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Android版のEdgeには以前からプライベートモードと通常モードを切り替えられなくなったりURL編集ができなくなったり、更新ボタンが押せなくなるバグがあるが、これを直す方法を見つけたので書いておく。
その前にまず前提となる状態のスクリーンショットを貼っておく。URLバーに入ってるエロ漫画のタイトルみたいなやつは一旦無視してもらいたい。
正常時のタブ | バグっているときのタブ |
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さて、この状態を解消する方法だが、アドレスバーをスワイプすることで直すことができる。勿論、Edgeを閉じて開きなおしても直せるのだが、そうするとプライベートタブが閉じられてしまい不便だ。
私はSNSを使うときはプライベートタブで開き、都度ログインして利用するというオペレーションをしている。これによってSNSのやりすぎを防ぐようにしているのだが、通常モードとプライベートモードを往来することがしばしばあり、往来できない時に困っていたのだが、空タブを開きまくって閉じるなどすることで直ることを経験的に知っており、もっと楽な方法はないものかと画面を叩きまわっていたらこの方法を偶然見つけたのだ。
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映画館で鑑賞しながら書き綴ったメモをまとめ上げた内容。シーンやセリフのメモから簡単な考察までごった煮。まだ書き切れていない部分もあるが殴り書きでも書かないと一生外に出す機会がないので、一度上げておく。
OP
- コンパスが落ちて壊れる
- 東西南北の解散を示唆している?
序盤
- 南さんを探しに行くときの地図に既にバツがある
- 純金インゴットを探した痕跡?あるいは西南北を調べるときの下調べの痕跡か?
くるみ
- 作業環境
- エディタの表示がダークモード
- エディタはアイコン的にATOM?画面はVSCodeっぽい。でもCppとJavaならJetBrainsのIDEの可能性もなくはなさそうだが、マニアックすぎるしそこまでは出てこなさそう
- macOS
- エディタの表示がダークモード
- 真司に連れられて対面を果たした最後にボートが沈んだこと
- 恐らくこれはくるみが壊れることを示唆している?
- 或いはこの時点で東の考えに感づいており、その観念を表している?
- ロボコンでプールを貸してくれた南や、繋いでくれた東に対してコメントをしない
- この時点で南や東を信頼していなかった?
- 本屋でくるみが珍しく他人に興味を持つ
- この相手が亀井さん
- くるみはこの後、また亀井さんと会い、東と亀井さんを引き寄せる
- 自分が興味がないことは絶対にやらないくるみが東の願いを聞いて登山イベントに来る
- つまり、これは来てもいいというサインだった可能性がある
- 基本的に南のことを信用しておらず、自分より下に見る傾向が序盤はあったと思う
- 登山イベントでも南の発言を否定・嫌悪するシーンがあった
- 文化祭で怖がる南をからかい面白がっている
- 翁琉城のテレビ取材があったときにくるみは来なかった
- この時に既に利用されることに感づいていたのか?
- しかし二回目、古賀と会う時にはくるみも来ていた
- 古賀と東西南北全員の対面後、くるみは南にこれからのことを相談している
- これまで下に見ていた南への意識が変わっている?
- 結局ここでくるみは南の提案に乗りテレビ出演を承諾したが、これは挑戦したいという気持ちがあったのかもしれない
- クイズでロボットについての設問に答えられなかった
- その後くるみは泣きながら、もう嫌だと言っていた
- この時に既にくるみの心は折れていた
- 翌日のダンスの練習では嫌そうな顔つきだった
- 東だけ歌ったライブの帰りで南に美嘉が笑わなくなったことに気付いているかと尋ねるシーンがある
- 練習開始前に大声で叫び暴れながら逃げようとする
- 「アイドルなんてどうでもいい」
- このとき南が「普通の女の子に戻してあげましょう」と東を諭す
- 『くるみと仲良くしてくれた女の子は東ちゃんが初めてだったよ』
東
- 左利き
- 気を引き締めるときなどに頸部をさする仕草がいい
- ファンレターの数が東だけやけに少ない
- 「彼氏がいるなら友達になるんじゃなかった」「サイテー」と美嘉に言い放つ
- 翌日ノートに「前向きになりたい」と書き、美嘉に謝るが、その次のシーンで南に「苦手なら練習すればいいのに」と言ってしまう
- SNSの評判で「ひとりだけ生歌で音がずれている」というのを見て「私だけ口パクじゃないからいつも必死でずるい」と書き込もうとしてやめた
- ノートに最後に残した言葉「出口。私は」
- 『性格も往生際も悪いから諦められないんだ』
- 「ただひたすらアイドルになりたかった、あの時の私は、幼稚で、馬鹿で、かっこ悪くて、かっこよかった」「あの時の私、ありがとう」
- 「夢を叶えるのは、叶えた人にしかわからない」
美嘉
- クイズの翌日、ダンスの練習中に彼氏がいることが発覚し、別れることを求められる
- 別れる(多分実際は分かれてない)
- この時くるみは凄く嫌そうな顔をしていたが、南が「彼氏がいることは素敵なことですわ」というと南に反応するシーンがある
- この後くるみは「そこまでする必要ある?」とかなり嫌そうな顔で独り愚痴る
- 「私のヒーローが日本に帰ってきたんだって」「私はね、東さんのファン一号なんだよ」
- 『これからもずっと応援してる。まだあきらめてないんでしょ?』
南
- 『私を見つけてくれてありがとう』
全体
- 現実は想定通り動かないが、それでもあきらめずに、粘り強く目標を追いかけていれば、それはいつしかかなうという話
- 東は文化祭でライブイベントに皆を誘おうとしたが、この作戦は失敗し、その代わり別の内容で満たされた
- この別のイベントは最初は東にとって不都合だったが、その後、好都合に変化した
- 事務所に入りSNSを始めたとき
- これまで無名で何もなかった素人でも芸能人になるだけでちやほやされる事がうかがえる
- 新曲の作詞をみんなで担当することになったとき
- この時点では誰も作詞できなかった
- 東以外は全員多忙で困っていた(私生活+テレビ出演の仕事)
- 楽屋最後のシーン
- 東「アイドルって大勢の人たちを笑顔にできるんだよ」「こんな素敵な職業ないよ!」
- 亀井「近くの人を笑顔にできない人が…」「今の東さんは変だよ」
- いつもの場所で
- くるみ「解散はしたけど、みんなアイドルになったこと自体は良かったと思ってる」
- 南「私を見つけてくれてありがとう」
- くるみ「くるみと仲良くしてくれた女の子は東ちゃんが初めてだったよ」
- 亀井「これからもずっと応援してるね」「まだ諦めてないんでしょ?」
- 地図
- 南さんに出会う前の地図にバツが4箇所
- 南にあたる場所を探していた?東西南北の候補探し?
- EDの手前で流れる「あのときの私はバカで~」みたいな部分から全ては大人になった東ゆうの回想であることが読み取れる
描写
基本的に非常に細かく、拘りが深い。ここまで深い作品は今まで見た作品の中でも初めてかもしれない。
- 基本的にかなりリアリティ重視の書き込みになっているように感じる
- 学校のトイレにあるさび付いた鏡
- くたびれた黒板けし
- macPCとWinPCが並んでいて、ちゃんと書き分けられている
- これらは制作の意図らしい
- キャラの書き方が歪で違和感がある
- くるみの体系が極端に違う
- 美嘉の体系だけやらエロティック
- カーディガン、へそ出しジャージや、ズボンの片裾上げなど、それっぽい描写が多い
- 彼氏持ち、整形という設定もそれっぽさがある
- 南がやたら細すぎる
- 東が平均的過ぎる
- これらも制作の意図らしい
- 背景に移っているカレンダーは徐々に進んでおり、恐らく東ゆうの高校一年生~二年生の三月までの間くらいの出来事のように見える
- 地味に服装も変わっているのだが、これもやはり制作の意図として表現されている
総評
アニメ映画としてのトラペジウムは夢を叶えることの困難さと、叶えた時の喜び、そしてそこに至るまでの残忍さや、子供ゆえの未熟さ、だからこそ存在するかっこ悪さと、かっこよさの二面性みたいなのを描いた、そんな夢を抱いた女子高生の青春を描いた作品なのではないかと感じた。
またOPにVTuberを起用しているのも実在のアイドルと、仮想のアイドルを引き合わせて、ついでに創作上のアイドルを書き出すという設定のメタさを表現しているのではないかという気がしている。
恐らく本作が刺さるのは、過去に夢や目標を持ち、それに向かい、ただひたすらに人を巻き込みながら七転八倒しながらも駆け抜け、そしてその夢を掴んだ人や、或いはそれに巻き込まれた人かもしれない。
私も過去にMMOで色んな人に迷惑をかけ、喧嘩をし、時には和解し、時には仲違いし、それでも掲げた目標はすべて成し遂げてきた。例え鯖板で叩かれ晒され炎上しようと、どんなことがあっても進んできた。私利私欲のために人を利用することに躊躇いはなかったが、それでも相手に楽しさや、喜びといった何かしらの利益を提供してきたつもりだ。きっとあの時巻き込まれた人たちは楽しかったと今でもそう信じている。トラペジウムの世界と違い、あの時の仲間たちとはもう会えないのが残念だが…。
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私のメインカードは長らく、20年近くはVISAなのだが、現金決済の比率を上げている話でも書いたとおり、VISAやMasterが使えなくなってきているのでJCBを作った。
早速Fantiaで使ったが、PayPayやペイジーと比べると格段に楽でいい。ペイジーは振込手続きが煩雑だし、PayPayもジャストチャージがだるい。端数が出たら消すのが面倒だ。JCBはクレジットカードなので今まで通り使えるのがいい。欠点はSMBC VISA同様2FAのOTPがメールで来るのでFantiaの課金システムと相性が悪いことくらいだろう。
複数枚のカードを持つことは、管理が面倒なことや、クレジットマスター攻撃の被害にあう確率が上がるなどの理由で敬遠していたが、普段している地産地消活動同様にクレジットカードも地産地消ということでJCBを持つのも悪くないというのと、複数ブランドあったほうがどちらかが使えないケースで有用なので持つことにした。
以下の写真は今回新しく手にしたJCB Wカードと、元々持っているSMBC VISAゴールドNLを並べた写真だ。
なお、JCBカード自体は以前にも二回ほど作っており、その時は用が済んだら都度解約していた。
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最初に書いておくと私は分かれている意味があると考えている。しかし客観的に見た場合、国が分かれている意味はないのではないかという話だ。
現金決済の比率を上げている話でも書いたとおり、昨今表現規制に由来すると思われるクレジットカード規制が話題になっているほか、AWSの上にオタクコンテンツをまともに置くとBANされかねないという話もまことしやかにあり、昨今世間を賑わせているニコニコや角川へのサイバー攻撃も、その一つといえるだろう(AWSではなく、プライベートクラウドで運営しているというのはそういうことも理由の一つだと認識している)
そう考えた場合、国際社会に反しているのは日本の法体制であるといえる。ならば、日本の法を欧米に寄せればいい。どうせシステムは将来的にクラウドに配置されるし、そうでなくともデジタル機器は欧米で生産され、欧米に反抗しようものなら輸出停止などの制裁を受けてしまうことになる。つまるところ欧米と同じ法体制にしたほうが世界的な都合がいいのだ。
すると、法が同じなら国を分けている必要性もないのではないか?という疑問が生まれる。もし同一国家であれば戦争も発生しない。戦争がなければ安全保障費を削れるだろうから経済的だ。
日本や中国はかつて複数の国から構成されていたが、今は一つの国になっていることからして、国というものは統合可能といえる。国が統合されると、徐々にもともとの国にあった風俗は失われる。例えば今現代の日本で方言や地方の風習というのは最早空気レベルにしか残っていないどころか、今や大抵の地方に東京資本のチェーン店があることからしても、日本にあった国々は今、東京によってコモディティ化されているといえよう。
そして今、グローバル化によってSDGsや普遍的人権価値観、ポリティカルコレクトネス、欧米由来のデジタル企業、いわゆるGAFAによる支配によって、日本文化は欧米文化に合わせざるを得ない状況になってきている。これは欧米によって日本がコモディティ化されていると言えるだろう。この影響は日本だけではない、例えばイスラム系の国家ですらその影響には抗えず、人権活動の結果、女性が車を運転し始めたり、学校に入れるようになったりしているし、出生率も落ちてきている。
私はこの結果を見て、欧米によるコモディティ化が世界レベルで起きていると考えている。つまり国家による差が段々なくなってきているということだ。日本でも「欧米はこうなのに、日本はこれだから遅れている」みたいな声をよく聞くが、これはその影響もあるだろう。
他にも理由がある。いま日本はデジタル赤字と呼ばれる状況で、日本のIT企業はデジタル小作人と言われているらしい。AWSに台頭されるアメリカの大手IT企業は今や世界中を支配しており、日本は何をどう頑張ったところで抗うことはできないし、そもそもインターネットで全世界が繋がっているということは、どこか特定の国や企業が独り勝ちする状況を生み出してしまうので、正直どうしようもない。何故ならビジネスは最適化が進むと特定の場所に集中するという構造になっているからだ。これは日本国内が東京によって支配されている構図の世界版といえよう。
という点を鑑みていくと、客観的に見た場合、国家の垣根をなくし、世界を統合したほうがいいと思える。合理的で効率的だ。この時に今の為替はどうなるのかという話だが、恐らく国家統一により通貨は統一されるものの、地域による貧富の差として残ると思う。例えば日本では東京の所得が最も高く、沖縄が最も低いと言われているように、日本地域に住む人は貧しく、アメリカ地域に住む人は富がある、といった具合になるのだと思う。BTCの価値はどの国でも変わらないが、どれだけのBTCを持っているかは国によって変わるような話だと思う。
ただ正直なことを言うと、私は国家というものは分かれていたほうがいいと思う。いかに日本がITで遅れていると言われていても、人権問題があり差別的と言われていても、それでもだからこそ日本には日本のいいところがあると思う。年々それもなくなってきているし、そこに執着するのは老害的なことかもしれないが、それでも私は日本らしさというのはあっていていいと思う。それがどれほど愚かでつまらないことだとしてもだ。
勿論日本だけではない、イスラム系の国々も今まであった通りの姿でよいと思う。それぞれの国の文化、風俗というものは内容がどうあれ誇っていいものだと思うからだ。それを人権やら国際的な考えという名のもと単一の法体制や、文化へコモディティ化するのは、それはDXだとか改善と呼べるかもしれないが、個人的には間違っていると思う。
何故なら、そういった致命的なまでのバックグラウンドの差があったからこそ、その地で生まれた技術や企業、文化があり、それが今のイノベーションの元になっていると考えているからだ。全てが均一化されてしまえば、そういった余地は減ると考えている。
何より内容がどうあれ、その国や地域の文化や風習は尊いもので、なくなってほしくはないと思うのだ。
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2020年7月1日にレジ袋が有料化されるのに合わせて2020年2月下旬からエコバッグを使っていたのだが、今月からそれをやめた話。
辞めた理由の一つはエコバッグを常に持ち歩くのが邪魔だったからだ。私は有料レジ袋を買わないため、また制度の趣旨のためにエコバッグを利用するつもりで4年半ほどこの生活を続けていたが、年々カバンの中に常在しているエコバッグが邪魔に思えてきていた。エコバッグ自体は大きいものではないのだが、使っているかばんも大きいものではないため、わずかな容積でも邪魔になるという状況だった。ならばカバンを大きくすればいいと思うかもしれないが、大きなカバンは電車の中では邪魔になりやすいし、私は自転車に乗ることが多いので、大きなカバンを避けたいのだ。目的別にカバンを用意すればいいというのも確かな話だが、そうするとエコバッグをカバンの数分用意したり、ノートや財布の入れ忘れが発生したりという面倒さが発生する。そういった複雑性を回避しつつ、使っているカバンを一つに集約するためにエコバッグをやめるという選択肢をとることにした。
ほかにもエコバッグを洗う手間がかかるといった部分や、洗うのを嫌うあまり買い物を必要以上にためらってしまう、経年でエコバッグに痛みが出てきて破れそうだが買い替えコストを払いたくない、形状的に中のものが落ちやすいなどがあった。最後の理由については私のエコバッグにはレジ袋の真ん中にあるひもみたいな部分がないからだ。あの部分を縛っておくと自転車かごに入れたときに中身が落ちづらくなるのだが、ないとどうしても落ちやすくなってしまう。実際過去何度か落としたことがある。落ちないように配慮することもできるのだが手間である。
と、まぁ、前述した複数の理由により、エコバッグの利用をやめることにした。そしてお金を払ってレジ袋を利用することにした。レジ袋のほうが環境コストが低いというのは各所で言われているし、端的に言って正直そんなことどうでもいいからである。マイクロプラスチック問題についてもよく知らないが、私は普通にごみとして処理しており、ポイ捨てすることはないため基本的に環境影響はないはずだ。レジ袋がこの世に存在するだけで見えないレベルで破砕され、微細粒子が空気中を漂い、それが環境に影響を与えるという可能性もあるだろうが、それはもうレジ袋関係なく、プラスチック製のエコバッグでも起きる話だろう。
エコバッグをやめてよかったのは、やはりカバンの中に空きが増えたことだ。エコバッグは二つ持ち歩いていたため、これがなくなることで普段使いのカバンの中にノートPCとACアダプタとマウスを無理なく入れることができるようになったし、小さな買い物ならカバンの中にそのまま入れることが容易になった。あとはカバンの重量が少し軽くなった。エコバッグ二つで90g程度あったので、気持ち負担が減った形だ。