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前回ターンテーブル式の電子レンジを壊してしまい、以来フラットテーブル式を使っていたのだが、今回ターンテーブル式に戻すことにした。

理由としてはフラットテーブル式は温めムラが多く温まりづらい点があり、使い勝手に難儀していた。具体的には600Wで2分と書いているものを温めるのに650Wで2分半かかるなど時間がかかっていた。他にも同時に複数のものを温めるのが苦手で小分けになった冷凍食品や冷凍たこ焼きみたいなのは解凍が面倒だった。

利点としては庫内清掃のしやすさや、庫内の広さといった部分があったのだが、短所のほうが目立ち、お別れすることにした。因みに三年使った。

買い替え前の電子レンジ

ポップコーンを作るときに燃やして中を焦がしてしまい、見た目が良くない上に臭かったので今回手放せてよかった気がする。

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買い替え先としてはターンテーブル式にすることにしたが、いいのが中々見つからず難儀した。まずターンテーブル式そのものが少ないほか、ワット数を固定できる機種となると、さらに少なかった。以前使っていた機種では毎回ワット数を指定しないと使えず手間だったので、固定できる機種が良かったのだ。他にも時間指定はダイアル式にしたかった。これはボタン式だと連打が面倒なのと、押しすぎたときに戻すのも面倒だったからだ。主流はボタン式で、次いでデジタル式のダイアルだった。デジタル式のダイアルは回すノブが円形で回しづらいし、余り直感的でないので嫌だった。アナログに調整できて、ノブがつまめるタイプが良かったのだ。何故ならノブの向きがそのまま時間になるうえ、つまみやすいからだ。ノブはつまめるが目盛りのところにしか回せないという罠のような製品もあったが、こういうのは家電店で実際に触らないとわからないので、物理店舗は本当に助かる。

そんなこんなで色々探したが、これをいい感じに満たしてくれる製品は一製品しか見つからなかった。これを逃すともう手に入らないかもしれなかったのでいいタイミングだったように思う。

結果として庫内は狭くなったものの、コンビニの巨大弁当やピザを温める機会はないし、どちらかといえば複数のものが温まってくれたり、単品でも普通に温まってほしかったのでターンテーブルにしてよかった。これで中身を取り出して回して置きなおすという意味不明な行為から解放される。高級機なら置きなおしが不要だというが、電子レンジにそんな数万も出したくないし、そもそも一番安い機種でできていた事をするために高級機を買うというのがちょっとわからない。このターンテーブル式ですら8000円ほどして安くはなかった。10年ほど前なら5000円くらいで買えたので随分高くなってしまった。こいつは大切に使っていきたい。

因みに前回壊した原因は金属ボウルを入れてしまい、ボウルが大きすぎて扉に接触し、高熱で扉が解けたという内容なので、なかなかない壊し方だったとは思う。

買い替え後の電子レンジ

扉の取っ手が出っ張りすぎていて邪魔くさいが許容するしかない。最近の流行なのかこういうデザインが多い…。

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昔使っていた5000円のターンテーブル式

個人的にはこれが百点満点のデザイン。ダイアルノブも扉の取っ手も理想通りだ。

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2024-10-08追記

使ってみた感想。予想通りフラットテーブルより温め漏れやムラが少なく、同時に複数温められるのは強みだと感じた。温め操作もダイアルを適当に回すだけでいいので非常に楽だ。

以下のような複数品目の温めは安価なフラットテーブルにとっては最も苦手な所業なので、冷凍食品好きにはこれしかない。(真ん中に寄せてもラップをかけないと無理だし、ラップをかけると蒸気でふやけるので…)

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2020年7月1日にレジ袋が有料化されるのに合わせて2020年2月下旬からエコバッグを使っていたのだが、今月からそれをやめた話。

辞めた理由の一つはエコバッグを常に持ち歩くのが邪魔だったからだ。私は有料レジ袋を買わないため、また制度の趣旨のためにエコバッグを利用するつもりで4年半ほどこの生活を続けていたが、年々カバンの中に常在しているエコバッグが邪魔に思えてきていた。エコバッグ自体は大きいものではないのだが、使っているかばんも大きいものではないため、わずかな容積でも邪魔になるという状況だった。ならばカバンを大きくすればいいと思うかもしれないが、大きなカバンは電車の中では邪魔になりやすいし、私は自転車に乗ることが多いので、大きなカバンを避けたいのだ。目的別にカバンを用意すればいいというのも確かな話だが、そうするとエコバッグをカバンの数分用意したり、ノートや財布の入れ忘れが発生したりという面倒さが発生する。そういった複雑性を回避しつつ、使っているカバンを一つに集約するためにエコバッグをやめるという選択肢をとることにした。

ほかにもエコバッグを洗う手間がかかるといった部分や、洗うのを嫌うあまり買い物を必要以上にためらってしまう、経年でエコバッグに痛みが出てきて破れそうだが買い替えコストを払いたくない、形状的に中のものが落ちやすいなどがあった。最後の理由については私のエコバッグにはレジ袋の真ん中にあるひもみたいな部分がないからだ。あの部分を縛っておくと自転車かごに入れたときに中身が落ちづらくなるのだが、ないとどうしても落ちやすくなってしまう。実際過去何度か落としたことがある。落ちないように配慮することもできるのだが手間である。

と、まぁ、前述した複数の理由により、エコバッグの利用をやめることにした。そしてお金を払ってレジ袋を利用することにした。レジ袋のほうが環境コストが低いというのは各所で言われているし、端的に言って正直そんなことどうでもいいからである。マイクロプラスチック問題についてもよく知らないが、私は普通にごみとして処理しており、ポイ捨てすることはないため基本的に環境影響はないはずだ。レジ袋がこの世に存在するだけで見えないレベルで破砕され、微細粒子が空気中を漂い、それが環境に影響を与えるという可能性もあるだろうが、それはもうレジ袋関係なく、プラスチック製のエコバッグでも起きる話だろう。

エコバッグをやめてよかったのは、やはりカバンの中に空きが増えたことだ。エコバッグは二つ持ち歩いていたため、これがなくなることで普段使いのカバンの中にノートPCとACアダプタとマウスを無理なく入れることができるようになったし、小さな買い物ならカバンの中にそのまま入れることが容易になった。あとはカバンの重量が少し軽くなった。エコバッグ二つで90g程度あったので、気持ち負担が減った形だ。

ボディーソープから石鹼へと似たような内容になってくるが、今回は洗濯洗剤を液体から粉末に変えてみた。

理由もボディーソープを石鹸に変えたのと似たような理由でスペースの関係だ。液体洗剤はとにかく場所を食うし邪魔なのだ。学生の頃からずっとNANOXを使ってきたのだが、とにかく詰め替えパックが場所を食う。

液体洗剤は場所を食う

あと液体洗剤は容器を置いてる場所がべとついてくる。使うたびに微量が容器から垂れてきて、それの積み重ねで置いている場所がべとべとになってしまう。

この問題を粉末洗剤は解決できるのではないか?と思ったのである。結論から言うと今のところ分からない感じだ。一ヶ月ほど粉末洗剤で運用してみているが、容器がべとつかなくなったくらいしかわからない。詰め替え時にこぼす事故はほぼ起きないと思うので、そこはメリットかもしれない。仮にこぼしても掃除機で吸い取れる。

というわけで粉末のアタックを買ってきてみた。

今回変えた粉末のアタック
粉末洗剤の中身。白い粉雪の中に青いつぶつぶがあって面白い

液体洗剤をこぼすと処理が非常に大変で、賃貸だと床がめくれて来たりしてなかなか悲惨なことになることを考えると、そのリスクがないのはありかもしれないが、かなりこじつけに近い理由だ。

今のところ感じている粉末洗剤に感じているメリットとしては洗剤投入の時間が早いことだ。NANOXは粘度が高く、計量して投入するのに二度注ぐ必要があり、地味に時間がかかるが、粉末洗剤はスプーンで掬って入れるだけなので、この工程が一瞬で終わる。それ以外に明確な嬉しさは感じていない。適当にググったところ汚れ落ちは粉末の方が上と聞くので、衣類の汚れに困る頻度は減るのかもしれないが、現状体感できるものがないので不明だ。逆に傷みやすさも上がるらしい。

因みにNANOXを使い始めた理由は単純で、当時液体製剤が珍しかったのと部屋干しに強く、嫌な臭いが少ないとあったからだ。容器は汚れがたまってきたなどで三回くらい買い替えているので、写真に写っているのは新しめのやつである。しかも嫌な臭いが少なかったかと言われれば、特にそんなことはなかったと思う。

結果としてこれまでと比べると変革要素が薄くなってしまったが、まぁ特に困ることはないのでこのまま粉末で行こうと思う。何か支障を感じたら液体に戻すかもしれない。

三年位前だろうか、まだコロナが猛威を振るっていたころの話だ。私は自転車で街を走っていて一つの街頭広告を見かけた。『手洗いに「解除」はありません。』という文字が書かれ、柔らかなテイストで家族のイラストが描かれたシンプルなものだった。広告主は牛乳石鹸で、その時私は「確かにそれはそうだ。しかし石鹸なんて使わなくなったな」と思っていた。この広告は今でも同じ場所に掲示され続けており、通る度に眺めては物思いにふけっていた。

そしてつい先日ホームセンターに行った時のことだ、レジの前で牛乳石鹸の特売がされていた。「ふーん、石鹸かぁ…」と思い、買うか悩んだがレジに並んでいたので判断しきれず、その時は買わずにいた。

翌日である今日になり、石鹸を使ってみるのも悪くないのではないか?と思い、早速買ってみることにした。理由としては石鹸の方が安く済みそうだと思ったからだ。というわけで牛乳石鹸の赤箱と石鹸皿を買ってきた。石鹸皿はコーナンにあったアスベル エミール 石けん皿 ホワイトだ。汁受けがついているので石鹸のぬめりをキャッチできるのがいい。全く今風ではない古臭い作りだが、これでいいのだ。

今回購入した牛乳石鹸の赤箱。国産の文字がまぶしい。石鹸皿も買った
個包装は牛の絵が描かれた懐かしいパッケージだ
石鹼皿の上に乗せた牛乳石鹸。今回買ったのは大きめの品だったが無事乗った。石鹸に描かれた牛のエンボスが良い

私は長らくボディーソープを使っていた。何故なら石鹸は使い辛く、古臭いと思っていたからだ。ボディーソープは使いやすくモダンだと思っていたので使っていた。昔の私は新しいものが好きで、新しいものにすぐ飛びつく癖があった。よく近所の人からも「君は進みすぎている」と言われたものだ。

ボディーソープを使うときは十分に泡立たせるために二回ほどプッシュすることが多く消費量が多いのが悩みだった。また替えのリフィルも場所を取るし、ごみが多い。取り換え時に抜いたポンプから中身が垂れてきて汚れるのも好きでなかった。

しかしそれらの課題は石鹸なら解決できるのではないかと思ったのだ。石鹸はコンパクトで場所を取らないし、それだけにごみも少ない。何なら私は今、新聞を購読していて紙ごみはリサイクルに出せるので、環境保全の意味でもよい。ボディーソープのリフィルもリサイクル出来るはずだが、する気が起きない。しかもなくなった時の詰め替え作業も不要だ。ついでに言うと軽い。記憶が確かなら石鹸は中々減らないので長持ちするので節約になるし、買いに行く手間が省けるのはいいことだ。また、ボディーソープと違って残量がわかりやすいのも利点だろう。ボディーソープはある日突然出なくなって困ることがあるが、石鹸は小さくなったら買いに行けばいいだけだ。常にストックしておく必要はないし、ストックしておくにしてもボディーソープのリフィル一本分の面積に10個くらい置けるのも魅力といえる。

実際に使ってみた感じも手に取って何度か揉めば十分に泡立ったので、ポンプを押して更に泡立てるという工程がなくなり楽になった気がする。何より石鹸をこねくり回すのは新鮮で楽しい。しかも顔まで行けるので、フェイスソープが要らなくなった。

牛乳石鹸を買うときは色は青と赤で少し迷ったのだが、乾燥肌が辛いなど最近肌に関するトラブルに絶えないので赤にすることにした。子供のころは赤い牛乳石鹸といえば高級品というイメージだったし、実際赤の方が高いのだが、ボディーソープと比べたら些細な価格なのでどうでもいい話だ。

今まで使っていたボディーソープだとリフィルが400円程度するが、牛乳石鹸の赤い奴は3つ入りで300円程度、1個辺り100円くらいである。どう考えてもこちらの方が安い。しかも牛乳石鹸は大阪の会社なので、地産地消的な意味合いでもよい。

「SEA BREEZE ボディシャンプー クール&デオドラント」という非常に長く覚えきれないので買い替えに地味に難儀する商品名から、「牛乳石鹸の赤箱」という非常に明快な商品になったのも買い替え時にありがたい。SEA BREEZEはシリーズ商品が結構あり、毎回これで合ってたっけ…?となりがちなのがよくない。いや、もう色で覚えたが。他にも売っている店があまり多くないのも悩みだった。牛乳石鹸なら大抵の店にあるだろう。

因みに牛乳石鹸の箱にはSOAPと書かれており、固形だから石鹸、液体だからソープという話ではないらしい。そういえば昔は液体のやつをボディーシャンプーとか言ってた気がしなくもない。また、赤箱は関西向け、青箱は関東向けだったらしい。近所で赤箱の方が青箱より売れてそうだったのはそこにも理由があるのかもしれない。

しかし変革シリーズも第五弾となった。思えばWordPressからadiaryの乗り換えも変革シリーズにしてしまってよかった気がする。

ここのところ旧世代への変革記事が続いているが、今回は新聞だ。敢えて地方紙である神戸新聞を取ることにした。

今回申し込みをして届いた神戸新聞

私はこれまでもネットニュースは見ていたのだが内容の偏りや、興味のない情報が多く悩みを抱えていた。特に私は兵庫県や神戸市の情報を重視したかったので、今年あたりから神戸新聞NEXTの無料版を利用していたのだが、読めない記事が多く困っていたので去る10月に神戸新聞NEXTの購読契約をしたのだが、どうにも情報量が少ないと感じた。主要なニュースはあるのだが、それ以外が薄いというか。

そこで思い浮かんだのが紙面購読だ。紙面であれば漏れなく全ての情報があるし、毎朝・夕届くので生活習慣をつけるのにもいい。毎朝ポストまで取りに行くのは良い習慣になるだろうというのと、紙のメディアを読むというのは新鮮な体験になるだろうと思い、まずは試読を申し込んだ。実はこれしばらく届かなかったのだが、どうも誤配があったようで一週間後からはちゃんと届くようになった。無論、誤配中の試読はなかったことになり、新しく試読を始めることができたので神戸新聞の対応には感謝したい。

そして予想通り紙の新聞には電子版には書かれていない情報が多く、また画面遷移せずとも一覧的に情報を取り込めるのは非常に良い体験だった。そして新聞記事だけでなく、読者投稿や地域の細かい話、チラシなども見ることができる。情報のチャンネルが自然に増えるというのはとても良いことだ。例えば読者が普段感じていることや、年末年始のごみ収集についても書かれている。特に年末年始のごみ収集の情報を特に意識せずとも入手できるのはとてもありがたい。チラシについてもWeb広告のような不快感をあおるようなものは今のところ届いておらず、地域のスーパーなどの広告がメインだ。胡散臭い霊感商法的なものや、週刊誌的な広告も紙面の端やチラシとして封入されているが、昔からあるものということもあり、個人的には特に目に付くこともない。

紙媒体というか、リアルなアナログ媒体あるあるだと思うのだが、何気ない情報に出会えるのも新聞の醍醐味だと感じる。先ほども書いたことだが一覧性が高いことによって適当にページをめくっているだけでも意外な情報と出会えることがある。これは現実の書店に行ったときに思いがけない本に出会えるのと同じ理屈だろう。私はこのことを現実世界の解像度の高さと呼んでいる。デジタル世界は解像度が低いのだ。画面に表示できる情報は高々知れている。例えVRだとしても現実には到底敵わない。何故なら今のVRの解像度が低いからだ。

今のインターネットには余りにも情報が氾濫しており、その中には誤った情報や、錯誤させることを狙ったような情報、攻撃的な情報も少なくなく、見ていて非常に疲れる。これは私がX(旧Twitter)から身を引き始めた理由の一つでもある。今ではTwitterへの投稿数は最盛期の一割程度にまで落ち込んでいる。普段はログインすらしておらず、アプリも消してできるだけ見ないようにしている。利用するのはもっぱらブラウザ経由で毎回ログインしてはログアウトする運用をしている。

Twitterへの投稿数は目に見えて減っている

この辺りは、なるべくSNSに依存せずにブログを書いていこうという方針にしている。SNSに張り付いていると疲れるからだ。同様に新聞も朝夕だけ見ればいい。見切れなければ適当な空き時間に読めばいいのだ。時間などいくらでもあるのだから。

最近地方紙は衰退の危機にあるともいう部分もあるし、伝統的な新聞配達というのも続いてほしい気持ちがあるので試読が終わったら定期購読に移ろうと考えている。あと新聞紙があれば態々新聞紙の代わりになる神を買わなくていいのもメリットだろう。紙が欲しくなれば、すぐそこにいくらでもある状況だ。市の広報誌も取っているので新聞紙自体のストックはあるが広報誌の数など知れているので年末の大掃除くらいでしか役に立たない。

勿論、紙の新聞を使うことで貴重な資源やエネルギーの無駄遣い、配達員への負荷が増えるなどあるだろう。新聞配達は過酷な労働だ。人権侵害である可能さえある。しかしだからと言ってなくしていいものか?私は歴史と伝統は守られたほうが良いと考えているため、一概に西洋の価値観を肯定する気はなく、日本の歴史や文化を尊び、守っていくために大切にしていきたいと思っている。

果たして紙の新聞がなくなり、新聞のコモディティ化により地方紙も消えた世界が本当にいい世界なのかどうか、それは誰にとってどういい世界なのか、そこを考える価値はあると私は思っている。地方紙が消えれば次に消えるのは全国紙だ。世界各国から新聞会社が消え、NEWYORK TIMESだけになった世界というのも、今後を考えれば十分にありうる未来の一つだろう。私はそれを良しとしない。勿論、そんな極端なことになるかどうかは今はわからないが、少なくとも地方紙が風前の灯火であるというのは事実だろうから、自分なりに支えていきたいし、自分の精神の健康や、文化的生活の糧としても利用していきたいところだと考えている。