他所事を考えすぎず、ありのままの自分のままでいることが大切だという話
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世の中には様々な文化、集団、思想、風俗、国家、地域などがあり、それぞれが違うというのが私たちが今いる現実だ。
欧米諸国が唱える人権や普遍的価値観にそぐわないものも沢山あるだろう、そして今後グローバリゼーションが進めば、ますますそのようなものは失われていくだろう。それは悲しいことだが、仕方がないことだ。
ただ一つ私が言いたいのは、失われた文化は決して悪しき文化ではなかったということだ。そもそもこの世に絶対的な善悪はない。ある人にとっての善が、ある人にとっては悪で、その逆もまたしかり、それこそが世の中だ。
だから、潰えた文化を過去のものだとか、悪しき歴史だとかと切り捨てず、昔はそんなこともあったんだなとか、今取り戻すとどうなるのだろうとか、その文化は当時どのような役割だったのか、そういったことに思いを巡らせることが出来たらいいのではないか。なんとなくそんなことを思ったので、ここにしたためておく。
世の中には様々な考えがある。その中で自分がどうあればよいのか、それこそがきっと人生というものなのだ。SDGsを守らない人、基本的人権を守らない人、普遍的価値観を守らない人、そう、悪い人は沢山いるかもしれない。しかし自分は自分で、他人は他人で、気にしないことが大切だ。
もし自分がこれらの思想に従う気がないというならそれもいい。そんなのは自由だ。思想統制されているあの中国でさえ、思うだけなら自由だ。なので、自分は自分として生きればいいのだ。
つまり、これは御座候を今川焼と呼ぶ人がいるから今川焼と呼ばないといけないとか、そうではなく、自分が御座候と呼びたければ呼べばいいということと同じ話だ。
人生は有限で、やれることは限られているのだから、そんな大変そうなことよりも、もっとくだらなくてもっと無駄なことに力を注ごう。そして自分の正義があるなら、それは貫こうという話だ。