投稿日:
ここ最近メンタルの微妙さや、週末に病院が入っていたりで全然映画が見れておらず、がんばっていきまっしょいが鑑賞できずにいた。
しかしこのままでは見れないまま終わってしまうのでどうにかしようということで、一揆奮闘し、先の12/14に見に行くことにした。
上映館の調査とスケジュール調整
まず上映館を調べたが、近隣での上映は全滅していた。10/25公開の映画なので無理もない。先週くらいまで名古屋でもやってた気がするのだが、それも終わっていた。残っていたのは愛媛と東京だけだった。本作は愛媛が舞台の映画なので愛媛で見ることに決めた。
次にいつ行くかだが、遠方なので日曜は避けたかった。そして次の土曜日は歯医者、その次の土曜日も歯医者というスケジュールがあり、歯の健康のために、これは外したくなかった。因みに愛媛の先行上映会も歯医者で潰れており、がんばっていきまっしょい鑑賞は歯医者に邪魔をされている。
しかし最初の土曜日の歯医者は10:00~10:30だったので、16:40~の上映には間に合うのではないかと思い、調べてみたところ、航空便であれば間に合うという結果が出たので早速航空券をとることにした。映画を見に行くために飛行機に乗るというのはなかなか斬新な発想だと思う。
当日になり伊丹空港へ
当日になり、歯医者での用を済ませた私は早速、伊丹空港に向かった。伊丹空港に来るのはこれが初めてだったが、普段映画を見にエキスポシティに行くルートとよく似ていたので迷わずに行けた。違いは蛍池で千里中央に行くか、空港に行くかくらい。移動中にSMSで乗り場が7番に変わったという連絡がきた。
伊丹空港につき、案内表を見ていると早速松山行きが出ていたが、番号は8番に変わっていた。松山行きの便は遅れており、この後も7→8と変わったが、全部が全部SMSで連絡されることはなく、最後の案内はなぜかメールできたので謎だった。
空港内の手続きは大体自動化されていて快適だった。
保安検査場の前に何やら怖そうな展示があったのでよく見てみるとハサミが持ち込めないとあり、筆箱の中にハサミが入っているのが気にかかったが手荷物扱いならいけることに気づき、ちょっとSF感のある預入機に投入した。なかなか便利な機械だ。最初筆箱だけ入れることを考えたがロストバゲッジしそうなのと、筆箱の中身が壊れそうなのでカバンごと入れることにした。バスとの乗り継ぎが10分しかなく、荷物を受け取ってバスに間に合うか心配したが、さすがに想定されていることを信じて突っ込んだ。
保安検査場にはWebでよく見かける対応はいかがでしたかボタンが置いてあったが誰が押すのだろうと訝しみつつ、取りあえずGoodを押しておいた。
保安検査を抜けると豊岡鞄が売られていた。神戸で見た記憶がないので少し驚いた。豊岡以外でも買えるんだ。
搭乗口まで来るとTHE 飛行場という光景が広がっており、眺めて暇をつぶすのには事欠かなかった。こういうのはいつまでも見ていられる。
聞き慣れない名前の飛行機で松山空港へ
そして定刻より10分遅れで、今回の搭乗機であるデ・ハビランド・カナダ Dash 8がやってきた。ボーディングブリッジはなくタラップから乗るやつだ。聞きなれない名前だが中身はボンバルディア DHC-8である。
傘が持ち込めないため建屋出口には雨天時の傘が置いてあった。
いざ近づいてみると、機体側にタラップがあることに気づき、死重にしか見えず存在価値があるのだろうかと思ったが深く気にしないことにした。(きっとタラップのない空港でも運用しているのだろう…余計に食う燃料代で買えそうな気もするが…)
離陸時にはいい感じにGがかかって軽くジェットコースターに乗っているような気分が味わえてよかった。また気象の関係で揺れるというアナウンスがあったものの、特に揺れは感じなかった。
機内では飴をもらえた。遅延のお詫びらしい。ANAのロゴが入っていて、大阪産品なのは関西人として少し感心した。また揺れてすみませんという謎のお詫びもいただいたが、揺れを防ぐことができないのに謝ってどうするのかと思うなどしていた。個人的には特に揺れていなかったとは思う。
松山まではわずか一時間の旅で、上昇しきったらすぐ降下する感じだったのでベルトを外せる時間はわずか五分しかなく、恐ろしく飛行機で行く意味がないなと思ったが、海を隔てている関係で直線的に行ける経路が空路くらいしかないので、どうしようもない。参考までに三宮からだと新幹線と特急の乗り継ぎで4h、高速バスで5hくらい。それに対して空路は3hとだいぶ優位性がある。特に時間的に他に選択肢がない場合、非常に強力だ。
そうこうしているうちに松山空港が見えてきた。山側から入ってオーバーランすると海に落ちそうな空港だが、海上空港もそう変わらんなと思った。
周囲は田んぼが広がっていてのどかな光景が延々続いていた。これでも松山市内にあり、中心部からも程よく近いためアクセスは悪くない。なお鉄道アクセスはなく、接続する公共交通機関はリムジンバスと路線バスのみだ。
松山空港ではボーディングブリッジから空港へ入ることができ、一六タルトが出迎えてくれ、その次はみきゃんが迎えてくれた。
心配していた手荷物受取は心配するほどのものではなく、ボーディングブリッジを渡り一分も歩けば受取場がある上に、出口が目の前にあるため三分もあれば出られる設計だった。荷物が出てくるのが多少遅くても十分間に合うだろう。
空港出口には伊予鉄のICカードが売られていた。個人的にはなくても困らなかったが、伊予鉄高浜線はこのカードにしか対応していないらしく、カードがない場合、切符購入となるため、買っておくと多少便利かもしれない。
みかん色のバスで松山駅へ
ここからはバスで松山駅へ向かう。
ここからは松山市駅行きのリムジンバスで松山駅へ向かう。松山駅と松山市駅は別物なので注意が必要だ。このリムジンバスは交通系ICカード全国相互利用サービスのものであれば基本使えるようだった。SF利用のためPiTaPaの人は事前にチャージしておこう。
空港のバス乗り場では奥のバスや路面バスも軒並みみかんカラーだったので愛媛をすごく感じた。
バスの搭乗口、全国共通利用は青いほう。多分オレンジは伊予鉄のやつ。最初間違えてタッチして???となっていた。青いほうはちょっと手前過ぎて気づきづらいw
道中で見かけた工事現場のアレがみきゃんになっていて、無限の愛媛愛を感じていた。くすりのレデイという聞いたことのないドラッグストアもあり、愛媛の独立感を感じるバス旅となった。地方の特色がみられるのはとてもいい。
そしてバスに乗っている間にうかどんで「空港の中に、生のほうの鯛めしの店があるゾ」と言われたので、これから行く先では宇和島鯛めしを食べようと心に決めるのだった。
松山駅をぶらぶら
松山駅に到着、相変わらずみかん色のバスが並ぶが一台空気読めてないのがいた。伊予鉄のじゃないから仕方ない。
東京のマンションデベであるタカラレーベンの看板があって驚いたが、後で調べたところ、かつて松山市に系列企業があったようで、どうやらその名残っぽかった。
他にも伯方の塩もあった。伯方の塩はオーストラリアの塩を瀬戸内海の水に漬けて作ってるらしい。意味あるのかそれは。
駅前に大きなモニタがあると都会感があってよいが、駅前はどちらかというと寂れており、一個前の写真にあるあかやねビジョンもあんまり存在感なかった。どちらかというと左手奥に見えるパチ屋の存在感とタカラレーベンのクソデカ広告の存在感が異様で、それに隠れていたように思う。
他にも駅のターミナルには相当古い形式の機械式駐車機が設置されおり、大変歴史を感じるなどした。
肝心の松山駅だが、リニューアルされたと聞いていたのに、かなり寂れていた。なんだろう、この場末感は…w 店の行灯を讃岐うどんの箱で隠してるのは四国らしいが、松山ならみかん箱にしてほしかった()
駅前面にある店は恐らくすべて閉店しており、なんともな具合だった。バスターミナルには近隣の府県が書かれており親近感を覚えるが、東京などの遠方が書かれていないのが気になる。なんか白く塗りつぶされているように見えるので昔はあったのかもしれない。ところで三宮を三ノ宮と書くのはやめてほしい。JRなので仕方ないが…。
さて、肝心の松山駅に入っていこうと思う。どっしりしており、歴史が感じられる佇まいだ。松山驛と旧字体なのが特にいい。山の字体もいい。
駅は絶賛工事中という感じで、旧駅部分は線路の上に仮通路を架橋し、新駅につないでいる構造だった。しかし三宮駅もそうだけど流線型のデザインが流行ってるのだろうか?既視感がすごい…w
新駅の中は木の温かみがあっていい感じだった。九月ごろにできたばかりのはずなのでピカピカだ。
愛媛には愛媛ジェーシービーというものがあるらしい。四国ジェーシービーでなくて愛媛ジェーシービーなのが面白い。
松山駅で鯛めしを食べる
駅に来たものの別にJRに乗る用事はなく、映画の上映時間までの暇つぶしで来たので、まずは腹ごしらえをすることにした。そもそも歯医者に行くために朝を抜いており、歯医者を出たら松山まで食べる余裕がどこにもなかったし、鯛めしが食いたいというのもあり、きっとあるだろうと思い探すことにした。
調理時間やゆったり食べる時間との兼ね合いで電車に間に合うかどうかが心配だったが、杞憂だった。30秒くらいで出てきた。
30秒くらいで駅内の食堂を見つけ、愛媛の鯛めし食べ比べ定食を注文。愛媛鯛めしと宇和島鯛めしが楽しめる一品だ。
まずは宇和島鯛めしから。生卵と鯛の刺身が合わさりビジュアル的には最強と言える。味はまぁ…卵かけご飯に真鯛の刺身乗せただけなので、あまり衝撃的なものではなかった。どっちかと言うとダシが効いてた普通の鯛めしのほうが美味かったというか…w
急ぎの土産漁り
食べ終わったら土産が欲しいなということで土産を物色することに。とはいえ時間に余裕があるわけでもないのでサッと見てよさげなものをチョイスしていった。
まずはあからさまにオタク受けを狙った煎餅。道後温泉があるのに温泉娘ですらないオリジナルキャラで勝負してくるあたりが強い。しかもかわいいし!
次に愛媛県のヒノキで作られたという箸置き。実は今使っている箸置きに不満があり、数年間いい感じの箸置きを探していたのだが一目ぼれしたので買うことにした。他にもコースターや弁当箱など様々な木製食器が売られていた。
他にも買ってないけど土産はかなり充実していて、大変目移りする内容だった。神戸や岡山、高松はここまでではなかったと思う。みかんや道後温泉、今治タオルは確かに鉄板とはいえ、愛媛の力をすごく感じた。これだけの商品力は他の地域ではなかなか真似できないのでは?
伊予鉄で映画館へ
土産をじっくり物色したいところだったが、今回の目的は映画鑑賞である。明らかに関係ないことをガンガン書いてきていて目的を見失いかけているが、映画を見に来たのである。
まずは伊予鉄の駅へ向かう。道路の真ん中にあっていくのメンドそうだなぁ…。なんか地下道みたいなところからいけないかな?と思ったら行けたので松山は偉大である。流石、高松より都会といわれるだけはある。
伊予鉄市内電車(路面電車のこと)の本数は結構あり、割と何も考えず乗れるのはいいなと思った。
待っていたらカッコいい感じのがきてテンションが上がった。車内は広く、座席も多く、広電より快適だった。線路が石畳の上にあるのもいい(いやまぁ岡電や広電にもあるが)
一駅乗車し、大手町駅へ。線路が水平交差(ダイアモンドクロス)しているのが良い。なお余りにも近すぎて歩いたほうが早かった。
大手町駅構内、ICカードタッチは伊予鉄専用のものしかなく、持ってなければ切符を買うことになるが改札はなかった。そもそも駅員がいなかった。しかしICカードの代表がSuica, PASMOなのが東京一極集中の象徴みたいでなんかいやである。ICOCAのサービスエリアでしょここwと思いたくなる。
線路は複線で電化されており、田舎の線路という雰囲気はない。法令で定められているはずなので当たり前だが線路上には保安装置も見える。
駅で待っているとみかん色の列車がやってきた。
衣山で下車。ここでは駅員がおり、切符が回収された。100均で売ってそうなトレーに入れる方式で、たぶん省エネだった。JRの無人駅では切符は箱に入れる方式なのでキセルができてしまうが、伊予鉄形式ではしづらいのでよく出来てるなと感じた。
そして目的地、シネマサンシャイン衣山へ
さて、ここまで延々長々と一切関係ないことを羅列してきたが、やっと目的地であるシネマサンシャイン衣山へやってくることができた。今思えば先行上映のあったエミフルMASAKIの方に行けばよかった気がするが、この時はまだそれに気が付いていなかった。エミフルMASAKIでの上映は明日で打ち切られるので今から行くのは現実味が薄いが、行けばシネマ5、153席の大箱で見れるようだ。衣山の上映は95席の最小箱が設定されており、終映前の追い込み部屋である。あと衣山の建物はやや老朽化感が否めないが、エミフルの方はWikipediaを見る限り立派なようだ。
2Fであまり高い場所ではないが開けており、眺望は意外と良かった。
さて待望の「がんばっていきまっしょい」とのご対面だ。先行上映に急な歯医者で行けず、その後も体調不良が続きなかなか来れなかったが、ついにやっと来れた。Xのフォロワーが良く上げていた写真の場所に、やっとこれた。恐らくここまで来れていなかったからこそこれたと思う。そうでなかったらたぶん神戸で見て終わっていたので、これは巡りあわせだと思う。
因みに1Fには小売業界で有名なFujiが入っていた。Fujiは愛媛発祥のGMSで、愛媛県近郊では結構な力を持つと聞く。因みに空港から松山駅に移動するバスの中で見た「くすりのレデイ」もFuji系列らしい。
がんばっていきまっしょいの感想
さて見た感想だが、これはいい、あんま話題になってない気もするが個人的には今年の最高作かもしれない。いや、そもそも私は話題作とかほとんど見てないと思うが…w
内容的にはスポ根系で、非積極的で根暗な主人公が、成長していくにつれ、立派になっていき、最終的にはリーダーシップを奮っていく感じの成長ストーリーだ。
伏線が結構あるが、意図的に回収せず、捨てることで演出するという面白い部分があるのも個人的に惹かれた。つまり伏線に見せかけておいて、実は伏線ではないのだ。この部分は本来主人公が恋愛に走るありがちな道を捨てて、ストイックにボートに向かっていく筋書きを作るのに非常に役立っていると感じた。
出てくる風景も愛媛特有のものが多く、しかも他の地方にはまずないであろう物を出してくる。何よりあからさまに愛媛を想起させるみかんは出てこない。狙ってない感じがいいのだ。
そしてキャラクターも男1に対し女多数というハーレム形式だが、色恋要素が主体ではない。あくまでスポ根を往くのだ。そう、少し恋を覚えそうになっても、それを振り切っていく感じ、ボートをやる、勝つという情熱。一度は情念に振り回されることがあれど、それを振り切る強さ、そういうところがいい。
本作はオタク向け萌えアニメの分類に入ると思うが、描写は非常に真面目で、健全だ。恐らく老若男女問わず誰が見ても安心できるだろう。過激な表現はほとんどないといっても支障ないと個人的には思う。性的に見える表現を極力排除し、それでいて違和感のない描き方にとどめているのは中々ないと思う。特定の部位の強調なども一切ない。
本作の監督は櫻木優平なのだが、前回監督作である「あした世界が終わるとしても」でも比較的真面目な描写が基調にあったと思うので、恐らくこの監督はこういう作風が得意なのかもしれない。因みに「あした世界が終わるとしても」も3Dアニメ映画作品である。
「あした世界が終わるとしても」は自分の稼ぎで初めて見た映画というのだけあって、また櫻木優平監督作品を見れたのもうれしく思う。
がんばっていきまっしょいを見終えて
是非もう一度映画館で観たいので、もし来週も衣山で上映していれば見に行くかもしれない。衣山は12月下旬まで上映予定としかないので、いつ終わるのかが見通せないのだ。とはいえ、行ったときは4割ほど埋まっていたので、やってくれる可能性はゼロではないと思うが、一般的に木曜で打ち切られるので、土曜までやってくれないと厳しさを感じる。その次の週だと12月を超えてしまうので、どこまでやってくれるのか次第である。
シネマサンシャイン重信は終映予定が出ていないので、仮に衣山が終わっていても、ここなら見れる可能性がある。
衣山の力の入れ方がすごいので出来れば続いてほしいが…。正直10/25公開で12/15には東京と愛媛以外全滅の状態でエントランスをここまでやってくれてるのはもう愛としか言えない。愛ゆえに、あと少し、もう少しだけどうかお願いしたいところだ。
夜の衣山
夕方の眺望もなかなかだったが、夜もなかなかだった。24h営業のネカフェがあるのにも驚いた。こんなとこに客来るのか?
時間に余裕があったのでゲームセンターに入ったらAtariの筐体があった。アタリショックのあのAtariのだろうか?
他にも神戸のローソンとかでよく見かける小型プライズを見かけたり、懐かしの機体を見かけたりした。
キャッシングコーナーは愛媛一色という感じで、なんでこんなに地場の金融機関あるのかと驚いたりした。
商業施設に自転車の空気があるのは便利だなとか。しかも無料。
懐かしそうなお店があったりして、なかなか楽しかった。しかしずっと居るわけにもいかないので帰路に就くことにした。
衣山から松山駅への帰路
帰りの衣山では改札が行われており切符にスタンプが押された。パチンとするやつではなくハンコみたいなやつだった。
衣山駅のホームにはセブンティーンアイスの自販機があり待ち時間にアイス食べれるのはいいなと思った。
列車本数は結構あり、適当に来ても困らない感じだ。松山市駅から直通なら次来るときは市駅まで行ってもいいかもしれないなとも。いや次は流石に飛行機で来ないと思うが…。
帰りの電車は行きより一両多く三両編成だった。地方私鉄にしてはゴージャスである。山陽本線でも三両編成いなかったっけ…?
帰りの松山駅
廃駅となった松山駅は二代目として71年もの間使われていたらしい。新駅ができる前は中心的都市では唯一奥ゆかしい改札(箱に人が入ってるタイプの有人改札)が残っていたらしいので、その光景が見てみたかったものだ…。丁度年の区切りになるときまでは引っ張ってくれたJRの良心に感動してしまう。
さて、松山駅まで帰ってきて、次はフェリー行きのバスに乗るのだが、時間に余裕があるので土産を物色する。
みかん石鹸からみかん入浴剤、定番の湯の花といったものから
みきゃんラーメンやみかんご飯という黒歴史に至るまで面白いものもある。因みにみきゃんラーメンにみかん成分は一切ない。
他にもみかん箱を模したものや、定番と言えるみかんジュースなど魅力的な品々が多数あった。
蛇口から出るみかんジュースは残念ながら飲めなかった。次来たら是非飲みたい。なお裏には普通にドリンクサーバーが置いてあったが見なかったことにした。
そろそろバスの時間なので松山駅を出ようとしたらあったかいメッセージに心が惹かれた。愛媛はええなぁ…!
駅を出るとMATSUYAMA INFOMATIONと書かれたいい感じのビューが設置されていた。あかやねビジョンよりこっちの方が個人的には好きだ。
空を望めば月に叢雲がかかっており、風流だった。さてそろそろバスを探そう。六番乗り場ってどこだ?
バスターミナルの全体図が見当たらなかったので地面の番号を眺めながら歩いてたら丁度やってきた。
フェリー乗船と合わせてバス代金を支払うことができるようだが、手続きが複雑なのか未払いでトラブルになっている人が何人かいたので、事前予約するときは注意した方がいいかもしれない。
オレンジフェリーへの乗船手続き
さて、いよいよフェリー乗り場に到着だ。
入ってまず目に入ったのは四国初のセブンティーンアイスの自販機。フェリーに持っていくと食べるまでに溶けると思うので待合室向けだろう。
大阪行きフェリーなので大阪の交通情報も入っていた。生田川IC手前の電光掲示板にも書いてある内容なのでほっこりした。
電話予約したので乗船名簿を書くことができた。オレンジフェリーは出航日前日にはWeb予約が閉じてしまうようで、電話で空室確認をするついでに予約も入れたのだ。
オレンジフェリーはジャンボフェリーのようにQR乗船には対応していないのか、受付窓口には列ができていた。必ず窓口を通す必要があるのかな?
乗船受付では翌朝の朝食を予約することができ、和食と洋食が選べるのだが和食は予約限定、洋食は予約してると割引ありという内容だった。洋食は当日の朝でも買えるらしい。恐らく和食は調理工程があるので、その関係だろう。(洋食は注文を受けてからでもなんとかなるのだと思う)
受付には「こえる大峠さん」のイラストが飾ってあった。絵柄がむっちりしていてよい。
オレンジフェリーに搭乗しての船内
周りを見るのに夢中だったりして受付で時間がかかってしまったが、いよいよ乗船だ。今回は「おれんじ えひめ」に乗る。
オレンジフェリーの銘板が光る。地場である今治で建造されたそうで、愛媛の誇りともいえる船だと感じた。見たところ2018年建造だろうか、結構新しい船だ。
入り口のドアはガラス張りでおしゃれで、その奥もなんか豪華に見える。ジャンボフェリーのりつりん2も入口は中々絢爛だったが、その比ではない。入ったらホテルマンのような人に部屋を案内され、ホテルのフロントみたいなのまであった。
オレンジフェリーはジャンボフェリーと違い椅子に座って乗るという選択肢がないので、乗船する場合は部屋をとるので部屋に移動するのだが、その時の通路の様子はさながらホテルである。
バリアフリーにも配慮されており、バリアフリー室の前には点字ブロックがあったりで、下手なホテルより配慮が行き届いてると感じた。
客室
取った部屋は一番安いシングルだが、十分な広さがある。ノートPCを置いて作業できる程度の広さの机やコンセントも二口あり、椅子もしっかりあるので乗船しながら不自由なく作業することもできそうだ。机の下には救命胴着が入っていたので、物入にするのはあまり良くないだろう。
ハンガーもあり、ベッドの下に靴も入れられるため、収納に困ることはなかった。スリッパがあるのもありがたい。部屋の等級によってスリッパも変わるのか、グレードの高そうなスリッパを履いてる人も見かけた。
空調は集中管理方式で温度が調整できなかったが、吹き出し口を塞ぐことはできた。一等室であれば温度調整ができるらしい。
オレンジフェリーでの夕食
搭乗してすぐに「22:30で船内レストランは終わりで、それ以降の飲食提供はできません。」という感じのアナウンスが流れてきた。案内がイマイチ分かりづらいのだがラストオーダーが22:30ということらしかった。因みに食べるだけなら自販機で軽食が売ってるので別に食べれる。アルコール類は自販機がないので、持ち込んでいなければこれが最後のチャンスだ。
レストラン前には食欲をそそるいい感じのメニューが貼ってあった。
レストランの営業時間が書いてあるが、夜はLO、朝は営業終了時間のようだった。朝のLOは7時と案内されていたと思う。
カフェテリア形式は謎だが要はセルフである。レストラン前のメニューが食べたい人はすべて無視して一番奥で頼めばよい。
土産売り場も兼ねているらしいが、神戸プリンやパインアメなど、イマイチ分からないものが多く、愛媛土産は多くなさそうだった。パインアメはギリギリ大阪土産と言えなくもなさそうだが、愛媛でも買えるだろうし、置いてる意味が謎だった。一番謎なのは神戸プリンだが、一応大阪・神戸行きらしいので、あるのだろう。神戸には寄らないし、フェリーが着岸する大阪南港からのアクセスも良くはないので、イマイチ謎だが、たぶん雰囲気だろう。
カフェテリアのメニューは豊富で、これだけでも十分といえるほどにはあったが、私はおでんだけ取って、あとは鯛だし塩ラーメンを頼むことにした。
おでんは牛すじと麦味噌がなんともたまらなかったし、ラーメンの方はよくある冷凍麺を使っているように見えたが、ダシがよく、大変おいしかった。
オレンジフェリーと「がんばっていきまっしょい」
オレンジフェリー内には「がんばっていきまっしょい」の船内展示がある](https://www.orange-ferry.co.jp/6884.html)というのを公式サイトで見たので、それを探してみることにした。
すると1Fエントランスに掲示を見つけることができた。
パンフレットも置いてあり、オレンジフェリーオリジナルのものもあった。そういえばインスタのパンフはもらってなかったのに気が付いた。(その左右のは貰った)
こえる大峠さんと一緒にポスターが掲示されているされている場所もあった。
こえる大峠さんのポスターと単行本。なんと単行本を借りることができるようで、乗船すると無料で読めるようだ。この時は余裕がなかったが次回があれば読みたいところ。
しかしパネル展示は「おれんじ おおさか」にあるようで、今回乗船した「おれんじ えひめ」にはなかったのが残念だった。
フェリー内散策
結構大きな船で色々ありそうなので適当に散策してみることにした。
エントランスホールは明るく豪華で見ごたえがあった。ジャンボフェリーもここは立派だったので、そういうものなのかもしれない。
浴衣がもらえたりするフロント。ホテルのフロントみたいな見た目で、ホテルとしか言いようがない。営業時間外は鉄格子が下りていた。
フロント横にはフェリーが今どこにいるのか見れるモニターもあり、周りの島や橋を見るときの参考になりそうだった。
橋が見たい人向けの案内も掲示があった。
1F自販機、飲料と軽食が売られていた。ポンジュースはなかった。コーヒーの販売機もあり、至れり尽くせりだ。
2F自販機、アニメティが売られており大浴場に入るときに便利だ。今治タオルかどうかはわからなかったが、オレンジフェリーのロゴが入っていたので記念に持って帰っていいかもしれない。クオリティは銭湯のタオルなので使い捨て品に近く、家庭で繰り返し使うのは不向きだろう。ティッシュもあり、花粉症の時期にも安心できそうだ。
ゲームコーナーもあった。建造された年から考えるとだいぶ時代錯誤な気もするが、パチスロとプライズしかなかったので、恐らく家族連れやトラックドライバーをターゲットにしているのだろう。パチスロはドライバーっぽい人らが遊んでるのを見た。
パチスロは結構な台数があり、設定変更できる機種も存在した。コントロールパネルがかわいい。
プライズの中身は怪しいグッズから、そこら辺の商業施設にありそうなものまで結構幅広くあった。
また自販機では軒並新札が使えなかったが、ゲームコーナーの両替機が新札対応だったので、ここで新札を崩すことで使うことができた。
大浴場の前にはシャワー占有状況を示す謎のテクノロジーがあり、昭和を感じられた。これは大浴場のシャワーではなく、大浴場の向かいにあるシャワールームのものと思われる。
大浴場にはよくある暖簾が掛けてあったが、天井からハンガーが生えてる光景が、周りの風景からすると余りにも場違いで、ちょっとおもしろいなと思った。
大阪南港入港
ひとしきり見た後は床につき、5時ごろに船内放送で起こされた。ちなみにこの放送23時くらいまであるので、気にしてると6時間くらいしか寝れない。そもそも朝食の営業が7時までなので早起きは必須だが…。
まだ薄暗い船外。
船内での朝食
朝食。船を降りて飯屋を探したり移動するのは手間なので船の中で食べられるのは非常に効率的だ。
メインディッシュは鮭の塩焼きとだし巻き、サラダに納豆、梅干し、鯛みそ?だった。納豆は食べてないが他はいずれも美味しかった。特にかまぼこは謎のクオリティで、たぶん結構高い奴だと思う。少なくとも100円とかのかまぼこではない。海苔も西条市にある瀬戸内海苔の製品で愛媛を感じられたのがよかった。
下船
乗船から9時半ほど、長く続いた船旅もここで終わりだ。
大阪の地に足を踏み入れ、まずは帰ってきた感じがするが、来たことがない場所だったので実感は皆無だった。
ボーディングブリッジを歩いていると、可愛いけどここに掲示して大丈夫なのか…?というきわどいキャラクターがいた。流石にこれは攻めすぎでは…w
フェリーターミナルに入るとやたら立派なPORT OF OSAKAに迎えられた。虎柄っぽいのが大阪感を出しているような気がしなくもない。
フェリーターミナルからの帰路
南港からの帰りはニュートラムという新交通に乗った。ニュートラム的なロゴから昭和のバブルを感じた。多分当時は結構ハイセンスだったのだと思う。
住之江公園で四つ橋線に乗り換え。やっと見慣れた名前が見えてきたが、なんか入り口が軽くホラーでビビった。ゾンビとか出てきそう(
西梅田から阪神梅田に移動してきてやっと見慣れた光景、地元感が出てきた。あとはこのまま電車に揺られながら神戸の自宅に帰って旅を終えた。
あとがき
12/14に行ったのに記事を出すのが12/23にもなってしまったが、これはちょっと記事を詰め込みすぎて伸ばしすぎてしまったと思う。後悔はしていない。
そしてがんばっていきまっしょいをまた見たいので、松山に再度行く計画を立てている。シネマサンシャイン衣山がいつまで上映してくれるのかはわからないが、12/26まではスケジュールが入っているので、このタイミングには見に行きたい。次週になると12月下旬を超え、1月に入ってしまうのでここが最終に見えるが、打ち切る場合は日付を記載しているようなので、いつまでやってくれるのかは果たして謎である。ワンチャン変則的な上映で12/31までやってくれたりして…。
ひとまず年末なので休みを取って聖地巡りをする予定だ。道後温泉も行きたかったが、こちらはいい部屋が埋まっていて取れなかったので、仕方なくビジホをとることにした。食事なしの洋室に泊まるくらいならビジホでよくね?と思ったからだ。旅館は和室で食事付きでなんぼだと思っている。素泊まりで洋室ならビジホでいいっしょみたいな…。
そして運よく「おれんじ おおさか」の便も取れたので、パネルが見れることを期待したいが、果たしてその時まであるかどうか…。また最初は帰路を鉄道で想定していた関係で「おれんじ おおさか」の一等室が取れなかったのが悔やまれる。これは鉄道を予約する前にチラ見したときはあったが、鉄道をやめて船に変えようと思ったら消えていた。
ただまぁ巡り合わせというか、不運が重なった結果、送迎バスが満員になっており、東予フェリーターミナルの最寄である壬生川まで鉄道移動することになったため、鉄道も楽しめる結果となったのは僥倖だった。
投稿日:
どうも、最近ブログネタが溜まっているのに更新が追い付いていない管理人ですが、今回はYAPC::Hiroshima 2024というカンファレンスイベントに参加してきたので、その感想について書いてみる。
因みにこういう大規模なイベントに参加するのは今回が初めてだ。
YAPC::Hiroshima 2024とは?
まずこのイベントが何なのかについてだが、公式サイトによれば以下のように案内されている。一言で言えば広島で「お好み」について話すイベントと言えるだろう。Perlであっても、なくてもどっちでもいい感じ。
YAPCはYet Another Perl Conferenceの略で、Perlを軸としたITに関わる全ての人のためのカンファレンスです。 Perlだけにとどまらない技術者たちが、好きな技術の話をし交流するカンファレンスで、技術者であれば誰でも楽しめるお祭りです!
今回のYAPC::Hiroshima 2024は「what you like」がテーマです。職種、ロール、プログラミング言語、技術要素... あなたのさまざまな「お好み」を語ってみてください。
登壇者は錚々たる面々であり、なんととほほのWWW入門で有名な杜甫々氏も来られているという、かなり凄い内容だった。ある程度の年齢層の方であれば、とほほのWWW入門にお世話になった方も少なくないのだろうか?私もその一人なので、来る目的の半分くらいはこれだった。
参加の経緯
ここ最近私は技術関係のアウトプット先を増やそうと悶々としており、社内外を問わず色々と顔を広げていく活動をしていた。
社内であれば大勢が集まる雑談チャンネルで話を持ち掛けたり、チーム内で話ができる場を設けたり、社外であれば、それっぽいDiscordチャンネルに入ったり、Slackを探したり、果てはジモティで話し相手が見つからないか探してみたり、手当たり次第に探していたところに三宮.devというコミュニティを発見したのだ。そしてここでYAPC::Hiroshima 2024に参加する人はいませんか?という話がされており、そこでこのイベントに出会った。とにかく飢えていた私は参加を決めた。
行程
当日新神戸から広島へ新幹線で向かい、その日のうちに帰る弾丸スケジュールにした。
本当は前日に入り、翌日に帰ることを考えていたのだが、実は参加を決めた時点では骨折しており、根本的に行けるかどうかが見通せず、ホテルを取れずにいたため「行けたら行く」でスケジュールした結果、こうなってしまったという悲しい話がある。
結果的に骨折は良くなったのだが、その頃には連休のためホテルが抑えられなくなっていたのと、歩けるようになっただけであって、完治したわけではなかったので無理をしない方向に倒した。ビビりだと思う。かつて高熱を出しても命を削りMMOをプレイしていた人間とは思えないビビり方だ。
因みに早起きが苦手なので12時に広島入りするという大遅刻計画となった(開場は9:45)
イベント参加
まず受付に入り、名札に自分の名前とお好みを書いた。テストコードを書くことや、PerlということでCGIがあった時代と絡めて「昔のインターネット」や「個人HP」について書いてみた。
最初の登壇を聞きに行った。到着時間の関係で既に始まっていたのと、この為に買ったマシンのセットアップが不十分でセットアップをしていたらほとんど何も聞けていなかった。
その登壇が終わったら昼食だったのだが、端末を鞄に戻すのに手間取り机のある席が取れず、椅子しかない席で気合で食べる羽目になった。仕出し弁当が用意されていて、なかなか美味しかった。飲み物を買ってき忘れる体たらくだったが、幸いここで補給できたので助かった。(昼あるし、なんか出るだろうと過信してやってきたのが当たった形だ)
登壇傍聴
昼食を終え、実際の傍聴を始めることにした。以下は聞いて思ったことを書いているだけなので、実際の発表内容とはそんな関係がない。
Blogを作り、育み、慈しむ - Blog Hacks 2024
まずはSongmu氏の「Blogを作り、育み、慈しむ - Blog Hacks 2024」を傍聴することにしたが、私もブログを書いているのでこれは非常に共感できるものがあった。それとオタク特有の早口の良さというのも共感できる要素だった。
私もこのブログというかサイトはHTML手書き時代から数えれば2002年からやっているわけで今年で22年になるが、何故そこまで続けられるのかと聞かれれば、それは「ブログを書くこと(サイトを作り続けること)が好きだから」だ。ブログというか個人サイトいうのは一国一城である。執筆者や管理人はそこの主で、文字通り何でもできる。これはすごく楽しいと思う。私はそれが好きだから続けられている。
それにWeb技術者として見た場合、ブログを始めとした自分のサイトを持つというのはHTMLセマンティクスやアクセシビリティ、SEO、通信プロトコルやLinuxなど、様々な観点の勉強にもなる。サイトを作るというその行為そのものが技術経験になりえるのだ。ブログシステム、CMSを作るという領域まで行けば、それはもう立派なプログラマーだと思う。変なプログラミングスクールなどに通う必要など全くない。それ自体をポートフォリオとして出すことさえ可能だ。
自分の好きを語れる場としてのブログ、別にブログである必要もなく、個人サイトでもいいのだが、これを持つというのは一つのアイデンティティを持つことにも繋がり非常に良いと思うので、興味がある人には是非やってほしいと思う。
特に「Webをやりたいのですが、何を学べばいいですか?」というような人には大変お勧めできると思う。どっかのフリマアプリのクローンを作ってポートフォリオというよりは採用担当にも響くだろう。
しかし凄いのは900記事以上も古くから積み上げた記事があるという点だった。私はサイト移転を数えきれないほど繰り返してきており、その都度過去のコンテンツが失われているという悲しい状態なので、今後は保持していけるようにしたいと思っているし、正直ブログの破壊的変更を伴わないようにしたいと考えている。
実際、直近でははてなダイアリー>WordPress>adiaryで記事の移行をしているが、この三回の移行では全記事の移行に成功している(記事の数が少ないからできたことではあるが…)
記憶が確かなら、中学のころから今までに書いた記事の総量は1,000を優に超えるはずである。何故なら昔の私は毎日しょうもないことを書いていたからだ。MMORPGをしていた時は毎日の成果を書いていたものだし、色々な妄想を書いたりもしていた。ブログのほかにもMMOサービス側に設置されていたOpenSNS的な奴にもよく書いていた。そういったSNSやmixi、Qiitaなどの傍系も含めれば5,000記事ほど書いていてもあまり不思議ではないが、いずれも現存しないため確認はできない。
今でもブログを書くペースよりネタが増えるペースのほうが早いので多分今後も変わらず増え続けるとは思うのだが、年々ペースが落ちている感は否めない(やることが増えて書く暇が減っている)。とはいえ、Twitteから距離を置いてからは書く量が目に見えて増えているので、これはブロガー的にはいい傾向だろう。
この事についてSongmu氏と懇親会で熱く語れればよかったのだが、当日の私はそこまで頭が回っていなかったのが悔やまれる。
非同期な開発体制を支えるドキュメント文化
次にこんぼい氏の「非同期な開発体制を支えるドキュメント文化」を聞きに行った。いや会議室を変えていないので、そのまま居座っていただけだが。
この議題についてはかなり興味があり、というのも仕事ではドキュメントの整備状況が悪く、声をかけても実装が優先で書いている暇がないというのが実情としてあった。正直私も書くようにはしてるのだが、後手になっている感じは否めない。
聞いていて思ったのは全てのやり取りをドキュメントベースにすれば実現できるのではないか?ということだ。同期コミュニケーションをすべてやめて、ありとあらゆるコミュニケーション手段をドキュメントベースにするということだ。こうすればドキュメントから仕事が生まれるので、ドキュメントがないとか、古いというのは起きないように感じる。
ドキュメントに関する不明点はどう聞くのか?という部分については、もうそれは従業員のメンタルモデルをバキバキに鍛えていくという方向になる気がするので、どこまで実現性があるのかは判らないが、一つの手法としてありだなというのは感じた。
この内容を何とか実業務に生かしていけないかも考えていきたいところだ。
好きな技術《コト》で、生きていく技術
その次はaereal氏の「好きな技術《コト》で、生きていく技術」を拝聴することにした。相変わらず会議室を動いていないが、恐らくこれは私のお好みが、偶々この会議室に集中していたということなのだろう。
内容的には自分の好きな技術をどうやって仕事で使っていくかという部分と、その難しさについての内容だったと思う。これは私も実業務で引っかかることがよくあり、どうすればメンバーが使いたい技術を業務で使わせてあげることができるかという点についてはよく考える。
まぁぶっちゃけた話無理だと思っている。例えばメガバンクのシステム開発をしているとして言語やフレームワークのCanaryやNightylyの新機能を使いたい!と言われてもそんなものは許せない。勿論、それで不具合が出来ないことを立証できれば可能とは言えなくはないが、現実的に不可能だ。何ならその機能は将来的に破壊されたり、削除される可能性もある。その後のことを考えれば無理無理の無理だ。
とはいえ、メンバーは使いたいのだ。私からは無理としか言えないが、無理しか言わないと「この人に話しても埒が明かない、レガシーは嫌だ!モダンがいい!」と思われてしまう。その対策を考えたかったので、このトークを聞きたかったのだ。
結論から言うと「自分が選べる立場になる(CTOとか)」や「個人開発で使う」ということだった。前者については非常に納得できる内容で、私は正直そのためだけにその立場につく努力をしているといっても過言ではない。
私にも使いたい技術や手法はある。それは「システムを楽に安全に保守できる技術」だ。要するに古く枯れた技術とか、テスト容易性に長けた実装手法などだ。しかしこんなのは面白みがまるでない。特にテストなんて誰も書きたくないし、テスト容易性が高い実装は疎結合で何を書いているかが分りづらいのだ。テストがドキュメントになるといわれても、そんなことより動けばいいのである。
何故それがやりたいかというと、私は職務経験上炎上案件に多く入っており、残業地獄を経験してきていたり、実稼働しているシステムでクソのようなバグを多々踏み抜いてきており、こういうのを避けたいからだ。現職でも時間外対応をしているのを見るとウッとなってしまう。
勿論、私の提案によってそれらが全て解決するかといえば、そんな保証はないし、一個も解決しないどころかより悪くなる可能性だってなくはない。私もやってみないとわからない。ただ個人的な経験や世間を眺めていると、少なからずマシになるのではないかという期待はある。
そういうので私はある程度その辺りを良しなにできる立場まではやってきたものの、次に立ちはだかる壁として出てきたのがメンバーの希望をどこまで採用するかだ。これはメンバーのモチベーション低下や、新規採用にも影響する可能性があり、判断が難しい。しかし事業として見た場合、安定して動いているシステムが求められるのは間違いないと考えている。
そこで後者の個人開発といいたいところなのだが、仕事でやっているだけの人には響きづらいし、個人でやったからこそ仕事にも持ち込んで実績にしたいという人もいると思うのが難しいところだ。とはいえ個人開発の実績はよほどの規模のものでない限り知れており、エンタープライズ開発では無意味なことも多いと思う。例えば個人開発で実験的な機能を使って動いていても、それがエンタープライズでも同様にいくとは限らない。
ここ本当に難しいと思っていて、どうしていけばいいのか悩むところだが、正直なんかいい感じで妥協しつつやっていくしかないのだと思う。何に対しても言えることだが、世の中には銀の弾丸であったり、正解というものはないのだ。
強いて言えば事業として見た場合は最小限のコストで、最速のスピードで、最大限の売り上げを出せるシステムを作れることが正義であり、自分がやりたいことをやるという部分とはどうしても乖離していくので、その辺りをなんか上手いことできるのが最良だとは思う。
それをするためには常日頃から様々な経験を積み、手札を増やし、できる限り多くの選択肢を取れるようにしておけることが大切であると、聞いていてそう感じた。これは開発もそうだが、開発以外もそうだと思う。
手札が多ければ選択肢が増やせるので、AがダメでもBがやれるし、最悪Cでもいい、どれかやれればいいという状況が作れる(いわゆる松竹梅というやつだ)。メンバーは他人なのでどうにもならないが、少なくとも自分だけはそういう状態であれればいいのではないかと思う。
古い技術について—SMTP現代事情つまみ食い—
最後にazumakuniyuki氏の「古い技術について—SMTP現代事情つまみ食い—」を聞くことにした。
これは先日Value-DomainのドメインをさくらのレンタルサーバーのメールでSPF, DKIM, DMARC対応させた私にとっては興味深かったからだ。
まず登壇者が関西弁だったので親近感が凄く湧いた。何故なら私は神戸に住んでいるからだ。
今まで何となく使っていたSPFやDKIM、DMARCなどの仕組みが分かったのは非常に参考になったし、今までSPFがあったのに何でいきなりDKIMやDMARKが出てきたのかについてもよく分かり、非常に良かった。
早速DMARKのpをnoneからrejectに変更することにした。レポート設定などの他の部分も今後設定していきたいと思う。
またBIMIやARCといったRFCになっていない規則もあるということで、新しい情報を入手する機会になったのもよかった。
ライトニングトーク
アフタートークみたいなやつ?登壇者による話題指定のLTが行われていた。これも面白かった。ただおじさんの自語りみたいな感じだったので若い人にどれほど通用するのかは若干怪しかった。概して年配者の話というのは年少者にとっては老害トークだと思っているが、耳を傾けてくれた人がいるのであれば、それはいいことだと思う。本当は相手の年齢とか情報の新旧とか、そういった部分なしに話が聞けるのが一番だとは思うが、まぁこの話を書いている私自身がおじさんなので何とも言い難いところである。
情報収集の手段
シニアクラスになってくると、まぁみんな似たり寄ったりで、私もそんな感じなので共感する部分が多かった。特にRSSを読むという部分については私もやっていて、個人的なオススメはTinyTinyRSSだ。サーバー設置型のRSSリーダーで、PCとスマホアプリで既読状態などを同期しながら読めるスグレモノだ。さくらのレンタルサーバーに建てる方法については以前記事にしたこともあるので興味のある人は参考にしてみてほしい。前述の内容はオンプレ向けだが、確かクラウド環境向けにDockerを利用したデプロイもできたと思う。
TinyTinyRSSはカスタマイズ性が高く、正規表現によるフィルターも備えているので広告記事とかを柔軟に弾くこともでき、正規表現の勉強にもなるのでオススメだ。複数ユーザーを作成して共有したりすることもできるので、任意のグループの中で共有するといったこともできるだろう。
オンライン
コロナ化などでリモートワークやイベントのオンライン化が盛んになったが、参加している感がなかったり、同時視聴があったり、盛り上がりを出すのが難しいとか、中には演出でよくわからないことをしたというような話もあった気がする。またオンラインが長かったことの弊害で、スライドの文字が小さくなったり、下に書き込みすぎて、現実世界だと後ろの人が見れなくなるという弊害も出てたとかあって面白かった。個人的にはオフラインとオンライン両方のデュアルだとよいと思う。オンラインでは話せないこともはやっぱあると思うので…w
35歳定年説
最近の人はあまり知らないらしいが、昔はよく言われていた話だ。コードを書かない誘惑が増えたり、マネジメントで書かなくなるといった話。実際仕事をしていても「コードを書かなくなった」という声はよく聞くし、私も書かなくなったと思う。
個人的には前職でテックリードの地位に就いて以来、MTGや調整ごとをする機会が爆発的に増えた。転職して現職に来て一旦はただのメンバーになったが、改善活動をしているうちに似たような感じになってきている。但し前職でも現職でもコード自体は書いており、恐らく打ち込んだコードの数だけで言えば前々職以前でSESのプログラマーをしていた頃と謙遜ないどころか、増えている可能性さえある。ただ、意識していないと書かなくなってしまうので、その辺りを上手くしようと日々何とかしている。
生成AI
AIが推論して書いてる間に自分で書けるという話が面白かった。また、コードを書くという体験が失われるというのは一つ面白い観点だと思った。書く時間がない人が時短で書くとかそういうのには向くとか、ChatGPTを壁打ち相手として使うのはいい案だと思った。私もChatGPTを一時期壁打ち相手として使っていたのだが、結局生身の人間と話したほうがいいなと思えてきたので最近はやっていない。AIは次第にやり取りが破綻するのと「ガイドライン上話せない」とか言い出すからだ。Jailbreakさせるとある程度話すようになるにはなるのを個人的には知っているのだが、この状態になると会話が破綻しがちでイマイチよくない(AIの認知に関して変な副作用があるのだと思う)
コミュニティ
まさに私がここに来た理由だった。人との繋がりを作るのは大切なことで、上手いこと人を巻き込んでいける人になれるとよいのだと思う。
そして最初は誰しも最初は一人、ぼっちだが、そこからこういった場を使って、繋がりを増やしていく、自分をアピールできるようにしていく。
例えば名札にSNSのアイコンを貼る、QRを付けるとか、私はこの人ですとアピールできるようにしていくとか、その上で日々「何とかの人」として認知されるようにしていくと、徐々にぼっちから抜け出せていくというのがあった。
また過去にはブログを作っただけで声をかけられたという事例もあるようで、ブログを書いたり、今ならツイートをしていくというのも一定の効果があるという話を聞いた。何なら私もそれを目的として今この記事を書いている節があるくらいだ。
SNSアイコンシールみたいなのは個人的にも検討していきたい。いやまぁTwitterそんなに書いてないのがあれだが、私の場合は自分のサイトに誘導するのでも良さそうだ。
キーノート
これは杜甫々氏のトークだった。杜甫々氏は広島在住である。サイトにも書いてあるので、杜甫々氏のファンであればご存じだろう。
内容的には、あのサイトの成り立ちや、杜甫々氏の経歴などであり、これはは非常に聞いていて面白かった。まさに伝説というか、伝説だった。
メモリが5KBしかない世界でどうやって処理をするか、メモリがオーバーフローするとどうなるかみたいな、興味深いお話が多々聞けた。バンク処理辺りはファミリコンピューターでよく使われていた処理そのもので面白かった。PC98については私も幼いころに使っていたので懐かしい気持ちになった。
後何より響いたのは、残業規制がなく、何もかもが自由だったころの時代の話だ。先輩と自分でどっちが実装を担当するかで喧嘩したというのもよかったし、全体的に非常に良かった。
正直この話を聞きに来たようなもんである。余りに良すぎて、これはもう一生モノの経験である。
また杜甫々氏のインターネット歴は1988年からで36年にもなり、インターネット老人会の会長を目指されているとのことで、私より遥かに大々先輩であられた。
実務的な部分についても、言語やフレームワークなどのEoLが短いという話があり、これはかなり納得した。ぶっちゃけAWSやGitHubでさえNode.jsのあの短すぎるリリースサイクルにまともに追従できてないように見えるので、実際問題短いと感じているし、昨今のフレームワークと言語とライブラリの複合技は全てのEoL内にバージョン整合を取るというのが個人的にかなり難しいと感じており、何とか見直せないかは検討していきたいところだ。
懇親会
YAPCのメインイベントと呼ばれることもある部分らしい?多分大抵のイベントにある参加者同士の懇親会だ。
初参加ということもあり、ぼっちムーヴを極めすぎた結果、登壇者と話せなかったのが残念だったが、何名の方とはお話をさせて頂くことができ、今後も継続的にこのような会に参加することへの意義や、自分が登壇することでぼっちを回避できるなどといった様々な利点を聞くことができたので、有意義なものとなった。
特に大井町pmの方からかなり強く背中を押してもらえたのもあり、今後精力的に活動していきたいと感じた。幸い行きの新幹線の中でLTネタを考えていたら無駄に出てきたし、普段からブログネタを作っては書かずに腐らせているので、考えれば話すネタ自体はたくさんある(普通の話も真面目な話も不真面目な話も闇の話も何でも)
問題としてはLTになれていない部分があるので、プレゼン資料の作成や実際の話とかがへたくそなところだろう、この辺りは実務でも役に立つと思うので場数を踏んで鍛えていきたいところだ。
あとがき
まず参加してみて色々身になったというのと、このイベントに参加する前に参加したDevFest: Kobe Developer Dayである程度懇親会の動きを学べていたので、それなりに動けたのは良かったと思う。
反省点としては、余り人に話しかけられず、特に登壇者と一切話せてなかったので、ここは次回改善したい(一体何のために懇親会に参加したのか…。ちなみに前回は登壇者がぼっちだったので話しかけられたというオチがある。)
またLTに関しても以前blessing software KOBEのLT会でやったこと自体はあるので、慣れておくために継続的にやっていき、次回は何か出せるようになりたいところだ。
まずはやってみる、次に続けてみる、続けるというのは三日坊主を連続してるだけでもある種の継続だと思うので、これもやっていきたい。
かつて人生を賭してまでやっていたMMORPGからはもう離れてしまい、続けられなくなってしまっているが、幸いこのサイトだけはずっと続いている。移転でコンテンツが消えてたりしていて、最早残っているコンテンツはカウンターの数字くらいだが、それでも脈々と続けられているので、これからは過去を捨てずに続けていくというのをやっていきたい。個人サイトはその人の顔、外観のイケてなさなど全部ひっくるめて、その人自身であるということも聞いたので、今後とも私の顔として成熟させていければと思う。私が私であり、渡したり得るのはきっとこのサイトがあるからなのだ*1。
因みに私のインターネット歴は1995年からなので今年で29年になり、インターネット老人会の会員を勝手に自称している。


















































































































































