- 投稿日:
ここのところ旧世代への変革記事が続いているが、今回は新聞だ。敢えて地方紙である神戸新聞を取ることにした。
私はこれまでもネットニュースは見ていたのだが内容の偏りや、興味のない情報が多く悩みを抱えていた。特に私は兵庫県や神戸市の情報を重視したかったので、今年あたりから神戸新聞NEXTの無料版を利用していたのだが、読めない記事が多く困っていたので去る10月に神戸新聞NEXTの購読契約をしたのだが、どうにも情報量が少ないと感じた。主要なニュースはあるのだが、それ以外が薄いというか。
そこで思い浮かんだのが紙面購読だ。紙面であれば漏れなく全ての情報があるし、毎朝・夕届くので生活習慣をつけるのにもいい。毎朝ポストまで取りに行くのは良い習慣になるだろうというのと、紙のメディアを読むというのは新鮮な体験になるだろうと思い、まずは試読を申し込んだ。実はこれしばらく届かなかったのだが、どうも誤配があったようで一週間後からはちゃんと届くようになった。無論、誤配中の試読はなかったことになり、新しく試読を始めることができたので神戸新聞の対応には感謝したい。
そして予想通り紙の新聞には電子版には書かれていない情報が多く、また画面遷移せずとも一覧的に情報を取り込めるのは非常に良い体験だった。そして新聞記事だけでなく、読者投稿や地域の細かい話、チラシなども見ることができる。情報のチャンネルが自然に増えるというのはとても良いことだ。例えば読者が普段感じていることや、年末年始のごみ収集についても書かれている。特に年末年始のごみ収集の情報を特に意識せずとも入手できるのはとてもありがたい。チラシについてもWeb広告のような不快感をあおるようなものは今のところ届いておらず、地域のスーパーなどの広告がメインだ。胡散臭い霊感商法的なものや、週刊誌的な広告も紙面の端やチラシとして封入されているが、昔からあるものということもあり、個人的には特に目に付くこともない。
紙媒体というか、リアルなアナログ媒体あるあるだと思うのだが、何気ない情報に出会えるのも新聞の醍醐味だと感じる。先ほども書いたことだが一覧性が高いことによって適当にページをめくっているだけでも意外な情報と出会えることがある。これは現実の書店に行ったときに思いがけない本に出会えるのと同じ理屈だろう。私はこのことを現実世界の解像度の高さと呼んでいる。デジタル世界は解像度が低いのだ。画面に表示できる情報は高々知れている。例えVRだとしても現実には到底敵わない。何故なら今のVRの解像度が低いからだ。
今のインターネットには余りにも情報が氾濫しており、その中には誤った情報や、錯誤させることを狙ったような情報、攻撃的な情報も少なくなく、見ていて非常に疲れる。これは私がX(旧Twitter)から身を引き始めた理由の一つでもある。今ではTwitterへの投稿数は最盛期の一割程度にまで落ち込んでいる。普段はログインすらしておらず、アプリも消してできるだけ見ないようにしている。利用するのはもっぱらブラウザ経由で毎回ログインしてはログアウトする運用をしている。
この辺りは、なるべくSNSに依存せずにブログを書いていこうという方針にしている。SNSに張り付いていると疲れるからだ。同様に新聞も朝夕だけ見ればいい。見切れなければ適当な空き時間に読めばいいのだ。時間などいくらでもあるのだから。
最近地方紙は衰退の危機にあるともいう部分もあるし、伝統的な新聞配達というのも続いてほしい気持ちがあるので試読が終わったら定期購読に移ろうと考えている。あと新聞紙があれば態々新聞紙の代わりになる神を買わなくていいのもメリットだろう。紙が欲しくなれば、すぐそこにいくらでもある状況だ。市の広報誌も取っているので新聞紙自体のストックはあるが広報誌の数など知れているので年末の大掃除くらいでしか役に立たない。
勿論、紙の新聞を使うことで貴重な資源やエネルギーの無駄遣い、配達員への負荷が増えるなどあるだろう。新聞配達は過酷な労働だ。人権侵害である可能さえある。しかしだからと言ってなくしていいものか?私は歴史と伝統は守られたほうが良いと考えているため、一概に西洋の価値観を肯定する気はなく、日本の歴史や文化を尊び、守っていくために大切にしていきたいと思っている。
果たして紙の新聞がなくなり、新聞のコモディティ化により地方紙も消えた世界が本当にいい世界なのかどうか、それは誰にとってどういい世界なのか、そこを考える価値はあると私は思っている。地方紙が消えれば次に消えるのは全国紙だ。世界各国から新聞会社が消え、NEWYORK TIMESだけになった世界というのも、今後を考えれば十分にありうる未来の一つだろう。私はそれを良しとしない。勿論、そんな極端なことになるかどうかは今はわからないが、少なくとも地方紙が風前の灯火であるというのは事実だろうから、自分なりに支えていきたいし、自分の精神の健康や、文化的生活の糧としても利用していきたいところだと考えている。
- 投稿日:
モダンからレガシーへ、ということで、これは前書いた記事の第二弾のようなものだ。モダンに逆らってレガシーへ変えてみる挑戦だ。
というわけで今回は調理器具を更新した。具体的には軽くて曲げやすい便利なプラスチック製のまな板とセラミック包丁から木製のまな板と金属製の包丁に変えたのだ。
実はセラミック包丁は前々からやめたいと思っていた。理由は単純で硬いものに使えないからだ。硬そうなものを切ろうとしようと怯えながら切らないといけない。そんな怯えながら料理をしたくなかったのだ。日々の料理は楽しいものでありたい。バリエーションもあった方がいい。そういう時に使途が限定されるものでは困ったのが一つだ。
もう一つは金属包丁の特性を調べていくと、セラミック包丁にはない特性があることが分かったのもある。何かといえばセラミック包丁は金属包丁と比べた時に切れ味が悪いということだ。例えば和平フレイズ公式ブログではセラミック包丁の特性として以下の説明がある。
次にセラミックですが、陶器である為もろいというお話をしたかと思いますが、刃を薄く仕上げてしまうと簡単に欠けてしまうので、セラミックの刃はかなり鈍角に仕上げられています。
こういった特徴があるので、例えば臭い移りを気にされる場合や、金属アレルギーをお持ちの方がお使いになる際はセラミックがお勧めです。
ただ、刃が鋭くないので切れ味を求められるのならば金属系のものをおすすめします。
個人的には切れ味の方が欲しいので金属の方がいいかなと思った。
また、まな板に関しても金属包丁を使う場合は木製の方がいいということが、これまた和平フレイズ公式ブログで紹介されていた。
これまではペラペラのプラスチックのまな板を使っていたのだが、心機一転、木のまな板にしてみようという思いもあり、木のまな板にすることに決めた。
買って使ってみた結果だが、まず買ったばかりなので包丁の切れ味はいいし、まな板もヒノキの香りがして非常に気持ちがよい。それとプラスチックのまな板は厚みが出ると非常に重いのだが、木のまな板は軽いので、これもよい。
今までのまな板と比べると鍋に切ったものを入れるのに少し苦労するが、風情があるので今のところは気にならない。何より国産のヒノキを使ったまな板で、製造も三重県で行っているらしいので親近感もある。やはり日本人であるからには日本製を使っていきたいものだ。このまな板は有限会社ウメザワさんの製品だ。
ついでに包丁立ても買った。まな板と包丁をしまう場所がなかったからだ。コンパクトに包丁とまな板を収納できる一品で一人暮らしにはうってつけのアイテムだ。
これは元々ニトリの商品だったと思うのだが取り扱いがなかったのでコーナンで買った。ニトリの製品はOEMが多いので終売になったらホムセンに流れることが多く、何なら販売中の商品がホムセンにあることもざらなので、ここは知っておくと便利なチップスだ。モノによってはドンキにあったりもする。
因みに今までのまな板は吊戸棚にぶら下げていたのだが、この吊り下げ方ができるまな板は限られるため丁度よかった。この時の包丁はシンク下の戸棚に備え付けの包丁差しに刺していたが、刺しづらいのと閉じ切った場所でイマイチだったので、今回の変更は悪くなかった。
買って一週間ほど経ち、多少の不便は感じるものの、今のところ概ね満足している。これからも可能な範囲で古き良き日本文化というものを大切にしていきたいものだ。
- 投稿日:
ここ最近デジタル化が叫ばれて久しいが、私はアナログに回帰できないかということを少しずつ考えている。
理由としてはアナログは枯れており、変化の余地もなく、何とも繋がっていないからだ。だからこそ良いと言える。デジタルは常に新鮮かもしれないが、変わりすぎるし、繋がりすぎている。
特に何か不祥事や不謹慎な出来事があるとすぐに炎上し、総叩きになる。他にも少数意見が集まりすぎて大きな声になってしまう。あたかも全世界を代表するかのような声に成長することさえある。こういう繋がり過ぎに私は辟易している。もううんざりで、疲れてしまったのだ。正直、世界はもっと分断され、疎結合になったほうが良いと思う。
かと言って人生の大半を費やしたインターネットから出ていくつもりはない。多分死ぬまで居続けるだろう。しかし、デジタル世界だけでなく、アナログ世界も見ていきたい。可能な範囲で見識は広めていきたいと思った。古いのは悪なのか?私はそう思わない。温故知新である。古きから得られる知識もあるだろう。
ひとまず筆記具を買うことにした。デジタルで書くのも検索性の観点などで便利なのだが、映画館などでどうしても使えないケースがある。もしペンとメモ帳ならどうだろう?予告編の内容を気兼ねなくメモできるようになるかもしれない。書く時の音が気になるかもしれないが、それは試してみての話だ。普通満席でもなければ筆跡の音は聞こえないと思う。ペンと紙にもよるとは思うが、満席でも聞こえるかどうかは怪しい。
というわけで筆記具を購入した。今まで持っていなかったわけではないのだが、仕事用と自宅用しかなかったので、これはプライベートの外出用だ。
筆記具を入れるものも必要だ。便利なバッグインバッグやツールケースと迷ったが、筆箱にすることにした。
この筆箱は以前、JR岡山駅で見かけた時に買ったものだ。児島の唐琴にある高田織物という会社が製造しているもので、歴史を感じさせる一品だ。何より畳の縁で作られているというのが面白い。児島は縁のある土地というのもあり、購入した。
児島はいいところなので機会があったら是非来てみてほしい。今ではすっかり衰退してしまっているが、非常に重厚な歴史を持つ都市だ。衰退したと言っても小さな市程度の規模はあり、辺境のど田舎というほどではない。元々は市であるということもあり、現在でも一定の規模の都市を形成しており、下手な市よりは都会で、人口も多い。こじまさんぽという観光案内サイトもある。
話が逸れてしまったが、アナログへの回帰第一弾的なところで、これからは出先でメモを取るのにアナログな手段も使っていこうと思う。きっとフリーハンドはデジタルより使いやすい場面もあるはずだ。時にはアナログのメモをデジタルに直すのに文字起こしという無駄が生まれるかもしれないが、それも含めて楽しみたい。人生とは無駄であってなんぼだと最近考えるようになったのもある。何故なら無駄をなくすというのであれば、全てAIや機械に任せておき、人間などいないことが一番効率的だからだ。
恐らく人生とは無駄を楽しむものだと思う。少なくとも私は今のところそう思っているし、これからも必要に応じてアナログなものを取り入れていきたい。
- 投稿日:
半年前にマンションの通気口そのものを交換して、いいヤツにしてみたのだが、それでも花粉がひどいのでフィルターを見たところ真っ黒になっていたので交換した話。因みに元の通気口は保管してるので原状回復に支障がないようにしている。
通気口
ユニックスのKRP 150BWFHを使っている。150cm経のやつ。よくあるプッシュ式で見た目もモダンでよい。
余談ですが元々あったのは PDG-AWFHで、部屋が負圧にならない限り吸気を止める構造だったので、換気をよくするために本製品に交換した。(恐らくキッチンの換気扇用で24h換気向けではない)。ついでに高性能フィルターが装備できたので装備している。
今回購入したフィルター
ユニックスのTF150A-KRPというフィルターを購入した。当面分買っておこうと3つ購入。公式サイトやマニュアルによると花粉を95%、PM2.5を50%捕獲できるとされており、かなり高性能なフィルターだ。
因みにフィルたんを併用することで更に花粉をカットできないか試して見たが、特に効果はなかった。恐らくユニックスのフィルターの性能が高く、その上にフィルたんを重ねたところで大きな効果はなかった。
ただフィルたん自体はよく考えられた製品で、色々な通気口に合わせられるように切れ込みが複数入っています。画像の中央の穴と下の裂け目も元々は埋まっていて、部品を外すことでこの形にできました。
特にスペックの記載がないにせよ結構な厚みがあるため、ちゃんとしたフィルターがないケースではそれなりに役に立ってくれそうな気もする。目が粗いのでどれほど活躍してくれるかは未知数だが…。
フィルター交換
左が今まで使ってたやつ、右が新品。半年でかなり真っ黒になっているのでフィルターとしてだいぶ仕事をしていてくれたことがわかる。マニュアルによると半年ごとの交換が推奨されているとのことでちょうどいいタイミングだった。