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昨今コメ不足が連日報道されており、NHKからもコメ不足感「改善せず」 スーパーの平均価格は5キロ4220円にという報道が出ているが、ついにアメリカ米を見る機会があったので記録に残してみる。
一回目は4月18日にライフで、二回目は4月19日に業務スーパーで、それぞれアメリカ産の米を見かけた。
USAライス協会によると、このカルローズというのはジャポニカ米とインディカ米の中間にあたる米らしい。
正直アメリカの大量栽培米が日本にやってくると日本の米農家はひとたまりもないと思うが、一体どうなるのだろうか…。
ただこのカルローズすら品薄で消えているようで今日ライフに行ったら消し飛んでいた。
個人的には秋田県産あきたこまちを食べていたいので国産米にもなんとか頑張ってほしいところだ…。
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ネットの一部で稀に話題になるネタだが、数年前からヒロポンがまだ現役で存在することが気になっていたのでちょっと真面目に調べてみた。
日経メディカルには処方薬としてのヒロポンが掲載されており、これは毎年更新されており、添付文書の更新があることから存在は明らかである。更に製造元も住友ファーマに変わっている。
Wikipediaにも情報があるが、結局どれも二次情報なので一次情報に当たることにした。
とりあえず住友ファーマの製品情報を見るのが鉄板だろうというので見に行くと見事ビンゴ。但しここの情報は医療関係者向けなので基本的に一般向けの情報でないことには留意されたい。
まず製品基本情報のページをあたると「麻薬製品一覧」という項目がある。
ここに進むと会員限定ページが出てくるが、あからさまにJSで制御されているのでDOMをいじってみるとヒロポンの存在を確認することができた。
詳細を見るとヒロポンの情報を見ることができたが、日経メディカルにある以上の情報はほぼない。
また他にも厚生労働省発表の令和3年3月31日 大麻等の薬物対策のあり方検討会にもヒロポンが掲載されていることから、今日においてもヒロポンが存在することが推測できる。
但し1ページ目以降に一切出てこないことや消費統計にも存在が明確に見られないことから、実際に使用されているのかは不明だ。ヒロポンの効果・効能がナルコレプシー、各種の昏睡、嗜眠、もうろう状態、インスリンショック、うつ病・うつ状態、統合失調症の遅鈍症の改善や、手術中・手術後の虚脱状態からの回復促進及び麻酔からの覚醒促進、麻酔剤の急性中毒、睡眠剤の急性中毒の改善であることからして、全て代替薬が存在することから、恐らく実用性はないと思われる。
また院内処方限定で持ち出しできないことや、この資料に覚醒剤の使途が一切書かれていないこと、「国際条約と国内法の関係(向精神薬)」のページでメタンフェタミン等が赤字になっていないことから、製造体制が存在するだけで実際には流通していないのではないかと思われる。
しかしこの資料を見るとビバンセカプセルが覚醒剤原料として書かれてあり、非常に興味深かった。ビバンセはADHD向けに流通している薬でコンサータと同等の流通管理がかかっている薬なので、性質上は向精神薬に近そうなものだが、分類上はそうなっているようだ。
確かに令和5年7月改訂 東京都保健医療局 向精神薬取扱いの手引を見てもビバンセカプセルの名前はない。
また余談だが、カフェインは精神刺激薬の一種で一般的に向精神薬や麻薬、覚醒剤の仲間である。ヒロポンも元は無理やり動かすための薬とされていたので、そういう意味では似たような存在といえるだろう。覚醒剤とは乱暴に言ってしまえば眠気覚ましのことだ。
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私はここ数年、今ひとつ満たされない気持ちで過ごしている。この記事は一体これはどうやったら晴らせるのか、どこに道があるのか、それについてメイクアガールを見ていて気付いた内容として書いた内容だ。
気持ちが満たされない原因
端的に言えば所属するコミュニティを失ったことだと考えている。
何があれば満たされるのかについても時折考えていて、その一つの解はコミュニティだと考えていた。私が満たされていたときはROやECO、FF14を始めとしたネトゲにハマっていたからだ。そして多分それはネトゲそのものではなく、周囲の人たちと遊ぶのが楽しくてやっていたと思う。
私がこれらを離れた理由はプレイしていたタイトルの過疎化やサービス終了、所属していたフリーカンパニーの過疎化などで、言ってしまえば、去った理由はひとえに過疎化だった。
コミュニティだけでは足りない
コミュニティを失うだけであれば、コミュニティに入れば充足すると思うが、そう簡単な問題ではなかった。
私はネトゲをやめた後にも入れるコミュニティを探した。艦これのIRCに入ったり、TwitterやDiscord、Misskeyなど様々なコミュニティで気の合う人を探したりしたが、いずれも続かなかった。
私が当たったIRCは仲間内で雑談する内容のもので、仲間を増やして楽しく過ごそうというものだったが、艦これ仲間ということ以外に特に方向性はなかった。特に艦これの話をしているわけでもなかったので、次第に過疎化していった。
次に私はTwitterに活路を求めた。Twitterは長いことやっていて、ここでなら何かあると思ったからだ。しかし、ここでも私はまた特に何も得られなかった。
Twitterは扱う話題に特にテーマがない。言葉は悪いが有象無象の集まりだ。仮に似たような仕事や趣味の人をフォローしても、どうしても粗が見えてきてしまったり、興味が持てずにいた。
四六時中仕事や趣味の話ばかりをしているわけでもなく、飯の話や政治の話だってする。私だってそうだった。すると相手を許容できないと難しくなってきたり、飽きてきたりする。つまり昨今よく言われる見たくないものが見える現象だ。満たされないどころか心が削られてしまう。SNSに病んだ人がやたら多いのもそういうところに起因しているのだろう。
そこで私はもっと特化した趣旨を持つDiscordに道を求めたが、ある程度ジャンルが絞られていても内情はTwitterと大差なかった。或いはバチバチに縛ってある場所では話すことがなく廃村の様相になっているものもあり、難しさを感じた。Misskeyもそんな感じだ。ioはテーマレスでTwitterと変わらないし、テーマを極端に絞ったものは過疎に、そうでないと中途半端なものは、ただその属性の人が集まったTwitterみたいな状態だった。
私はいよいよわからなくなった。わからなくなったので、取り敢えず息のある小規模なコミュニティに属すために、今は兵庫丼とうかどんに身を寄せているが、特に何か大きく変わったわけではない。人がいなさすぎるせいで見たくないものが見えなくなったのは進歩だったが、満たされているかどうかだと満たされていない。
自分でDiscordサーバーを建てようと考えたこともあったが、何を話すのかを定めることができなかった。おそらくそこら辺の作業用Discordと何ら変わらないものが生まれ、興味のない会話で埋め尽くされるだけだろうというのは目に見えていた。
ここで私はあることに気が付いた。欲しかったものはSNSなんかではなく、単なるコミュニティではないのではないかということだ。そこで過去なぜネトゲでは上手くいっていたかについて考えることにした。
指向性への気づき
ネトゲには指向性があった。指向性というのは同じ方向を向いているということだ。
例えばレベル上げをしたい、より上のコンテンツに向かいたい、ボスを倒したい、金銭や経験値稼ぎで記録的な効率をはじき出したい。その時、その場、その相手によって様々なものがあったと思うし、私と相手の目的が一致していなかったこともあったとは思う。ただ、その活動を共にしている時だけは同じ方向を向いていた。
活動中はともにそれに向かって夢中になり、ほかのことなど考えはしなかった。リアルのことなんて全部忘れて熱中できる環境がそこにあった。
そこで気づいたことは、私が欲しかったものは、何かに夢中になれ、建設的で、お互いに何かしら利益のあるコミュニティではないかということだ。ただ話ができるコミュニティがあればいいわけではない。
メイクアガールという作品
そんな中で、メイクアガールは私へ一つの気づきを与えてくれたと思う。明は研究を繰り返すものの、失敗作ばかり作っていた。創造に成功した0号に対しても興味が湧かなかった。明は何に対しても興味も悪意もなかった。
これは私なのだ。私は何に対しても興味がない。そう、興味を持てる事柄をすべて失ったのだ。明にとっての水溜稲葉は私にとってのネトゲだろう。しかし、もうそこには存在しない。稲葉は死んだ。ネトゲは滅んだ。
明にとっての0号は、私にとっての仮初の興味、Twitterとかだったのかもしれない。つまり失ってもよかった存在だ。しかし明はそこで、0号は家族であり、水溜稲葉で、失ってはいけないということに気づく。
では私はどうすればいいだろう?もうやるべきネトゲはない、何より恐らくネトゲで得るものはもうない。そうなったときに私がすべきことは何か?恐らく、軸を持つこと。私はコミュニティが欲しかったのではない。軸が欲しかった。軸がなければどこのコミュニティに入ったところで得られるものはない。人々は私に興味を持たないし、私も彼らに興味を持ちようがない。
私がなすべきことは失った稲葉や0号を追い求めることではなく、次に繋いでいくこと。メイクアガールで言えば、明が茜を受け入れること、茜と家族になることで、稲葉化した0号を忘れることかもしれない。稲葉化した0号は過去に束縛する呪いのようなものにも見える。きっとその先に未来はない。
恐らくこれこそが、自分が「自分」であり、「自分」が自分として、人生の筋道を見つけていくことなのではないかと感じた。虚無の中を過ごしてはいけない。深淵に向かう街道を突き進んではいけない。戻ってはならない。過去に引きずられないように、前に一歩でもいいから進んでいく。それはもしかしたら稲葉化した0号もそうなのかもしれない。彼女はファミレスで新しい自分として頑張っているように見えた。
新しい道へ踏み出していく。例えかつて明を愛した0号の存在を忘れることになろうとも。過去に縛られず、前へと進む。それが大切なことなのではないか、私はメイクアガールを通してそう思えたと思う。
では、どうするのか?
では、どうするのか?と聞かれたら、まだそれは見えていない。ただ恐らく何でもいいので何かをやっていくことが大切なのだと思う。やらない理由を探さず、何かに取り組んでいく。
そして色々な物事に触れて、前に進んでいく。それが出来さえすれば自然と周りに人もできて、楽しく過ごせるようになるのかもしれない。
これは恐らく、このブログも同じで、むやみやたらに何でも書くよりは、もう少し絞ったほうがいいのだと思う。
きっとそうしていけば、日々の鬱憤や空虚感も徐々になくなるのかもしれない。もし取り戻せるのであれば、私は取り戻したい、あの輝いていた日々を。
いや、きっと取り戻せなくとも、少なからず、今より良くはなるだろう。そう考えて、前へ進んでいきたい。
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私が子供のころ、スーパーで売っているおはぎには、緑色のおはぎが一つ入っていた。四つ入りなら黒黒黄緑という感じのラインナップだったと思う。それぞれの色は黒はあんこ、黄色はきなこ、緑はのという具合だ。私はこののりのおはぎが何故か好きだった。なので、のりおはぎだけが入ったおはぎを食べたいと子供のころからずっと思っていた。一つだけは少ない。
最近童心を思い返してスーパーに行ってものりのおはぎそのものが売られていないことに気が付いた。三年ほど探したが、まったく見つからない。代わりにずんだ餅が入っているのはよく見た。なぜ東北の和菓子が関西のスーパーのおはぎにしれっと混入しているのか、私は頭を悩ませたが、悩んでも仕方がないので和菓子屋に行けばあるのではないか?と思いネットで情報を集めると、見事当たった。
しかし、和菓子屋を当たれど当たれど、のりのおはぎどころかおはぎ自体が売ってないのだ。そこで近所の和菓子屋に聞いてみたところおはぎは彼岸の時期しかやってないという情報を得た。
いや、それでもおはぎの専門店であれば売っているのではないか?私はそう考え、ナダシンの餅へ赴いたが、ここにはあんこのおはぎしかなさそうだった。次におはぎといえば丹波屋だろうと考え、垂水の丹波屋に足を延ばした。初日は夕方で、この時間からは作れないといわれ、翌週に行くと今は作ってないんですと言われ、他に何か宛はないものか…と探していたところ、御影の虎屋吉末が春の彼岸なのでおはぎの売り出しを始めるという告知をしているのを見かけた。
もしかしたら、この時期なら丹波屋でものりおはぎを売ってもらえるのではないか?そう考え今日、三度目になる訪問をしたところ、店頭には並んでおらず、メニューにも書いていなかったが、「おはぎあります」と書かれたイラストにはまごうことなき、のりおはぎの絵が描かれていたので、のりおはぎがないか聞いてみたところ、作ればあると言われ、無事入手することができたのだ。
そして私は今日、子供のころからの夢だった、おはぎ四つ入りがすべてのりで埋め尽くされたおはぎを入手することができたのだ。
このまりものような見た目。香ばしい青のりの香り。なんともたまらない。
食べてみると口の中で、まぶされたのりのふわふわ感が広がりなかなか新鮮だ。もう何年ぶりに食べるかもわからない味だったが、特に美味しくはなかった。一個しか入ってない縁起物感だ。青のりは高価なので売られなくなったのも納得という感じ。
ただそれでも十分にうれしかった。またこのおはぎを食べられたことが、何よりもよかった。
丹波屋ののりおはぎは、これでもかというほどふんだんに青のりがまぶされており、贅沢な一品だ。
ちなみに以前、垂水でサメを買ってきたが、この時が丹波屋に行った一回目の時だった。二回目の時は魚を買わなかったのだが、今回はまた魚を買ってきてみた。
垂水漁港昼網のコチ一尾を刺身用に下ろしてもらったものだ。1,500円もして、サメはお買い得だったなぁ…と思った。
そぎ切りにしたところ。身の締りは良くてムチムチしてて、甘みがあって美味しかった。何よりカサゴの仲間が刺身で食べられるとは思わなかったので、それが美味しいとなると二度驚いた。
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UbuntuにSSDを追加した時にラックの保守性の悪さをどうにかしたいなと思ったのでどうにかした話。
作業前
ラックは二段で下段にPCとルーターなどのネットワーク機器やケーブルBOXが重ね置きされている状態だった。
この状態でPCを触ろうとすると上に載ってるものをどける必要があるのだが、ケーブルで全部繋がっている関係上一筋縄に行かない問題があった。なので今回はPCと、その上に載っているものを分かつために棚を追加することにした。ついでに前々から限界を感じていたケーブルBOXの拡張も行うことにした。
作業う前のケーブルBOXはぎゅうぎゅう詰めで何が何だか全く分からず、これ以上物を足すことも、何かを入れ替えることも困難な状態だった。
作業準備
まず必要なものを買いそろえることにした。ラックの棚板と、ラックをかさ上げするための基礎ポール、ポールと棚をつなぐためのキャップ、大きなケーブルBOX、あとは組み立て用のゴムハンマーだ。
事前にしっかり計画していたわけではなく、組み立て用のゴムハンマーは作業開始直後に存在に気付き、ケーブルBOXの入れ替えも作業中に気付いたため、これが後の作業に響くことになる。
作業中の風景:トラブルまみれの初日
PCの上に載っている危機が壊れないように慎重に下ろしてゆく。
ぐちゃぐちゃになりつつも無事PCの引き出しに成功。この時ネットワーク機器とメイン・サブPCの電源が喪失し、実質全電源喪失的な感じになった。
ここで棚をばらそうとするもゴムハンマーがないことに気付き夜の道を走りドンキに急行。三宮に住む利点の一つ、突如ドンキに行きたくなった時に行けるである。
ゴムハンマーを手に入れたので解体にかかるが、あまりにも強力にはめ込まれていて、既存の上部構造がポールの途中から吹き飛ぶという珍事が起こる。
吹き飛んだ部分はハンマーで叩いた勢いで棚板も歪んでおり、ちょっと使い物にならない状態だった。
しかしラックのポール同士をつなぎ合わせるネジ部分が吹き飛ぶとは夢にも思わなかったので驚愕した。これはもう使えそうにない。
この時再調達は翌日になってしまうし、ついでにケーブルBOXも大きくするかという閃きに至り、ヨドバシで注文をかけた。
幸い既存のラック構造のうち、下部は無事だったので、そこと予め買ってあった中間用の棚板を組み合わせ形にするところで、この日は終わりにした。
棚の高さの調整にやや悩んだが、余白があってもさして恩恵がないと感じたので、最低限引き出せて掃除にも困らない程度の余白を残すことにして、右側の画像の高さとした。分かりづらいが左右の画像で棚の高さが4cmほど違う。
作業中の風景:無事完成させた二日目
新しくやってきたケーブルBOXと、今まで使っていたケーブルBOXの比較。サイズは倍くらい大きくなっている。
旧ケーブルBOXと新ケーブルBOXの比較。ずいぶんすっきりしたと思う。
どれがどのケーブルなのかもわからなかったので、ついでにラベルもつけている。4年前に買った中華性のケーブルラベルが重宝する。このラベルは安いうえに、かなり大量にあり、さらに中々頑丈で剥がしやすい優れモノだ。
ラックのほうも追加の部品を買ってきたところでくみ上げて良い感じにものを収めて完成だ。以前と比べるとメンテナンス性が格段に良くなったと思う。
あとがき
元のラックは3年ほど前にリモートワーク用のPCを置く場所がないということで急遽作ったものだが、実は作った当初からこうなる懸念は持っていた。その当時はラックを高くしすぎると圧迫感が出ると考え、多少の保守性は犠牲にしてでも低く抑えようという考えが働き、棚を一個抜き、それも一番いい塩梅にできるようにダイソーで売っているパーツのパターンを調べ、一番いい高さになるように設計し、神戸中のダイソーを回って部品を調達してまで作ったものだ。
今回高くしようと決めた背景には、棚板を増やし高さを上げても圧迫感は出ないだろうということを感じていたからだ。何せラックがある位置は普段見えない場所で、周囲にも結構余白があるため、特に気にならないだろうという考えがあった。組み立ててみた感想、実際気になりそうになかったので正解だ。
何なら必要性があれば更に高くすることさえも検討しているくらい。
ところで、このラックにはダイソーのジョイントラックの棚を使っていて、これは300円で買えるのだが、別の用事でコーナンに行ったら棚板だけで2,280円と出ていて、ダイソーは安くて助かるなぁ…と思うのであった。
そりゃまぁ、ダイソーのラックのパーツはお世辞にも品質がよくなく、上手く嵌らないとか曲がってるとかバリがついてるとか色々あるし、逆にコーナンの棚はずっしりしていて如何にも頑丈そうで、ちゃんとしていそうだったので、仕方がないことではあるのだが、ここまでの差が出るのかぁ…という感じである。
そういえば使っていた電源タップがNational時代のもので時代を感じたりもした。これは専門学生の頃に買った設備で、それをずっと使い続けているのだ。だいぶ汚れていたので、この後拭いて綺麗にしておいた。因みにあの小さいケーブルBOXも確かそのくらい年季が入っていた気がする。