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ジャンル::生活の知恵ジャンル::生活

世の中の人が鍵束をどのように運用しているのか全く知らないが。個人的な運用方法を書いていく。大まかにはカラビナがあると便利ということ。

運用の目的

鍵の運用について考える人は多分多くないと思うので、何故運用を意識するようになったからかの理由から書いてゆく。

鍵の紛失防止

元々私は鍵をポケットやカバンの中に入れて持ち歩いており、落としたり、置き忘れたりして紛失することが多かった。これを防止する目的で鍵の運用方式を考え始めた。

特に過去に石屋川から西三荘に勤務していた時に勤務先に鍵を置き忘れたことがあり、どうしようもなく家の近くのラブホテルに泊まったことは忘れられない思い出だ。

自転車の破損防止

私は自転車によく乗るためキーホルダーに家の鍵や自転車の鍵などをぶら下げていたのだが、この状態だと走行中にフレームに鍵がぶつかりフレームが傷つく問題があった。これは自転車は鍵を挿したまま走るため、鍵束にぶら下がっているものが走行時の揺れでフレームに当たり、フレームに傷が入るという寸法だ。

ただ傷つくだけならいいのだが、ここから塗装が剥げてきて腐食してくるので具合がよくなかった。

図にするとこんな感じで、こういう感じで走行中フレームにガシガシ当たるのだ。

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鍵の曲がりの防止

前項と繋がるのだが、走行時に鍵が曲がることがあった。恐らくこれは走行中に鍵束の鍵がスポークに吸い込まれて、その時の衝撃で曲がったのだと思う。幸い鍵が回せないほどではなかったが、ちょっとこれは問題だと思った。

鍵束の鍵がスポークに吸い込まれるイメージはこんな感じ。

鍵束の鍵がスポークに吸い込まれるイメージ

運用方式

ということがあり、鍵の運用をちゃんとすることにした。といってもこれらの事があったことから、いきなり決めたわけではなく、逐次運用を変えていって落ち着いてきたので記事にすることにした。

まず基本の運用としては以下の写真の通り。

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これは鍵束に鍵を集めた上で、自転車の鍵はカラビナで外せるようにし、遊びのカラビナを一つ持たせておくことで鍵束をカバンにぶら下げて置けるようにしている。

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これにより、自転車に乗っているときは自転車の鍵だけを自転車側に置いておき、鍵束そのものはカバンに付けておくことができるので自転車の破損防止や鍵の曲がりの防止に役立っている。

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また、カバンにぶら下げているため、これが切れない限りなくす心配もない。ぶら下げているとじゃらじゃら五月蝿いのもあり、紛失にも比較的気づきやすい。

しかもこれだけではなく、副次的な効能もある。

私は過去にレンタサイクルの鍵を紛失したことがあるのだが、このようにカラビナがあれば借り物の鍵を付けておくことができるので紛失しづらくなる。

このことはがんばっていきまっしょいの聖地巡礼でも非常に重宝し、次の写真のように大量の鍵をぶら下げることができた。

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このように一時的に借りている鍵の整理にも非常に便利だ。

経緯

私は現在リモートワークをしており、Webカメラをよく使う。しかしWebカメラの運用に難があった。

机を壁に貼り付けて使っており、机からモニタまでの距離が近いため、以下の写真のように壁にカメラを固定していたのだが、湿度の変化でテープや裏に貼ってある粘着剤が緩んでずり落ちてくることがよくあったのだ。

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ずり落ちてきた時のはこんな感じ。

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使おうとしたときにずり落ちてきているとカメラの焦点が定まらず、あまり使い物にならない。片手で抑えてみたり、何とか押し付けて張り付けて使ったりするのだが、割と限界があった。

因みに上の写真ではWebカメラの足に当たる部分の裏側に3Mのコマンドタブをつけて壁に貼り付けたうえで、マスキングテープを貼り付け、更に垂れ下がり防止用に上部側からもマスキングテープを伸ばしている。

全てのマスキングテープは剝離による脱落防止を目的に互い違いの二重に貼り付けていたのだが、脱落防止までは上手くいったものの剥離は上手くいかなかった。

そこでカメラがズレたり落ちたりしないようにする方法を新たに設計し、試してみることにした。

制作過程

思い立てば吉日ということで早速作ることにした。

このWebカメラはノートPCなどの画面に足を引っかけてぶら下げる作りであるため、足が引っかかる何かがあればいいと考え、紐のようなものを壁に固定し、その紐に引っ掛ければいいのではないかと考えた。

そこでユザワヤに行き、太めのナイロンベルトを手に入れてきた。中身を出してから撮ったのでイマイチな写真だ…。

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そしてこれをホチキスで壁に止める。片側を止めたら一回Webカメラを通し、遊びを作った状態でもう片方も止めることで、ピッタリ合うようにした。

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作ったもの

いい感じにWebカメラをはめ込める装置ができた。これであればテープではないので剥がれたり、ズレたりすることは減るのではなかろうか?

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もちろん、布がヘタってきたり、ホチキスの針が抜けるケースはなくはないと思うが、頻度としてはこれまでよりウンと減るはずだ。

賃貸なのに壁に傷が入ってしまったが、ホチキスの針穴なので深く気にしないことにした。

今回ホチキスで止めることを思うかんだのは壁美人の存在によるところが大きい。壁美人を使ったことはないのだが、以前壁面収納を探していた時に見つけたのが記憶にあり、そこの発想から今回の器具の作成に至った感じだ。器具というのも大げさな内容だが…w

あとがき

思い立ったら吉日と書いてある割に写真に写りこんでいるタペストリーが変わっているが、実は思い立ってからベルトを買いに行くまでに二日、ベルトを買って制作に着手するまでに四日掛かっているので、言うほどちゃちゃっと作ったわけではない。

どうも最近フットワークが重いので何とかしていきたいところだ。

2/2に二回目のメイクアガールを観てきた記事を書いたが、昨日、三回目を見てきたので今回も何か書いてゆく。

劇場

今回はMOVIXあまがさきにて鑑賞した。ここを利用するのは2023年5月27日の 『アムリタの饗宴』 『アラーニェの虫籠』<リファイン版>以来だ。

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ここ以外での上映が乏しいでもない限り、わざわざ来ない場所なので、神戸でやっているのにMOVIXあまがさきに来るのは珍しいパターンだ。

これは手前で有馬温泉に行っていたのと、MOVIXあまがさきでの上映も体験したかったところによる。

そんなこんなで1番スクリーンで観てきた。

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これまでの疑問点の解消

明の過去の記憶に登場する家

前回疑問に思った「アキラの過去の記憶に登場する家」についてだが、前の記事のコメントにもあった通り養護施設と思われる。

これは明が「おじさんに出会うまで施設にいた」と発言していることから、そう読み取れる。

また公式サイトのキャラクター紹介にもそう書かれている。

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0号が神社の階段を上るシーンの意味

これも前回疑問に思った部分だが、これも前の記事のコメントにもあった通り0号の成長を表しているようだった。

これは最初、0号がラボの掃除でバケツをこぼしてしまい明からもうやらなくていいといわれた時は、夕方の階段をとぼとぼと歩いていたのだが、その次に上手く掃除をやり遂げてソルトに対して「あなたはもう用済みだよ」みたいな仕草をした後は、朝方でぴょんぴょんと登っていたので、そうだろうと思った。

ところで私はモップを決める0号のシーンがめちゃくちゃ好きだ。

0号を探しに行く前に入力していた内容

これは特にどの記事にも書いていなかった内容だが、ちょっと気になっていた部分だ。

明が0号を探しに行く前にキーボードの何か打ち込んでいるシーンでの入力内容について、これは「MIZ」までは見えたので、恐らくあれは「MIZUTAMARI」と入力しているのだろう。恐らくパスワードか何かだと思う。

感想

とにかく0号がかわいい。そして明が未熟すぎる。本当に最後の最後まで、純粋で、素直で、裏表がなく、馬鹿で愚かで、救いがない。

0号がひたすらかわいい。愛らしい

ハンバーグを作って見せる0号もかわいいし、普通といわれて喜ぶ0号もかわいい。

さっきも書いたが掃除がうまくできるようになってソルトにモップをキメて見せる0号がかわいいし、神社の階段をぴょんぴょん跳ねる0号もかわいいし、ファミレスで明に帽子をわしゃわしゃされて「わっ」という0号もかわいい。

明をデートに誘う0号も、「好きってこれでいいんだ」と思う0号も、明にぞっこんになる0号もかわいい。

別居するときに「明さんは時折、私のことがわからないって言いますが、私の想いは設計したことがすべてじゃないってことですよね?」みたいに明に言い寄る0号もかわいい。

そこから明が逃げようとするときに「好きなんです。私は明さんが。明さん…」という0号もかわいい。こんなかわいい0号を放逐した明はさっさと死ぬべき。

「こんなに頭が明さんだらけなのに信じてくれないのなら」という0号もかわいい。それに対して否定の言葉しか出せない明はホンマ…

0号による脱獄

0号が明を攻撃する終盤のほうで、母親が0号に干渉するシーンがあるが、それを0号が跳ね返すのはまさに脱獄のように見えて、あそこは結構好きだ。

脱獄というのはAndroid端末のOSをすり替えたり、LLMが本来発言できない内容を引き出すなど、システムの脆弱性を突いて特権を奪い取る行為のことだ。これをすることでシステムは本来の制限を超えた動作をさせることが可能になる。ちなみに補償対象外になったり、アカウントがBANされたりするので良い子はやめておこう。

ただまぁ結局はかなわなかったわけだが、それでも自死だけは回避できていたので、もしかすると多少は緩められたのかもしれない。

明がひたすらに未熟で愚か。

「何に対しても悪意はないけど、興味もないんですよね…」とか言わせる明はサイテーの人間。

母親との会話シーンで「困難にあたる、そんな時この子がいてくれたら楽しいかなって」と言われて改心するものの、最後のシーンで0号に幾度もなく好意や愛を伝えられ、それを認められらない。認めることができない、明というのは非常に愚鈍で、本当に救いがない。無自覚な分、鬼畜でしかない。

「こんなに頭が明さんだらけなのに信じてくれないのなら」という0号に言われてもなお、それに対して肯定の言葉を一切言うことができず、取り繕ったようなことしか言わない明は本当に終わっていると思う。

次回予告

0号の姿が変わり、ナイフを投げガラスを割ったようなエフェクトともに浮かび上がる2027は、ひょっとすると海中との戦いなのかもしれないし、明と戦うのかもしれない。なんにせよストーリーが大幅に変わるだろうと感じた。

しかし個人的には最後の着地点は「家族」ましてや、「友人」などではなく、「恋人」であってほしいと思う。べたな展開だと明は茜と結ばれ、0号は去るとか、家族になってしまいそうだが、私は0号と明こそが結ばれてほしいと思う。

さてどうなるかは未知数だが、楽しみだ。

あとがき

本作の内容をノベライズした文庫本も入手したので、また読んで理解を深めていきたいところ。

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本作は3回見て、そのすべての鑑賞会が別の映画館という、鑑賞歴の中でも今のところ唯一の作品だ。恐らく回数を重ねるとダブりは出るだろうが、傾向としては面白いと思っている。

私はメイクアガールが好きだ。そう、過去に観たどの映画より好きだ。0号はかわいいし、明はダメダメで、だからこそそれがよくって、メイクアガールは最高なんだって…。

明の未熟さに起因する軋轢や、葛藤も好きだ。何より0号は私の好みの属性に完全に一致するくらいかわいい。ここまで綺麗にハマったキャラは過去にいない。そのくらいかわいい。

0号の可愛さを深掘りする記事を書いてもいいと思うくらいにかわいいのだ。

ところで、公式サイトのキャラクター紹介で0号を眺めていて気が付いたのだが、コンテンツを区切るノイズのような線が砂嵐のように動くのが、ちょっといいなと思った。こういう細かい部分にまで作りこみがあるのは嬉しい。

投稿日:
ジャンル::雑記

この記事は紙の本が減ってきているの続きだ。

前の記事を書いたときは近くのファミマから紙の本が消えていると言うことを書いたが、これはどうやら全国的な傾向になりつつあるようで産経に次のような記事が出ていた。

3月からファミマとローソン計1万店で雑誌販売終了 書店ない地域で〝難民〟発生か

この記事によれば、トラック運転手の残業規制を強化する2024年問題や燃料高騰などの影響で、コンビニ向け配送事業の赤字が慢性化しており、ファミリーマートとローソンの計約1万店で雑誌配送を終了する方針が示されていたが、これをさらに拡大するとのことだった。

また出版取次大手のトーハンも、日本出版販売が慢性的な赤字からコンビニ向けの雑誌配送を取り止めるのを受け、雑誌配送を縮小する方向に舵を切ることにしたようだ。

なおセブンイレブンは物理本の販売に意義を感じており、この流れには乗らず販売を継続するそうだ。

近くのローソンでは今でも紙の本が売られており、アイドルなどの新聞も取り扱っていただけあって、正直ローソンまで影響を受けるのは驚いた。

ただまぁコンテンツが多様化し電子書籍も出てきている以上、やむを得ないことなのだとは思う。恐らくこれ以降の物理本はコレクターなどを始めとした層に向けたものになり、普通の人は買わなくなるのかもしれないと、最近はちょいちょい思うようになった。

1/31にメイクアガールを観てきたが、先の土曜日、2/2にもまた観てきた。二度目なので今回は思ったこと、感想を厚めに書いてゆく。

劇場

今日の劇場はテラッソ姫路にある、アースシネマズ姫路だ。

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入口にはメイクアガールの放映情報が貼り出してあった。好待遇に見えるが割り当てスクリーンは狭めのが多く不遇だった。これはまぁ、ビッグタイトルを複数上映しているっぽかったので仕方がない。

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8番スクリーンで見てきたが、比較的前方にあるE列の具合がよかった。

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映写や音響はOSシネマズハーバーランドの1番スクリーンと大差なかったように思う。SAOPのDolby上映(スクリーン3、Atmosフルダイブ姫路サウンド)の時は音がよかった気がするが、音響調整されたDolbyだったからなのかもしれない。

着席は18名ほどで、ちょうど座席一列分だった。

感想

アキラというキャラクターの不遜さと未熟さ

アキラは非常に未熟で、それゆえに不遜な人物だと思う。しかも意図してやっていない分、トラペジウムの東ゆうを余裕で越えてると思う。

例えば、0号から食器洗いを頼まれ、ソルトに洗い物をさせるのはおかしい。0号はアキラにやってほしいのだ。しかも0号はソルトを嫌っているが、アキラはそれに気づいてすらいない。

0号がアキラを連れ出しデートに誘うシーンでも、買い物を終えたときに0号が自分で考えた内容を表明したときに、アキラが「また君が…?」と自我が目覚めていることに懐疑的な態度を見せるシーンがあるが、これは明らかに0号を一人の人間として扱っていない。創造者としての驕りが見えていると思う。

他にもシーンを上げれば枚挙にいとまがない。

残念ながら、この性格は物語の最後になるまで変わることがない。例え自分の命が危機に瀕しようと、それが原因で0号が死ぬことになろうと、変わることがない。正真正銘のダメ人間だ。本作を本作たらしめている最大の要素は間違いなくここだろう。

0号のアキラへの想い

0号は最初のうちはアキラを非常に慕っていた。しかしある時、「アキラのどこが好きなんだ?」と問われ、答えが出せずに葛藤してしまう。

そして作られた機械であるソルトと、作られた人間である自分との違いを意識し始め、葛藤を始める。

そこでこれまで自分が社会性を獲得するのに人間社会を観察してきたように、アキラを観察しようと考える。

デートに連れ出し、アキラとの対話で自我に気づくシーンでは0号の中で何かが反応したような描写がある。何かしらトリガーがあるのだろうが、ここから0号はアキラ好き好きモードになってゆく。

しかし、このことが原因でアキラから遠く離れた家に隔離されてしまう。

アキラから「今日からクラスメイトになろう。友達だ。」と告げられ、絶望してしまう。

0号はアキラへの好意を強く伝えるが、アキラから「それは0号の考えから生まれた感情じゃない」と言われてしまう。

そしてアキラへの強い好意のあまり、アキラは0号を拒絶し、0号の脳内で何かが反応し、自害プログラムが作動し、アキラが解除操作をするまで(?)0号は自身の首を強く締めてしまう。

以降、0号とアキラは疎遠になる。

生まれた意味を全否定された0号の、この気持ちはアキラには理解できないことだっただろう。

アキラの前を歩くようになった0号

アキラが0号の成長を感じたときに「いつから君は僕の前歩くようになったんだ?」と思うシーンがあるが、恐らくこれはアキラが自身が創造主で0号は設計を超えられないと思い込んでいたために発生したことだと思う。

0号は曲がりなりにも人間であり、成長するのは当然で、同じ場所にとどまり固執し続けるアキラより先に行くのは当然のことだろう。

しかし、アキラはこれを理解することができなかった。これはアキラの未熟さの例の一つでもあろう。

アキラが0号を完全に処分しない不思議

いやそりゃ血肉が通った人間だからというのはわかるのだが、別居を始めるときに0号の当初の目的である恋人は終わったみたいな発言をしたり、0号の自滅プログラムを作動させたりするあたり、処分対象としてみているような気もする。

恐らくこれがソルトであったなら迷いなく機能停止するなどで処分していたことだろう。

それに0号を生かしておく、お金もただではないはずで、行動にやや不可解な部分があるように見えた。

アキラの回想シーン

最初は母との思い出を描写しているように見えたが、後半に入ると、母と対話できるようになる。子供の姿のアキラと、高校生であることを認知した母が話しているシーンからしてみるに、恐らくあれは過去ではない。

恐らく序盤の奴は過去に見せかけようと母によって細工されているのではないだろうか?しかし、途中から母はアキラのことが心配になり、コンタクトをとるようになったと考えることができるかもしれない。

その場合、恐らくあれはシステムでアキラの脳内に埋め込まれた何か、或いは記録メモリの中を読み込むことによって脳内に構築され想起されるようなシステムである可能性がありそうだ。

母の記憶、いや意思に近いもの、自立した人工知能のようなものが、もしメモリに記録されており、それを読み出すことによって読んだ者の脳を汚染し、入り込むことができるのだとしたらある程度は納得ができる。

想定された未来

アキラの回想の中で母がアキラに対し「たくさんの困難にぶつかりなさい」みたいなことを言うシーンがあるが、もし今起きている0号との関係、海中とのトラブルが母によって仕組まれたトラブルだったとすれば、アキラ自身が人造人間であり、母に命運を操作されていたとしたら、設定として巧妙で、ちょっとおもしろいなとか思った。

母がアキラを諭すシーンで「許してくれなかったら、またほかの方法を試せばいい。研究者だってそういうもの。」ということがあるが、恐らくこれは自主性や自立をしてほしいという指令なのかもしれない。

もしアキラも人造人間で、0号の前に存在したプロトタイプであり、そのあたりの機能性に不足があるとか、母が逝去する前に自立性を育んでいなかった結果、あのような人格破綻者になったのだとしたら、このセリフはおそらく母からアキラに対する自主性を持たせるための最後の指令だった可能性もありそうだ。

0号の想いに応えられないアキラ

0号とアキラが対立して0号がアキラに襲い掛かる前に、0号から問いかけがある。これは許しを請うアキラに対する、0号からの最後の赦しの機会だった。

0号は「もうわかっています。その場しのぎの言葉はやめてください。」といい、アキラは否定するのだが、続く「私の心が作り物でないと認められますか?」に対しては口ごもってしまう。アキラは正直な人間なのだろう。

しかしこのときの正解は相手の考えを認めることだ。人から信頼を得るということは例え嘘でも相手を認めることだ。嘘も方便という言葉がある通り、こういう場合の嘘は構わないし、嘘から出た実という言葉がある通り、嘘も貫き続ければ事実に代わる。

結果としてアキラは0号の想いを受け入れることが出来ず、0号による命がけの抵抗にあうことになる。アキラは最後の最後まで0号を思いやってやることができなかった。非常に残念な結末だ。

これは別に物語の中だから起きえることでもない。現実で見てもよくあることだろう、何かを問われたときに我を通すあまり相手の信頼を失うのは、現実社会においてもよくみられることで、これは作品のテーゼとしてそれに対する戒めを説いているのかもしれない。一般的にこういうのを保身に走るとか、身を取り繕うとか、建前だけとかいうのだろう。

こういうのは自分の中で消化したと勘違いしているときによく起きることで、アキラらしい、自分のことしか考えていない非常に身勝手な考えだと思う。結局アキラは0号のことを考えることができないのだ。

0号によるアキラへの攻撃

0号は今まで貯めに貯めたアキラへの恋心と、自分が作り物であるという葛藤が混ざり合い、自分自身を制御できなくなる。

「ちゃんと証明しますから。人の想いは制御できないって。」というシーンがあり、まさにその通りだ。

この場になってもアキラは0号の生死のことしか心配できていない。0号が気にかけてほしいのはそこではない。恐らくただ一言、0号のことが好きだと、愛していると、そう言ってあげれればよかったのではないだろうか?

0号の生まれた理由、存在意義はアキラの恋人になることである。アキラはそれを否定したままここまで来ていて、0号がどうなろうとそれを取り消したことはない。

「私の心が作り物でないと認められますか?」というのは、0号がアキラに対して抱いている好きという思いが本物であるということを認めてほしいのだ。0号はアキラのことが好きで、アキラにも好きでいてほしい。ただそれだけなのだと思う。

この場面は見ていて非常に辛く、最後に0号はアキラへの恋心は遂に達しえなかったとばかりに、最後に一言だけ残し、息絶えてしまう。

機械的に作られた思いに対する嫌悪感と、それでもアキラのことが好きであるということを忘れられなかった0号の葛藤は、それはもう非常に甚大なものだったろう。このシーンは見ていて0号が非常に痛ましく、辛いシーンだった。

アキラの瞳

アキラが0号に攻撃されている最後のほうでアキラの瞳が0号の生態制御モードと同じものになるシーンがある。これは恐らくアキラもまた人造人間であることを示しているように思う。

0号が残した最後の言葉

アキラをひとしきり攻撃しきった後に、0号は「私の負けです」的な発言をするがこの意図が個人的に引っかかっている。

これは創造主を攻撃できない制御に屈したという意味なのか、アキラを本心から嫌いになり切れなかったという思いなのか、その混合なのか、この時の0号は一体どのような気持ちだったのだろう?

なんにせよアキラを攻撃している時に放った「私にできる唯一のやり方だから」という0号のセリフからすると、唯一のやり方が通じなかったというのは間違いなさそうだ。

0号の行方

アキラに殺意を向けてまで攻撃した0号の生態制御は致命的ではなく、幸い0号は一命をとりとめ、アキラによる看病を受けるが目を覚ますことはない。

しかしある日突然、寝ていた布団から姿を消しラボに移動する。その姿はさながらアキラの母親であった。果たして0号は消えてしまったのか、母親によって乗っ取られってしまったのか、そこが気になるポイントだ。

0号が最後の言葉を残す前に0号の意識に母親が介入するシーンがあるが、アキラの意識にも介入できる辺り、ひょっとすると母親由来のプログラムには全て介入できるのかもしれない。

もしそうなら、研究中がソルトはアキラを助けるために交通システムへのハッキングを仕掛けたのにも納得がいく。

個人的には0号「おかえりなさい。『アキラ君』」という言葉に畏怖を感じたし、0号はどこ…?ともなった。

エンディングではバイト中の0号がポカをするシーンが目立つため、以前の0号ではなくなっている可能性もある。これはストーリーが続くのであれば次回作に期待したいところだ。

気になった部分

アキラの過去の記憶に登場する家

恐らく続編で明かされるとは思うが、あの家は何なのだろう?

0号が神社の階段を上るシーンの意味

何かの心象の描写なのかもしれないが、よくわかっていない。

例えば日によって登り方が違う、登らなくなったなどで0号の様子を何かしら描写するためのものである可能性はあるかなとか。

この作品を見て感じたこと

この作品を見て感じたことは「覆水盆に返らず」と「他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない」、「詭弁に意味はない」みたいな要素があるなということだ。

覆水盆に返らず

アキラが0号に対してやってしまったことは取り返しがつかないことで、恐らく何をしても戻ってこない。過ぎ去った過去はどうにもならないのだ。

過去はどうにもならないが、未来は変えることができる。そういう意味でも、もしアキラが過去の自分の行いに執着せず、新たな気持ちで0号からの気持ちを受け入れられていたら、結末は変わっていたのかもしれない。

他者を意のままに使役することは誰も幸せにならない

アキラは0号の創造主であることから、0号が言うことを聞かないときや、本来の設計に反する挙動を見せていた時に苛立ちを見せていたように思うし、0号との別居の際もそんな感じに見えた。最初のほうは体を掴んで動かすなど明確に0号に指示をして動かしていたので、その延長でやっていたのだろう。

しかし、0号がファミレスでバイトを始めるようになると馴れ馴れしく接してくるアキラへ戸惑っているように見えるシーンもあることから、この辺りから軋轢が始まっているように感じた。

赤ん坊や児童、新卒ならいざ知らず、あの頃の0号というのは立派な意思を持った人間だ。

そんな人間を意のままに操ろうと考え、意に反することが起きれば、もちろん使役する側は嫌な気持ちになるだろうし、される側も戸惑うだろう。

結果として、あの結末につながるのではないかと思う。何故なら、この関係は人と人というより、人とモノの関係に近いからだ。

アキラにまっとうな感性がないというのはさておき、アキラが0号を彼女や恋人として見れなかったのも、モノ扱いしていたからではなかろうか?

何より、使役関係は疲れる。似た概念にマイクロマネジメントというのがあるが、1から10まで指示するのも、されるのも、どっちも負担だ。

詭弁に意味はない

その場しのぎの言葉には何の意味もない。

極論を言うと悪いことをしたときに「謝ればいいんでしょ。謝れば。」というようなもので誠意がないのだ。

これは実社会でも非常に難しく、自分は反省しているつもりでも相手に伝わらないというのはよくあることだ。可能であればお互いに意識のすり合わせをするのがいいのだが、これは中々難しいことで、こじらせると平行線の喧嘩とかになりがちだ。

ただ、詭弁である限り何を言っても相手に通じることはまずない。

百歩譲って相手が詭弁を受け止めたとしても、詭弁は本質を突かないので、本質的に反省出来ず、同じことが繰り返されがちだ。

次回作はどうなるか?

エンディングで茜がアキラにクッキーを手渡すシーンがあるが、恐らく恋仲になるのではなかろうか?

その場合、0号はお母さんとして見守るのかもしれないし、0号本来の意識が覚醒し、体を乗っ取り返し、アキラを取り戻す、そんなシチュエーションもあるのかもしれない。

なんにせよどうなるのか、非常に楽しみだ。

海中は獄中か、それとも出所しているか、脱獄しているか、意思を誰かに託しているか、どうだろう?個人的にモブキャラだと思うので正直あまり興味ないが…。

あとがき

実はアリテレのころから映画鑑賞の感想を書きたいと思い、ずっと映画館でメモを取ったりしていたのだが、中々形にできていなかった。この行動はアナログへの回帰でも、映画館でメモを取るという内容で少しだけ触れている。

トラペジウムでは、このメモから起こして殴り書き程度はしたのだが、断片的過ぎて読めたものではなかった。それが今回ある程度まとまった記事として掛けたのは個人的に結構よかったと思う。

やっているうちにメモの取り方も徐々に洗練されてきたのもあるかもしれないが、まだちょっとよくわからない。

なんというか、こう、形にならなくてもとりあえずやってみるというのが大切だなとか思うのであった。とっかかりを作るのはきっと重要なことなのだ。

それはそれとして、字が汚すぎて半ば解読不能なのも何とかしたいところである。

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