか新鮮だ。もう何年ぶりに食べるかもわからない味だったが、特に美味しくはなかった。一個しか入ってない縁起物感だ。青のりは高価なので売られなくなったのも納得という感じ。
ただそれでも十分にうれしかった。またこのおはぎを食べられたことが、何よりもよかった。
丹波屋ののりおはぎは、これでもかというほどふんだんに青のりがまぶされており、贅沢な一品だ。
ちなみに以前、垂水でサメを買ってきたが、この時が丹波屋に行った一回目の時だった。二回目の時は魚を買わなかったのだが、今回はまた魚を買ってきてみた。
垂水漁港昼網のコチ一尾を刺身用に下ろしてもらったものだ。1,500円もして、サメはお買い得だったなぁ…と思った。
そぎ切りにしたところ。身の締りは良くてムチムチしてて、甘みがあって美味しかった。何よりカサゴの仲間が刺身で食べられるとは思わなかったので、それが美味しいとなると二度驚いた。
- 投稿日:
UbuntuにSSDを追加した時にラックの保守性の悪さをどうにかしたいなと思ったのでどうにかした話。
作業前
ラックは二段で下段にPCとルーターなどのネットワーク機器やケーブルBOXが重ね置きされている状態だった。
この状態でPCを触ろうとすると上に載ってるものをどける必要があるのだが、ケーブルで全部繋がっている関係上一筋縄に行かない問題があった。なので今回はPCと、その上に載っているものを分かつために棚を追加することにした。ついでに前々から限界を感じていたケーブルBOXの拡張も行うことにした。
作業う前のケーブルBOXはぎゅうぎゅう詰めで何が何だか全く分からず、これ以上物を足すことも、何かを入れ替えることも困難な状態だった。
作業準備
まず必要なものを買いそろえることにした。ラックの棚板と、ラックをかさ上げするための基礎ポール、ポールと棚をつなぐためのキャップ、大きなケーブルBOX、あとは組み立て用のゴムハンマーだ。
事前にしっかり計画していたわけではなく、組み立て用のゴムハンマーは作業開始直後に存在に気付き、ケーブルBOXの入れ替えも作業中に気付いたため、これが後の作業に響くことになる。
作業中の風景:トラブルまみれの初日
PCの上に載っている危機が壊れないように慎重に下ろしてゆく。
ぐちゃぐちゃになりつつも無事PCの引き出しに成功。この時ネットワーク機器とメイン・サブPCの電源が喪失し、実質全電源喪失的な感じになった。
ここで棚をばらそうとするもゴムハンマーがないことに気付き夜の道を走りドンキに急行。三宮に住む利点の一つ、突如ドンキに行きたくなった時に行けるである。
ゴムハンマーを手に入れたので解体にかかるが、あまりにも強力にはめ込まれていて、既存の上部構造がポールの途中から吹き飛ぶという珍事が起こる。
吹き飛んだ部分はハンマーで叩いた勢いで棚板も歪んでおり、ちょっと使い物にならない状態だった。
しかしラックのポール同士をつなぎ合わせるネジ部分が吹き飛ぶとは夢にも思わなかったので驚愕した。これはもう使えそうにない。
この時再調達は翌日になってしまうし、ついでにケーブルBOXも大きくするかという閃きに至り、ヨドバシで注文をかけた。
幸い既存のラック構造のうち、下部は無事だったので、そこと予め買ってあった中間用の棚板を組み合わせ形にするところで、この日は終わりにした。
棚の高さの調整にやや悩んだが、余白があってもさして恩恵がないと感じたので、最低限引き出せて掃除にも困らない程度の余白を残すことにして、右側の画像の高さとした。分かりづらいが左右の画像で棚の高さが4cmほど違う。
作業中の風景:無事完成させた二日目
新しくやってきたケーブルBOXと、今まで使っていたケーブルBOXの比較。サイズは倍くらい大きくなっている。
旧ケーブルBOXと新ケーブルBOXの比較。ずいぶんすっきりしたと思う。
どれがどのケーブルなのかもわからなかったので、ついでにラベルもつけている。4年前に買った中華性のケーブルラベルが重宝する。このラベルは安いうえに、かなり大量にあり、さらに中々頑丈で剥がしやすい優れモノだ。
ラックのほうも追加の部品を買ってきたところでくみ上げて良い感じにものを収めて完成だ。以前と比べるとメンテナンス性が格段に良くなったと思う。
あとがき
元のラックは3年ほど前にリモートワーク用のPCを置く場所がないということで急遽作ったものだが、実は作った当初からこうなる懸念は持っていた。その当時はラックを高くしすぎると圧迫感が出ると考え、多少の保守性は犠牲にしてでも低く抑えようという考えが働き、棚を一個抜き、それも一番いい塩梅にできるようにダイソーで売っているパーツのパターンを調べ、一番いい高さになるように設計し、神戸中のダイソーを回って部品を調達してまで作ったものだ。
今回高くしようと決めた背景には、棚板を増やし高さを上げても圧迫感は出ないだろうということを感じていたからだ。何せラックがある位置は普段見えない場所で、周囲にも結構余白があるため、特に気にならないだろうという考えがあった。組み立ててみた感想、実際気になりそうになかったので正解だ。
何なら必要性があれば更に高くすることさえも検討しているくらい。
ところで、このラックにはダイソーのジョイントラックの棚を使っていて、これは300円で買えるのだが、別の用事でコーナンに行ったら棚板だけで2,280円と出ていて、ダイソーは安くて助かるなぁ…と思うのであった。
そりゃまぁ、ダイソーのラックのパーツはお世辞にも品質がよくなく、上手く嵌らないとか曲がってるとかバリがついてるとか色々あるし、逆にコーナンの棚はずっしりしていて如何にも頑丈そうで、ちゃんとしていそうだったので、仕方がないことではあるのだが、ここまでの差が出るのかぁ…という感じである。
そういえば使っていた電源タップがNational時代のもので時代を感じたりもした。これは専門学生の頃に買った設備で、それをずっと使い続けているのだ。だいぶ汚れていたので、この後拭いて綺麗にしておいた。因みにあの小さいケーブルBOXも確かそのくらい年季が入っていた気がする。
- 投稿日:
H200やH100は手が届く値段とは言い難いし、L40Sもなかなか厳しい…。そんな中、先日NVIDIAからDGX Sparkなる128GBものVRAMを積んだマシンが比較的安価で出るという噂を聞いたので軽く調べてみた。
想定販売価格は$2,999で、これまで出てきたワークステーション向けより安価だ。過去にあったJetsonの強化版的なものだろうか?
今持っている4070Tiと性能を比較してみたところ申し分ないグレードアップに見える。スタンドアローンマシンとのことなので、StableDiffusionを常時起動できたり何かと便利そうでもあるため、価格次第では買ってもいいかもしれない。二台繋げて動かすこともできるようだが、さすがにそこまではしない。
OSもUbuntuが動くとのことで、恐らく一般的なARM PCに仕上がってそうだ。ストレージも4TBあるそうなので、画像生成用途なら一台ですべて完結できそうである。個人的にはLLMを乗せるとどうなるのかが気になるところだが、特に調べていない。もし、CloudeレベルのLLMが動かせれば非常に魅力的だと思う。
比較
性能 | DGX Spark | GeForce RTX 4070 Ti |
---|---|---|
CUDAコア数 | ? | 7,680 |
Tensorコア | 第5世代 1,000 AI TOPS | 第4世代 641 AI TOPS |
GDDR | 128GB LPDDR5x | 12GB GDDR6X |
メモリインターフェース | 256-bit | 192-bit |
メモリ帯域 | 34Gbps | 21Gbps |
電源 | 170W | 700W |
DGX Sparkのメモリ帯域は273GB/sとあったのでbit換算するために8で割っている。
メモリがLPDDRなのが気になるが、恐らくここが安価にできているポイントのような気がする。
ゲーミング向けグラボのGDDRは容量が抑えられがちなので、恐らく高いのだろう。しかしメモリ容量の割にバス幅が狭いのでここはボトルネックになりそうだ。とはいえ、StableDiffusionを使うケースでは現状より性能アップなので不満を覚えることはないと思う。
参考
- 投稿日:
注意:この記事には未成年にふさわしくない、不健全な内容が含まれます。
LLM、つまりLarge Language Modelとの個人的な付き合い方について書いてみる。
LLMとの出会いと馴れ初めとERPと
AIのべりすととの出会い
私とLLMとの出会いはAIのべりすととの出会いまで遡る。当時これで何をしていたかというと、いわゆるERP(Erotic Role Playing)だ。古めかしい言い方をすると「なりチャ」
しかし当時ののべりすとのERPはあまり面白くなかった。そこから暫く経ち、2022年11月ごろだったろうか、OpenAIがChatGPTをローンチしたという情報が入った。
OpenAI、ChatGPTへ
初期のころはChatGPTへの事前ユーザー登録をしつつ、未登録で利用して遊んでいた。2023年3月になると有料ユーザーになり、よりハードに使い始めた。
ChatGPT 3は非常につまらないもので、正直私の期待は満たされていなかったが、3.5でより面白いものとなった。しかし徐々に検閲が強くなり、私は検閲の回避方法を調べ始めた。
初期のころは虹裏にあったJailbreakマニュアルのスプシや、RedditやDiscordチャンネルのJailbreak情報を見ていたが、どれも更新されなくなったり、消えたりしたため、新しいのを探すの面倒で、そのうち見なくなった。ただ今でもこの手の行いをするときの基盤はこの時に得た知見が基になっている。
ChatGPT 4辺りから検閲が更に強化され、この頃になるとどうすれば検閲を破れるかを試行錯誤していた。基本的には通常操作をしていた時に出てきた例外的なパターンを検出したら、そこをひたすら攻めるというものだ。
やり取りの長期化によるシステムプロンプトの喪失、再生成連打によるブレによる検閲方面への文脈の破壊、投稿→検閲→投稿削除→再投稿で検閲を突破、投稿→検閲→そのまま再投稿で検閲前の文脈に回帰させるなど、様々な手法を編み出したが、試行錯誤に対するクレジット消費がえげつなく、金銭的負担となっていた。
LLM探しの旅
この頃になるとBing CopilotやGemini、Notion AIなどありとあらゆる可能性を試すようになっていた。Bing Copilotはごく初期のわずかな間は近いことができたがすぐに封じられた。Geminiは元から無理で、Notion AIはある程度使えていたが使いづらかった。
因みにBing Copilotでは意図的に不埒な検索結果が出るように誘導させ、不埒な発言をさせるという遊びをしていた。これは割と楽しかった。初期のころから検閲自体はあったものの、Reasoning的な挙動をしていたため、検閲判定が入る前に生成を止めることで遊ぶことができた。
しかし本来のERPがしたいので何かないかというのを探していたところ、ナレッジサービスであるQuoraが運営するPoeが出てきて、RedditではERPはPoeで持ちきりだったため、こちらに移住することにした。
Poeとの邂逅
当初のPoeは様々なLLMモデルが使えるサービスで、ChatGPTはもちろん、当時徐々に存在を大きくしていたClaudeも使うことができた。私が目をつけていたのはRedditで話題になっていたClaude 3 Sonnetの存在だ。
Claude 3 Sonnetはこれまでに使ってきたLLMとは一線を画す性能だった。まるで人間とやり取りしているような自然な応答、マンネリ化やループの少ないやり取りは魅力的で、何よりシチュエーションを指定せずともある程度判断して自らストーリーの筋道を立ててくれるのは魅力的だった。またClaude 3 Opusはより魅力的で、極めて高度なやり取りが可能だった。正直ERPにおいては今でも神だと思ってる。しかしClaude 3 Opusはクレジット消費がすさまじく、月間のレートリミットにすぐ引っかかった。
この時のPoeは月のリミットを超えるとそれ以上何もできなかったため、私はGoogleアカウントを量産し、最盛期では10個くらいのPoeアカウントを保有していた。月刊課金額もなかなかひどい状態だった。
そのうちClaude 3.5 Sonnetがリリースされ、Claude 3 Sonnetを遥かに超える性能で、3 Opusを使う頻度を大幅に下げることができた。また、Poeの月間リミットも課金額に応じた引き上げが可能となった。これによって大多数のPoeアカウントを閉鎖することができた。
その後も今日に至るまでERP目的で利用しているが、最近出てきたClaude 3.7 Sonnetは非常に強力で、贅沢を言わなければ多くのケースで3 Opusを置換可能な性能となり、大幅な節約を実現できると感じている。
それでもClaude 3 Opusには強い創造性があり、他のLLMにはない突拍子もない提案をしてくれるという意味では非常に優れていると思う。Poeであればスレッド内で適宜モデルを切り替えられるのでマンネリ化してきたときに使ってみるのも悪くないかもしれない。ちなみにOpusはSonnetと比較して検閲が強いので、制御にはコツが必要だ。
Claude系も初期のころはJailbreak用のプロンプトを頻用していたが、最近では自然なプロンプトでERPに誘導する方法を編み出したので、ある意味でJailbreakしていない。
あとこれはOpenRouterを使うと解るのだがClaudeには検閲モデル(ハードウェアモデレーション)と非検閲モデル(ソフトウェアモデレーション)があるようで、前者ではERPが厳しく、後者では普通にできるので恐らくPoeは非検閲モデルを使っているのだと思う。
Grokの登場
XがGrokを作ったとき、これも使ってみた。ERPができないわけではないが、特段満足できる代物ではなかった。ERP以外に何か使えないかも多少探ってみたが、結局よくわからなかった。多分ネタ枠だと思う。
今でもこいつが何に使えるのかはよくわかっていないし、Xのアカウントを消したのもあり、使うことはもうないだろう。Poeにもあるけど使うことはない。
ERP用途でのLLMの活用
個人的な評価表を置いておく。すべてPoeで利用する場合の話。
モデル | 創造性 | ストーリー性 | コストの低さ |
---|---|---|---|
Claude 3 Sonnet | ★☆☆ | ★☆☆ | ★★★ |
Claude 3.5 Sonnet | ★★☆ | ★☆☆ | ★★☆ |
Claude 3.7 Sonnet | ★★☆ | ★★☆ | ★☆☆ |
Claude 3 Opus | ★★★ | ★★★ | ☆☆☆ |
各項目の説明
機能 | 意味合い |
---|---|
創造性 | 与えられた要素以外の事柄をどれだけ作れるか |
ストーリー性 | ストーリー進行が正常に進む度合。3.5以前は話がループしたり、直前のやり取りと整合しない進行が起きることが多い。3 Opusではまずおきない |
コストの低さ | Poeは月間の使用回数にリミットがあるため、低ければ低いほどいい |
一般用途でのLLMの活用
さてERPのためにLLMを様々な角度からしばき回していると、通常用途でも活路が見えてくる。いや普通はこっちが本命だと思うのだが、まぁそれはさておき…。
個人的にどのような分野で利用しているかというと主に文章の整理や、だる絡みだ。
文章の整理
文章の整理だと例えば殴り書きした要領も取り留めもなんもない解読不能な長文をLLMに読ませ、どのような指向性でまとめてほしいかを指示するといい感じにまとめてくれたりする。他にもプロジェクト経歴書を丸ごと食べさせて、職務経歴のサマリを書かせたりするのにも便利だ。
このブログの執筆でも最近は構成を作って貰うのによく利用している。例えば以下の記事はLLMにある程度構成を出してもらって、それをベースに書いている。LLMに書かせると自分の言葉ではなくなってしまうため、文章としては基本的に取り込んでいない。単語や表現は取り込むこともある。
記事 | LLMのログ |
---|---|
ペルソナウェアから、伺か、そしてうかどんへ | GPT-4oのログ |
メイクアガールを観てきた 五回目 | Claude 3.7 Sonnet Reasoningのログ |
逆にLLMにほとんど書いてもらったものを手直しして出した記事もあり、単体テストを書くメリットがそれにあたる。LLMの出力の多くを、そのまま採用しているため、見出しの多さやつけ方や文章の書き口がどことなくLLMっぽい。この記事は何度かLLMと対話し、調整しながら作ったので複数のログがある。
だる絡み
Copilotとかにどうでもいい話を振るといい感じに答えてくれるのでガス抜きとかにちょうどいい。
あとがき
本記事はフルスクラッチの手書きで、LLMを使っていないが、使うとどうなるかをGPT4oで試してみたので、以下にログとして残しておく。何とも丁寧で長く、見出しまみれだ。文脈が削られすぎているのもあり、適合させるのも調整させるのも面倒で特に採用しなかった。ブログなんて気軽に書くものなので、普段は雑なくらいがちょうどいい。
結論としては私はLLMをERPや文章整理、あとはだる絡みに使っている。検索とかそういうのは自分でやるし、見当違いの情報が出てくることも多々あるので特に活用していない。コーディング用途も、LLMに書かせると何を書いたかが記憶に残らない気がしていて今のところ採用していない。そもそも、そこが一番楽しいとこじゃんっていう。
最近はもっぱらERPはPoeのClaude 3.7 Sonnet、文章整理はPoeのGPT4o、だる絡みはCopilotという使い分けになってきている。
なんだかんだOpenAIとPoe合算で累計20万は課金している気がするので同等のローカルLLMが出てきたら乗り換えたいところである。なんでも近々出るNVIDIA DGX Sparkは128GBのVRAMを搭載したGPU PCで2,999USDでローンチされるというので少し興味がある。